February 11, 2023

世界は「関係」でできている

この世界はさまざまな視点のゲーム、互いが互いの反射としてしか存在しない鏡の戯れなのだ。
 この幻のような量子の世界が、わたしたちの世界なのである。

「世界は『関係』でできている」カルロ・ロヴェッリ著(NHK出版)

本編200ページだけど、正直ほとんど1行も理解できませんでした。でも何故かすいすい読める。なんなら面白い。
イタリアの理論物理学者が一般向けに、量子物理学を語る。まず導入3分の1を占める、量子の世界を切り開いた若き学者たちの肖像が楽しい。20代のヴェルナー・ハイゼンベルクが、北海の風吹き付けるヘルゴラント島で世紀の直感を得るシーン。対するエルヴィン・シュレーディンガーの天才ぶり、無軌道ぶり。そして若者の飛躍に、「神はサイコロを振らない」と主張したアインシュタイン… 物質とは何か、をとことん突き詰める人々を巡る、魅力的なノンフィクションだ。

量子論はこの世界を表して、最も成功した究極の理論なんだけど、その意味するところはあまりに摩訶不思議。今だにいろんな解釈があり、議論は終わっていない。本書の残り3分の2では、そのいろんな解釈を紹介しつつ、著者の持論、すべては「関係」だ、という不思議世界へと読む者を導いていく。ロシアプロレタリア思想、レーニンとボグダーノフの論争、そして2~3世紀インド哲学のナーガールジュナ(龍樹)、色即是空へ。解説で竹内薫氏が「ルネッサンス的知性」と書いているように、豊富なイメージにクラクラしちゃう。とても詩的でスリリングだ。
世界の真実って、見えているのとはだいぶ違う。立っている地面が実は丸く、それが太陽の周りをぐるぐる回っていて、生物はすべて一直線ではなくトライ&エラーで生き残ってきていて、そして物質は何一つ確かなものではない! なんだかひととき、小さい悩みがばかばかしくなる読書体験です。ともかくも冨永星訳に感謝。(2023.2)

June 17, 2022

ウェブスター辞書あるいは英語をめぐる冒険

バスの乗れば広告を読み、次にポケットに突っ込んだレシートを読み、最後は他人の肩越しにその人が読んでいるものを読んでしまわずにはいられないこのわたしがーー読むことでお給料をもらえるなんて。この仕事はやばい、最高。

「ウェブスター辞書あるいは英語をめぐる冒険」コーリー・スタンパー著(左右社

2017年のTEDトークで人気を博したスター編纂者が語る、辞書づくりの裏側。英語愛と自虐ネタが満載で落語みたいに軽妙なんだけど、不定冠詞やら完了形やら言語学の知見だけでなく、「OMGの初出はチャーチル宛の手紙」といったトリビアも満載で、意外と読むのに時間がかかった。なにせ翻訳が6人がかりだもの。

編纂者の仕事というのは言葉の正しさを追求することではなく、広く長持ちする「真実」を伝えること。英語は変化し、成長し続けているものだから。
一方で辞書もシビアな出版ビジネスであり、2、3年ごとの改訂スケジュールに追われながら、シェイクスピアからあらゆる専門誌、地方紙までを探索する日常に、まず驚かされる。レストランでメニューの写真をとったり、旅行先から興味深い宣伝文句が書いてある石鹸を持ち帰ったり。いやいや、病気でしょ。

仕事の大半は地味で泥臭い。例えば「take」ひとつの意味、成句、引用例がいかに幅広いか。なんと1語にひと月、げっそりして夫に心配され、掃除業者に床に並べたメモをぐちゃぐちゃにされて絶望し… その後「北米辞書協会」の会合で、オックスフォード英語辞典の編纂者がにこやかに「ぼくはrunに9カ月かかった」と語るシーンは、爽快でさえある。

膨大な退屈があるからこそ、物議を醸す言葉ともフラットに向き合う真摯さが腑に落ちる。bitchの項では現代の差別の文脈での受け止め方、語感に潜む個人の激しい怒りに思いを巡らせる。marriageでは政治的な軋轢にも直面。奮闘の果てに著者が言い切る「辞書編纂はartではなくcraft」という言葉に、矜持がにじむ。
仲間のオタクぶりは楽しい味付けだ。突然フィンランド語を話したり、発音の調査で日がなYoutubeを観ていたり。いったん不採用になった失業中に、欠員補充で「ただ同然」のオファーを受けた同僚が、「波止場まで歩いていき、すわって海を見つめた。人生が始まろうとしていると感じた」というエピソードが、幸せな余韻を残す。

鴻巣友季子、竹内要江、木下眞穗、ラッシャー貴子、手嶋由美子、井口富美子訳。(2022.6)

July 20, 2021

かくしてモスクワの夜はつくられ、ジャズはトルコにもたらされた

絶望に屈してほどほどのところで手を打つのは性に合わなかった。彼は心に決めていた。もういちど、一からやり直そう。自分をコンスタンティノープルまで連れてきた歴史の力との知恵比べだ。

「かくしてモスクワの夜はつくられ、ジャズはトルコにもたらされた」ウラジーミル・アレクサンドロフ著(白水社)

20世紀初頭、ロシアとトルコで財をなした希代の実業家フレデリック・ブルースの波乱の生涯。原題は単に「The Black Russian」なのだけど、なにしろ無名の人物なので、長い邦題に加え、親切な副題「二つの帝国を渡り歩いた黒人興行師フレデリックの生涯」がついている。
無名のうえに、英雄でも偉人でもないんだけど、読み始めるとその冒険に引き込まれる。幕開けの、命からがら黒海の港町オデッサを脱出するシーンからして、手に汗握るスペクタクルだ。映画が何本も作れそう。

繰り返し思い知らされるのは、時代の大状況の前に、いかに個人が無力かということ。フレデリックの場合、大状況とは人種差別と革命による体制変更だった。
両親はもともとミシシッピ州に住む奴隷で、南北戦争終結による解放からわずか4年後に農場を持つが、詐欺に遭って転落する。フレデリックは18歳で南部に見切りをつけ、シカゴ、ニューヨーク、さらにロンドン、パリ、ミラノ、ウィーン…と放浪。帝政下のモスクワに腰を落ち着けたのは、黒人差別を感じなかったからだ(ユダヤ人差別はあったようだけど)。
そこで腕一本でのし上がり、大規模キャバレーを経営して成功をおさめるが、ロマノフ朝の崩壊によって一転、すべてを失っちゃう。難民となってたどり着いたコンスタンティノープル(イスタンブール)で見事に再起するものの、またもオスマン帝国の終焉になぎ倒され…

著者は決してフレデリックを美化していない。借金まみれだったり国籍を偽ったり、家庭も温かいものとはいいがたい。それでも運命に抗い、生き抜くしたたかさは痛快だ。
そもそもフレデリックの両親が、当時の南部では珍しい黒人による農場経営に乗り出していて、不屈の闘志を感じさせる。原著の出版は2013年だから、ちょうどBlack Lives Matterの発端のころなんですね。

さらに全編を魅力的にしているのは、フレデリック自身に成功をもたらした、客の心をわしづかみにする朗らかさ、うきうきした気分だろう。流行のジャズとダンスと可愛いロシア娘、おバカな喜劇やヴォードヴィル、ボクシング興行。ふと思い立つとボス自らどんちゃん騒ぎをはじめ、従業員らを引き連れて街を練り歩き、居合わせた人に誰彼かまわず、じゃんじゃん酒をおごっちゃう。
一個人に大状況は変えられない。どんなに理不尽でも、どうにもならないことはある。そのとき「ロシアの広い心」のいい加減さが、いかに人を生きながらえさせるか。

近代史を、歴史本とは違った角度から眺める趣きも。それにしても、よくぞ、こんな面白い人物を発掘したなあ。著者は亡命ロシア人二世で、米国におけるロシア文学研究の第一人者とか。ノンフィクションは畑違いだったわけだけど、巻末の膨大な出典一覧や原註が、研究者らしい手堅さと並々ならない情熱を物語る。労作にして異色作。竹田円訳、沼野充義解説。(2021・7)

September 27, 2019

パンドラの種

結局のところ、このデータは、農耕のライフスタイルへの移行が人類を不健康にしたことを示している。

「パンドラの種ーー農耕文明が開け放った災いの箱」スペンサー・ウェルズ著(化学同人)

遺伝学者・人類学者で、ナショナル・ジオグラフィック協会付き研究者の著者が、凍てつくノルウェーのフィヨルドからオセアニアの「沈みゆく島国」ツバルまで、世界各地での取材を織り交ぜて、1万年の人類史を振り返る。
農耕の発明によって、人類は環境と食料にコントロールされる側から、それらをコントロールする側へと劇的に移行した。果たしてそれは人類を幸せにしたのか。
著者は人口の増大や高度な社会性の獲得というプラス面が、疫病や肥満などの「副産物」も伴っていると指摘する。変わらない「生物」としての人類と、激変する「文化」との齟齬という問題意識は壮大で、普遍的だ。
もっとも後半になると、遺伝子テクノロジーや気候変動、さらには原理主義にまで話が及ぶので、散漫な印象を免れない。このあたりのテーマになると、発表の2010年からだいぶ状況が変わっている感じもする。化学メーカー出身の斉藤隆央訳。

March 24, 2018

世界をまどわせた地図

最終的にこの島が存在しないことが確認されたのは2012年11月で、最初の「目撃」から実に136年もの時間が経っていた(グーグルマップの登場から数えても丸7年が経っていた)。

「世界をまどわせた地図」エドワード・ブルック=ヒッチング著(日経ナショナルジオグラフィック社)

ネット書店から届いてみて、重さにびっくり。上質な紙を使い、B5判250ページに、数世紀にわたる美しい地図の図版が、ぎっしり詰め込まれている。それが揃いも揃って、誤解と幻想が生んだデタラメな地形なのだから、面白くないわけがない。

著者はロンドンの古地図愛好家。聞いただけで、いかにも凝り性な印象だ。期待に違わず、博覧強記ぶりがもの凄い。かつて堂々と地図に記されたものの、今は存在しないとわかっている島やら海峡やら山脈やらを、1項目2~4ページのハイスピードでどんどん紹介していく。
しかもABC順なので、年代や場所はランダムだ。実は本物の地形に詳しくない地域が少なくなく、時として解説は物足りないけれど、次々現れる虚偽の地図を眺めるうち、人間の夢見る力と愚かさとに圧倒される。

初めてお目にかかる「幻島」という単語が、頻繁に登場。大航海時代、西欧の船乗りたちが不確かな島かげの情報をもたらし、後続の冒険航海を引き起こしていく。それは利権と名声を求め、次の航海の資金集めを目論んだ、たちの悪いフェイクだったこともある。あるいは何日も何日も大海原をいく辛い旅程のなかで、陸地を見たいという切実な願いがもたらした、蜃気楼だったこともある。
真実が明らかになってしまえば、荒唐無稽としかいいようがない。だが未知の世界を思い描く人の営みは、今も変わらず、テクノロジーや社会を動かしているはずだ。「発見」した土地で先住民をひどい目に遭わせたといった、負の歴史も語られている。古地図から見えてくる物語の、なんと分厚いことか。

慣用句「リヴィングストン博士でいらっしゃいますか?(Dr. Livingstone, I presume?)」の語源など、ドラマチックなネタが満載。労作の訳は関谷冬華、日本語版監修は地理教育が専門の井田仁康筑波大教授。(2018・3)

January 27, 2018

SHOE DOG

寝てはいけない夜がある。自分の最も望むものがその時やってくる。

「SHOE DOG. 靴にすべてを。」フィル・ナイト 著(東洋経済)

ナイキ創業者の疾風怒濤の起業家人生。危機また危機の、リアル「陸王」だ。
60年代、オレゴン大学の陸上選手だった若者が世界一周の旅に出て、日本製シューズと出会い、輸入販売のビジネスに踏み出す。それから約20年。常に綱渡りの資金繰り、取引先との訴訟、新製品のリコール。日本の中小企業と変わらず何度も追い詰められながらも、世界ブランドを築き上げ、上場を成し遂げる。ハラハラドキドキ、面白すぎて550ページ弱を一気読み。

間違いなくナイトは聖人君子ではない。無茶なはったりやら、勝手な人事やらも赤裸々。おそらく記述には、一方的な言い分も含まれるだろう。
それでも散りばめられたユーモアと、苦しいときほど、むくむくと頭をもたげる闘争心が、なんとも痛快だ。ウィンブルドンで「気が荒いから近づかないでください」と忠告され、たちまち魅せられたというプレーヤーが、当時まだハイスクールの学生だったマッケンロー、という逸話が洒落ている。
これがオレゴン魂というものか。やんちゃ揃いの幹部たちとの冒険の果てに、自分のしていることは単なるビジネスではなく、創造なんだ、と宣言するくだりが感動的。「単に生きるだけでなく、他人がより充実した人生を送る手助けをするのだ。もしそうすることをビジネスを呼ぶならば、私をビジネスマンと呼んでくれて結構だ」。格好いいなあ。

日本との縁が深いのも興味深い。シューズビジネスへの道を拓いたオニツカ(現アシックス)とは結局、激しく争うことになってしまった。一方で、危機を救ったのは日商岩井(現双日)の商社マンの慧眼。いまアシックスの経営者が双日出身というのも運命の不思議かも。ドライブ感満載の名訳は大田黒奉之。(2018・2)

November 30, 2017

How Google Works

何千年も前にピラミッドを構想し、建設したエジプト王は、非常に有能な経営者だった。インターネットの世紀は、未建設のピラミッドであふれている。さあ、とりかかろうじゃないか。

「How Google Works 私達の働き方とマネジメント」(エリック・シュミット、ジョナサン・ローゼンバーグ、アラン・イーグル、ラリー・ペイジ著)日経ビジネス人文庫

元グーグルCEOのシュミットと、共同創業者ペイジのアドバイザー、ローゼンバーグが、巨大プラットフォーム企業が何を優先しているか?を説いた経営書(イーグルは広報担当として協力)。
すなわちあらゆる企業は、プロダクト開発のスピードと、その質を高めることに集中すべきで、そのために必要なのは、なにより優秀な人材(スマート・クリエイティブ)をいかに採用するか、そして人材を獲得したら、いかに自主性を発揮させるか、という主張だ。
幹部の目標を把握していて、顔をみたらどんどん質問するとか、大量のメールへは「OHIO(対処するのは一度だけ)」で臨め、とか、細部がいちいち面白い。かたちを真似することから入る発想も大事かも、と思えてくる。土方奈美訳。(2017・11)

August 01, 2017

リアル・キューバ音楽

キューバのミュージシャンは、経済が苦しくて食事が十分でなくても、次の仕事が詰まっていても、明日の朝が早くても、演奏するとなったら技術も体力も、持っているものを全身全霊ですべて出し切って余力を残しません。

「リアル・キューバ音楽」ペドロ・バージェ、大金とおる著(ヤマハミュージックメディア)

1955年ハバマ生まれのサックス奏者ペドロ・アントニオ・バージェ・モレリオが、自らのミュージシャンとしての半生と、キューバ音楽の聴きどころ、音楽界事情を語りおろす。楽天的な気質と、音楽に対する情熱が溢れ、行間からリズムが響いてくるかのようだ。

ペドロは本書の訳者、吉野ゆき子と結婚して、1999年から日本で活動している。1994年に初来日したときは渋谷の雑踏を観て「フィデルが毎日、演説しているのか?」と驚いたとか、天真爛漫なエピソードがたっぷり。
一方で音楽に関する語りは深い。社会主義のキューバではミュージシャンはたいてい、音楽学校でクラシックの基礎を学んでいる。そのうえでアフリカ文化、ラテン文化、ジャズが入り混じった独特の音楽を作り出す。聴衆も音楽のジャンルには全くこだわらないけれど、演奏の実力、なにより「サポール(深い味わい)」の有無については、厳しい耳を持つという。
キューバ音楽のぐいぐい前進するリズム、盛り上がる曲の構成は、ニューヨークあたりのラテン音楽はもちろん、プエルト・リコやドミニカとも違う、と力説。ブラジルのサンバなどとキューバのソンやサルサのリズムの違いまで、譜面を示して解説している。世界でも珍しい、貧しくも豊かな国を作ってきた原動力は、「楽しむ」感覚であり、その象徴の一つが街に溢れる音楽とダンスなのだ、という言葉が印象的だ。

インタビュアーの大金も都内のライブハウスなどで演奏するミュージシャン。2009年の単行本の文庫化。(2017・8)

March 19, 2017

数学者たちの楽園

ベンダーのシリアルナンバーを、数学史上の重要な数である1729にできただけでも、博士号を取った甲斐はあると思えるんだ。博士論文の指導教授がどう思うかは知らないけどね

「数学者たちの楽園――「ザ・シンプソンズ」を作った天才たち」サイモン・シン著(新潮社)

1989年放送開始の長寿コメディアニメで、20回以上のエミー賞などに輝く「ザ・シンプソンズ」と、同じ製作者によるSFアニメ「フューチュラマ」。その脚本家チームに実は立派な学位をもつ元・数学者が複数在籍し、作中にも「トポロジー」やら「メルセンヌ素数」やら、素人にはピンとこない高度かつマニアックな理系ネタがふんだんに登場していた。
「フェルマーの最終定理」「暗号解読」でお馴染み、サイモン・シンによるノンフィクション。今回はドキドキさせる壮大な人間ドラマではなく、広く愛されるサブカルチャーに、どんな知的悪戯が仕込まれていたかを解き明かしていて、また楽しい。

とにかく日米のオタク文化の決定的な違いに驚く。日本で長寿アニメといえば「サザエさん」か「ドラえもん」、はたまた「ちびまる子ちゃん」。その抒情的、文学的な味わいに対して、シンプソンズを動画サイトでチェックしてみると、お下劣ギャグと乾いた笑いの印象が強い。
家族愛をベースにしつつも、労働者階級の日常を痛烈に皮肉っているとのことだが、高いクオリティを保ち、多くの著名人ゲストも引きつけてきたのは、こういうことだったのか、と納得させられる。シリコンバレーやウォール街の興隆にもつながるナード、ギークコミュニティの雰囲気は、羨ましいなあ。

アニメ制作の舞台裏もさることながら、もちろん数学をめぐる硬軟さまざまなトリビアも満載だ。エンタメ人脈を表す「ケヴィン・ベーコンの6次の隔たり」とか、セイバーメトリクスの扉を開いた「ベースボール・アブストラクト」の功績とか、ウォーレン・バフェットとビル・ゲイツの非推移的サイコロをめぐる富豪対決とか、「クラインの瓶」とか。
安定の青木薫訳。翻訳は英語タイトルの掛け言葉など、膨大な作業だったろうなあ。巻末に詳細な索引や「オイラーの式」などの解説、初級から博士程度までの数学ジョークという、たっぷりのおまけ付き。(2017・3)

August 16, 2016

あなたを選んでくれるもの

わたしは目を閉じて、そう気づかされるたびにいつもやって来る、ズシンという静かな衝撃波を全身で受け止めた。それはわたしがボンネットみたいに頭にかぶって顎の下でぎゅっと結わえつけているちんまりしたニセの現実が、巨大で不可解な本物の現実世界に取って代わられる音だった。

「あなたを選んでくれるもの」ミランダ・ジュライ著(新潮クレスト・ブックス)

岸本佐和子訳で2015年に話題だった一冊をようやく。2010年の小説も評判だっただけに、実はあまり予備知識なく読み始め、フィクションではなくフォトドキュメンタリーと知って驚く。豊かな社会の片隅に、確かにある貧しさ、孤独。庶民の現実は容赦ないけれど、それを受け止めてこそ知る一人ひとりのかけがえのなさが胸にしみる。

映画の脚本に行き詰った著者はなんとか突破口を開こうと、手元にあるジャンクなフリーぺーパーに「売ります」広告を出す人々に会ってみようと思いつく。電話でほぼ行き当たりばったりアポをとり、家を訪ねて出会う売主たちの肖像が、まず衝撃だ。なにしろしょっぱなが、60代で性転換途中のマイケル。小さい声で話し、生活保護でひとり暮らしし、「毎日をエンジョイしていのね。だからいつも幸せなの」。ブリジット・サイアーの写真が雄弁。

パソコンを使わず、絶滅寸前の紙媒体で、手持ちのオタマジャクシやら他人が遺した家族写真やらを売り、小金を手にしようとする人たち。はっきり語らなくても、どこか滑稽で、生きにくさを抱えていて、ちょっと目を背けたくなるシーンもある。でもそれは、ほんの表面に過ぎない。これは取材相手というより著者がインタビューを重ねることで、家族や死や創作、そして時間というものに向き合っていくドキュメンタリーだ。

ジュライは2005年に長編映画デビューでカンヌのカメラ・ドールをとったアーティスト。子供のころ、父は彼女によりによって「24人のビリー・ミリガン」を読んで聞かせたという。バークレーの私立高時代には、新聞の告知欄で見つけた服役中の殺人犯と文通していた。芸術的で感受性が強くて、面倒くさい。約束の町に早めに着き、近所をドライブして時間をつぶすうちに、結局遅れちゃう。そんな人だ。

大切な存在を手に入れれば、やがてはそれを失うことになる。日々を重ねていけば、どうしたって残りは少なくなり、もうたいしたことも成し遂げられないと思い知ることになる。「40を過ぎたら残りはもう小銭」。たいていの普通の人生は、さして意味はない。でも少しのユーモアと愛情と真摯さがあれば、小さくても確かな輝きを放つ。
著者はやがて突破口をみつけ、創作に立ち向かっていく。ほとんど偶然の、リアルな出会いによって。意味は違うんだけど、ちょっと前に読んだ「永い言い訳」の「人生は、他者だ」というセリフを思い出した。(2016・8)

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