December 29, 2024

志村ふくみ 染めと織り

日本人が培った色彩感覚は、西洋音楽にはない無限の半音の世界ですね。

「志村ふくみ 染めと織り」聞き書きと評伝 古沢由紀子(求龍堂)

農家の手仕事だった紬に新風を吹き込んだ染織の人間国宝の足跡。読売新聞編集委員がインタビューの掲載から8年余り、大幅加筆してまとめた。3年ほど前に斜め読みしたんだけど、ふくみさん100歳記念の展覧会に足を運んで、作品を目にしたのを機に、再読。

紬は元来、養蚕農家の女性たちが、規格外のくず繭を惜しんだ日常の手仕事。庶民のよそ行きで、正装にはふさわしくないという考えが根強いそうだ。平織りと自然の植物染料を貫くふくみの作品も、一見して淡く温かく、素朴な印象。なにしろ柳宗悦の民芸運動に傾倒していた実母の影響で、この世界に足を踏み入れた。
しかしあえて切った糸をつなぐ「ぼろ織り」手法のデビュー作「秋霞」が一躍注目され、早くから独自の自由な感性を発揮して、民芸と決別している。リズミカルな幾何学模様などは、クレーやロスコに例えられるという。養父の仕事で上海や長崎に住み、リベラルな文化学院に通ったバックグラウンドゆえか。60代からゲーテの色彩論を学び、ヨーロッパやインド、イラン、トルコを旅し、文化功労者選出直後には「縛られず自由に活動したい」と日本工芸会を脱退しちゃう。抑えきれない芸術のパワーが爽快だ。

もちろん創造の現場は地道な闘いで、だからこそ深い。植物染料では、魔物と呼ばれる貴重な蘇芳(すおう)の深紅、60℃以上では「けしむらさき」になってしまい、「染める人の人格そのもの」を写す難しい紫根、そうかと思えば身近な玉葱。なかでも実母が「精神性が高い」と愛した藍は、発酵工程「藍建て」が興味深い。なぜか新月で建て始め、満月で染め始めるとうまくいくのだ。
そして方眼紙に緻密なデザイン画を描き、1100本の経糸をかけてコツコツ織りながら、ときに緯糸を思いのままに打ち込む。ジャズのような即興。
強靱に見えるふくみも、80歳を目前にうつの苦境に陥る。マティスが晩年手がけた切り絵をヒントに、50年分の残り裂を紙に貼るコラージュを通じて、復帰していくエピソードは胸をうつ。

駆け出し時代から人脈が華麗で、くらくらする。日本工芸会会長だった細川護立、60年代の個展に推薦文を寄せ、藍染めの第一人者を紹介した白洲正子、随筆家の道を開いた大岡信… 陶芸家・宮本憲吉の妻、宮本一枝(尾竹紅吉)がとりわけ強烈だ。「青鞜」にも参加した「新しい女」であり、ふくみを「男の人に甘やかされてはダメ」と叱咤する。なにせ尾竹三兄弟の長男、越堂の娘だもの。まさに貴重な時代の証言だ。

カラー図版や巻末の略年譜が充実。スピン(栞紐)2本が、淡い水色とオレンジで上品。凝っています。(2024.12)

September 18, 2022

日本の絵本100年100人100冊

ページをめくると、幼い読者とひとつになって歌い、踊り、弾けて笑う絵本たち。色、形、音、感情などが分化する前の赤ん坊の共感覚にシンクロするのではないだろうか。

「日本の絵本100年100人100冊」広松由希子著(玉川大学出版部)

ずっしり大判、7700円にちょっとひるんだけど、その価値は十二分にある。1912年から2014年まで、日本の絵本作家100人の珠玉の1冊を紹介。楽しく引き込まれて、ずずいと奥の深い絵本宇宙を堪能する。

それぞれの表紙や見開きのビジュアルが、なにより魅力的だ。文字のフォント、レイアウトや装丁まで、絵本という芸術がなんと多彩で、パワフルなことか。
それを分析・表現する著者の力量も圧巻。竹久夢二「どんたく繪本1」(1923)では「素朴な造りの16ページのサイレントブックを開いては「子どもも大人も作者自身も、マッチ売りのような夢を繰り返し灯したことだろう」。酒井駒子「金曜日の砂糖ちゃん」(2003)では「懐かしく、さびしく、恐ろしく、あたたかく、官能的な黒が、見る人それぞれの思いを吸収する」。うなるしかない。

1冊ごとの短い解説のなかで、作家の軌跡や時代背景もさらりと伝えている。戦後の焼け野原で栄養失調で亡くなった作家がいたこと、1956年創刊「こどものとも」の初代編集長・松居直が開いた地平、「ガロ」でデビューし「朝日ジャーナル」で連載してい佐々木マキが「やっぱりおおかみ」(1973)で吐いた鮮烈な「け」、美しい谷内こうたや社会性が強烈な長谷川集平らによって70年代に絵本ブームがあったこと、やがて商業デザイナーがCGを導入し、日本の作家が海外で評価を得て逆輸入され始めたこと。

登場する作家たちはまさに、きら星のごとくだ。茂田井武、柳原良平、木村(山脇)百合子「ぐりとくら」、宇野亜喜良、岩崎(いわさき)ちひろ、谷川俊太郎文の「かがくのとも」、安野光雅、和田誠、五味太郎、網野善彦文の「歴史を旅する絵本」、佐野洋子「うまれてきた子ども」、大竹伸朗、100%ORANGE、荒井良二…。世代を超えてインスピレーションが受け継がれていくのも感慨深い。夭折の異端画家・山中春雄から長新太へ、アートディレクター堀内誠一からスズキコージへ、長新太から荒井良二へ。

驚くのは、著者の本棚をもとに選書しているという点だ。だから1冊1冊に、自分の子ども時代、娘さんの子ども時代の実感がこもって説得力をもつ。東君平「びりびり」(1964)では小学生のとき隣に住んでいた祖父がくれた新聞の切り抜きに、「切り絵のカットと合わせて、そのささやかでユーモラスな童話を読むと、あたたかかくてさびしい、笑いたいのか泣きたいのか、心もとない気持ちになったことを思い出す」。スズキコージ「サルビルサ」(1991)では「娘のファーストブック(最初の愛読書)が、スズキコージの『エンソくん きかんしゃにのる』だったことに、私は少なからずショックを受けた。興奮してカボチャの離乳食を羊の駅弁のページになすりつけたこともあり、読んでいるのか食べているのか、絵本だか自分だか見境ないような没入ぶり」。ブラチスラバ世界絵本原画展(BIB)2017で日本人初の国際審査委員長を務めたというのも、むべなるかな。感服。(2022.9)

June 05, 2022

歴史探偵 忘れ残りの記

例によって社の五階から下の通りを行き交う人を眺めていて、女性がぐんぐん美しくなったのに気づいたのも、この二十八年の冬ぐらいから。とくに、このみゆき通りから戦後日本の美人が生まれたのではないか、と身贔屓でなくそう思っている。

「歴史探偵 忘れ残りの記」半藤一利著(文春新書)

2021年に90歳で死去した「昭和史」著者が、その直前に上梓したエッセイ集。初出は文春の書店向けパンフレットを中心に、銀座のPR誌、新聞ほかで、掲載誌・掲載年不明のものが混じっている。内容も肩のこらないつれづれなんだけど、そこは名編集者でもあった著者のこと。古今の蘊蓄やら、和歌・俳句やら、明治の文豪から戦後の駄洒落まで縦横無尽の引用が、尽きない教養、「調べ魔」ぶりを感じさせて楽しい。

なかでも昭和初期、向島での幼少期の思い出は味わい深い。火鉢の「埋火(うずめび)」と少女の哀しみ、北十間川と大空襲の記憶…。そして戦後、花の銀座で過ごした駆け出し編集者の日常が痛快だ。仮採用の身で訳もわからず、坂口安吾の自宅に1週間泊まっちゃった武勇伝など、のちの大物ぶりを彷彿とさせる。(2022.6)

April 17, 2022

核兵器について、本音で話そう

戦後、核兵器を巡る議論は欧州を中心に展開した。英仏の核武装、ドイツを始めとしたアメリカの同盟国の安全保障、アジアでの米国の同盟網創設、NPT(核兵器不拡散条約)体制の発足など、戦後の主要な外交、安全保障問題にはほとんど核問題が絡んでいた。
 日本は、半世紀近く続いた冷戦の期間中、陸上国境で強大なソ連軍と接していた欧州ほどの軍事的緊張感をついぞ抱かなかった。

「核兵器について、本音で話そう」太田昌克、兼原信克、高見澤將林、番匠幸一郎著(新潮新書)

「令和の国防」に続き、外務官僚で元国家安全保障局次長の兼原信克氏がホストを務める座談会だ。2021年9月の収録だが、刊行が2022年2月となり、ロシアがウクライナの原発を一時占拠する事態が発生。タイムリーな論考となった。
国家安全保障局次長を経てジュネーブ軍縮会議日本政府代表部大使を務める元防衛官僚、元陸将、そして長年核問題をカバーしてきた元共同通信論説委員という顔ぶれ。台湾、北朝鮮やロシアの現状、サイバー・宇宙防衛との関係などを論点に、歴史的な経緯やドイツとの比較、近年のアジアにおける急激な情勢変化を確認していく。
「核シェアリング」とNPT(核兵器不拡散条約)との関係等、議論は必ずしも収束しない。だからこそ、幅広いリテラシーの深化が必要だと、強く思わせる1冊だ。(2022.5)

 

May 08, 2020

郝景芳短篇集

宇宙エレベーターは空の見えない高みに伸びていた。底部の微弱な揺れが曲線の浮動と化し、空中にねじれた龍の姿を描いた。

「郝景芳(ハオ・ジンファン)短篇集」(郝景芳著)白水社エクス・リブリス

2016年ヒューゴー賞受賞の「北京 折りたたみの都市」を含む、中国人作家によるSF短篇集。視覚的なイメージが独創的、かつスケールが大きくて、読む者をとらえる。
特に「折りたたみの都市」の舞台装置が、強烈で意表を突く。なにしろ首都を三層に分けて日々ローテーションで活動させ、活動していないエリアは物理的に折りたたんんじゃうのだから。映画にこんな特殊効果シーンがあった気がするけど、その上を行く。個人的には「弦の調べ」のほうが好みかな。キリマンジャロの麓に鳴り響くブラームスの調べ、天空に伸びる「5千メートルの竪琴」が共鳴し、やがて制御不能になっていく…。なんと雄大で美しくて、絶望的なことか。

物語には現代社会の不安や矛盾を思わせる設定が多い。格差、技術革新による人間疎外、SNS依存。「弦の調べ」の、謎の「鋼鉄人」が支配する社会の息苦しさなんて、体制ににらまれそうな気がするけど、著者が問答無用のエリートだから許されるのかな。
ハオは1984年天津生まれで、清華大大学院で天体物理学を専攻、博士課程では経済学に転じ、マクロ経済研究のかたわら執筆しているという。才女過ぎ。さりげない引用も、中国のシェイクスピア・湯顕祖の「牡丹亭」、ドイツの思想家ヘルダーリンから、ヘミングウェイまで知的です。

ただ、読後感は意外にロマンティック。頭でっかちな社会問題への怒りというよりも、ありふれた愛情が実は本人も気づかないほど深く、死をも超越していく、といったドラマが心に残る。若い学生がただただ論文の〆切に追い詰められるという、「先延ばし症候群」のような茶目っ気も。及川茜訳。(2020・5)

April 22, 2020

掃除婦のための手引書

クーはバークレーのゴミ捨て場に似ていた。あのゴミ捨て場に行くバスがあればいいのに。ニューメキシコが恋しくなると、二人でよくあそこに行った。殺風景で吹きっさらしで、カモメが砂漠のヨタカみたいに舞っている。どっちを向いても、上を見ても、空がある。

「掃除婦のための手引書ーールシア・ベルリン作品集」ルシア・ベルリン著(講談社)

2019年の話題本をようやく。訳者の岸本佐知子さんが熱烈に惚れ込んでいることは聞きかじっていたけれど、それくらいの予備知識のまま、無防備に引き込まれた。
死後十数年たった2015年にヒットした短編集を底本に、24篇を収録。一つひとつは日常の一コマなんだけど、波乱万丈の実人生を反映して、状況は多彩かつ濃密だ。鉱山町を転々とする流浪の少女時代、暴力と閉塞のテキサス、チリでの裕福な暮らし、4人の子供を抱えたブルカラーのシングルマザー、アル中の泥沼、末期がんの妹と思い出を語り合うメキシコ…
さりげなく繰り出される比喩に、イメージが飛翔して、不意を突かれる。しかも相当悲惨な状況でも、なにやら潔いというか、ドライな手触りが漂うのが新鮮だ。「今までの人生で、”正面ポーチ”でなく”裏のポーチ”にいたことが、はたして何度あっただろう?」と悔いておいて、「無意味な問だ」と切って捨てる。それが人生。
たくさんの間違いを引き受けていくこと。ヘビーでタフな、アメリカ。電子書籍で。(2020.4)  

January 05, 2020

世界史としての日本史

日中戦争も含めて大東亜戦争という名前で括って、日本を主人公にした物語にしてしまっているけど、そうではなくて、第二次世界大戦という大きな舞台のなかの太平洋部門なんです。そういう見方をしたときに、真珠湾攻撃はどう解釈されるのか

「世界史としての日本史」半藤一利、出口治明著(小学館)

卓越した歴史の語り手である半藤氏と、『「全世界史」講義』などの教養人、出口氏による魅力的な対談録。タイミングは2016年の春ごろだそうだ。
明治維新から対ISまで、様々な事象の背景を、欧米の事情やら相対的な力関係やら、リアルな「国際的立ち位置」から読み解いていく。博覧強記はもちろんのこと、半藤氏からは編集者時代の吉田茂インタビューの逸話なども飛び出して、刺激的。

「世界史のなかの日本を知るためのブックガイド」の章では、「白水社、上下巻」とか「草思社、3巻」とか、まあ歯ごたえありそうな文献が後から後から。半藤氏が「非常な大作で、しかも古本でしか全巻は手に入らないので、ちょっと読者の皆さんにすすめるのはどうかと」とためらえば、出口氏がすかさず「本気で勉強しようと思ったら、これぐらいは読んでほしい」と突っ込む。

国の進路を誤らないためには、広く知恵、教養が必須だ、だから手間ひまかけて発信しているのだ、という強い危機感が伝わってくる。メディアが数字・ファクト・ロジックで全体像を丁寧に語るべき、という指摘も切実だ。電子書籍で。(2020・1)

June 01, 2019

マスカレード・イブ

あたしがあの映画が好きなのは、そんな人生のごった煮みたいなものを、毎日変わらず受け入れているホテルっていう場所に憧れを抱くからなんです

「マスカレード・イブ」東野圭吾著(集英社文庫)

2011年に単行本が出た「マスカレード・ホテル」の前日談だ。入社4年ながら優秀なフロントクラーク・山岸尚美、そしてやはり新米の刑事・新田浩介をそれぞれ主人公とする短編3作に、表題となっている書き下ろし中編を加えて2014年に文庫化。表題作では新田の殺人事件捜査に、はからずも尚美が協力することになる。もっとも今作では互いに名前も知らないまま。のちに新田が偶然ホテルに潜入して出会う、というわけ。心憎いなあ。
どれも謎解きは楽しいのだが、特に「仮面と覆面」が凝っている。人気覆面作家が新作のため、ホテルに缶詰になる設定で、「ホテルの客はみな仮面をつけている」というシリーズのコンセプトを、さらに2重にした。オタクのファンが、作家にひと目会おうと押しかけてくるあたり、もしかして著者の身の回りの出来事かな、と想像するのも一興だ。
キャラクターでは、所轄生活安全課の穂積理沙が魅力的。学生に聞き込みして、「年下のボーイフレンドってのも悪くないな」とのたまったりして、とってもマイペース。切れ者で、ちょっといけすかない新田を、見事にあきれさせちゃう。
シリーズは2019年に、木村拓哉主演で映画化。未見だけど、新田のイメージはもうちょっと若くて、シャープな杉野遥亮とかかなあ。(2019・6)

 

May 25, 2019

平成の終焉

ともに膝をつき、一人ひとりに向かって語りかける「平成流」と呼ばれるスタイルは、美智子妃が主導する形で、昭和期の行啓のなかにすでに芽生えていたのです。

「平成の終焉ーー退位と天皇・皇后」原武史著(岩波新書)

新元号や退位・即位のイベントで、なんだか明るい気分になっている2019年。そのことにケチをつける気は毛頭ないんだけど、ちょっと冷静になってみると… 毎日出版文化賞の「大正天皇」、司馬遼太郎賞の「昭和天皇」などで知られる研究者が、「平成」の意味を問う話題作だ。

まず2016年に、天皇みずから退位の意向を、一般に向かって直接語った「おことば」を分析。それがいかに異例なものだったか、ということ、さらに、実は誰もよくわかっていなさそうな「象徴」をどう定義しているか、を読み取っていく。
祈り=宮中祭祀と並んで、重要な務めと自認していたのは「行幸」だと喝破。そこから皇太子時代の地方訪問について、平成につながる要素を解き明かしていく。
なにしろ公式資料が十分でないので、地方紙の報道を丹念に追って、一回一回の訪問の内容を掘り起こしていく。その労作から導かれる「人々に近づき、語りかける」スタイルがすでに昭和期からみられ、背景に美智子妃のカトリックの教養がありそうだ、という分析には驚かされる。

天皇は恋愛結婚という選択に始まり、天皇家の家族観を革新。憧れと同時にバッシングに遭ったり、右派の揺り戻し「提灯奉迎」を受けたりしながらも、直実に独自の「象徴」を形作ってきた。粘り強さに改めて感嘆するし、それほどに、過去の天皇の苦悩が深かったのかもしれない、と思う。また、行幸での触れ合いがたとえ何ら目の前の問題を解決しなくても、忘れられがちな人々に対して、ただ「忘れていないよ」というメッセージを届けるのなら、それはまさに、統合の象徴という仕事であり、この分断の時代に、貴重な意味をもつように感じる。

そのうえでやはり、こうした象徴の定義は本来、主権者一人ひとり、あるいはその代行者である国会が議論すべきもの、という指摘には、うなずかずにいられない。盛り上がる令和お祝いムードに、全く罪はないのだけど、ムードから「政治利用」への距離は、本当にほんの一歩だ。代替わりによる皇室のキャラクターの変化も、未知数、かつ不可避なのだろうから。(2019・5)

December 28, 2018

1964東京五輪聖火空輸作戦

今日びの殺伐とした状況を考えると、「たかが火一本」を運んでくることに大勢の人々が一喜一憂し、持ち込む側も特別な意図を持たず、迎える国々も諸手を挙げて大歓迎するという光景は、まことに驚くべきことに思える。

「1964東京五輪聖火空輸作戦」夫馬信一著(原書房)
2020年の東京五輪までいよいよ1年半。前の五輪を振り返る良書は数あれど、聖火の空輸のみに絞ったノンフィクションというのは異色ではないだろうか。物流関連の業界紙記者といった経歴をもつ著者ならではの、マニアな内容だ。実際、読んでみると、知らなかったエピソードがたくさん。なによりメールもネットも無い時代に、ギリシャを発って約20日間、12都市に立ち寄り、いちいち歓迎式典やリレーを実施しつつ極東へ至るという、国外リレーの構想自体がなんとも気宇壮大だ。
2008年北京オリンピックで、5大陸130日間のリレーが各地で抗議行動を引き起こし、IOCが主催国外でのリレーを禁じたということも、初めて知った。敗戦から20年もたたない国が、戦後一気に発達した航空という手段を駆使して、ユーラシアでのリレーを敢行した事実が、今振り返ってもいかに画期的だったか。
当事者はもう亡くなっているかたが多いから、著者は当時の新聞記事や社内報や議事録などを丹念に掘り起こし、わからないことはわからないと率直に綴っている。遺族の協力で、私物の写真やら晩餐会の招待状やら貴重な資料の写真もぎっしり。図版は330点以上、いやー、近頃の紙の本は重いです。
そうして描き出されるプロジェクトの過程は、まさに紆余曲折だ。50数年前の国際情勢や、日本が置かれた位置というものを思い知らされる。
1961年には日産自動車のバックアップで、陸路踏査という無茶なプロジェクトが敢行されたが、ソ連の受け入れ拒否だの、ガンジス川氾濫だの、反政府ゲリラだのに直面する。空路以外にない、との結論に至ってからも、機種選定などが難航。暗黙のうちに、日本航空界の復活を象徴する初の国産中型機YS-11への期待が高まり、開発の遅れでいったん国外での起用は消滅したものの、ぎりぎりラストスパートで国内リレーに滑り込む。まさにドラマです。
本番の「国外ゴール」「国内スタート」は、復帰10年前の沖縄。米国統治下でも日本体育協会に加盟していたんですね。その展開がまた、ハラハラドキドキと同時に、何か複雑な思いを抱かせる。米国との調整など苦労を重ねて準備したのに、直前の香港を台風が直撃し、沖縄でのリレー実施が危ぶまれる事態となるのだ。史上初のアジア、しかも敗戦国日本で開催する五輪がはらんでいた、現代史の重み。
五輪ではリレー空輸だけとっても、今では無名といっていい、大勢の関係者が奮闘した。空輸派遣団の中心人物が、過労から本番中に左目を失明するという衝撃の事実も。いくらでも大仰な感動物語にできそうだけど、著者はむしろ淡々と、しかし温かい目線で描いている。個性的なつわものたちと、地道な現場力。ありがちなBGMを鳴らさず、装飾を抑制したマニアっぽい筆致が好ましい。
五輪というイベントが内外の政治や紛争や、巨額のマネーが動くビジネスに彩られていることを、誰もが知っている。ただ感動してはいられない。それでも何故か、希望を感じさせる。不思議だなあ。航空技術監修は東大教授の鈴木真二。(2018・12)

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