August 02, 2024

成瀬は天下をとりにいく

「島崎、わたしはこの夏を西武に捧げようと思う」
 一学期の最終日である七月三十一日、下校中に成瀬がまた変なことを言い出した.いつだって成瀬は変だ。十四年にわたる成瀬あかり史の大部分を間近で見てきたわたしが言うのだから間違いない。

「成瀬は天下をとりにいく」宮島未奈著(新潮社)

2023年最大の話題作をようやく。言い尽くされているけど、孤高でマイペース、しかも発想力と実行力抜群の成瀬の造形が、なんともキラキラと痛快。主人公の魅力爆発という点では、世之介以来かも。そんな成瀬を見ていたい一心で、奇妙なプロジェクトに巻き込まれていく幼なじみの島崎の存在が、また秀逸だ。文章もリズミカルで、ニマニマしながら読む。
背景はしっかりしていて、コロナ禍の子供たちの鬱屈と、人口減時代に寂しくなっていく地方都市の現実がある。象徴が、実際に2020年夏に閉店した西武大津店。大津在住主婦37歳が1ヵ月で書いた短編で、閉店前に店に通ってローカル局の中継に映り込む女子を描き、文学賞を受賞。話題が話題を呼んで、ついに本屋大賞に。小説の運命がヒロインに負けず格好いいです。地元あるあるのコメディセンスも可愛い。欲をいえば成瀬には、あんまり分別を身につけず、突っ走ってほしいなあ。(2024/8)

June 25, 2023

街とその不確かな壁

「ええ、今ここにいるわたしは、本当のわたしじゃない。その身代わりに過ぎないの。ただの移ろう影のようなもの」

「街とその不確かな壁」村上春樹著(新潮社)

ハルキ6年ぶり、650ページに及ぶ書き下ろし長編。前作「騎士団長殺し」に比べると、個人的には苦手な方のハルキでした。
1985年発表「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」をベースにしていて、閉ざされた街、一角獣や〈夢読み〉という舞台装置だけでなく、その静謐で謎に満ちた感じに既視感がある。そもそも「世界の終わり…」のベースは1980年発表の中編だというから、この世界的作家が生涯かけて紡いでいくテーマが、ここにあるのだろう。それは自分が身を置いている現実世界に、どうしても馴染めない、という感覚のように思える。

物語は現実世界と「街」が交錯しながら進む。現実世界のほうで主人公ぼくは、海に近い郊外に住んでいた高校時代、ひとつ年下の美しい少女と、微笑ましく熱烈な恋に落ちる。しかしある日、少女は忽然と姿を消してしまい、以降、ぼくは都会で誰にも心を許さず、孤独な日々を過ごす。強まっていく「ただこの現実が自分にそぐわない」という感覚。そして45歳になったとき突然、安定した職を辞して、福島の山間にある小さな図書館の館長に就く。
そんな現実と並行して、ぼくはかつて少女と空想した「高い壁に囲まれた街」に迷い込んでいた。夢か、自意識の幻影か。時計には針がなく、静謐で、味気ない。影を失ったぼくは、自分のことを覚えていない少女と再会し、毎夜図書館に通って、行き場を失った誰かの夢を読む。果たしてぼくは現実と「街」、どちらで生きることになるのか。…というあたりで、だいたい全編の3分の1。

ぼくは思う。現実と現実でないものを隔てる壁は、存在はするんだけど、どこまでも不確かだと。どのどちらで生きるか、選ぶことはできない。
思えばいったい何が、わたしたちをこの現実世界につなぎ止めているんだろう。社会的地位、やりがいと責任のある仕事、愛する家族や恋人。そんなものは実は、何の役にも立たないかもしれない。
正直わたしにとって、このテーマに実感がわくかというと、そうでもない。けれど夏の夕暮れ、17歳と16歳が並んで座る川岸での、「わたしはただの誰かの影」というささやきは、なんだか切実で、とっても哀しい。

文章はいつもながら滑らかで、残り3分の2もすいすい読める。ぼくが福島で出会う人物の造形が、魅力的だ。なんといっても高齢の前館長、子易氏。町の名士なんだけど、いつもベレー帽に謎のスカート姿。深い絶望を秘めつつ、言動に愛嬌があって可愛らしい。そんな子易氏への親しみを共有している、しっかり者の司書・添田さん。そしてぼく以上に、深刻な違和感を抱えて苦しむ「イエロー・サブマリン」の少年。
混沌をへて、自分自身が自分を受け止める、そう無条件に信じるということの貴重さが胸に残る。

2020年のコロナ下で書き始めたそうだけど、普遍的です。(2023.6)

November 20, 2021

きのね

元日の朝は、人が「金銀銅のお宝」と羨むこの家の三兄弟が紋付き袴で揃い、父に手をついて新年の賀をのべるのを、遠くから見て光乃は涙のにじむような感動をおぼえた。

「きのね 上・下」宮尾登美子著(新潮文庫)

昭和初期から戦後にかけて、思いがけず歌舞伎役者の家の住み込み女中となり、ついには宗家の跡取りの妻となった、ひとりの女性の生涯。モデルは11代目市川團十郎の妻、千代とのことで、「松緑芸話」で読んで興味をもっていた。んー、想像以上に壮絶である。
もとより部分部分はフィクションなんだろうけど、檀ふみの後書きによると、12代目誕生の裏(自宅ひとり出産!)を知る産婆さんにまで取材したとのことで、作家の執念が感じられる。封建的で、体面を何より気にする梨園のこと。執筆には相当な困難が伴ったはずだ。そこまでして書きたかった、千代の生き様とは何なのか。
親兄弟を頼らず食べていくには、女中になるしかなかった光乃。地味で無口で、常にじいっと周囲を観察している。巡り会った坊ちゃま雪雄は美貌の花形なのに、伝説的な癇癪持ちで、命の危険すら覚えるDVが日常茶飯事。そもそも妻を人間扱いしておらず、優しくするなどもってのほか、長男が小学校にあがるまで存在自体をひた隠しにする。なんてスキャンダラス。それでも光乃は尽くしに尽くす。決して読んでいて気持ちの良い話ではない。
愛情とも言えるけど、なんだか光乃は行き場がなくて耐えるうち、役者たちという特異な生き物が放つオーラに巻き込まれたと思えてくる。深い舞台表現と、磨かれた伝統の芸と、華やかで危ういアイドル性…。歌舞伎世界に棲む、何か魔物めいたものと恋に落ちたのではないか。
流れるような文体で、すらすら読める。ところどころ登場する名優たちの横顔も興味深い。(2021・11)

October 30, 2021

バッタを倒しにアフリカへ

研究対象となるサバクトビバッタは砂漠に生息しており、野外生態をじっくりと観察するためにはサハラ砂漠で野宿しなくてはならない。どう考えても、雪国・秋田出身者には暑そうだし、おまけに東北訛りは通用しない。などなど、億千万の心配事から目を背け、前だけ見据えて単身アフリカに旅立った。
 その結果、自然現象に進路を委ねる人生設計がいかに危険なことかを思い知らされた。

「バッタを倒しにアフリカへ」前野ウルド浩太郎著(光文社新書)

深刻な飢饉をひきおこし、「神の罰」と呼ばれるバッタを研究するため、日本人が13人しか住んでいないという西アフリカ・モーリタニアに乗り込んだ、31歳ポスドクの爆笑体験記。
過酷な自然や習慣はもちろん(早々に山羊の丸煮込みが登場!)、待ち合わせから1時間遅れは当たり前、郵便局で荷物の受け取りに袖の下を要求される、フィールドワークに出た砂漠には地雷が埋まっている等々、相当にヘビーな日々を、軽妙に語っていく。
実際、ちょっとやそっとのトラブルでめげる前野氏ではない。子供のころファーブル昆虫記に熱中して以来の、異常なほどにあふれる昆虫愛があるからだ。好きなバッタに没頭して生きていくためには、実績となる論文をものにし、研究職を獲得することが至上命題。
ところが自然は思うようにならないもの。研究するはずのバッタ大発生の知らせは、なかなか届かない。「さしものバッタも私に恐れをなし、身を潜めたに違いない」などと強がってみても、時間と資力ははなはだ心許なく、不安が募る。
なんとか収入を得ようと京大に乗り込んでいくシーンの、とんでもない行動には抱腹絶倒。しかし最終面接で松本紘総長(当時)が語りかける言葉、そしてついに成虫の大群が襲来するクライマックスは大感動だ。
ちなみにウルドとは、籍を置いた国立サバクトビバッタ防除センターの所長から親しみと尊敬をこめて送られたミドルネームだ。新書大賞受賞。(2021.10)

June 29, 2021

天離り果つる国

「かような天離る鄙の地に、まことに城など築かれているのでござろうか」

「天離り果つる国 上・下」宮本昌孝著(PHP研究所)

山深い白川郷に、かつて存在した帰雲城。非情、苛烈な戦国の世にあって、弱小ながら独立平和のユートピアを求めた内ケ嶋氏の闘いを描く。2020年に話題だった娯楽時代長編だ。

戦国なので、まあ残酷だったりお色気だったり、けっこうどろどろなエピソードがてんこ盛り。悪役は伝奇ものっぽい怪物だし、実は兄妹の禁断の恋とか、往年の大映ドラマみたい。だけど架空のヒーロー、竹中半兵衛のまな弟子・七龍太と、野性味あふれる姫・紗雪のコンビの造形が、爽やかでいい。読みながらなぜだか、長谷川博己&川口春奈のイメージが浮かんだ。

金銀の鉱山経営や、火薬の原料になる塩硝の製造など、テクノロジーが切り札になる構図が興味深い。帰雲城についての予備知識がないままだったので、大詰めの展開には愕然としたけど、ラストにまた一捻りあって、にんまり。サービス精神たっぷりです。あ、帰雲城って埋蔵金伝説なんてのもあるんですねえ。(2021・6)

April 25, 2020

なぜオスカーはおもしろいのか?

私にとってアカデミー賞は、2月だけの行事ではなく、1年の半分くらいをかけて楽しむ祭典なのです。

『なぜオスカーはおもしろいのか? 受賞予想で100倍楽しむ「アカデミー賞」』メラニー著、星海社新書

「映画会社に勤める会社員」の著者は、約20年前から趣味で受賞予想をし、ラジオに出演、ついに本まで書いてしまった。
あくまで趣味ながら、いや趣味だからこそ、その熱意は凄まじい。前哨戦である複数の映画賞の結果から、ショウビズ専門誌の記事までを分析。発表当日は有休をとって、朝8時半から同じくマニアの友人「ローリー」宅で中継に集中する。本命が作品賞や主演賞を逃したりするスクリーン外のドラマはもちろん、華やかなドレス、感動的なスピーチで一日盛り上がったのち、的中率で負けたほうが夕食をおごるという。長いな~
その的中率をけっこう左右するのが、マイナーなジャンルらしい。ドキュメンタリーとか録音とか「マイナ-賞を拾う醍醐味」あたりは、映画ファンとは一味違う、オスカー通ならではの解説だ。
熾烈なハリウッドビジネスの側面にも、さらりと触れている。「神様とスピルバーグに次いで受賞スピーチで感謝されている人」ハーヴェイ・ワインスタインの盛衰は、その最たるものだろう。
盛り込まれた情報は2019年2月の第91回まで。外国語映画が作品賞を獲得した92回の歴史的事件は反映してないけれど、投票するアカデミー協会員の多様化や社会情勢には、すでにしっかりと目配りしている。いずれ続編があるかな。(2020.4)

 

June 21, 2019

もし僕らのことばがウィスキーであったなら

このアイルランド世界には無数のパブ的正義が並立的に存在している。

「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」村上春樹著(新潮文庫)

相変わらずの村上春樹節満載の楽しい紀行。スコットランド・アイラ島と、対岸のアイルランドを旅して、ただただ飲む。1997年に「サントリークォータリー」に掲載したエッセイをもとに、1999年単行本化、2002年文庫化。
アイラ島では蒸溜所を訪ね、名高いシングルモルトをめぐり、薀蓄も語るけれど、アイルランドではそれもない。のんびりと緑あふれる美しい風景を眺め、冴えない田舎パブのカウンターにもたれて、ビールとウィスキーを味わう。ただそれだけ。
私的アイルランドシリーズの読書をしていて、ちょっとその歴史を知ると、過酷さにたじろいじゃう。でも人生には、確かな暮らしの味わいがある。アイルランドを舞台にしたジョン・フォードの名画「静かなる男」への思い入れがまた、ジンとくる。
奥さんの陽子さんの写真がまた、センスがいい。(2019・6)

 

April 29, 2018

小澤征爾さんと、音楽について話をする

僕くらいの歳になってもね、やはり変わるんです。それもね、実際の経験を通して変わっていきます。それがひょっとしたら、指揮者という職業のひとつの特徴かもしれないね。つまり現場で変化を遂げていく。

「小澤征爾さんと、音楽について話をする」小澤征爾、村上春樹著(新潮社)

2011年に話題になり、2012年小林秀雄賞を受けたロングインタビューを、ようやく読む。尊敬しあう才能同士の触れ合うさまが、まず読んでいてとても心地よい。

村上春樹が尋常でないクラシック好きぶりを発揮して、次々にディスクをかけながら、指揮者によって、また時期などによって、どう演奏が変わるのか、楽譜を読んで演奏を組み立てるとはどういうことなのか、を尋ねる。小澤征爾が誠実に、ときにお茶目に答えていく。
私はオペラに時々足を運ぶものの、残念ながらクラシックに全く詳しくない。動画サイトで演者や曲目を聴きながらの読書だったけど、気取りない対話のリズムを十分に楽しめた。

話の脇道で小澤征爾の記憶が呼び覚まされ、巨匠の横顔や若き日の触れ合いを披露する。カラヤン、バーンスタイン、グールド…。そしてちょいちょい混じる恋愛沙汰。偉大なアーティストたちのきらびやかな個性と、音楽に向かう真摯な情熱が、飾らない言葉で生き生きと語られて、楽しい。
シカゴでブルーズ漬けになったこと、先輩指揮者のタクトを勝手に持ち出したこと。芸術を愛し、人を愛し、受け取ったものを若者たちに渡していく。あー、コンサートに行きたいなあ! (2018・4)

June 15, 2017

チェ・ゲバラ伝

鉄道にのるのでは、踏破することにならなかった。鉄路の上を走るのでは、人びとの生活を知ることはできないのである。
 一九五一年も終ろうとする十二月二十九日に、チェとグラナドスは、それから一年近くも続く放浪の旅に出発した。

「チェ・ゲバラ伝 増補版」三好徹著(文春文庫)

新聞社出身の作家が、広範な機関紙記事や、ゆかりの人々へのインタビューをまじえてつづった評伝。400ページを超える全編に、ゲバラ愛があふれる。

なぜアルゼンチン農園主の息子で、医師となったゲバラが、キューバ革命の戦闘に身を投じたかは、若き日の南米放浪が背景になっている。反米国資本が所与の前提になっている感じで、実は思想の軌跡は、初心者にはちょっとわかりにくい。とはいえ、人物像の魅力については十分伝わってくる。物静かな読書家で、勤勉。目が澄んでいて、公平かつ清廉。爽やかな印象は、龍馬のような感じだろうか。

特に1959年夏の来日の経緯は、企業の接遇係らにも取材していて詳しい。交易拡大を求めるゲバラに対し、大国に遠慮してか、冷たくあしらった日本政府の「国際感覚の無さ」を嘆く一方、進んで広島を訪れたゲバラの感性に共感する。
革命前の自由さに比べると、やがてキューバを去るに至る経緯や、その後の足跡は息苦しい。異説を含めた丁寧な注釈、年譜付き。(2017・6)

March 13, 2017

騎士団長殺し 第1部顕れるイデア編 第2部遷ろうメタファー編

「目に見えるものが好きなの。目に見えないものと同じくらい」

「騎士団長殺し 第1部顕れるイデア編 第2部遷ろうメタファー編」村上春樹著(新潮社)

今やイベントとなったハルキの書き下ろし新作は、「1Q84」からだと7年ぶりという大長編。1部、2部で1000ページを超えるが、いつもの春樹節が満載で一気読み。まずはいつもながらのリーダビリティの高さに感服する。

肖像画家である「私」は、妻に別れを切り出されたことで家を出て、小田原の山中にある屋敷に留守番として住み始める。そこで一幅の日本画「騎士団長殺し」を見つけたことで、不思議な出来事に巻き込まれていく。

道具立てはお馴染みのもので、読んでいて「ああ、この感じ」と嬉しくなる。まさにベストアルバム。孤独だけど他人を羨まない主人公の1人称語り、端正な日常、異界からの使者、気の強い美少女、謎の穴と冒険。オペラ「ドン・ジョバンニ」をはじめ、たっぷりと散りばめられた文化的薀蓄やら、気の利いた比喩の数々やらが、定番過ぎてニマニマしちゃう。

とはいえストーリーの印象は、従来とちょっと違う。性と暴力や戦争は登場するものの、「1Q84」のBOOK1、2までのような、目を背けたくなる執拗さは影をひそめた。妻と復縁した時点から振り返る、と冒頭で宣言してあるので、わりあい落ち着いて読めるし、人生の限られた時間を意識して、生きた意味をどう見出すか、というテーマは、もうすぐ70代となった作家の「枯れ」さえ感じさせる。激しい喪失の時期をへた、家族への回帰と再生が温かく、ちょっと拍子抜けするくらい現実的だ。

もちろん油断は禁物。絵画論で繰り返される、見えているものがすべてではないというイメージとか、顔のない肖像画の依頼人、2つの屋敷を隔てる谷とか、読む者を不安にさせる仕掛けには事欠かない。レコードのA面B面、イルカの左右の脳といった些細なエピソードも繋がって、虚と実、裏と表、ものごとの不確かさがひたひたと迫る。そして震災を乗り越えた後に、何を手にするのか。もしかしたら続編があるのかも。

楽しいのは、人物造形がいつにも増してくっきりとして、魅力的なこと。なにより異界から現れ、妙な話し方をする身長60センチほどの「騎士団長」が、際立ってチャーミング! こんなイデアに守られたい。
さらに主人公を翻弄する3人の人物が、徹底して謎めいているのもご機嫌だ。屋敷の主で、人嫌いだった高名な日本画家・雨田具彦は、過去にどんな闇を抱えていたのか。近くの白い豪邸にひとりで住み、見事な白髪でジャガーを駆るギャツビー風の中年男・免色渉の企みは? そして東北での放浪で出会った顔のない男は何者なのか? 例によって、すべての謎が解明されるわけではなく、このあたりにも続編への期待が高まる。(2017・3)

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