March 19, 2017

数学者たちの楽園

ベンダーのシリアルナンバーを、数学史上の重要な数である1729にできただけでも、博士号を取った甲斐はあると思えるんだ。博士論文の指導教授がどう思うかは知らないけどね

「数学者たちの楽園――「ザ・シンプソンズ」を作った天才たち」サイモン・シン著(新潮社)

1989年放送開始の長寿コメディアニメで、20回以上のエミー賞などに輝く「ザ・シンプソンズ」と、同じ製作者によるSFアニメ「フューチュラマ」。その脚本家チームに実は立派な学位をもつ元・数学者が複数在籍し、作中にも「トポロジー」やら「メルセンヌ素数」やら、素人にはピンとこない高度かつマニアックな理系ネタがふんだんに登場していた。
「フェルマーの最終定理」「暗号解読」でお馴染み、サイモン・シンによるノンフィクション。今回はドキドキさせる壮大な人間ドラマではなく、広く愛されるサブカルチャーに、どんな知的悪戯が仕込まれていたかを解き明かしていて、また楽しい。

とにかく日米のオタク文化の決定的な違いに驚く。日本で長寿アニメといえば「サザエさん」か「ドラえもん」、はたまた「ちびまる子ちゃん」。その抒情的、文学的な味わいに対して、シンプソンズを動画サイトでチェックしてみると、お下劣ギャグと乾いた笑いの印象が強い。
家族愛をベースにしつつも、労働者階級の日常を痛烈に皮肉っているとのことだが、高いクオリティを保ち、多くの著名人ゲストも引きつけてきたのは、こういうことだったのか、と納得させられる。シリコンバレーやウォール街の興隆にもつながるナード、ギークコミュニティの雰囲気は、羨ましいなあ。

アニメ制作の舞台裏もさることながら、もちろん数学をめぐる硬軟さまざまなトリビアも満載だ。エンタメ人脈を表す「ケヴィン・ベーコンの6次の隔たり」とか、セイバーメトリクスの扉を開いた「ベースボール・アブストラクト」の功績とか、ウォーレン・バフェットとビル・ゲイツの非推移的サイコロをめぐる富豪対決とか、「クラインの瓶」とか。
安定の青木薫訳。翻訳は英語タイトルの掛け言葉など、膨大な作業だったろうなあ。巻末に詳細な索引や「オイラーの式」などの解説、初級から博士程度までの数学ジョークという、たっぷりのおまけ付き。(2017・3)

August 16, 2016

あなたを選んでくれるもの

わたしは目を閉じて、そう気づかされるたびにいつもやって来る、ズシンという静かな衝撃波を全身で受け止めた。それはわたしがボンネットみたいに頭にかぶって顎の下でぎゅっと結わえつけているちんまりしたニセの現実が、巨大で不可解な本物の現実世界に取って代わられる音だった。

「あなたを選んでくれるもの」ミランダ・ジュライ著(新潮クレスト・ブックス)

岸本佐和子訳で2015年に話題だった一冊をようやく。2010年の小説も評判だっただけに、実はあまり予備知識なく読み始め、フィクションではなくフォトドキュメンタリーと知って驚く。豊かな社会の片隅に、確かにある貧しさ、孤独。庶民の現実は容赦ないけれど、それを受け止めてこそ知る一人ひとりのかけがえのなさが胸にしみる。

映画の脚本に行き詰った著者はなんとか突破口を開こうと、手元にあるジャンクなフリーぺーパーに「売ります」広告を出す人々に会ってみようと思いつく。電話でほぼ行き当たりばったりアポをとり、家を訪ねて出会う売主たちの肖像が、まず衝撃だ。なにしろしょっぱなが、60代で性転換途中のマイケル。小さい声で話し、生活保護でひとり暮らしし、「毎日をエンジョイしていのね。だからいつも幸せなの」。ブリジット・サイアーの写真が雄弁。

パソコンを使わず、絶滅寸前の紙媒体で、手持ちのオタマジャクシやら他人が遺した家族写真やらを売り、小金を手にしようとする人たち。はっきり語らなくても、どこか滑稽で、生きにくさを抱えていて、ちょっと目を背けたくなるシーンもある。でもそれは、ほんの表面に過ぎない。これは取材相手というより著者がインタビューを重ねることで、家族や死や創作、そして時間というものに向き合っていくドキュメンタリーだ。

ジュライは2005年に長編映画デビューでカンヌのカメラ・ドールをとったアーティスト。子供のころ、父は彼女によりによって「24人のビリー・ミリガン」を読んで聞かせたという。バークレーの私立高時代には、新聞の告知欄で見つけた服役中の殺人犯と文通していた。芸術的で感受性が強くて、面倒くさい。約束の町に早めに着き、近所をドライブして時間をつぶすうちに、結局遅れちゃう。そんな人だ。

大切な存在を手に入れれば、やがてはそれを失うことになる。日々を重ねていけば、どうしたって残りは少なくなり、もうたいしたことも成し遂げられないと思い知ることになる。「40を過ぎたら残りはもう小銭」。たいていの普通の人生は、さして意味はない。でも少しのユーモアと愛情と真摯さがあれば、小さくても確かな輝きを放つ。
著者はやがて突破口をみつけ、創作に立ち向かっていく。ほとんど偶然の、リアルな出会いによって。意味は違うんだけど、ちょっと前に読んだ「永い言い訳」の「人生は、他者だ」というセリフを思い出した。(2016・8)

February 25, 2016

GDP

国の経済全体の大きさを測る、という試みが初めて本格的におこなわれたのは、17世紀の戦争のときだった。

「DGP <小さくて大きな数字>の歴史」ダイアン・コイル著(みすず書房)

普段最も何気なく、あらゆる場面で使っている国の経済規模と成長率の統計。その成り立ちと限界について、英国財務省のアドバイザーなどを務めた経済学者が、数式を使わず平易にまとめた有難い本。経済書とは思えない洒落た白い装丁、150ページという軽さでさらさら読めて、検索も充実。

国の経済を測る、という試みは、戦費調達力、戦争遂行能力を判断する必要から生まれたというのが、まずびっくり。やがて計測とメカニズムへの理解が正しいのなら、経済、すなわち人々の豊かさというものは人為的にコントロールできるという概念が生まれた。いまや経済政策を考えるときの、基本の基本だろうが、意外に歴史は浅いのだ。
この10年だけでも、リーマンショックありギリシャ危機あり。ノーベル経済学者が束になって論争してさえ、経済というものは全然思い通りにいかない。それはGDPのせいではないだろうけど。なにせ統計を偽装して、国際的な支援を引き出しちゃおうとする政府があるらしいから。

もちろんGDP自体、実際には複雑な手順で組み立てた、いわば「仮想」の数値であり、その仮想が英サッチャー政権の誕生に深くかかわったり、歴史を左右しちゃうという割り切れなさを抱えている。さらに、その限界を感じさせる、より根本的な状況の変化が起きている。キーワードはITとサービスだ。
商品のカスタマイズとか、ネット上に氾濫する無料のサービスはイノベーションによって、かつてに比べて少ない資源で大きな価値を産みだしている。バリューチェーンは国境を越え、複雑に構築されている。20世紀生まれの統計は、こういう21世紀の経済の姿を、うまくとらえきれていない。このままでは各国の経済政策は、健康か病気かを正しく把握しないまま、いろいろ薬を投与しちゃっているようなものだ。

本書でGDPの課題を克服する道筋が、明確に示されるわけではない。とはいえアンケート頼みの幸福度のような、新機軸に組みしない著者の姿勢には個人的に共感を覚える。読みやすい訳は高橋璃子。(2016・2)

June 15, 2015

その問題、経済学で解決できます。

経済学は人のありとあらゆる情緒に真っ向から取り組む学問だ。世界全体を実験室に使い、社会をよりよくできる結果を出せる、そんな科学である。

「その問題、経済学で解決できます。」ウリ・ニーズィー、ジョン・A・リスト著(東洋経済新報社)

不勉強を承知でいうと、個人的には経済学というのはパソコンに向かって、金融とか財政とか労働とか貿易とかについて、小文字のいっぱいついた数式をいじくっている学問、というイメージがある。だけど1992年にノーベル経済学賞を受けたベッカーを持ち出すまでもなく、経済学の思考法を応用して、切羽詰まった社会問題を解決しようとしている人が、世界にはいっぱいいる。その手法のひとつ「実地実験」で何がわかるのかを、応用ゲーム理論などの研究者が平易に解説したのが本書だ。

冒頭、私がかねて疑問に思っていることに言及していて、まず興味をひかれた。つまり流行りのビッグデータからは面白い結論を導けるけど、単に「相関」という事実だけでなく、何らかの働きかけに役立つ「因果」をどうやって知るのか、ということ。著者たちはこの難問解決に、実地実験が効くと主張する。

例えば低所得家庭の子供の、ドロップアウトやら妊娠やら暴力やらについて、実験によって解決策を見つけられるか? 実際、著者らはシカゴの公立学校や保育園で、子供の成績をあげるため、ご褒美と罰金のプログラムを試す。そして科学的な方法に基づいて正しいインセンティブを与えれば、貧困家庭の子供たちは10カ月で、裕福な家庭の子供たちに負けない能力を身につけられる、といった結論に達する。

困っているなら思い込みを捨てて、仮説と実験によって、本当に効く解決策を見つけようよ、というメッセージだ。もちろん日本の教育現場で、マーケティングキャンペーンそのもののABテストをしちゃうなんて、現時点では難しい気がする。
実験できたとしても、結果の解釈については議論がありそうだし、実験費用という壁もある。なにしろ著者らはアイデアだけでなく行動力も凄くて、ヘッジファンド創業者夫妻を口説いてかなりの資金を引き出しているのだ。とはいえ筆致が明るいので、読んでいると意外に早く、日本の経済学も変わっていくかも、と思えてくる。

ちなみに社会問題よりは馴染み深い、経営への応用例も登場。会計サービスのインテュイットでは社員が自分で思いついたプロジェクトに、勤務時間の10%を使い、経済学者よろしく、仮説と実験・検証を手掛けて、業績アップを実現しているという。どうやら話題のデザイン思考というものにも、実地実験が重要な役割を果たすらしい。このへんは日本でも、すでに実践している企業が多そうだ。
読みやすい訳は「ヤバい経済学」などでお馴染み、望月衛。(2015年)



November 20, 2014

この世で一番おもしろいミクロ経済学

21世紀に入っても、ミクロ経済学の大問題は未だに大問題のままだ。個人にとっての最適化の結果が、集団全体にとってもよい結果になるのはどんな場合?

「この世で一番おもしろいミクロ経済学」ヨラム・バウマン著、グレディ・クライン・イラスト(ダイヤモンド社)

「経済学コメディアン」を自認するワシントン大講師による一般向け解説書。全編いかにもアメリカっぽい漫画なので、お洒落で読みやすい。とはいえ決しておちゃらけではなく、経済学教科書の大定番、マンキューの「10大原理」をカバーしているそうです。
需要・供給曲線から始めるのではなく、意思決定から入って、ゲーム理論の解説をたっぷり、という展開が今っぽい。市場の意味、「多人数の相互作用の総和」というポイントがすっと頭に入る感じだ。お馴染み山形浩生訳。(2014・11)

August 23, 2014

スタンフォード大学で一番人気の経済学入門 マクロ編

長期的に見てもっとも深刻なダメージをもたらしたのは、生産性上昇率の低迷です。
 生産性上昇率が1・5%下がったら、30年間でどれだけの差が出るかを考えてみましょう。
 複利効果を考慮しないで単純に30倍するだけで、45%もの損失になります。

「スタンフォード大学で一番人気の経済学入門 マクロ編」ティモシー・テイラー著(かんき出版)

米有名大の講義で、高い評価を受けているという学者による、経済学入門書を電子書籍で。経済成長、国際収支などおなじみの概念を材料に、経済学の発想で社会を観る目を示す。
特にインフレ率と失業率といった、指標のトレードオフの解説はわかりやすい。長期的な経済成長、自由貿易、財政規律など、オーソドックスな政策目標の意味あいを確認できる。各章に設けた用語解説が丁寧だ。池上彰監訳、高橋璃子訳。(2014・8)

May 14, 2014

「機械との競争」

CEOの報酬と平均的社員の報酬を比べると、一九九〇年は七〇倍だったのが、二〇〇五年には三〇〇倍に跳ね上がっている。エリックはヒーキュン・キムと行った調査で、この飛躍的な伸びはITの浸透と時を同じくしている、と指摘した。

「機械との競争」エリック・ブリニョルフソン、アンドリュー・マカフィー著(日経BP社)

技術進歩が雇用を奪う衝撃の現状と、それを認識したうえで将来を切り開く道筋について、MITスローン・スクールの経済学教授と、デジタル・ビジネス・センター主任リサーチサイエンティストが分析した。電子書籍で。

著者は数多くの先行研究をたどり、スキルの高い労働者と低い者の賃金格差が広がっていることや、スーパースターが富を独占する傾向、その背景にテクノロジーがあることなどを明らかにしていく。イエレンFRB議長の「雇用の質」議論にも通じる。
では人間は機械に隷属するのかというと、そうでもない。一九九七年にチェスの名手がIBMのコンピューター「ディープブルー」に敗れたことは、世界に衝撃をもたらしたが、現在世界最強のプレーヤーはコンピューターではなく、コンピューターを使った人間のチーム。競争に勝つ鍵はマシンを味方につけることだ、との主張だ。

そのために何が必要か。例えば教育。アメリカの教育は停滞し、中間的な労働者は最新技術についていけていない。だからこそ改善の余地があると、あくまで前向きなのがアメリカらしいところ。確かに無償公開の講義ビデオを活用して、お仕着せのカリキュラムは生徒が自宅でこなし、学校では教師と相談しながら「宿題」をする、という逆転の発想は面白い。
さらに知恵の共有。パンは食べ終わったらそれで終わり、でも本なら読み終わって友達に貸すことができる。むしろ読み終わった者同士で話し合えるから、価値が高まる。情報がIT化されれば共有も簡単。仕事を奪うのがデジタルなら、その克服を助けるのもまたデジタルなのだ。村井章子訳。解説は小峰隆夫法政大教授。(2014・5)

October 21, 2012

ウェブはグループで進化する

いまや誰が誰とつながっているのか、誰と会話しているのか、誰とアイデアを共有しているのかをかなり正確に把握することが可能だ。

「ウェブはグループで進化する」ポール・アダムス著(日経BP社) ISBN: 9784822249113

グーグルからフェイスブックに転進した、はやりの「ユーザーエクスペリエンス・デザイン」の専門家が、ウェブマーケティングの手法を解説する。オンラインはオフラインの日常に近づいている、つまり何か新しいボーダーレスな体験ではなく、リアルな知人とのごく普通の雑談の場だ、と著者はいう。最近の「LINE」の興隆などをみると、とても現実的な指摘だ。ちょっと夢がないくらいに。人と人の繋がり方や意思決定プロセスの分析も、ごく常識的なものだ。

販売促進で、たったひとりで多くの人を動かしちゃう、いかにもウェブらしい「インフルエンサー」を利用しようとする戦略は、実は効率が悪い、というのが著者の主張だ。かわりに、規模が小さくてリアルな、ごく普通の人間関係をウェブの膨大なデータから抽出し、その関係に乗っかって情報を伝達していく手法を勧める。一人ひとりから、きちんと情報伝達のパーミッションをとることも重要だ。

こんな手法を可能にしたのが、フェイスブックということだろう。原著は2011年11月の出版だから、同社はメンローパークに移転する直前、世界の注目を集めて最も勢いのあるころか。ウェブの歴史の一断面を感じさせる。小林啓倫訳。(2012・10)

April 01, 2012

パブリック

ドイツの一部では、安全とプライバシーを守るために自宅の周りをブロック塀で囲む。オランダでは、家のなかで何が起きていてもカーテンを開けておくのが普通だとされる。だがあるノルウェー人に聞いたのだが、ドイツのお隣ベルギーでは、隣の外国人が自宅のカーテンを開けっぱなしにして下着姿で歩き回っているという理由で、警官が呼ばれたそうだ

「パブリック」ジェフ・ジャービス著(日本放送出版協会) ISBN: 9784140815137

様々なアイデアを積極的に公開、共有する「パブリックネス」。人気ブロガーの著者が、フェイスブックやブログの進化で可能になった、パブリックネス社会の効用を説く。

著者は「大公開時代」について、はっきりと推進の立場をとっている。中東の政変から消費者主導の製品開発まで、公開するメリット、シェアの価値については非常に楽観的。新しいことが起きている、世の中が変わっていく、という感覚は、読む者をとにかく前向きにさせる。メリットが及ぶと指摘している分野があまりに多岐にわたっているので、一つひとつの掘り下げ、説得力が弱い印象はまぬがれないけれど。

一方でパブリックの進展に懸念を示す人々、とりわけ「プライバシー擁護派」に対しては手厳しい。彼らは「慢性心配性の匿名集団」であり、しじゅう「何か悪いことが起きるかもしれない、と言う。悪いことなんてそれでなくても起きるのに」、という具合だ。
米国で法的権利としてのプライバシーが議論になったのは19世紀末と比較的新しく、そのきっかけはテクノロジーの進化、すなわち携帯カメラの普及だったという解説が興味深い。わざわざスタジオに行かなくても、個人が手軽に写真を撮れるようになり、その結果、パパラッチにあたる存在、迷惑な「コダックマニア」が出現したというのだ。
その携帯カメラを生んだイーストマン・コダックが2012年、チャプター11を申請し、入れ替わるようにフェイスブックが株式を公開するという偶然の符合は象徴的だろう。現代のテクノロジーであるSNSでは、個人情報は街角で勝手に盗み見られるのではなく、自分から積極的に公開していくものに転換した。

自分で自分の情報をコントロールする仕組みや知恵が、十分成熟しているとは、まだまだ言えない。知らないうちに情報が結びつけられたり、一人歩きしてしまう恐怖を、頑迷固陋とか、おじさん的だと決めつける態度は禁物だ。とはいえ、今や誰もがカメラを持ち歩いている状態に全く違和感がなくなったように、常識の軸は意外に早く、動いていくのかもしれない。

ちなみに今作は、電子版をダウンロードしてスマートフォンで読んでみた(Kinoppy for Android)。文字の大きさを変えらるのが便利だが、当たり前ながら拡大縮小すると全体のページ数も変わることに、ちょっと馴染めなかった。どうやら紙の本のページ数で、全体の分量を感覚的に掴む癖がついているらしい。小林弘人監修・解説、関美和訳。(2012・3)

March 04, 2012

FBI美術捜査官

美術品および骨董品の盗難は、越境犯罪としては麻薬、資金洗浄、不法武器輸出についで四番目にランクされる。

「FBI美術捜査官」ロバート・K.ウィットマン、ジョン・シフマン著(柏書房) ISBN: 9784760139965

FBIで美術犯罪チームを創設するという特殊なキャリアをもち、現在は警備会社を経営する著者が、地元フィラデルフィア・インクワイアラーの記者と組んだ回顧録。

国境をまたぐ犯罪組織とわたりあい、フェルメールやレンブラントの名画を追跡する。「ルパン3世」かと思うようなハラハラどきどきの実話が本書の白眉だろう。同時にそこへ至るまでの、地道な努力も生き生きと綴られていて、これがまたたいそう興味深く、美術好きでなくても十分楽しめる。

ウィットマンの手法は潜入捜査。中古市場などで得た情報から怪しいとにらんだ人物に近づき、盗品売買の話をもちかけたりして信用させ、時間をかけてじりじりと決定的な逮捕シーンへと追い込んでいく。相手との緊迫した駆け引きは、腕っこきの営業マンに通じるところがあるという視点が面白い。
またキャリアの中盤では、不幸な交通事故の責任を問われて辛い時期を過ごしたことを告白。屈託を抱えつつ、非主流の分野に活路を見いだして一躍マスコミの注目を浴び、FBIの規則からは少々逸脱した仕事ぶりに走って、面子を重んじる周囲と軋轢を起こしてしまう。FBIに限らずどんな組織でもありえそうな話で、これはこれでなるほどと思わせる。

意外に粗雑な美術館泥棒のやり口とか、日本の感覚からするとさして古くないような南北戦争ゆかりの品への米国人の強い思い入れ、といったエピソードも新鮮。土屋晃・匝瑳玲子訳。(2012・2)