July 31, 2016

インドで考えたこと

この土地で、この自然に対抗して、人間のあかしを立て、存在を証明するためにうちたてられた無類の思想が、極東の島に住む、われわれの祖先の人間のあかし、存在証明の手伝いをしてくれたのである。

「インドで考えたこと」堀田善衛著(岩波新書)

この夏のインドシリーズの仕上げとして、1957年第1刷発行、いわば古典的インド紀行を読んでみた。1918年生まれの作家が、「アジア作家会議」の事務局メンバーとして56年末から2カ月ほど滞在。その間の見聞や感じたことを綴っていく。

もちろんまだソ連が存在し、南北ベトナムの対立にも言及しているから、時代状況は今とずいぶん違っていて、読みながら奇妙な感じさえする。遅れた国々が独立し、発展を目指すうえで、共産主義に接近することに、強い希望が漂う。
とはいえ著者が現地の人々や、会議に集まってきた各国の作家たちとの交流を通じて、日本のよって立つところを探る真摯な言葉には、一定の普遍性がありそうだ。「デリーにいて、私は自分の視線がぐいぐいと伸びて行くのを感じた。」と著者は書く。

日本はアジアの一員、というのが大前提。といっても、ごくごく片隅の存在であることが、まず強烈に意識される。広大な中国があり、東南アジア、ソ連の一部だった中央アジアの国々があり、中東を経てトルコへ至る。そう思うと今さらながら、いかに文化、宗教の振り幅が大きいことか。現代の日本文化もいくばくかは、そんな悠久のアジア精神に根っこがあるはずだ。
一方で、日本が経験してきた明治維新から戦後に至る欧米文化の受容とか、経済発展とかは、いかにも非連続。アジアと一口に括るには、どこか異質だ。これは単に融通無碍の民族性というべきか、見えないふりをしているけれど、大きな矛盾というべきなのか?

すっきりした結論や主張というのではないけれど、様々な思考を引き出すのが、インドという国の魅力なのか。文化的、社会的混沌が、なにやら深く豊かなものに思えてくる。(2016・7)

February 11, 2016

流(りゅう)

人間ってのはけっきょく、そうやってだれかに守られたり、守ったりして生きていくもんさ

「流」東山彰良著(講談社)

2015年上半期の直木賞受賞作にして、話題の長編を読んだ。北方謙三が「20年に1度の傑作」と評したのもうなずける、スケールの大きい、そして切ない冒険ミステリーだ。傑作。

台北に住む葉秋生(イエ・チョウシェン)が17歳だった1975年、愛すべき祖父・尊麟(ヅゥンリン)が衝撃的に殺害される。成長した秋生はひとり謎を追い、ついには祖父のルーツ中国山東省へ足を踏み入れていく。
「祖父にとって、あの戦争はまだ終わっていなかったのだ。だからこそ後生大事にあのモーゼルを磨きつづけていた。(略)大陸を出たときに止まってしまった祖父の時計は、大陸にガツンと一発お見舞いしてやらないかぎり、ずっと止まったままだったのだ」。賊徒集団と抗日戦争、凄惨な国共内戦、台湾への逃走と本省人との軋轢、言論統制。すぐ近くにあるのに、よくわかっていないアジアの現代史が、骨太に全編を貫く。

そんな歴史を踏まえた謎解きと並行して、台湾版「パッチギ!」と呼びたいような葉秋生のやんちゃな青春が語られ、疾走感いっぱいで、実に魅力的だ。
1960年代から80年代にかけての成長と混沌。悪ガキたちの友情や笑っちゃうほど無鉄砲な喧嘩沙汰、そして幼馴染で気が強い毛毛(マオマオ)との淡い恋がきらきらと眩しい。
まるで少年ジャンプ路線のはちゃめちゃを楽しむうちに、一族を貫く任侠スピリッツが胸に染みてくる。「人には成長しなければならない部分と、どうしたって成長できない部分と、成長してはいけない部分があると思う。その混合の比率が人格であり、うちの家族に関して言えば、最後の部分を尊ぶ血が流れているようなのだ」。アイデンティティの不安があるからこそ、圧倒的熱量が説得力を持つ。

印象的なフレーズがたくさんある。若い恋人同士の「わたしと毛毛を包んでいた透明でふわふわの膜がパチンとはじけ、喧騒がどっと流れこんでくる。わたしたちは火傷したみたいに、おたがいの手をふり払った」。危険を冒して中国に渡った際の「わたしは理解しはじめていた。この国は、大きいものはとてつもなく大きく、小さいものはあきれるくらい卑小なのだと」。隣国から観た日本の変遷も興味深い。(2016・2)

January 17, 2015

絶叫

「自分ら、捨てられてんねん。表から見えんようにされ、いないことにされとる、見えざる棄民やねん」

「絶叫」葉真中顕著(光文社)

住宅街の単身者用マンションで、女性の遺体が見つかる。刑事・奥貫綾乃は孤独死した鈴木陽子の人生をたどるうち、驚くべき事実に行きあたる。日本ミステリー文学大賞新人賞作家の受賞後第1作を電子書籍で。

家族離散、ワーキングプアとブラック企業、そして生活保護ビジネス。1973年生まれ、団塊ジュニア世代の平凡な女がどう転落していったのか。社会のひずみを容赦ない筆致で描いていて、迫力がある。
一つひとつは3面記事でよく目にする様相の事件だけれど、罠に落ち込む人には落ち込むなりの経緯があって、たいていの悲惨な事件は、被害者、加害者の境遇が絶望的につながりあっている。特にネット右翼の心理あたりが強烈だ。鈴木陽子の人生の折々に差し挟まれる当時のニュースや流行歌が、リアルさを引き立てる。

と、そんな社会派の側面に気を取られていたら、終盤、ミステリー要素に一気に足をすくわれる。鈴木陽子の人生をたどるうち、共鳴していく奥貫の語り手としての存在が、実に巧妙な仕掛けになっていて、見事だ。
すぐ隣にいるかもしれない人物が抱える、深い闇と哀しい覚悟。正邪が混沌とする社会観と、「6本指の男」など鮮やかに映像が浮かぶエンタメ性とのブレンドは、ちょっと桐野夏生を思わせる。(2015・1)

January 13, 2015

マスカレード・ホテル

「私たちはお客様の幸福を祈っています。でも自分たちが無力であることもわかっています。だからこそ、御出発のお客様には、こう声をおかけするのです。お気をつけて行ってらっしゃいませ、と」

「マスカレード・ホテル」東野圭吾著(集英社文庫)

2011年に単行本が出版された新シリーズの1作目。都内で謎に包まれた連続殺人が勃発。次の犯行現場とわかったのは、一流ホテルのコルテシア東京だった。事件を食い止めるため、新田浩介は刑事らしからぬ、すらっとした外見と英語力をかわれてホテルマンに扮し、現場に潜入する。偽装工作の指導役となったのは、責任感の強い優秀なフロントクラーク、山岸尚美だった。

ホテルが舞台だけど、単なるオムニバスのグランドホテル形式ではない。次々に訪れるいわくありげな客たちの様々なアクシデントと人間模様が、メーンの事件の謎解きに繋がっていく緻密な展開だ。相変わらずのリーダビリティの高さで、短い旅行の間に一気読み。

ミステリーというだけでなく、職場の舞台裏を覗き見るお仕事小説の色彩もある。高級バーやパーティー会場など、ホテルは華やかで大人っぽい場所だけれど、スタッフには利用客のどんな我儘も受け止めるといった、苦労も多い。ホテルでは客は仮面をつけている。彼らの事情を受け止めつつ、どうさばくか。
当初は山岸が説く「サービスの本質」に反発する新田も、徐々にその真意を理解していく。価値観の違う若い主役2人が、仕事を通して互いのプライドを認め合う展開は爽やかだ。

映像化も楽しみ。山岸役は水川あさみ、とかかなあ。(2015・1)

November 28, 2014

「HHhH プラハ、1942年」

この場面も、その前の場面も、いかにもそれらしいが、まったくのフィクションだ。ずっと前に死んでしまって、もう自己弁護もできない人を操り人形のように動かすことほど破廉恥なことがあるだろうか!

「HHhH プラハ、1942年」ローラン・ビネ著(東京創元社)

個人的にチェコ、ドイツを旅した2014年の締めくくりに、本屋大賞翻訳部門の1位を周回遅れで読んだ。歴史小説を書くということ、それ自体を小説にした異色作だ。

描くのは、ナチ高官でチェコ総督代理だったハイドリヒの暗殺事件。暗号のようなHが並ぶタイトルは、「ヒムラーの頭脳はハイドリヒと呼ばれる」の略だ。
「第三帝国で最も危険な男」「金髪の野獣」と呼ばれた人物が、いかにしてできあがったか、チェコ亡命政府のパラシュート部隊員たちは、どのようにこの男の暗殺計画を実行したか。そして市井の支援者たちが、どれほど悲惨な目にあったか。
1972年パリ生まれの著者は、兵役でスロヴァキアに赴任した経験を持つ。チェコの人々や文化へのシンパシーを胸に、現場に足を運んだり史料をコピーしたりして、丹念に史実を掘り起こしていく。

面白いのは歴史の再構成のあいま、ところどころ著者本人が登場して、饒舌に語り出しちゃうこと。恋人に原稿を読ませて欠点を指摘され、大反省したり、登場する車の色といったディテールの真偽にこだわって、イライラしたり。
読者は一緒に事件をたどっていくうちに、著者と一体化する。やがて襲撃が決行されたプラハの曲がり角に連れていかれて、誰もが歴史の「目撃者」となるのだ。終盤、決行シーンの緊迫感が、なんと圧倒的なことか。

380ページの大部が全く苦にならず、力技と評されるのがよくわかる。ゴンクール賞最優秀新人賞受賞作。高橋啓訳。(2014・11)

November 20, 2014

この世で一番おもしろいミクロ経済学

21世紀に入っても、ミクロ経済学の大問題は未だに大問題のままだ。個人にとっての最適化の結果が、集団全体にとってもよい結果になるのはどんな場合?

「この世で一番おもしろいミクロ経済学」ヨラム・バウマン著、グレディ・クライン・イラスト(ダイヤモンド社)

「経済学コメディアン」を自認するワシントン大講師による一般向け解説書。全編いかにもアメリカっぽい漫画なので、お洒落で読みやすい。とはいえ決しておちゃらけではなく、経済学教科書の大定番、マンキューの「10大原理」をカバーしているそうです。
需要・供給曲線から始めるのではなく、意思決定から入って、ゲーム理論の解説をたっぷり、という展開が今っぽい。市場の意味、「多人数の相互作用の総和」というポイントがすっと頭に入る感じだ。お馴染み山形浩生訳。(2014・11)

July 17, 2014

歴史の見方が分かる世界史入門

ウィーン体制の崩壊によって、自由主義とナショナリズムを妨げるものはなくなりました。ヨーロッパ大陸はその実現に向かいます。中でも、新たな国家として自立したのがイタリアとドイツでした。

「歴史の見方がわかる世界史入門」福村国春著(ベレ出版)

大学受験塾で世界史を教える著者が、ルネサンス以降の世界秩序の変遷を平易に紐解く。副題は「いまにつながるヨーロッパ近現代史」。初ドイツ観光のベースとして読んでみた。
ところどころコラム的に「歴史の見方」をはさんで、主要国の国民性や、独裁を生む条件とかを、ざっくり解説。著者がいうように、ヨーロッパは戦争の歴史だということ、人類自体がそうだということがよくわかる。そして性懲りもなく、様々な平和の方策を発明し希求する。それもまた人間なのだろう。(2014・7)

May 14, 2014

「機械との競争」

CEOの報酬と平均的社員の報酬を比べると、一九九〇年は七〇倍だったのが、二〇〇五年には三〇〇倍に跳ね上がっている。エリックはヒーキュン・キムと行った調査で、この飛躍的な伸びはITの浸透と時を同じくしている、と指摘した。

「機械との競争」エリック・ブリニョルフソン、アンドリュー・マカフィー著(日経BP社)

技術進歩が雇用を奪う衝撃の現状と、それを認識したうえで将来を切り開く道筋について、MITスローン・スクールの経済学教授と、デジタル・ビジネス・センター主任リサーチサイエンティストが分析した。電子書籍で。

著者は数多くの先行研究をたどり、スキルの高い労働者と低い者の賃金格差が広がっていることや、スーパースターが富を独占する傾向、その背景にテクノロジーがあることなどを明らかにしていく。イエレンFRB議長の「雇用の質」議論にも通じる。
では人間は機械に隷属するのかというと、そうでもない。一九九七年にチェスの名手がIBMのコンピューター「ディープブルー」に敗れたことは、世界に衝撃をもたらしたが、現在世界最強のプレーヤーはコンピューターではなく、コンピューターを使った人間のチーム。競争に勝つ鍵はマシンを味方につけることだ、との主張だ。

そのために何が必要か。例えば教育。アメリカの教育は停滞し、中間的な労働者は最新技術についていけていない。だからこそ改善の余地があると、あくまで前向きなのがアメリカらしいところ。確かに無償公開の講義ビデオを活用して、お仕着せのカリキュラムは生徒が自宅でこなし、学校では教師と相談しながら「宿題」をする、という逆転の発想は面白い。
さらに知恵の共有。パンは食べ終わったらそれで終わり、でも本なら読み終わって友達に貸すことができる。むしろ読み終わった者同士で話し合えるから、価値が高まる。情報がIT化されれば共有も簡単。仕事を奪うのがデジタルなら、その克服を助けるのもまたデジタルなのだ。村井章子訳。解説は小峰隆夫法政大教授。(2014・5)

December 08, 2013

祈りの幕が下りる時

 何かが靖代の頭に引っ掛かった。田島百合子が印象的な地名を口にしていたような気がする。やがて、その文字が浮かんできた。
「そうだ、日本橋……」

「祈りの幕が下りる時」東野圭吾著(講談社)

2013年ミステリーを代表する1作を、駆け込みで読んだ。感動必至の刑事加賀恭一郎シリーズ。10作目にしてついに、加賀はかつて自分をおいて失踪した母親の思いに迫ることになる。
いつもながら、ページを繰る手を止めさせない筆力はさすがだ。東野さんの名作「白夜行」を彷彿とさせる、哀しも壮絶な女の人生。380ページの長編だけど、大仰な表現は一切なく、丁寧な散文の積み重ねから、鮮やかにドラマが立ち上がる。

発端は小菅のアパートの一室で、40前後の女性が遺体で発見されたこと。さらに近くの新小岩の河川敷で、ひとりのホームレスが亡くなる。2つの事件の捜査線上に、ちょうど明治座で上演していた芝居の演出家、浅居博美が浮かぶ。博美は加賀の知り合いでもあった。博美の過去に、どんな秘密が潜んでいるのか、それは果たして加賀の過去とつながるのだろうか?

捜査のプロセスには、これまで博美とかかわった人物を中心に、数多くの証言者が登場する。多種多様な人生が交錯するので、筋運びはけっこう複雑だ。その過程で巧妙に読者をミスリードしておいて、大詰めで明かされる真相が衝撃となる。実に緻密なプロットです。
淡々とした筆致だけれど、道具立てには工夫が多い。たとえば謎解きのカギとして、加賀の本拠地・日本橋を中心とする橋めぐりのエピソードが出てくるのだけど、これがなんともいい江戸情緒だ。一方で、流浪の身である原発労働者の境遇に触れていて、鋭い社会性もはらむ。

登場人物のなかでとりわけ印象的なのは3人の女、博美、加賀の母、加賀の従兄・松宮脩平の母だろう。いずれも辛い思いを抱えながら、覚悟をきめて潔く生きる、名も無き女性だ。切ないなあ。
全体に重いトーンの物語のなかで、爽やかな存在感を放つ女性もいる。かつて加賀の父の看護にあたった金森登紀子だ。宿命の女性たちと、うまい対比になっている。加賀父子の真情をよく理解している役回りでもあり、これからのシリーズでも気になる人物になりそう。
肝心の加賀は、粘り強く真実を追い、鋭敏に人の心を感じとるという魅力的な造形が、一段とくっきりした印象だ。今作で日本橋周辺での活躍は一区切りとなる。松宮も着実に成長をみせた。この2人は阿部寛と溝端淳平のイメージがぴったりだなあ。映像化が楽しみかも。(2013・12)

November 20, 2013

終わりの感覚

私たちは実に軽薄な思いこみによって生きている。たとえば、記憶とは出来事と時間の合計だ、とか。だが、何であれ、そんな簡単なことですむわけがない。

「終わりの感覚」ジュリアン・バーンズ著(新潮クレスト・ブックス)

2011年、4度目の候補でブッカー賞を得た中編小説。引退した主人公トニーのもとへ、思いがけない報せが届き、数十年ぶりに忘れていた記憶の蓋が開く。

トニーはロンドン郊外でひとり暮らしの初老の男。離婚した妻、娘と穏やかな交流を保ち、ボランティアなどをして日々を過ごしている。このまま静かに、平凡な人生が暮れていくはずだった。それなのに1通の手紙から、自らが遠い昔、親しい人に投げつけてしまった心ない言葉や、長きにわたって理解していなかった重大な事情に直面するはめになる。
時計は決して巻き戻せない。もう先が見えている、そんなタイミングで、押し寄せる鋭い悔恨。なかなか残酷な物語だ。

大学時代の恋人ベロニカはトニーと別れた後、よりによってトニーの親友エイドリアンと付き合い始め、トニーは少なからず傷ついた。しかし頭脳明晰、前途有望のはずのエイドリアンは、若くして自ら命を絶ってしまう。それからほぼ四十年。亡くなったベロニカの母親が、トニーにエイドリアンの日記を遺したという。母親はなぜその日記を持っていて、しかもトニーに託したのか。ベロニカはなぜ日記の引き渡しを拒むのか。そもそもエイドリアンの死の真相は…。

全編トニーの独白。気恥ずかしい青春の思い出や、歴史を巡る考察などでユーモラスに彩りつつ、主観的な語りによって巧妙に記憶のズレを仕掛けていく。そして待ちかまえるどんでん返し。精緻だけれど、その巧さよりも、人生の苦さが胸に残る。土屋政雄訳。(2013・11)

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