May 25, 2025

名画を見る眼

フィチーノやアグリッパの著作は、今ではかぎられた専門家以外はほとんど読まなくなってしまったが、デューラーの版画は今でもなお強く人を魅惑する力を持っている。

「名画を見る眼Ⅰ」「名画を見る眼Ⅱ」高階秀爾著(岩波新書)

国立西洋美術館長や大原美術館長などを歴任した著者が、1969年、71年に岩波新書青版の1冊として発行、累計90万部超の大定番となった西洋美術入門書。2023年にカラー化した新版で、油彩が誕生した15世紀のファン・アイクから20世紀のモンドリアンまで、29点を解説している。いろんな美術展に足を運んできて、実際に観たことがある絵もけっこうあり、時系列に読むと改めて、それぞれの美術史のなかの位置づけがよくわかる。

名画は、なぜ名画なのか。ベラスケス「宮廷の侍女たち」の王女を核とする構図の妙、印象派を200年も先取りしたフェルメール「絵画芸術」の静謐な光、ルネサンス以来の写実を超えて二次元表現へと踏みだし、浮世絵の影響を感じさせるマネ「オランピア」。そしてお馴染みのモネ、ゴッホ、ゴーギャンからルソー、マティス、ピカソへ。技巧のポイントとともに、その技巧に至る時代背景、画家個人の足跡も紹介していて、情報量が豊富だ。

古い書物を読んで、文化や思想を知るのは骨が折れる。それに比べると、絵画は一目観た者に、実に多くを語りかける。芸術家が私たちを取り巻く世界、そして人間存在そのものをどうとらえてきたのか。オランダ出身のモンドリアンは、70歳を目前にして二次大戦の戦火を逃れ、ニューヨークに移った。巻末の1作「ブロードウェイ・ブギウギ」からは、画家が魅せられた摩天楼そびえる都市がもつ勢いとともに、軽快なジャズのリズムが響いてくる。抽象画は音楽になったのだ。(2025/5)

January 09, 2025

戦争と外交の世界史

マリア・テレジアの画期的な外交戦術を冷静に分析し、自国の利益が新大陸で拡大することのみを目的として、七年戦争に参加したグレートブリテンの、国際情勢と自国の利益との関係を見極める賢明さを記憶に留めたいと思います。

「戦争と外交の世界史」出口治明著(日経ビジネス人文庫)

人類の脳は1万2000年前のドメティケーション、すなわち定住して農業・牧畜・冶金を始めた頃から進化していない。それからずっと人間は誰かが誰かをポカリと殴り、相手は殴り返す、を繰り返してきたし、これからも繰り返すーー。博覧強記の著者が450ページ近くにわたり、古代エジプトから二次大戦まで古今東西の様々な条約、そこに至る同盟と戦争の構図を読み解く。繰り返される愚かさは、今こそ、多くの人が知るべき歴史だ。

例えば18世紀。オーストリア・ハプスブルク家のマリア・テレジアはプロイセンから領土を奪還するため、ルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人を通じて犬猿の仲だったフランスと結び、全ヨーロッパをあっと言わせた。マリー・アントワネットの結婚という華やかさもあいまって外交革命と呼ばれ、さらにロシアの女帝エリザヴェータとも組む。「敵の敵は味方」という普遍の真理がここにある。
しかしエリザヴェータ急死などもあり、思うような成果は上がらず、実は一連の経緯で最も得をしたのはグレート・ブリテンだった。マリア・テレジアを側面支援すると称して、新大陸やインドでフランスと闘い、広大な植民地を手にしちゃう。魑魅魍魎を生き抜く大英帝国のしたたかさ。著者の歴史を見る目はあくまで冷徹だ。

現代のアメリカという国のかたちが、せいぜい19世紀にナポレオンからの買収や対メキシコ戦の勝利でできあがったという史実は、トランプの時代に改めて、心すべきことかもしれない。その後の南北戦争は、軽工業育成のため関税による保護貿易をとりたい北部と、豊かな農産物を輸出したい自由貿易派の南部という経済政策の戦いだった。奴隷解放宣言などは世界に向けて、北部は人道的だと正当性をアピールするマニューバ(作戦行動)の一部と見るべき… このあたり、リアリストたる著者の面目躍如だろう。

そんな著者が評価するのは、情勢を分析して敵味方と渡り合う外交力、そして争いの中にあっても高次元の体制を描く構想力。前者でいえば、例えばアヘン禍と銀流出に直面し、大英帝国に理路整然と抗議した清朝の林則徐。あるいはナポレオンがヨーロッパ中をさんざん荒らし回ったのに、ウィーン会議に乗り込んで「正当主義」の理念を主張、平たく言えばすべてをフランス革命のせいにして領土も失わず賠償金も払わず、国益を守りきった外相タレーラン。
後者では、宋が兄となりキタイが弟となるODA型「澶淵(せんえん)の盟」で300年の平和を築いた宰相・寇準(こうじゅん)。はたまた二次大戦中に国連、IMF世銀を準備したフランクリン・ルーズベルト。余談ながら、こうした外交の英雄たちが、毀誉褒貶あったり、晩年必ずしも幸せに見えなかったり、どうも憧れの存在にみえないのは皮肉であり、だからこそ深い人間ドラマでもある。

よく語られることだけれど、伊藤博文が卓越した外交センスを発揮して日露戦争を停戦に持ち込んだのに、戦力・戦費が底をついた実情やアメリカの貢献をきちんと開示しなかったために、国民に誤った自信や嫌米感情を生んでしまったという記述は、その後、二次大戦までの多大な犠牲を考えれば、苦すぎる教訓だ。国家の岐路にあって、国民の間にいかに大局観を醸成するか、そもそも、国民の賢さとはいったい何なのか。メディアの責任と困難を思わずにいられない。

詰め込まれた数々のエピソードは、文学やオペラの名作に多々、インスピレーションを与えてきたもの。総司令官ヴァレンシュタインに嫉妬するフェルナンド二世を、義経・頼朝関係に例えるなど、散りばめられた教養もお楽しみ。
2018年出版で、2022年の文庫化にあたり「はじめに」でロシアのウクライナ侵攻にも触れている。著者は2021年に脳出血で倒れたものの、不屈の姿勢でリハビリに取り組み、2023年にAPU学長を退任した後も活発に執筆を続けている。時代はますます不穏。明晰かつ明朗な精神で知恵を授けてほしいと願う。(2025・1)

December 29, 2024

一千字のまがな隙がな

着る物をすべて売り尽くし、夏、赤い水着だけで生活した。そこに突然の来客である。仕方なく、その恰好で応対した。むきだしの膝小僧にタオルをかけ、縁側で挨拶、客は出版社の編集者であった。『放浪記』の出版が決まったのである。芙美子は客が帰ったあと、水着姿で座敷中を飛びまわった。

「一千字のまがな隙がな」出久根達郎著

名手の文学案内シリーズで、2015~16年分をまとめた最終巻。8年に及ぶ連載で内外398人の作家をとりあげ、別の雑誌に掲載した2人を併載して計400人としている。個性豊かな作家たちの横顔を、短い文章で伝える筆が冴え渡る。

24歳の樋口一葉は傑作『たけくらべ』が大御所の森鴎外と幸田露伴に激賞され、同人仲間たちが狂喜しても、自分が若い女性だから世間が注目するのだろう、と冷静だった。貧乏のイメージが強い林芙美子は、『放浪記』がベストセラーになったあと、単身渡欧して1年あまりを過ごし、帰途、魯迅に会っている。なんだか痛快だ。
一方で「銭形平次」の野村胡堂は石川啄木の中学時代の先輩だが、よほどの確執があったとみえ、後年は交際が絶えてしまう。70代になってから故郷の歌碑の前に同じような学友が集って、「絶交解消式」を挙げた。啄木の性格の難しさからいろいろあったけれども、とどのつまり憎めない男だったと。

シリーズおなじみ、作家同士の響き合いのエピソードは、ときに海を渡る。例えば漱石の門弟、エリセーエフ。ロシア人留学生で帰国後、革命で投獄され、獄屋で大好きな漱石を読んで気を紛らした。国外脱出し、昭和になって米ハーバード大の東洋語学を教え、教え子のひとりがのちの駐日大使ライシャワーだという。
また、岩波文庫で魯迅選集を編む際、作家がこれだけは収録してほしいと要望したのは、仙台留学の思い出を綴った短編で、恩師に再会したかったから。しかし恩師がそのことを知ったのは、魯迅が56歳で亡くなった直後だった。その魯迅が足繁く通い、国民党政権から逮捕状が出たとき匿われたのは、元製薬メーカーの駐在員・内山完造が上海に開いた本屋だった。かと思えば、徳冨蘆花はトルストイに心酔し、片言の英語を頼りにはるばる田舎家まで訪ねていき、ともに川で泳ぐほど親しくなったという。強烈な自意識の共鳴。
ハイジ、フランダースの犬、小公子… 誰もが書名を知っているけれど作家名となると?という名作の数々と、それを日本に広めた訳者の逸話の数々も面白い。

ラストで五味康祐が描く時代小説のヒーロー像について、ダイナミックで淡泊な色気があって、と綴り、「私は作品より、作者その人に心酔しているのかも知れない」と締めている。これぞ読書の醍醐味というものか。(2024.12)

October 17, 2024

イラク水滸伝

仁義に篤すぎて、新に知り合った人は、必ず「その前に昼飯をご馳走しよう」となるし、招かれれば半日が過ぎてしまうのが難点である。

「イラク水滸伝」高野秀行著(文藝春秋)

2014年「謎の独立国家ソマリランド」が面白かったノンフィクション作家の、またも強烈な冒険談。とにかくアフリカだのミャンマーだの、普通の人は行かないところへ行き、しないことをする人で、今度は南イラクの湿地帯アフワールだ。中東というと砂漠のイメージで、湿地とは意外だったけれど、考えてみればティグリス=ユーフラテス文明の故郷だものなあ。
一帯は迷路のように入り組んだ水路を小舟で移動するしかなく、昔から戦争に負けた者や迫害されたマイノリティ、山賊や犯罪者が逃げ込む場所だった。はみ出し者の梁山泊、いわば元祖・水滸伝。まだISと政府軍の攻防が熾烈を極める2017年、著者は「これほど魅力的でありつつ、これほど行きにくい世界遺産は他にない」と確信。「舟でアフワールを旅するぞ!」と決意しちゃう。いやはや。

当然、困難とハプニングの連続だ。そして困れば困るほど愉快そうなオフビートぶりが、この著者の魅力。湿地帯の案内人にコンタクトをとろうとするが、誰もがまず食事をおごろうとする土地柄。「会食湿地」にはまって、なかなか目的にたどり着けない。舟作りを発注したら、現地の船大工の板材の切り方がアバウト過ぎて、見ていて背筋がむずむずするけれど、できあがりはなんら問題無し。これはシュメール文明から「5000年来の雑さ」なのだ、と納得する。
個性的でオフビートな人物が続々登場。その勝手なあだ名がまた愉快だ。ずばり水滸伝のジャーシム宋江、アヤド呉用、風貌が思い浮かぶアリー松方弘樹少佐や白熊マーヘル…

決して無茶に行動しているわけではない。様々な文献、調査への言及もふんだん。水牛と浮島のライフスタイルは、紀元前2300年ごろのアッカド王朝まで遡れそうだと、悠久の歴史を語ったかと思えば、水量データを示しつつ戦乱や開発による湿地の危機を嘆く。アガサ・クリスティがコレクションしていたという工芸品、マーシュアラブ布の起源を探求し、ユダヤ人との接点に驚いたりもする。
もちろん戦争、武器・麻薬の密輸、宗教差別といった厳しい現実も。小学生のとき子供百人以上がバスでイラン・イラク戦争の前線に連れて行かれ、「子供は強くならなきゃいけないから、戦争を見て覚えなさい」と言われた。東京での事前調査で知り合ったイラク人の、そんな証言は衝撃だ。

情報は時にとりとめないけれど、生半可に整理しすぎない。「ゲッサ・ブ・ゲッサ(取り替えっこ)」結婚とか、にわかに理解できない慣習はどうしたって理解できない。それがノンフィクションの醍醐味かも。なんたって水滸伝、一筋縄ではいきません。
そうして情熱と体験、自分なりの考察を重ねて、湿地民は反米、反イランながら戦う人ではなく、文明や国家を他人事として突き放している、と思い至る。終盤で著者が見上げる、ギラギラと空自体が落ちてきそうな「すさまじい星空」が心に残る。
2019年、2023年「オール讀物」掲載を加筆・修正。(2024.10)

September 30, 2024

献灯使

脳味噌から脳味噌に目に見えない信号が飛び、それが無意識のうちに特定の人々によって同意され、同意した者の口座には自動的に儲けが振り込まれるという新しい世界経済の仕組みがとっくに成立している。今のところ生物学者も経済学者もこの新しい汚職メカニズムの存在をうまく実証することができないが、なんとなくそういうことではないかと感じている人間は特に詩人たちの中にはたくさんいる。

「献灯使」多和田葉子著(講談社)

ノーベル文学賞の季節になるといつも名前があがる作家の代表作のひとつを、初めて読む。うねりつつ、どんどん走る文体。淡々と軽快に描かれるディストピアの不気味さに、シュルリアリズムの絵画を観るようで今ひとつ入り込めないまま、読み進んだ。どこかつながりがある中短編5作で構成。

表題作に登場する小説家の義郎は、100歳を超えていっこうに死なない。一方で、面倒を見ている曾孫の無名は、美しいけどひどく虚弱だ。食べることも歩くことも満足にできない。殺伐とした「仮設住宅」暮らしで、ネットも車もない。
都心は住むと健康に害がある地域となっていて、ゴーストタウン化。世界の多くの国は鎖国し、民営化された日本政府は機能しているのかしていないのか。すべてが宙づりで曖昧で、ゆっくりと静かに崩壊している。
こ難しい説明はないけれど、どうやら背景に巨大地震と深刻な原発事故があるようで、不自由な鎖国の様子は、今読めばコロナ禍も連想される。突飛なディストピアも他人事ではなく、細部が妙に身にしみて、背筋が寒くなる。

視点はあくまで普通の個人。大変な災厄のなかにあって、何が原因でどこへ向かっているのか、しかとはわからない。わからないながらも、生きていくしかなく、いっそ清明でみずみずしくさえある。外来語が禁じられてジョギングを「駆け落ち」と呼ぶとか、そこここに脱力するようなユーモアが漂うのも凄い。秘密結社から密航する子供に選ばれた無名の運命が気になるけど…

2014年に単行本出版、2018年に英訳版出版。2018年全米図書賞翻訳部門受賞。(2024/9)

 

September 25, 2024

一千字のあとや先

 百閒の第一創作集にはページが無かった。読者が途中でやめて、あとで読む時、前の続きから読んでほしくない、という理由からだった。
 芸術院会員に選ばれた際、断った。「イヤナモノハ イヤ」だから、と。

「一千字のあとや先」出久根達郎著

古今東西の作家を紹介した連載の私家版第二集、2019年から2年分を収録。古代ギリシャのアリストパネースやら、近松やら、戦後の庄野潤三やら、相変わらずの縦横無尽だ。

名作の紹介はもちろん、作家をめぐるエピソードの情報量が圧巻。なかでも作家同士のつながりが楽しい。「雪」の詩人、三好達治が余命いくばくもない梶井基次郎の作品集を出すべく奔走した。長塚節が「土」を東京朝日新聞に連載したのは、夏目漱石の推薦だった。北條民雄の原稿を「文学界」に推薦したのは川端康成だった。かと思えば、ヨーロッパ留学から帰国した直後、27歳の森鴎外がハイネの詩集を訳し(「於母影」)、その巻頭詩の原作はイギリスのバイロンで…。豊かな文学の響き合い。

読書の喜びに触れたくだりがまた、著者を彷彿とさせて印象的だ。風俗小説の元祖、のち文藝春秋社を興し、芥川賞・直木賞を創設する菊池寛は、高松の中学時代、図書館に毎日通って二万冊読み、上京した翌日に上野図書館に行って「そこに在る小説という小説は、大抵読んだ」とか。凄すぎ。(2024/9)

May 22, 2024

一千字の表うら

唯一の自慢は、すべて自分が目を通した作品のみを使ったことである。『チボー家の人々』も『大菩薩峠』も、何ヶ月もかかって読了した上で用いた。

「一千字の表うら」出久根達郎著

博覧強記の著者による「読んでためになる」文学案内。ただの粗筋ではなく、作中の印象的なシーンから著者の来歴まで、ぎゅっと一千字に詰め込んだのだから、面白くないわけがない。公明新聞での足かけ8年にわたった連載をまとめた、貴重な私家版の1冊。

李白やバルザック、井上靖…にまじって、聞いたこともない作家、作品も次々登場する。13世紀ペルシア文学を代表するサアディーの詩集なんて、どこから見つけてくるのか。
驚いたのは、あの楽劇王ワーグナーの小説「ベートーヴェンまいり」。熱烈なベートーヴェンファンによる架空の会見記だとか。知らなかったなあ。まあ、あの長大なオペラ台本をほとんど、ひとりで書いたのだから、言われてみれば小説があっても頷ける。次項ではその「ベートーヴェンまいり」を含む小説集の翻訳者、高木卓が1940年になんと芥川賞を辞退しちゃった、前代未聞の事件を紹介。
黙阿弥の項では、死後に「弁天小僧」が無断上演され、娘が訴えて大審院(最高裁)まで争った歴史的著作権裁判を取り上げ、坪内逍遙が弁護した縁で長女に婿養子を世話したとき、永井荷風も候補のひとりだった、とか、もうそれだけで小説になる楽しいエピソードが満載だ。

ジョイスの項によると、著者は古書店員だった10代の頃、世界文学事典収録の作家を片っ端から1作ずつ読むという「野望」を抱き、短編、特に自伝的なものを選んで毎日、何年か続けたという。サラッと書いているけれど、凄い蓄積。この名エッセイストが清少納言の項を、「これぞ随筆。」と結んでいるのがまた、感慨深い。(2024/5)

December 10, 2023

第三のチンパンジー

ヒトを人間にした鍵となるほんのわずかな中身とは何だったのでしょうか?

「第三のチンパンジー 上下」ジャレド・ダイヤモンド著(日経ビジネス人文庫)

1998年ピューリッツァー賞の「銃・病原菌・鉄」が話題だった、UCLAの進化生物学・生物地理学者の初期の著作を読んでみた。遺伝子ではチンパンジーと1.6%しか違わない人間が、言語によってユニークさを獲得していく過程をたどる。
読んでいくと人間、なかでも地球上を席巻した欧州人が、決して特別に優秀な存在ではなく、素晴らしい技術も芸術も、逆に救いがたいジェノサイドも環境破壊も、すべては猿から地続きのものだと思えてくる。分野をまたぐ論考なので正直、どうも展開が大雑把な印象はぬぐえないんだけど、たまたま居住地域に機動力があって飼いやすい動物=馬がいた民族が、戦争する能力と躍進を手に入れた、という解説は面白かった。

後半は当初の問いよりも、自らの存在を脅かすジェノサイドと環境破壊に警鐘を鳴らすことに力点がおかれている感じ。問題の所在ややるべきことは明らかで、実際動き出してもいるのだから、皆が理解すれば破滅は止められると、結論もちょっと大雑把に明るい。
行動生態学の長谷川真理子、寿一夫妻の訳で1993年出版、その後の研究の進展を訳注に追加して、2023年に文庫化。原著ペーパーバック版の補遺も収録した完全版とのことです。(2023/12)

October 14, 2023

言語が違えば、世界も違って見えるわけ

フランス語はロマンス諸語のひとつであるだけでなく、現実のロマンスにもぴったりの言語だ。英語は順応性があるのを通り越して、来るもの拒まずでなんでも受け入れてしまう。そして、イタリア語は…そう、イタリア語は…
 この手の単純明快な考察は、ディナーの席の会話に彩りを添えることが多い。言語とその話し手のさまざまな特徴というのは、あれこれつつき回すのに格好の話題だからである。しかし、この高尚なテーマが和気あいあいとしたディナーの場を離れ、冷え冷えとした書斎に持ち込まれると、冷めたらしぼむスフレよろしくあっというまに潰れてしまうーーよくいって面白いが無意味、悪くすると頑迷な珍説に過ぎないからである。

「言語が違えば、世界も違って見えるわけ」ガイ・ドイッチャー著(ハヤカワノンフィクション文庫)

母語に固有の特徴は、意外な形で、話し手の外界を知覚するやり方に影響を及ぼす。そんな最新の研究を、1969年生まれ、イスラエル出身の言語学者が一般向けに解説した。「フランス語のエスプリは英語には無い、フランス人は英国人よりエスプリに富んでいるのは当然」といったお洒落な言説をきっぱりと否定。言語と認知の関係をあくまで学問的に解き明かしていて、地味なんだけれど真摯な論理展開に好感をもてる。

とりあげるのは例えば、古代ギリシャ、ホメロスの色彩表現。海も牛も「葡萄酒色」ってどういうこと? 世界がモノクロに見えていたのか? あるいはドイツ語の名詞で、象はオスもメスも男性、キリンは女性って?
最もユニークなのはオーストラリア先住民のグーグ・イミディル語における位置関係の表現だ。自分を中心とせず、東西南北の絶対座標軸を使うという。「私の右側」ではなく「私の西側」というふうに。なんて刺激的。

経済の結びつきやネットの普及で「社会」のサイズが大きくなると、言語は誰にでも理解しやすいように特徴を失い、どんどん単純になっていくらしい。合理的だけれど、それって寂しく感じられる。巻末に膨大な原註、参考文献付き。椋田直子訳。(2023/10)

May 06, 2023

官邸官僚が本音で語る権力の使い方

経済再生担当大臣だった甘利明さんは、内閣官房の幹部が何人かで出向いたときに、「俺は役人を使いまくる」と言いました。「おまえらを徹底的に使うぞ」と言われて、役人はその言葉に奮い立ったんです。

「官邸官僚が本音で語る権力の使い方」兼原信克、佐々木豊成、蘇我豪、髙見澤將林著(新潮選書)

お馴染み兼原氏の座談会シリーズをさらっと。今回は「官邸一強」と言われた第二次安倍政権で、内閣官房副長官補を務めた財務省、外務省、防衛省の3人と、朝日新聞の政治記者が、官僚が強い総理にどう仕え、どう政策目的を達成するか、を語りあう。2023年3月発刊だけど、座談会を開いたのは2022年7月6日、元総理襲撃の2日前とのこと。
素材は安倍政権に限らず、実際に語り手たちが関わったり、先輩から見聞したりした意思決定のシーンで、危機管理、予算編成、通商交渉など多岐にわたる。官僚は職位の高低ではなく、最高権力者=総理との「距離」がパワーであり、パワーの衝突が仕事を滞らせたりする、といった解説がリアルだ。政治家たちの人物評のほか、あるべき体制についても安全保障局との規模とか、内閣官房と内閣府の切り分けとか、具体的に論じる。
まあ、後半はいつも通り、兼原氏、髙見澤氏が安保を語りまくるわけだけど。なかでもインテリジェンスに力が入っているのが印象的。(2023.5)

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