アイルランドの場合、ブリテン島内とは異なって、中世以来の「植民地」だという意識がイングランド人に抜きがたくあった
「図説アイルランドの歴史」山本正著(河出書房新社)
アイルランドの勉強第2弾は「ふくろうの本」シリーズの1冊。古代から2008年経済危機、イギリスのEU離脱までの実に数千年を、猛スピードで語っていく。解釈、感情を差し挟む余裕が乏しいだけに、イギリスの為政者に振り回され続け、ほっとする間がないさまが強く印象づけられて、読んでいて悲しくなってくる。ここには「妖精の国」なんていうロマンチックな要素はないのです。
発端は12世紀、ローマ教皇がヘンリ2世にアイルランド領有を許したこと。16世紀テューダー朝には植民が進み、開化を促すという「上から目線」を押し付けつつ、その実、落下傘地主たち(イングランド人、17世紀スチュアート朝にはスコットランド人も)は強欲に走る。一方的に土地を奪われたゲール系アイルランド人の間には、怨嗟が募っていく。もちろんクロムウェルらの容赦ない武力制圧もある。
これは世界中の植民地に共通の構図なのだろう。アメリカ独立戦争やフランス革命の時代にも、アイルランドの独立をめざす蜂起は挫折し、ついに1801年に王国に併合。このときお馴染みのユニオン・フラッグが、イングランド、スコットランド、アイルランドの3種の十字を重ねて誕生したとは、初めて知った。
「植民」のベースにあるのは、なんといっても経済の基盤たる土地だ。イングランド王の過酷な地代取り立て、被支配層内のエリート誕生による分断、戦費を提供した「投機者」への見返りとしての土地収奪と分配、18世紀からは畜産や毛織物、通貨といった貿易政策も… 18世紀には借地権をめぐる闘争「土地戦争」が勃発。このころ不在地主の管理人ボイコット大佐が地域住民から徹底的に無視されたのが、ボイコットの語源、なんていうミニ知識も盛り込まれている。
経済といえば、アイルランドに産業革命が起こらず、むしろイングランド経済への従属が強まったのは何故かと、疑問に思っていたけれど、それについて本書では通説の石炭不足だけでなく、工業よりもイングランドへの農産物輸出がアイルランドにとって相対的に有利だったから、と解説している(北部アルスター=北アイルランドではリネン工業やタイタニックで知られるベルファストの造船業も生まれたのだが)。19世紀には貧しい小作農の糧であるジャガイモが悲惨な飢饉に見舞われ、実に人口の1割強、100万人が亡くなり、同じ1割強が食い詰めて海を渡る、という過酷な経験もしている。
20世紀初頭以降の歴史は、覇権国イギリスの政治・軍事情勢の変遷に、アイルランド内のカトリック・ナショナリスト、プロテスタント・ユニオニストの対立が重なって、勢力図が複雑に揺れ動く。ねじれにねじれて、一読しただけではとうてい把握できません。しかし当時を源流とする私兵組織の活動が、ごく最近の悲惨なテロリズムにつながるとすれば、あまりに根深い、ということだけは、強く印象に残る。
1916年イースター蜂起、1920年ダブリンの血の日曜日、内戦をへて1937年エール憲法でようやく主権国に、そして中立を貫いた2次大戦後の1949年、ついに共和国となり、コモンウェルス(英連邦)からの離脱に至る。その過程では、外交官レスターが国際連盟の舞台で小国の顔となり、1946年に1日限りの事務総長に就いた、といった逸話もある。弱者の知恵。感慨深いなあ。
長い歴史を通じて戦って独立、といったスカッとしたドラマがない分、キューバのような全滅もない。負けても負けを認めなければ勝ちも同然というような、しぶとさも感じさせ、なんだか日本の民族性にも一脈通じるような。
「ケルトの虎」と呼ばれた1990年代の高度成長の後にも、文化的にはびっくりの解説が残っていた。例えば離婚は、1994年の国民投票でようやく合法化された。しかも0.56%の僅差。16世紀にヘンリー8世が離婚したさにカトリックに決別したイングランドとの違いが、胸に染みます。
そして巻末に至ってダメ押し的に重いのは、北アイルランドの悲劇が決して終わっていない、という厳然たる事実。1972年血の日曜日事件、1981年のハンストなどをへて、過激な闘争で知られるPIRAの武装解除が完了したのがやっと2005年のこと。分断の象徴「平和の壁」は今も残るという。そこへまた、イギリスがEU離脱で揺さぶりをかけるとは、なんと愚かなことか、と言いたくなっちゃう。平成の最後に、なかなかヘビーな180ページでした。(2019.4)