July 05, 2026

相撲の力学

同じ体重でも軽く感じる力士もいれば、体重以上に重く感じられる力士もいます。「重さ」は「力」ですから、大きさと方向性を持っています。重力に抗う動きや肩に力みがあると、地球の中心に向かっている「力」を打ち消し、かつ方向がずれてしまうために軽くなります。

「相撲の力学」松田哲博著(BABジャパン)

著者は琉球大理学部卒業後、若松部屋(現高砂部屋)に入門し、史上初の国立大出身力士・一ノ矢として2007年まで24年間、現役を務めた異色の人物。現在はマネージャーとして部屋の運営にかかわりつつ、カルチャーセンターなどで相撲の稽古をベースにした独自の「シコトレ」を教えており、本書は武道専門誌「月刊秘伝」の連載をまとめた。そんな雑誌があるなんて知らなかったぞ。

相撲中継を見ていると解説者の親方が「腰が重い」とか「懐が深い」とか言うけれど、いまひとつよくわからない。本書では日本相撲協会の資料映像などを駆使して、明治の第19代横綱・常陸山や、不滅の69連勝を誇る昭和の大横綱・双葉山などの名勝負、強さの意味を探る。
重力とか相転移とか、作用反作用といった用語、はてはニュートン、アインシュタインも出てくる。けれどもちろん物理学の分析ではなく、現場の直感を語っていて平易。大横綱は踏ん張る筋力やスピードではなく、ちょうど吊られた丸太のように力を抜いて体重をかけ、足を小刻みに動かして波のように、あるいは回転力で相手を倒す、という表現はわかりやすい。

双葉山人気が高まって観客を収容しきれず、1937年から11日興行が13日制に、翌々年に15日制になったとか、エピソードも満載。本当にお相撲が好きなんだなあ、とにやけちゃう。(2026.7)

May 28, 2026

絢爛のロックショー、クイーン追想録

クイーンがブレイクのきっかけを掴んだ1974年に、時を同じくして人気を呼んでいた少女漫画『ベルサイユのばら』が宝塚歌劇団によって舞台化され、大きな社会現象になった。これは偶然の一致だろうか。

「絢爛のロックショー、クイーン追想録 〜二代目ディレクターの独白〜」松林天平著(シンコーミュージック・エンタテイメント )

世界で最も成功したバンド、クイーン。西荻窪「アナログ天国」でトークショーを聴いた松林天平による追想録を読む。著者は1975年から1982年までワーナー・パイオニアでクイーンを受け持った洋楽ディレクターだ。

まず最もレコードが売れた1970年代、洋楽黄金時代の熱気が楽しい。著者は強烈にクイーン人気を支えた「ロック少女の誕生」を、ヨーロッパ文化への憧れという文脈で読み解いていく。そして天性の「歩くショー・ビズ」、フレディがいかにシャ-リー・バッシーやライザ・ミネリの影響を受けていたか。
音楽的な分析も忘れていない。例えば1979年「クイーン・ライヴ・キラーズ」でいったん頂点を極めたバンドが、大胆にも1980年「ザ・ゲーム」の「地獄へ道連れ」でシンセやディスコサウンドに舵を切り、見事に全米ヒットを記録するうえでのジョン・ディーコンの貢献。来日時にふたりで六本木のディスコを訪れたとき、ジョンがかかっていたボズ・スキャッグス「ロウダウン」のリズムの工夫を指摘するエピソードが印象的だ。

随所に散りばめられた、洋楽ディレクターとしての喜びと苦労は泣ける。ロンドンブーツ姿で受けたアルバイト試験にパスし、あっという間にクイーンを担当。その魅力とケタ違いのパワーに惚れ込む一方で、来日時に広報担当に散々振り回されたり、1978年「ジャズ」のアートワークに疑問を感じたりもする。だからこそ、邦楽プロデューサーに転じてからの1984年、香港のレコード店でスタジアム・ロックの名曲「レディオ・ガ・ガ」を耳にし、すべての音楽ファンの心に刺さるフレーズに「町で偶然旧友に会ったような」感慨を抱くシーンが美しい。「ありがとう、クイーン。わたしはあなたに借りがある。そしてわたしには決して返せそうもない」。音楽っていいなあ。(2026・5)

April 25, 2026

成瀬は都を駆け抜ける

「絶対に天国からおばあちゃんも見てくれてたわ」
「だといいのだが」
 あかりの受け答えを見て、改めて成長を実感する。もっと前のあかりだったら「死んだらテレビは見られないだろう」と答えたはずだ。

「成瀬は都を駆け抜ける」宮島未奈著(新潮社)

痛快ヒロイン、成瀬あかりシリーズの3作目にして完結編。京大生になっても成瀬は相変わらず。迷いなく淡々と目標に向かって邁進し、周囲を明るく照らして爽快だ。

高校時代から成瀬を慕う西浦が、冬休みの1日、成瀬といてその多忙ぶりに舌を巻く。階段駆け上がり大会やけん玉の練習、配信出演、献血… でもマイペースなだけではない。失恋をひきずる坪井を励まし、ぼきののかのYouTubeチャンネルに出演して失策を挽回させる。そんな成瀬の成長を見守る、似たもの同士の母の感慨が泣かせます。

自身、京大文学部出身の著者が描く学生の日常もお楽しみ。森見登美彦が好き過ぎて、同好の士と鍋を囲む男子たちなど、傑作だ。これで完結は寂しいけれど、成瀬には永遠の少女でいてほしい気もする。連作6編の半分は書き下ろし。(2026.4)

March 17, 2026

成瀬は信じた道をいく

「スマホを持たない女子高生とか、めちゃくちゃ面白くない?」
「わたしは面白さのためにスマホを持っていないわけではないのだが」
「だめだ。三千円で京大受けてくるなんて企画、全然面白くない気がしてきた……」
 城山はダイニングテーブルに両肘をついて頭を抱えた。
「いや、面白いかどうかは見た人が決めることだろう。城山が作り出した動画を発表することに意義があるのではないか」
「成瀬さんって悩みとかなさそう」

「成瀬は信じた道をいく」宮島未奈著(新潮社)

先日参加した読書会でも話題になった、2023年のヒット作の続編。変わらず我が道を突っ走るヒロイン成瀬が大活躍。京大受験の本番で、野宿しようとするユーチューバー受験生を連れ帰っちゃったり、なんとびわ湖大津観光大使になって、インバウンド客に臆せず日本語で道案内したり。終始、軸は全くぶれていなくて、地元や社会に貢献したいだけ。でもその発想と実行力が突飛で、なんとも痛快だ。
お馴染みの親友・島崎は東京の大学に進んで、少し距離ができるんだけど、変わらず苦笑いしながら成瀬に付き合っていて嬉しい。さらに泣き虫の小学生やら、こじらせ気味のクレーマー主婦、お嬢さまの観光大使仲間やらがどんどん巻き込まれて大騒動。振り回される側も実に楽しそうで、ニマニマしちゃう。
つまりは成瀬が誰に対しても、年齢や第一印象で判断してしまわずにフラット、オープンに接するから、なんだなあ。成瀬の魅力を再認識。SNS投稿の、武士みたいな成瀬構文も爆笑です。(2026.3)

August 10, 2025

向日葵の咲かない夏

誰だって、自分の物語の中にいるじゃないか。自分だけの物語の中に。その物語はいつだって、何かを隠そうとしているし、何かを忘れようとしてるじゃないか

「向日葵の咲かない夏」道尾秀介著(新潮文庫)

「夏」をテーマにした読書会の、オススメ本の一冊を手にとってみた。久々に読む人気作家の、2009年出版のベストセラーだ。確かにアクロバティックな叙述ミステリーで、映像化不可能という解説も頷けた。

とはいえ、気持ちよく欺されるというのとは違う。小4男子が夏休みに、級友の死の謎を追う物語。その謎解きうんぬんよりも、描かれる日常が重過ぎる。いじめ、動物虐待、トンデモ教師…。ストーリーの核となる幼い精神の歪み、閉じ込められた心に、説得力があるのが悲しい。

2004年に読んだ「葉桜の季節に君を想うということ」(歌野晶午著)を思い出す技巧なのだけれど、それにしても道具立てが暗過ぎないか。結末を知って冒頭から読み返したら、随所にある伏線にたぶん感嘆するのだろうけれど、その元気はなかったな。(2025.8)

July 24, 2025

告白

熊太郎は恐怖の十字架を負った道化師であったのである。

「告白」町田康著(中央文庫)

一度、町田康を読んでみたくて、2005年谷崎潤一郎賞受賞作を手に取った。いや、長かった。1893(明治26)年の大事件で、河内音頭のスタンダードナンバーとなった「河内十人斬り」の犯人、城戸熊太郎の36年の人生。といっても大阪の片田舎にくすぶる、ごくしがない放蕩者だ。それがなぜ、歴史に残る凄惨な事件を起こすに至るのか。紙だと900ページ超にわたって、ほぼ全編これ、熊太郎の言い訳。

繰り返されるのは、どうしようもなく肥大化した自意識だ。いわく子供のころから周囲を単純でつまらない、と軽蔑していた。本人にしてみれば、自分は「極度に思弁的、思索的」で二重三重に屈折しており、それを河内の百姓言葉では表せず、「日本語を英語に翻訳したのをフランス語に翻訳したのをスワヒリ語に翻訳したのを京都弁に翻訳したみたいなことになって」、ちぐはぐな行動をとってしまう。「自分よりアホな人間に白痴と断定されるほど情け無いことはない」。あげく酒と博打に身を持ち崩し、粋がって無茶な喧嘩沙汰や金銭トラブルを繰り返し、追い詰められていく。
15歳で人を殺したと思い込み、これはなにやら熊太郎の妄想めいているのだが、いつか報いを受けるに違いないと、深い恐怖にとらわれている。義侠心など一切ないのに、暴力に直面すると自分の罪を突きつけられるようでいたたまれず、反撃し大暴れしちゃう。心中は常にくよくよと鬱屈し、寂しく空疎で、村娘ひとり満足に口説けない。愚かで情けなく、それを十分自覚しているところは憎めないんだけど、とにかく面倒臭い。ああ、こういう人いるのかも。

よくぞこの面倒臭い人物の語りを、飽きず新聞で連載したものだと思うのだが、文章は軽妙だ。「ほんほん。ほんでほんで」「うわっ。二十円。おっとろしな」と、登場人物が話す河内弁がリズミカル。たまに著者の突っ込みも挟まる。「その生活態度たるやふざけきっていた。あかんではないか」「なんじぇえわれ、というのは、標準語に翻訳すると、お前は何者だ、という意味であるが、はっきりいってあほである。犬を相手に、おまえは何者だ、と誰何したからといって犬が、はい。私は大阪府泉佐野市からやってきた尨犬でございましてなどと返事をするわけがない。」
さらには30過ぎていっぱしの侠客となった熊太郎を、幼なじみたちが呆れて遠巻きにする様子を、音楽しかないフリーターといずれ就職する大学生がロックバンドを組んだときに例えたりして、笑っちゃう。郷土料理「あかねこ」の登場とか、芸も細かい。
あくまで熊太郎の告白であり、犯罪の背景として明治の近代精神の歪みとか、古墳時代から続く河内という土地の重みといった観念には走らない。それでいて終盤でふいに、宿命を予感させる一行。「金剛山の上空に黒雲がたちこめて驟雨。」パンクな力技です。いやー、疲れた。

それにしても芸能というのは面白い。救いようのない陰惨な事件を「新聞読み」としてすぐさま河内音頭にしたら大ヒットし、いまも継承されている。文楽、歌舞伎にもそうした演目があって、人間の深い業、現実を描く。幕切れ、盆踊りの熱狂が印象的だ。(2025.7)

April 05, 2025

まいまいつぶろ

「どんな駒も前に進めると教えてくださったのは家重様にございます」

「まいまいつぶろ」村木嵐著(幻冬舎)

2023年に評判だった、九代将軍・家重と側近・大岡忠光の生涯を描く一編を知人の勧めで。家重といえば、幼いころから障害を抱え、奥にこもって酒食にふけりがち。享保の改革を断行した偉大な先代・吉宗が実権を握り続けたと言われる。しかし本作では家重を、聡明で人の本性を見抜き、また弱者を労る心優しい人物と解釈。イメージを覆す設定は、時代小説の楽しみのひとつだ。

とはいえ、全編を覆う雰囲気は重苦しい。なにしろ家重は尿意を堪えるにも苦労して、まいまいつぶろと嘲られ、廃嫡の危機はもちろん、将軍の座についてさえ屈辱に耐え続ける日々だ。全く格好良くない。
その不明瞭な発話を唯一理解し、見事に「通訳」し通したのが忠光。少年時代からすぐ側にいて、最高権力者の絶対的な信頼を得たわけだが、それだけに厳しく自分を律する。家重の口代わりを務めても、決して耳や目にはならないと思い定め、つまり自分の見聞きしたことを家重にインプットしたり、家重が口にしない思いを自分が察して周囲に伝えることは、一切ない。無表情に一歩下がっていて、作中でも自分の言葉でしゃべるシーンがほとんどないほど。権勢を振るうことはなく、ついでに賄は断固拒否、紙一味も受け取らない。
清廉といえば立派だけれど、その頑なさが家重・忠光主従にとってプラスとは限らない。本当に忠光は家重の言葉を理解して、正確に伝えているのか? 江戸城の中枢に渦巻く疑念、嫉妬、嘲り、悪意。ではどうしたらいいのか。権力に仕えるものの宿命に正直、息が詰まる。家重治世の重要イベント、木曽三川の治水工事や郡上一揆では、昔のこととはいえ、あまりに多くの人命が失われちゃうのも、陰鬱で救いがない。
だからこそ、と言うべきだろう。吉宗の最晩年の言葉の温かさ、そして大詰め、忠光下城シーンの壮大な江戸城の景色がドラマチックで、ジンとくる。

思いが伝わらないことの辛さ、もどかしさの物語と考えると、ずいぶん普遍的なことに気づく。障害はもちろん、難病や加齢、より日常的にコミュニケーション下手な人というのは、たくさんいる。異文化に放り込まれた境遇でもありうること。伝わらないからといって無いことにしない、想像力の難しさ。

主役主従はなんとも地味だけれど、お馴染みの人物の登場は嬉しい。暴れん坊将軍・吉宗の存在感はもちろん、忠光の遠縁で終生の理解者である町奉行・大岡忠相(越前)、大河ドラマ「べらぼう」の十代府軍・家治の賢さ。なんといっても若き日の田沼意次が、めちゃくちゃ頭が切れて的確で、かつ、後年の忠光とは全く違うアプローチも思わせて面白い。
著者は京大法学部卒で、司馬遼太郎家の家事手伝いをへて夫人・福田みどりさんの個人秘書を務めた人。幕府の役職など時代小説の言葉は常識とばかり、説明を省きがちでちょっと難しいけれど、空気が壊れない。(2025.4)

February 24, 2025

外国暮らしで出会った28の食物語

明日飛行機取って帰るからという夫に、ちょっと待って、私仕事辞めてすぐそっちに行くから。学校は絶対辞めないで、と言って、とどまらせました。正社員だったので周りに頭を下げ、辞めさせてもらい、一週間後には飛行機に乗っていました。

「外国暮らしで出会った28の食物語」森川由紀子著(ジュピター出版)

今はご自宅でパーティー型料理教室を主宰する著者が、国連職員だったご夫君と暮らした海外の思い出、そこにまつわる料理レシピを写真とともに紹介。ボストン、オレゴン、ニューヨーク、イタリアと、どこへ行ってもホームパーティーやマーケットの手伝いで、積極的に交流し、日々を楽しむ様子が、逞しくて朗らかだ。
特に最初の赴任地ウガンダの体験が凄まじい。なにしろ雇った運転手が勝手にガレージのガソリンを売り飛ばされたり、隣のリビア人宅の見張りの兵士(アスカリ)がなんと強盗に変貌して、動転しつつも国連配備のトランシーバーで警察を呼んだり、よくぞご無事で、という感じ。それでも気のいいメイドのローズと仲良くなるし、パキスタン人の奥様に本場のカレーを、ドイツ人上司の妻に得意のキッシュを習っちゃう。イギリス人の疑問文の語尾を下げる口調に学ぶとか、知的好奇心も旺盛だ。
料理はレモネードとかラペもあって、割合シンプルです。

August 02, 2024

成瀬は天下をとりにいく

「島崎、わたしはこの夏を西武に捧げようと思う」
 一学期の最終日である七月三十一日、下校中に成瀬がまた変なことを言い出した。いつだって成瀬は変だ。十四年にわたる成瀬あかり史の大部分を間近で見てきたわたしが言うのだから間違いない。

「成瀬は天下をとりにいく」宮島未奈著(新潮社)

2023年最大の話題作をようやく。言い尽くされているけど、孤高でマイペース、しかも発想力と実行力抜群の成瀬の造形が、なんともキラキラと痛快。主人公の魅力爆発という点では、世之介以来かも。そんな成瀬を見ていたい一心で、奇妙なプロジェクトに巻き込まれていく幼なじみの島崎の存在が、また秀逸だ。文章もリズミカルで、ニマニマしながら読む。
背景はしっかりしていて、コロナ禍の子供たちの鬱屈と、人口減時代に寂しくなっていく地方都市の現実がある。象徴が、実際に2020年夏に閉店した西武大津店。大津在住主婦37歳が1ヵ月で書いた短編で、閉店前に店に通ってローカル局の中継に映り込む女子を描き、文学賞を受賞。話題が話題を呼んで、ついに本屋大賞に。小説の運命がヒロインに負けず格好いいです。地元あるあるのコメディセンスも可愛い。欲をいえば成瀬には、あんまり分別を身につけず、突っ走ってほしいなあ。(2024/8)

June 25, 2023

街とその不確かな壁

「ええ、今ここにいるわたしは、本当のわたしじゃない。その身代わりに過ぎないの。ただの移ろう影のようなもの」

「街とその不確かな壁」村上春樹著(新潮社)

ハルキ6年ぶり、650ページに及ぶ書き下ろし長編。前作「騎士団長殺し」に比べると、個人的には苦手な方のハルキでした。
1985年発表「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」をベースにしていて、閉ざされた街、一角獣や〈夢読み〉という舞台装置だけでなく、その静謐で謎に満ちた感じに既視感がある。そもそも「世界の終わり…」のベースは1980年発表の中編だというから、この世界的作家が生涯かけて紡いでいくテーマが、ここにあるのだろう。それは自分が身を置いている現実世界に、どうしても馴染めない、という感覚のように思える。

物語は現実世界と「街」が交錯しながら進む。現実世界のほうで主人公ぼくは、海に近い郊外に住んでいた高校時代、ひとつ年下の美しい少女と、微笑ましく熱烈な恋に落ちる。しかしある日、少女は忽然と姿を消してしまい、以降、ぼくは都会で誰にも心を許さず、孤独な日々を過ごす。強まっていく「ただこの現実が自分にそぐわない」という感覚。そして45歳になったとき突然、安定した職を辞して、福島の山間にある小さな図書館の館長に就く。
そんな現実と並行して、ぼくはかつて少女と空想した「高い壁に囲まれた街」に迷い込んでいた。夢か、自意識の幻影か。時計には針がなく、静謐で、味気ない。影を失ったぼくは、自分のことを覚えていない少女と再会し、毎夜図書館に通って、行き場を失った誰かの夢を読む。果たしてぼくは現実と「街」、どちらで生きることになるのか。…というあたりで、だいたい全編の3分の1。

ぼくは思う。現実と現実でないものを隔てる壁は、存在はするんだけど、どこまでも不確かだと。どのどちらで生きるか、選ぶことはできない。
思えばいったい何が、わたしたちをこの現実世界につなぎ止めているんだろう。社会的地位、やりがいと責任のある仕事、愛する家族や恋人。そんなものは実は、何の役にも立たないかもしれない。
正直わたしにとって、このテーマに実感がわくかというと、そうでもない。けれど夏の夕暮れ、17歳と16歳が並んで座る川岸での、「わたしはただの誰かの影」というささやきは、なんだか切実で、とっても哀しい。

文章はいつもながら滑らかで、残り3分の2もすいすい読める。ぼくが福島で出会う人物の造形が、魅力的だ。なんといっても高齢の前館長、子易氏。町の名士なんだけど、いつもベレー帽に謎のスカート姿。深い絶望を秘めつつ、言動に愛嬌があって可愛らしい。そんな子易氏への親しみを共有している、しっかり者の司書・添田さん。そしてぼく以上に、深刻な違和感を抱えて苦しむ「イエロー・サブマリン」の少年。
混沌をへて、自分自身が自分を受け止める、そう無条件に信じるということの貴重さが胸に残る。

2020年のコロナ下で書き始めたそうだけど、普遍的です。(2023.6)

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