« 2010年12月 | トップページ | 2011年2月 »

立川談志一門会「粗忽長屋」「疝気の虫」「子別れ」

立川談志一門会 2011年1月

何度目かの練馬文化ホール。右寄り中ほどの席で4000円。

ちょっと遅れてしまい、談修さんのあと、談笑さんのマクラのあたりから。「粗忽長屋」で、長屋の面々が妙に格好良くて、見直しちゃった。馬鹿馬鹿しいんだけど、ちょっとドラマ「ルーキーズ」みたいな雰囲気。元気で明るいだけじゃない。ついてきた連中の一人が、行き倒れは俺だ、と言い出してオチ。

続いて志らくさん。立川流四天王に関する、この人一流の皮肉な分析があって、「疝気の虫」。談笑さんが古典だったのを意識したのか、割とストレートな演目かな。テンポがよくて、虫の物言いがたまらなく滑稽で、さすがです。

仲入り後に談志さん。スペシャルトークと予告されていたけど、座布団に座ってマクラもそこそこに、なんと「子別れ」を弔いの場面から。やっぱり声はかなりかすれていて、細かいニュアンスは伝わりづらい。それだけに噺の骨格をまざまざと見る感じ。トントンと進んで「子別れの上」、と言ってから、休みなく「下」に突入。トントン過ぎて、肝心の「げんのうは父さん」というフリを飛ばしてしまい、オチに来て言い直してました。はは。

いったん下りた緞帳を、しばらくたってから再び上げて、高座にあぐらをかいて照れたようにひとしきり語る。舞の海の技とかを例に、拍手したくなる、ということについて。最後に六代目春風亭柳橋(柏枝)のエピソード、「江戸っ子の腕で打ったるかすがいは浪花の空に柏枝喝采」に触れてお開きとなりました。聞いていて切ないんだけど、時代を共有するような気分がますます。Photo

四天王御江戸鏑

初春歌舞伎公演 通し狂言・四天王御江戸鏑(おえどのかぶらや) 2011年1月

福森久助作、江戸・中村座の顔見世狂言を、ゆかりの菊五郎さん監修、国立劇場文芸課補綴で上演。196年ぶりの復活だそうです。国立劇場大劇場1階中央で1万2000円。

将門の遺子・良門(菊五郎)が妖怪土蜘蛛(菊之助)の力を借りて、源氏への復讐と謀反を企てるというアンチヒーローもの。菊五郎さんはやっつける側の源頼光家臣で四天王のひとり、渡辺源次綱も演じます。仕掛け満載で、お正月らしいサービス精神を楽しむ。

いきなり序幕「相馬御所の場」が竜宮城仕立てで、祭のような龍が登場し思いっきり派手。良門が金の扇子を広げ、沈む太陽を呼び戻すシーンが迫力です。二幕目「一条戻橋の場」は盗賊・袴垂保輔の松緑さんが堂々として、いい。ゆったりと型を見せる「だんまり」、菊五郎の「ぶっかえり」、そして土蜘蛛の人形が予想以上の大きさでびっくり。最後に幕外で、尾上家ゆかりの土蜘蛛の精に扮した菊之助が花道から宙乗りし、客席に糸を投げて拍手。

30分の休憩後、三幕目「羅生門河岸中根屋格子先の場」は一転して吉原を舞台にした世話物。いなせな鳶頭・綱五郎の菊五郎さんが貫禄です。続く「二階座敷の場」では菊之助の女郎・花咲が登場。一段と艶やかだし、声もよくて映えるなあ。
どんちゃん騒ぎの場面ではAKB48、戦場カメラマンまで登場させ、下世話なおふざけに徹します。「お土砂」をまいて、幕引きの黒子までぐにゃぐにゃになる。以前に「松竹梅湯島掛額」でも観たことがある、お約束のチャリ場ですね。
その後、「花咲部屋の場」で綱五郎と花咲・実は土蜘蛛の精がじゃらつきながら、大人っぽく腹のさぐり合いをのぞかせる。

休憩を挟み、四幕目「二条大宮源頼光館の場」で再び時代物に。頼光に必殺の武器・鏑矢をもたらす弁の内侍の梅枝が、とても品がある。綱五郎がたどたどしく武士のふりをして笑わせるものの、実は本物の渡辺源次綱でした、と明かし、鬼神・茨木童子(怪しく時蔵)を成敗する。
「寝所の場」で盗賊保輔の自己犠牲の場面となるけれど、あんまり深刻にならず、兄・保昌(松緑の二役)の策略と神器の力で、頼光(こっちは端正に時蔵)が土蜘蛛の呪いから回復するスピーディーな展開。

短い休憩の後、いよいよ大詰「北野天満宮の場」。舞台一杯に揺れる巨大な幕で炎を表し、大蜘蛛が断末魔に客席に向かって糸を放って、思わずのけぞる。このへんは現代的な演出ですねえ。
ところが幕切れには、敵味方がなぜか一同に会して、新年ご祝儀の手ぬぐいを客席に撒くという和やかさ。あー、この落差、あっけらかんとした都合の良さがたまりません。とにかく盛りだくさんで、観客皆さん満足げでした~

「浮標」

葛河思潮社第一回公演「浮標(ぶい)」 2011年1月

三好十郎作、長塚圭史演出。長塚圭史の新プロジェクト、葛河思潮社の旗揚げ公演です。しかも神奈川芸術劇場(KAAT)のこけら落としの1演目。山下公園にほど近い劇場は、NHK横浜放送会館と同居しており、高さ30メートルの巨大な吹き抜けや大階段など贅沢な作り。ただし今回の公演は、こぢんまりした大スタジオのほうで、右寄り前から2列目という舞台至近距離でした。6300円。狭い劇場は、かなりの演劇好きが集まっている雰囲気。

1940年(昭和15年)初演の、高まる軍靴の音を背景にした戯曲です。千葉の海辺で妻を看病して暮らす画家と、結核の妻との貧しい日々をワンセットで綴る。私小説ぽい地味な内容、しかも10分休憩を2回挟んで4時間もの長丁場なんだけど、淡々としていて、さほど重苦しく感じなかった。積み重なっていく、日常的なセリフの力。

主人公の夫は、才能がありながら画壇から遠ざかり、妻の病状は日に日に深刻になっていく。芸術も家族も、信仰も科学も、二人を救わない。舞台が四角い砂場という、意表をつくもので、その足場の悪さが、不安や焦燥をかき立てる。場面に登場しない俳優が、観察するように左右の椅子に座っているのが、どこか醒めた雰囲気だ。
主役夫婦の、自ら世間に背を向けた姿勢は、出口はないんだけどいっそ潔い。やがて、次の世代に未来を託すという極めてシンプルな思いが、一筋の希望をもたらす。幕切れは、悲しくも生の原点のようなものを思わせる。

主人公の田中哲司が、意外な色気があってよかった~。ハイテンションの人っていうイメージをもってたんだけど、先入観を覆してなかなか切ない。延々続く小難しいセリ フも、押しつけがましくないし。
妻の藤谷美紀が可憐。夫の親友の大森南朋は、まあ、いつもの感じですね。義弟の遠山悠介と、医師の妹で主人公にほのかな恋心を抱く中村ゆりの若い二人が、水着姿も溌剌としていて好演。妻の世話を焼く「小母さん」の佐藤直子が、達者でした。

音響は晩夏のセミの声と波音ぐらいで、たまに挟まる風鈴の音が印象的。どうやら三好十郎の作品のなかでは「転向戯曲」という位置づけらしいけど、後味が誠実な印象でした。Photo_17

大人は、かく戦えり

シス・カンパニー公演「大人は、かく戦えり」 2011年1月

初めての新国立劇場小劇場。黒い壁にシンプルな椅子が400程度、本当に小劇場という雰囲気ですね。観客も大人っぽい。中ほどあたりの左端で7000円。

ヤスミナ・レザ作、徐賀世子訳、マギー演出。フランス人女性劇作家によるトニー賞受賞のちょっと意地悪な喜劇を、手練れの演技バトルで楽しんだ。
11歳の男の子同士が喧嘩した後始末で、怪我した子の父母の自宅を、怪我させた子の父母が訪ねる。互いにインテリらしく、穏やかに話し合い始めるが、だんだん価値観の違いが露呈、それぞれ夫、妻に対する日頃の鬱憤まで飛び出して、制御不能の本音バトルに発展しちゃう。赤が鮮やかな洒落た客間のワンセット、登場人物は夫婦2組の4人だけで、1時間半弱ノンストップの会話劇だ。セリフに隙間がなく、4人の関係も細かく変化して目が離せない。けっこうアクションもあるし。

俳優4人が、当たり前ながらとにかく達者。なんといっても大竹しのぶ。チャーミングさが光ります。教育熱心で家事も得意という、どうも偽善っぽさが漂う女性で、ヒステリックに叫んだりもするのに、全く嫌らしくない。リズム感が抜群。その夫役、段田安則も期待通りです。実直な中小企業経営者って印象だけど、後半に至って本音がぼろぼろ。そのギャップにアクセントがある。
対する二人はやや抑えめかな。やり手弁護士役の高橋克実は尊大。本筋じゃないけど、「携帯電話に人生のすべてが入ってる」っていうセリフが、妙に切実でした。その妻、秋山菜津子は眼鏡に黒いスーツで、一貫して我慢してる役どころ。それぞれ、人物像が無理なくはまってましたね。

筋はシンプルなんだけど、4人の大人げなさ、コンプレックスを笑いながら、観ている方も他人事でないというか、胸の底がひやっとする感じの舞台でした~。

志の輔らくご「だくだく」「ガラガラ」「大河への道」

志の輔らくご in PARCO  2011年1月

恒例の1カ月公演。笑い初めで、連休のお昼に足を運びました。中央後ろの方の席で6000円。当然の人気で客層は幅広く、開演前から会場には期待感が横溢。後ろから「落語は初めて」なんて会話も聞こえたり、マニア過ぎないところがこの人らしい。高田文夫さんらしき姿も。

屏風もないシンプルなセットで登場。まずアナログ停波への疑問とか、アナログとデジタルの違いについての妙な解説をマクラに、古典で「だくだく」。貧乏長屋に身一つで越してきた八五郎が、隣に住む隠居らしき先生に頼んで壁に家財道具の絵を描いてもらう。知らずに盗みに入った泥棒が腹立ち紛れに、盗んだ「つもり」とふざけていると、八も悪のりして…という滑稽話。上手に笑わせてもらう。マクラの3Dの話題が、終盤で印象的に繰り返される「…つもり」につながっていたと、後で気づいて納得。

いったん舞台後方のスクリーンに、短い映像が流れる。文字に筆を加えていくと干支の兎などの絵になり、逆回しで絵が文字になる洒落たもの。

そして休みなく2席目です。チャンネルを「回す」とか車の「助手席」とか、技術の進歩で意味を失ったのに、使い続けている言葉の蘊蓄を語るマクラから、新作「ガラガラ」へ。商店街の若手が福引で1等に世界一周旅行を張り込んだら、手違いで1等の当たりが7本も入ってしまった。1等を取り出そうにも、内緒で2、3、4等の当たり本数を減らしちゃったから、人前でガラガラを開けるに開けられず…という、お馴染み日常のトラブル勃発もの。あたふたする市井の人々の姿は、以前みた「歓喜の歌」に通じていて苦笑を誘う。安定感抜群です。
バニー姿の女性と、宝くじ抽選会の大きなルーレット2台のセットが登場して幕。

仲入り後、さっきの抽選にあたったお客さんに記念品を、というアナウンスが流れ、バニーちゃんが席まで届けにくる楽しいサービス。

そして釈台を置き、紋付き袴で新作「大河への道」。長崎に行ったら昨年の大河ドラマの影響で龍馬ブームが起きており、ちょっとやりすぎじゃないの、というフリから念願のシーボルト記念館に行った話、伊能忠敬の地図を持ちだそうとした「シーボルト事件」に関する間宮林蔵陰謀説、ちなみに千葉の伊能忠敬記念館で見た伊能の地図は凄かった…と、前半は歴史談義が続く。
「へえ」と感心しつつ、全然落語っぽくないので、どうなることかと思っていたら後半、千葉県庁が伊能を主人公にして、大河ドラマ制作を仕掛けようとする噺に突入。真面目でおかしい県庁職員二人と、脚本家とのやりとりで笑わせながら、伊能の死をめぐる感動のドラマにつながっていく。
ほとんど「天地明察」といった時代小説を読んでいる気分。あるいは「中村仲蔵」なんかを思わせる、実録人物談の雰囲気でしょうか。
気がつけば1時間半ちかく。ラストは、伊能が歩いた美しい日本の海岸線の空撮、そして傑作地図の映像を流し、じんとさせました。

いったん下げた幕をあげ、「どうしても長くなっちゃうんだよね」と言い訳しつつ、長唄衆のリードで手締め。今回は技術の進歩と、それを凌駕する人の情熱の力、というのがテーマだったような。いつものように、巧くて知的で、説得力ある会でした。Photo

METライブビューイング「ドン・カルロ」

METライブビューイング2010-2011第4作「ドン・カルロ」 2011年1月

またメトロポリタン歌劇場の録画で、ヴェルディの歴史ドラマ「ドン・カルロ」を観てみた。今度は新宿ピカデリー・スクリーン6の前の方、中央の席で3500円。若手のヤニック・ネゼ=セガン指揮、ニコラス・ハイトナー演出。

2009年のスカラ座来日公演で観たことがある演目だけれど、バージョンが違っていて今回はイタリア語5幕版。冒頭に「フォンテンブローの森の場」が加わり、悲劇の発端となるカルロとエリザベッタの甘いロマンス、切ない別れが描かれる。コベントガーデンで披露済みの新演出だそうで、黒を基調にしつつ、ところどころ効果的に赤を配した重厚な雰囲気がよい。

さすがに歌手陣はハイレベルで充実してました。タイトロールのロベルト・アラーニャはやや線が細いけれど、父王との確執、継母エリザベットへの思慕にうじうじ悩む若者の感じがよく出ていた。アラーニャに合わせたのか、王妃エリザベッタで細身のマリーナ・ポプラフスカヤもずっと抑えめだったが、徐々にプライドの高さをにじませ、ハイライト4幕の「世の虚しさを知る神」ではなかなか聴かせた。
ドン・カルロと言えばフランドル(ネーデルランド)独立の理想に燃え、誰がやっても格好良くなりそうな盟友ロドリーゴ。2010年ロイヤルオペラの来日公演で観たサイモン・キーンリーサイドが演じ、カーテンコールでも大きな拍手を浴びてましたね。若々しさはないけれど、王の心情に触れるシーンなど、細かい視線の演技までチェックできて満足。ライブビューイングならではだなあ。大好きな「友情の二重唱」、4幕の「わが最後の日」の絶唱と、つくづく得な役です。
カルロに匹敵するキーマン、父フィリッポ2世はフェルッチオ・フルラネット。4幕冒頭の「一人寂しく眠ろう」はかなりの苦悶ぶりで、ルネ・パペより重々しかったかも。敵役のエボリ公女はミラノ座の時と同じアンナ・スミルノヴァだけど、ずいぶん貫禄が増した感じ。重厚なこの演目の中では数少ない明るい場面を担い、技巧を要求される「ヴェールの歌」も楽勝そうでした。

シンプルな舞台ながら、巨大な十字架やキリストの肖像、黄金の宮殿などで権力者の猜疑と孤独、宗教の不寛容など、シビアなテーマを強烈に表してました。1867年のオペラ座初演時にはナポレオン3世を迎え、スペイン出身で熱心なカトリック信者の皇后が途中で席を立っちゃったというエピソードもあるらしい。先王の亡霊がカルロを連れ去る幕切れは、今回もどうにも唐突だなあ、と感じたけれど、ひょっとすると、これ以上は描きようがない微妙すぎるテーマだったのかもしれませんね。

ろくでなし啄木

ろくでなし啄木  2011年1月

2011年の観劇始め。作・演出三谷幸喜。東京芸術劇場中ホールの1階中央後ろの方で1万円。「50歳記念大感謝祭」と銘打った新作イヤーの第一弾ということで、若い人が多く、客席に期待感がある。
開演前の注意事項、いつも三谷さんは自身の録音で楽しませてくれる。今回は芸術監督・野田秀樹さんとの掛け合い。贅沢です。

導入は、無名時代の石川啄木の恋人だった女給トミと、友人のテツが再会し、15年前に3人で過ごした、ひなびた温泉宿での一夜を思い出す。1幕でトミが啄木の策略とその後の失踪を語り、休憩後にテツが同じ経緯をなぞる。すると、トミの説明とはかなり食い違っている。
結局、若き啄木は二人になぜ、そんな仕打ちをしたのか、何を思って姿を消したのか。笑いを散りばめつつ、謎解きが進む。

若手3人だけのシンプルな会話劇だけど、かつての大河ドラマの共演者たちにアテ書きした感じで、巧くはまっている。主役の啄木は、自分の才能に対するプライドと、貧しさ、挫折感の狭間で人物像が二転三転。藤原竜也が期待通り、オーラたっぷりです。口の巧さは、いかにも三谷節。
テツの中村勘太郎くんが、格好良くて存在感ありましたね。人が良さそうでいて、実はけっこう悪党。脱いだり飛んだり、リズム感がよく、セリフ回しも危なげない。啖呵を切ると舌っ足らずな感じがお父さんそっくりなのも、微笑ましい。初舞台というトミの吹石一恵も、不安はなかった。あまり色っぽくないのが、むしろストーリーに合っていたかも。

温泉宿の二間を、障子二組の開閉でスピーディーに入れ替え、人間の表と裏を二重写しにした美術が洒落ている。音楽は藤原道山のジャズっぽい尺八。ほろ苦いし、誰もが身勝手なんだけど、結局は人間讃歌っぽくなっていくところが三谷さんらしい。配役も含め、安心して楽しめる舞台でした。

« 2010年12月 | トップページ | 2011年2月 »