October 31, 2016

王とサーカス

「もう一度言うが、私はお前を責めようとしているのではない。お前の後ろにいる、刺激的な最新情報を待っている人々の望みを叶えたくないだけだ」

「王とサーカス」米澤穂信著(東京創元社)

旅行情報の仕事の下調べで、ネパールを訪れたフリーラータ―大刀洗万智は、王族殺害という大事件に遭遇、現地ルポに乗り出す。ところが取材相手が死体で発見され、事情聴取を受けることに…

2016年「このミス」1位作。2007年の「インシテミル」で本格のイメージをもってたけど、青春ものがメーンの作家だったんですね~ 本作はその派生シリーズで、馴染みの薄い国での歴史的事件という設定が、まず異色。
市民と警官隊の衝突、一転して外出禁止令で静まり返る首都、さらに殺人事件の謎解きへ。とはいえ犯人捜しのインパクトは薄めで、ヒロイン大刀洗が、フリーの物書きとして覚悟を定めていく過程が印象的だ。

遠い国で起きた歴史的事件のニュースに接して、ただ何らかの刺激を消費していく私たち。その陰にある個人の思い、民族の思いをどれほど感じられるのか。悩んでも、伝え続けるしかない。そこに出来事がある限り。(2016・10)

August 09, 2015

窓から逃げた100歳老人

 

アラン・カールソンはじっくり考えてから行動するというタイプではなかった。
 だから頭の中で考えが固まるよりも早く、この老人はマルムショーピングの老人ホーム1階の部屋の窓を開け放つや、外の花壇に出ていた。
 この軽業はいささか努力を要した。というのもまさにこの日、アランは100歳になったのである。

「窓から逃げた100歳老人」ヨナス・ヨナソン著(西村書店)

スウェーデン人作家のデビュー作。訳知り顔の連中に誕生日を祝われるなんて、まっぴら御免と、老人ホームを抜け出した1905年生まれのアランは、とんだ食わせ者。偶然出会ったチンピラがからんで、警察、メディアを騒がせながら無計画にスウェーデン中を逃げ回る。

ドタバタユーモア小説だけど、それだけではない。現在(2005年)の逃走劇と交互に、アランの来し方が綴られていくのだが、これがまた徹底的にハチャメチャな現代史のパロディになっている。
ノーベルの故郷だけに、アランは独学で爆弾の専門家となり、成り行き任せに世界を放浪。内戦下のフランコ将軍を救い、オッペンハイマーに重要なヒントを授け、トルーマンと意気投合する。チャーチルとニアミスし、スターリンを激怒させ、金日成をだまそうとして絶体絶命になったところを毛沢東に救われちゃう。バリ島でしばしのんびりした後、スハルト登場を機に欧州に舞い戻り、結果的に東西デタントに一役かう…

名のある指導者とその決断を、軒並み徹底的に笑いのめしているのだ。もちろん荒唐無稽で、展開は荒っぽいのだが、だんだんにアランが生きた100年とは、人類がたどった「戦争の世紀」そのものだと気づく。
原爆開発競争など、日本人にとっては正直、軽々に笑えないシーンも多々ある。しかしそういう点も含めて、大国の選択に対するシニカルな視線が、北欧というバックグラウンドならではなのかな、と思わせて興味深い。
駄洒落も含む難しい翻訳は、「ダブリナーズ」を読んだことがある柳瀬尚紀。(2015・8)

September 08, 2013

路(ルウ)

春香は、「やっぱりきれいだ」と小さく呟き、男の子の頭を撫でた。「何が見える?」と男の子が訊いてくる。春香は、「全部」と応えて、またそのチクチクする頭を撫でた。

「路」吉田修一著(文藝春秋) ISBN 9784163817903

1999年、台湾高速鉄道の建設を日本企業連合が受注する。それから2007年開業までの、日本、台湾に生きる市井の人々の思いとつながり。

数年前に台湾を旅して台湾高速鉄道に乗ったとき、噂には聞いていたけれど、何もかもが日本の新幹線にそっくりなので、こそばゆい気がしたものだ。ミステリーから青春小説まで、1作ごとに全く違うテイストで楽しませてくれる著者。今回の題材はかつての「プロジェクトX」ばりだが、ベタな感動物語は一切ない。
総合商社入社4年目で台湾新幹線プロジェクトに派遣され、いきいきと働くヒロイン春香と、学生時代の台湾旅行でつかの間出会った若者・人豪との淡い恋を軸に、妻と軋轢を抱える上司、終戦まで台湾で育ち、ある後悔を忘れずにいる元エンジニア、整備工場に夢を託す台湾青年らを描く群像劇。人の心の支えとは何なのかが、しみじみと胸にしみて、450ページ近い厚みが全く気にならない。巧いなあ。

人間ドラマはもちろんだが、細やかに描き込まれた台湾の風土の美しさが、全編の空気を形づくっている。春香が台北の屋台でふと、街角の活気を目に焼き付けるシーンが印象的。そして南国らしいグァバ畑の緑、激しいスコール、何より人々の精神の伸びやかさ。人豪の謙虚ではあるが謙虚すぎない、相手に重荷を感じさせない自然な親しさがその象徴だろう。正しい距離、というものを考えさせる。もちろん、共同プロジェクトの過程では「予定は予定であって決定ではない」という大らかさに、几帳面な日本人がイライラして胃を痛くするシーンなんかもあるわけだが。

風土と精神という視点については、司馬遼太郎「台湾紀行」を思い出すところもあった。魅力的というだけでなく、複雑な国際関係(章ごとに挟まる新幹線報道のほとんどが産経新聞なのは偶然ではないだろう)や、日本、台湾を襲った未曾有の震災といった試練にも触れている。やっぱり気になる作家さんです。(2013・9)

July 20, 2013

百年法

長く生きてるとさ、いろんな事に疲れてきて、それが態度や顔つきに出てくる。あたしの周りには、そんなのがいっぱいいる。

「百年法 上・下」山田宗樹著(角川書店) ISBN 9784041101483 ISBN 9784041101919

壊滅的な敗戦の後、不老技術「HAVI」と、不老となっても世代交代を担保する生存制限法、通称百年法を導入した日本。西暦2048年に百年の期限が近づき、死の選択を突きつけられて社会は動揺する。

2012年に話題になったSF大作を電子書籍で。登場人物が多いので、確認のための検索機能が存分に威力を発揮した。
不老技術の開発という設定は荒唐無稽だけど、抑えた筆致でぐいぐい読ませる、なかなか骨太のエンタテインメント。特に下巻に入って、アメリカドラマのような国家の陰謀や、謎のテロリストをめぐるアクションが加速し、ミステリーの要素も加わって飽きさせない。
何より超高齢化に突入した国家の姿が、まんざら他人事とも思えないのだ。仕事や家族関係はどうなるのか、経済の停滞は防げるのか? 長い長い人生を生き抜き、後の世代のためを考えて道を選ぶとはどういうことか。読む者のイマジネーションが広がっていく。
映画「ターミネーター」を思い出させる、強い母とカリスマ性を備えた息子というヒーローの人物像はチャーミングで、ヒーロー同士の丁々発止がわくわくさせる。大詰めでは官僚がやや格好良すぎる気もするけれど。年代がややこしくて追い切れないとはいえ、伏線も緻密な印象。(2013・7)

December 23, 2012

64

たまたまが一生になることもあるーー。

「64」横山秀夫著(文藝春秋) ISBN: 9784163818405

昭和最後の年に起きた、D県警史上最悪の未解決誘拐事件、通称「64(ロクヨン)」。その重荷と経緯が、組織を揺るがす。辛い立場に追い込まれた広報官、三上義信がとった行動とは。

「半落ち」「クライマーズ・ハイ」のヒットメーカーが、心身の不調を経て実に7年ぶりで復活を果たした話題作。しかも著者らしく、組織と個人の葛藤や普通の仕事人の誇りとかを、じっくり書き込んでいる。冒頭に「書きおろし1451枚」と表記。最近はすっかり電子書籍づいていた私だけれど、本作ばっかりは紙で、650ページ近い厚さをずっしり味わいながら読んだ。

正直、滑り出しは読んでいてどうにも息苦しい気がした。三上は刑事として、成果を出してきたことに自負を持つ。意に染まない広報の仕事に転じて、警察とメディア、警察内の刑事部と警務部という軋轢に否応なく巻き込まれ、煩悶する。仕事そのものもさることながら、やりがいの無さと自意識とのギャップからくる、砂を噛むような思い。どんな組織に身を置く者にも、多かれ少なかれ覚えがある状況だから、それを繰り返されるのは勘弁だなあ、と感じないでもなかった。

しかし、さすが横山秀夫。苦しんでいるばかりではない。隠蔽された驚愕の事実の発掘、そして新たなる事件の発生と、どんどんサスペンスが高まり、緊張とスピード感が加速していく。三上も果敢に行動する。さらには部下や同期のライバル、家族ら、三上を取り巻く一人ひとりの思いがそれぞれに切実で、胸に染みいる。
必ずしもすべての問題がすっきり解決するわけではないけれど、そこがまた現実的で、大人の読み物といえるだろう。人には、腹をくくらなければならないときがあるのだ。(2012・12)

October 30, 2012

太陽は動かない

「分かってますって! 要するに死ぬなってことでしょ!」

「太陽は動かない」吉田修一著(幻冬舎) ISBN: 9784344021686

アジアを舞台に、国家プロジェクトと国際利権をめぐって産業スパイたちが繰り広げる壮絶な攻防を、電子書籍で読む。またしても吉田修一にやられた。芥川賞から柴田連三郎賞まで、守備範囲の広さを少しは承知していたつもりだけれど、まさか「悪人」や「横道世之介」の後で、暴力やら謀略やら満載のスパイ小説でくるとは。これもまた、吉田流職人芸というべきか。

緻密な筋運びや心理描写を期待すると、完全に裏切られる。なにしろ全編トム・クルーズばりの派手なアクションシーンの連続だ。絶世の美女、謎の組織、天才科学者も登場。主人公は東京、上海、ホーチミンを股にかけ、トップスピードで駆け抜けていく。野望とか、愛国心とかのためでなく、それはただ、生き残るための闘いだ。
ともすれば陳腐になりそうなアクション巨編の設定を、時事的でスケールの大きい新エネルギーのエピソードが支えている。雑誌連載は2011年5月号から2012年1月号。エネルギーをめぐる問題意識を執筆当初から折り込んでいたのかはわからないが、今の社会状況を切実に感じさせつつ、やがて主人公たちの行動をごく個人的な原風景に落とし込んでいくあたり、半ば強引だけど、やっぱり巧い。目を離せない作家です。(2012・10)

May 04, 2012

天使のナイフ

澄子は待っていたのかもしれない。いつの日か、少年たちが自分の犯した罪をきちんと受け止めて更正し、社会に戻ってきて自分たちと向き合うことを。

「天使のナイフ」薬丸岳著(講談社文庫) ISBN: 9784062761383

保育園に通う娘と2人、つつましく暮らすカフェオーナーの貴志に、思いがけない殺人容疑が降りかかる。被害者は、かつて妻を殺めた少年だった…。SNS「やっぱり本を読む人々。」選出150冊文庫の1冊。

2001年の少年法改正に至る議論をふまえた、2005年の作品。被害者遺族の視点で少年犯罪の割り切れなさを訴える導入部分は、切実なだけに読んでいて息苦しい。中盤からは様々な立場の人物が登場し、視点が相対化されていく。
加害者、共犯者、加害者の家族や恋人、少年の更生に携わる人々。償うこと、赦すということは何か、育て見守る者に何ができるのか。終盤にかけて、散りばめた多くの伏線をきっちり回収するとともに、この重いテーマを複眼的に描いていく。とてもデビュー作とは思えない、達者な筆力だ。

Kinoppyで電子書籍を購入し、今回はiPadを使って読んでみた。さすがにスマホより格段に読みやすく、快適だ。端末は重いけれど。江戸川乱歩賞受賞。(2012・5)

July 02, 2011

「三陸海岸大津波」

 その話をきいた早野村長は、驚きの声をあげた。田野畑村の津波をふせぐために設けられている防潮堤の高さは八メートルで、専門家もそれで十分だとしているが、
「ここまで津波が来たとすると、あんな防潮堤ではどうにもならない」
 と不安そうに顔を曇らせた。

「三陸海岸大津波」吉村昭著(文春文庫) ISBN: 9784167169404

1970年発表の記録文学。明治29年、昭和8年、昭和35年の3度を中心に、東北を襲ってきた大津波を、当時の出版物から学童の作文、体験者の肉声などを駆使して再現する。

一読して、これほどの災害の記録をわずか180ページほどに収めた筆力に驚嘆する。確かな取材に加えて、余計な修飾を差し挟まない抑制力のなんと強靱なことか。だからこそ、想像を絶する自然の驚異と膨大な悲劇、そこから立ち上がる一人ひとりの姿が胸に迫る。

著者は田野畑村で、明治29年の津波の数少ない体験者である老人に会いに行く。同行した村長が一緒に貴重な証言を聞いていて、ふと現在の防潮堤の効果に不安を覚える。たった数行のなにげないシーンだ。しかし発表から40年を経ても、読む者を愕然とさせる。身近に脅威を言い伝える人がいて、地域で様々に備えていることは間違いないのだが。

著者はまた、三陸の海が普段はいかに豊かで、人々の暮らしに恩恵を与えているかを描写している。いつかは災厄をもたらす、けれど日々の糧を得る環境を、捨て去ることは難しい。世代を超えるスケールで、大きなリスクと人の営みとをどう成り立たせていくのか。これは三陸に限らない構図のような気がして、180ページが問いかけるものはとても大きい。(2011・6)

March 03, 2011

日本人の坐り方

点茶の作法の歴史を辿っていくと、必ずしも「正坐」が正しい基準であったわけではない。

「日本人の坐り方」矢田部英正著(集英社新書) ISBN: 9784087205817

元体操選手で、姿勢について研究しているという著者が、歴史的に日本人がどんなふうにすわってきたのか、を探る。

巻末の「おわりに」によると、「畳で30分で読めるような本を」というリクエストにこたえた著作だそうだ。たしかに絵巻、浮世絵などの図版が豊富で、するする読める。のっけから、江戸時代の茶道指南書ではいかにも行儀悪そうな「立て膝」が認められていた、といった蘊蓄が披露されていて、なかなか興味深い。
私たちは正式なすわり方といえば「正座」が常識なんだと、なんとなく思っている。では、いつから、どのようにして、そうなったのか?

時代が幕末までくだってくると、けっこうリアルな写真が残っているのも面白い。身分の高そうな武士の登城シーンで、そばに控えている家臣が見事なヤンキー座りをしている図なんか、ちょっとびっくりします。(2011・2)

March 20, 2010

「横道世之介」

 「お父様、そんなに次々質問したって世之介さんが答えられるわけないじゃないの」
 この辺でやっと祥子が救いの手を差し伸べてくれる。だが、「お前はじゃあ、見込みのない奴と付き合ってんのか?」と父親は冷たい。
「あるに決まってるじゃない。世之介さんはね、私がこれまでに会った誰よりも見込みがあります!」
 あ、いや……。
 世之介、声を出せず。

「横道世之介」吉田修一著(毎日新聞社) ISBN: 9784620107431

バブルという、偽りの上り坂にいたころの東京。長崎から上京してきた大学生、世之介が過ごす1年。

中盤まではまるで、よくできたコメディ映画を観ているような感じ。世間知らずでお人好しの世之介の、ごくごく平凡だけど微笑ましい日常がテンポよく綴られる。
なにしろ、大学でうっかりサンバサークルなるものに入り、派手な衣装でカーニバルに参加したものの、スタート前に熱中症で気絶し担架で運ばれてしまう。かと思えば、知り合ったお嬢さま女子大生から突然「海に行きません?」と誘われ、腰に浮き輪の海水浴スタイルでついていったら、車でヨットハーバーに乗り付けられて動転する。軽妙で、馬鹿馬鹿しくて、とてもあの「悪人」と同じ作家とは思えません。

中盤にいたる頃には、読む側はすっかり油断してしまう。世之介が実際に、かつて自分の大学の同級生にいたような気になっている。「よく覚えていないけれど、なんか良い奴だったな」と。
しかし、やっぱり吉田修一は侮れない。ところどころに、彼を取り巻いていた友人や恋人の現在が、短く挟まれる。「あのころの未来」から振り返ったとき、世之介という、ふざけた名を持つ愛すべき一人の男が、人々の心に小さな明かりを灯していたことに気づいて、ふいに胸をつかれるのだ。

あれからバブルは当然のごとくはじけ、心底がっかりしたこと、うまくいかないことも沢山あった。けれど東京って街も、まんざら捨てたもんじゃないな、という気分になってくる。

「タカビー」なパーティーガールの千春、お嬢さま過ぎて何かと調子が狂う祥子ら、登場人物がもれなく魅力的だ。秀作。(2010・3)