September 13, 2023

ヴェルディ

ヴェルディの見事な人生は、「建国神話」にふさわしいものだったのだろう。政治的意図がなかったとしても、彼は時代に必要とされた存在だったのではないだろうか。

「ヴェルディ オペラ変革者の素顔と作品」加藤浩子著(平凡社新書)

素敵な音楽物書き、加藤浩子が愛してやまない巨匠ヴェルディの評伝から楽曲解説まで、全てをぎゅっと詰め込んだ一冊。

当然ながら内外の文献、楽譜をじっくり読み込んでいるので、通り一遍ではない。例えば、有名なオペラ「ナブッコ」の〈行け、わが想いよ〉をめぐる「神話」について。1842年、ミラノのスカラ座で初演された時、オーストリア占領下にあった聴衆が熱狂し、アンコールを要求したという。そして今も第二の国歌と呼ばれるほど愛され、ヴェルディはイタリア統一の象徴になっている。
でも、実は初演でアンコールされたのは、別の曲だった。著名な音楽家であると同時に立派な事業家であり、晩年は慈善家でもあった彼だからこそ神話になりえたのだと、読み解いていく。

圧巻はやっぱり後半のオペラ全26作の解説。粗筋から聴きどころ、創作の背景までを網羅していて、絶好のガイドになっている。巻末には音楽用語の解説も。こうして眺めてみると、意外になかなか上演されない作品もけっこうある。2013年初版なので、お勧め歌手の章は残念ながら古くなりつつあるけれど、その情報の更新も含めて、まだまだ知らないヴェルディがあるなあと、楽しみが増える読書体験だ。(2023.9)

May 06, 2023

官邸官僚が本音で語る権力の使い方

経済再生担当大臣だった甘利明さんは、内閣官房の幹部が何人かで出向いたときに、「俺は役人を使いまくる」と言いました。「おまえらを徹底的に使うぞ」と言われて、役人はその言葉に奮い立ったんです。

「官邸官僚が本音で語る権力の使い方」兼原信克、佐々木豊成、蘇我豪、髙見澤將林著(新潮選書)

お馴染み兼原氏の座談会シリーズをさらっと。今回は「官邸一強」と言われた第二次安倍政権で、内閣官房副長官補を務めた財務省、外務省、防衛省の3人と、朝日新聞の政治記者が、官僚が強い総理にどう仕え、どう政策目的を達成するか、を語りあう。2023年3月発刊だけど、座談会を開いたのは2022年7月6日、元総理襲撃の2日前とのこと。
素材は安倍政権に限らず、実際に語り手たちが関わったり、先輩から見聞したりした意思決定のシーンで、危機管理、予算編成、通商交渉など多岐にわたる。官僚は職位の高低ではなく、最高権力者=総理との「距離」がパワーであり、パワーの衝突が仕事を滞らせたりする、といった解説がリアルだ。政治家たちの人物評のほか、あるべき体制についても安全保障局との規模とか、内閣官房と内閣府の切り分けとか、具体的に論じる。
まあ、後半はいつも通り、兼原氏、髙見澤氏が安保を語りまくるわけだけど。なかでもインテリジェンスに力が入っているのが印象的。(2023.5)

April 23, 2023

森のうた

「天国と地獄」序曲の、どこかの部分の、アウフタクトをどう振るかで、大議論になった。講義中だなんて、忘れてしまう。
なんでまた「天国と地獄」なんていう曲の話になったかわからないが、とにかく、第四拍をパッと振るか、ふわっと振るかが問題だったのだ。

「森のうた 山本直純との藝大青春記」岩城宏之著(河出文庫)

エッセイの名手による、のちに著名指揮者となる2人の痛快青春記。まだ何者でもない、しかし才能と情熱はあふれている。こんな凄い2人が1950年代に、藝大で出会って親友になる、それだけでも奇跡のようなのに、とにかく言動がはちゃめちゃ、抱腹絶倒なのだ。

学生オーケストラを結成し、メンバー集めのため練習で蕎麦をふるまい、でも持ち合わせはないから代金を踏み倒しちゃう。講義中なのに指揮の議論に夢中になり、教壇の横に立たされてもまだ手を動かし続けて、学生たちの爆笑を誘う。大物指揮者の来日コンサートを聴きたいけど高いチケット代を払うのはしゃくなので、あの手この手でホールにもぐりこみ、裏方さんとおっかけっこを繰り広げる…
どうしようもなくやんちゃで不遜だけど、根っこはただ、ひたむきに指揮者を志して、振りたい、上達したい一心なのだ。たぶんいろいろ迷惑を被ったであろう恩師・渡邉暁雄との温かい関係も、音楽家同士の共鳴あってこそだろう。クライマックス、学生オケで当時ベストセラーだったという(時代だなあ)ショスタコーヴィッチ「森の歌」を上演するシーンでは、心からスタンディングオベーションをしたくなる。「祭り」の圧倒的高揚と、過ぎ去っていく若き日の一抹の苦さ。

1987年に出版、1990年に最初の文庫化。本作は2003年の再文庫化版をベースに、著者のあとがき、学友・林光の解説を収録し、新に池辺晋一郎の解説を加えていて、これもまた楽しい。(2023.4)

January 31, 2023

16人16曲でわかるオペラの歴史

イタリアオペラの武器が「歌」で、ドイツオペラの武器が「オーケストラ」なら、フランスオペラのそれは「バレエ(フランス語では「バレ」)」と「演劇」なのである。

「16人16曲でわかる オペラの歴史」加藤浩子著(平凡社新書)

オペラはエンタメとして、とびきりゴージャスだと思う。ピットにひしめくオーケストラ、マイク無しで大劇場を圧する歌手、キラキラから不条理まで演劇としてのセットや衣装… この希有な芸術が17世紀イタリアの宮廷から現代まで、いかに進化し、生き残ってきたか、わかりやすく案内する一冊だ。
時系列に16人+1人の作曲家、それぞれ1作にスポットをあてる。聴き手の変化、すなわち貴族からベネチアなどの富裕な商人、近代の権力者、一般大衆へという移り変わりが、オペラを変えてきたことがくっきり。作曲家それぞれの横顔も、生き生きと描かれていて楽しい。恋多きプッチーニは、だからこそ、あれだけのヒットドラマを書けたのかも。
秀逸なのは、オペラ情報サイトの上演統計を手がかりに、いま現在どう聴かれているかを紹介しているところ。よく上演される作品には、曲の魅力はもちろんのこと、上演にかかる時間とか、ソロ歌手が何人必要かとか、興行として成立させるための必然性もある。そう知ってみるとかえって、定番の人気演目に加えて、なかなか上演されない演目にも興味がわいてくる。新国立劇場でベッリーニあたりをもっと上演してほしい、なんて。楽しくて奥深い世界です。
朝日カルチャーセンターのオンライン講座をもとに書籍化。(2023.1)

November 15, 2022

国難に立ち向かう新国防論

核戦争の可能性を考慮したとき、軍事介入をしないというアメリカの姿を世界が初めて見たということです。

「国難に立ち向かう新国防論」河野克俊、兼原信克著(ビジネス社)

お馴染みの安全保障の論客による対談集。一連の新潮新書での主張と重複も多いが、実際に政策論議が動いているだけに、2人の影響力が感じられる。本編とは別に、2人がそれぞれ海上自衛隊と外務省の課長として遭遇した2001年の米国同時多発テロを振り返っていて、主張が形作られる背景や論客たちの人間関係も垣間見える。(2022.11)

September 25, 2022

気候で読み解く人物列伝 日本史編

名君として誉れ高い吉宗の人生に一点の影を落としたのは、梅雨前線による大気の流れに乗って大陸から渡って来るわずか5ミリ以下の小さな虫であった。

「気候で読み解く人物列伝 日本史編」田家康著(日本経済新聞出版)

最近ニュースで耳にして、2011年「世界史を変えた異常気象」で興味深かった独ソ戦と気象の関係を思い出した。同じ著者(副業・気象予報士)による最新刊。今回は日本史上の英傑たち個人に焦点を当て、その運命を左右した気象を読み解く。どれほど怜悧、果断の傑物でも、自然災害や疫病は人知を超えていく。

そもそも1000年以上も前の天気をどうやって知るのか、が興味津々だ。例えば寺社仏閣に残る古文書で、長雨や日照りに際して捧げた祈祷の記録をたどっていくあたり、途方もなく粘り強い探偵のよう。また疫病や飢饉に直面し、国家が食料などを緊急放出(振給)した記録には、いつの時代も為政者に期待されるものは変わらないのだなあ、と思わせる。

本書のもうひとつの柱はもちろん、歴史の解説だ。奈良時代、戦国、江戸とさまざまな時代をとりあげて、その転機を詳しく記述。巻末に並んだ参考文献が、並大抵でない勉強量を思わせる。(2022.9)

September 18, 2022

日本の絵本100年100人100冊

ページをめくると、幼い読者とひとつになって歌い、踊り、弾けて笑う絵本たち。色、形、音、感情などが分化する前の赤ん坊の共感覚にシンクロするのではないだろうか。

「日本の絵本100年100人100冊」広松由希子著(玉川大学出版部)

ずっしり大判、7700円にちょっとひるんだけど、その価値は十二分にある。1912年から2014年まで、日本の絵本作家100人の珠玉の1冊を紹介。楽しく引き込まれて、ずずいと奥の深い絵本宇宙を堪能する。

それぞれの表紙や見開きのビジュアルが、なにより魅力的だ。文字のフォント、レイアウトや装丁まで、絵本という芸術がなんと多彩で、パワフルなことか。
それを分析・表現する著者の力量も圧巻。竹久夢二「どんたく繪本1」(1923)では「素朴な造りの16ページのサイレントブックを開いては「子どもも大人も作者自身も、マッチ売りのような夢を繰り返し灯したことだろう」。酒井駒子「金曜日の砂糖ちゃん」(2003)では「懐かしく、さびしく、恐ろしく、あたたかく、官能的な黒が、見る人それぞれの思いを吸収する」。うなるしかない。

1冊ごとの短い解説のなかで、作家の軌跡や時代背景もさらりと伝えている。戦後の焼け野原で栄養失調で亡くなった作家がいたこと、1956年創刊「こどものとも」の初代編集長・松居直が開いた地平、「ガロ」でデビューし「朝日ジャーナル」で連載してい佐々木マキが「やっぱりおおかみ」(1973)で吐いた鮮烈な「け」、美しい谷内こうたや社会性が強烈な長谷川集平らによって70年代に絵本ブームがあったこと、やがて商業デザイナーがCGを導入し、日本の作家が海外で評価を得て逆輸入され始めたこと。

登場する作家たちはまさに、きら星のごとくだ。茂田井武、柳原良平、木村(山脇)百合子「ぐりとくら」、宇野亜喜良、岩崎(いわさき)ちひろ、谷川俊太郎文の「かがくのとも」、安野光雅、和田誠、五味太郎、網野善彦文の「歴史を旅する絵本」、佐野洋子「うまれてきた子ども」、大竹伸朗、100%ORANGE、荒井良二…。世代を超えてインスピレーションが受け継がれていくのも感慨深い。夭折の異端画家・山中春雄から長新太へ、アートディレクター堀内誠一からスズキコージへ、長新太から荒井良二へ。

驚くのは、著者の本棚をもとに選書しているという点だ。だから1冊1冊に、自分の子ども時代、娘さんの子ども時代の実感がこもって説得力をもつ。東君平「びりびり」(1964)では小学生のとき隣に住んでいた祖父がくれた新聞の切り抜きに、「切り絵のカットと合わせて、そのささやかでユーモラスな童話を読むと、あたたかかくてさびしい、笑いたいのか泣きたいのか、心もとない気持ちになったことを思い出す」。スズキコージ「サルビルサ」(1991)では「娘のファーストブック(最初の愛読書)が、スズキコージの『エンソくん きかんしゃにのる』だったことに、私は少なからずショックを受けた。興奮してカボチャの離乳食を羊の駅弁のページになすりつけたこともあり、読んでいるのか食べているのか、絵本だか自分だか見境ないような没入ぶり」。ブラチスラバ世界絵本原画展(BIB)2017で日本人初の国際審査委員長を務めたというのも、むべなるかな。感服。(2022.9)

June 26, 2022

自衛隊最高幹部が語る台湾有事

東シナ海のような半閉鎖海で紛争が起きれば、必ず沿岸国を巻き込むのである。

「自衛隊最高幹部が語る台湾有事」岩田清文、武居智久、尾上定正、兼原信克著(新潮新書)

シリーズ3冊目は武居・元海上幕僚長がホストとなり、前半でシナリオ別シミュレーションを収録。研究者や議員らが参加して、2021年8月に実施したというが、2022年になって起きたウクライナ侵攻によって、残念ながら、より懸念を呼ぶタイムリーなテーマとなったしまった。
後半はお馴染み、武居のほか岩田・元陸上幕僚長、尾上・元航空自衛隊補給本部長、兼原・元国家安全保障局次長による座談会だ。台湾との連絡経路やサイバー防衛、邦人移送の難しさなど、ずいぶんネタばらしに思えるけれど、その分野ではいずれも常識の範囲なのだろう。
いたずらに危機をあおらず、冷静で前向きな対話の姿勢が重要なのは、いうまでもない。そのうえで、米軍のミサイル持ち込みなど、微妙なところを一部の専門家任せでなく、広く議論しておける土壌が求められる気がする。(2022.6)

 

June 05, 2022

歴史探偵 忘れ残りの記

例によって社の五階から下の通りを行き交う人を眺めていて、女性がぐんぐん美しくなったのに気づいたのも、この二十八年の冬ぐらいから。とくに、このみゆき通りから戦後日本の美人が生まれたのではないか、と身贔屓でなくそう思っている。

「歴史探偵 忘れ残りの記」半藤一利著(文春新書)

2021年に90歳で死去した「昭和史」著者が、その直前に上梓したエッセイ集。初出は文春の書店向けパンフレットを中心に、銀座のPR誌、新聞ほかで、掲載誌・掲載年不明のものが混じっている。内容も肩のこらないつれづれなんだけど、そこは名編集者でもあった著者のこと。古今の蘊蓄やら、和歌・俳句やら、明治の文豪から戦後の駄洒落まで縦横無尽の引用が、尽きない教養、「調べ魔」ぶりを感じさせて楽しい。

なかでも昭和初期、向島での幼少期の思い出は味わい深い。火鉢の「埋火(うずめび)」と少女の哀しみ、北十間川と大空襲の記憶…。そして戦後、花の銀座で過ごした駆け出し編集者の日常が痛快だ。仮採用の身で訳もわからず、坂口安吾の自宅に1週間泊まっちゃった武勇伝など、のちの大物ぶりを彷彿とさせる。(2022.6)

May 22, 2022

日米戦争と戦後日本

過去に対する糾明はぼかし得ても、未来についての方向づけは避けて通れない。結局のところ、事態からの反省と学習のほどは、新日本の建設をめぐって示されるだろう。

「日米戦争と戦後日本」五百旗頭真著(講談社学術文庫)

政治史の泰斗が一般向けに著した、米国の日本占領政策と戦後日本の形成。著者の代表的業績である、米国が壮絶な太平洋戦争を闘う一方で、着々と戦後日本の見取り図を描いていた、という歴史的事実に、改めて感嘆する。その過程では知日派研究者が「原案起草権」を握ったことが、のちの日本の運命に影響していた。

米当局内の知日派による「積極誘導論」(天皇制存続)と「介入変革論」による激しい綱引き。一個人の対日理解、具体的な日本人との交流の記憶が、ぎりぎりのところで歴史を動かしていく。特に日米友好の再建をライフワークと思い定めて、天皇制擁護論を展開したジョセフ・グルー元中日大使。ヤルタ秘密協定と原爆開発という重要機密の存在がまた、とっくに引退していておかしくない老外交官を突き動かす。
そして日本側。8月14日御前会議で天皇が自ら発した「自分はいかになろうとも」の一節が、戦後の天皇制存続につながっていく皮肉。そこに至るまでの、ローズベルトが蒋介石に琉球諸島の領有を勧めたり、硫黄島激戦(死傷者比率1:1)の「コスト」がプラグマティストたる米国の判断を揺るがしたり、といった経緯も実にスリリングだ。

後半の戦後に入ると、壮大な占領計画をベースにしつつ、「抵抗なくできること」から片付けていく日米双方の「実務」が前面に出て、また面白い。吉田茂らは非軍事化、民主化という強制を積極的に受け入れて実を得ようとする。著者はこれを「官僚的対応」だけれども、官僚は時代の覇者に仕えつつ覇者よりも長く生きる、と喝破する。
もちろん土台には、小津映画の「もう戦争はいかんよ」という台詞が象徴する強制を歓迎する気分、そして「敗者のマナーとしての協力姿勢」があった。著者はこうした柔軟な自己変革を、日本という国家の伝統とみる。今また国際環境の激変に直面して、歴史を踏まえつつ、どういう思考が必要なのだろうか。

1987年の連続講義をベースに1989年に出版、2005年に文庫化。もとより膨大な一次史料の探索と、当事者へのインタビューに裏うちされた難しい学術研究なのだけど、著者独特のユーモアをふんだんに含んだ、伸びやかな筆致が魅力的だ。(2022/5)

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