May 12, 2018

安井かずみがいた時代

背伸びは大切なことだけれど、どんなに背伸びしたって安井さんに敵うはずもないんだもの。
「安井かずみがいた時代」島崎今日子著(集英社文庫)
「危険なふたり」「古い日記」「よろしく哀愁」…。1970年代歌謡曲黄金期のヒット作詞家、安井かずみ。その伝説を、彼女を知る26人の証言で綴る。アバンギャルドなクリエーターから、センス抜群のセレブ妻へ、語り手によって違って見える素顔。女性の人物ものでは定評がある著者が、単なる評伝ではなく、「時代が安井に求めたもの」を描きだす。
若かりし頃のプロフィールはあまりにまばゆい。1939年生まれ、フェリス女学院、文化学院卒。フランス語ができて、「キャンティ」に入り浸り、ニューヨークやパリや、プール付きの「川口アパートメント」に住む。若い女性が伸び伸びと、その感性を発揮し始めたころ。加賀まりこ、コシノジュンコ、森瑤子、かまやつひろし…と、交友もなんとも華やかだ。なんと林真理子が、遠くから眩しく見ていたというから凄い。
1977年に8歳年下のトノバンこと加藤和彦と再婚してからは一転、夫婦連れ立って世界のグルメやリゾートを満喫し、ゆとりと豊かさの象徴に。どこか無理をしているような影を抱えつつ、1994年、肺がんにより55歳で死去。献身的に安井を看病した加藤は、早すぎる再々婚、離婚で周囲を驚かせたのち、2009年に自ら死を選んでしまう。
時代の先端を走る、たとえ辛くても、走らずにはいられない才能というものがある。「今となってはすべてがいい思い出。うん、とても素敵な人達でしたよ」。安井をはじめ、多くのアーティストの庇護者であった渡邉美佐の言葉が、胸に響く。
2010年から2012年に「婦人画報」で連載、2013年単行本化にあたり加筆された。(2018・5)

November 30, 2017

How Google Works

何千年も前にピラミッドを構想し、建設したエジプト王は、非常に有能な経営者だった。インターネットの世紀は、未建設のピラミッドであふれている。さあ、とりかかろうじゃないか。

「How Google Works 私達の働き方とマネジメント」(エリック・シュミット、ジョナサン・ローゼンバーグ、アラン・イーグル、ラリー・ペイジ著)日経ビジネス人文庫

元グーグルCEOのシュミットと、共同創業者ペイジのアドバイザー、ローゼンバーグが、巨大プラットフォーム企業が何を優先しているか?を説いた経営書(イーグルは広報担当として協力)。
すなわちあらゆる企業は、プロダクト開発のスピードと、その質を高めることに集中すべきで、そのために必要なのは、なにより優秀な人材(スマート・クリエイティブ)をいかに採用するか、そして人材を獲得したら、いかに自主性を発揮させるか、という主張だ。
幹部の目標を把握していて、顔をみたらどんどん質問するとか、大量のメールへは「OHIO(対処するのは一度だけ)」で臨め、とか、細部がいちいち面白い。かたちを真似することから入る発想も大事かも、と思えてくる。土方奈美訳。(2017・11)

March 19, 2017

数学者たちの楽園

ベンダーのシリアルナンバーを、数学史上の重要な数である1729にできただけでも、博士号を取った甲斐はあると思えるんだ。博士論文の指導教授がどう思うかは知らないけどね

「数学者たちの楽園――「ザ・シンプソンズ」を作った天才たち」サイモン・シン著(新潮社)

1989年放送開始の長寿コメディアニメで、20回以上のエミー賞などに輝く「ザ・シンプソンズ」と、同じ製作者によるSFアニメ「フューチュラマ」。その脚本家チームに実は立派な学位をもつ元・数学者が複数在籍し、作中にも「トポロジー」やら「メルセンヌ素数」やら、素人にはピンとこない高度かつマニアックな理系ネタがふんだんに登場していた。
「フェルマーの最終定理」「暗号解読」でお馴染み、サイモン・シンによるノンフィクション。今回はドキドキさせる壮大な人間ドラマではなく、広く愛されるサブカルチャーに、どんな知的悪戯が仕込まれていたかを解き明かしていて、また楽しい。

とにかく日米のオタク文化の決定的な違いに驚く。日本で長寿アニメといえば「サザエさん」か「ドラえもん」、はたまた「ちびまる子ちゃん」。その抒情的、文学的な味わいに対して、シンプソンズを動画サイトでチェックしてみると、お下劣ギャグと乾いた笑いの印象が強い。
家族愛をベースにしつつも、労働者階級の日常を痛烈に皮肉っているとのことだが、高いクオリティを保ち、多くの著名人ゲストも引きつけてきたのは、こういうことだったのか、と納得させられる。シリコンバレーやウォール街の興隆にもつながるナード、ギークコミュニティの雰囲気は、羨ましいなあ。

アニメ制作の舞台裏もさることながら、もちろん数学をめぐる硬軟さまざまなトリビアも満載だ。エンタメ人脈を表す「ケヴィン・ベーコンの6次の隔たり」とか、セイバーメトリクスの扉を開いた「ベースボール・アブストラクト」の功績とか、ウォーレン・バフェットとビル・ゲイツの非推移的サイコロをめぐる富豪対決とか、「クラインの瓶」とか。
安定の青木薫訳。翻訳は英語タイトルの掛け言葉など、膨大な作業だったろうなあ。巻末に詳細な索引や「オイラーの式」などの解説、初級から博士程度までの数学ジョークという、たっぷりのおまけ付き。(2017・3)

August 16, 2016

あなたを選んでくれるもの

わたしは目を閉じて、そう気づかされるたびにいつもやって来る、ズシンという静かな衝撃波を全身で受け止めた。それはわたしがボンネットみたいに頭にかぶって顎の下でぎゅっと結わえつけているちんまりしたニセの現実が、巨大で不可解な本物の現実世界に取って代わられる音だった。

「あなたを選んでくれるもの」ミランダ・ジュライ著(新潮クレスト・ブックス)

岸本佐和子訳で2015年に話題だった一冊をようやく。2010年の小説も評判だっただけに、実はあまり予備知識なく読み始め、フィクションではなくフォトドキュメンタリーと知って驚く。豊かな社会の片隅に、確かにある貧しさ、孤独。庶民の現実は容赦ないけれど、それを受け止めてこそ知る一人ひとりのかけがえのなさが胸にしみる。

映画の脚本に行き詰った著者はなんとか突破口を開こうと、手元にあるジャンクなフリーぺーパーに「売ります」広告を出す人々に会ってみようと思いつく。電話でほぼ行き当たりばったりアポをとり、家を訪ねて出会う売主たちの肖像が、まず衝撃だ。なにしろしょっぱなが、60代で性転換途中のマイケル。小さい声で話し、生活保護でひとり暮らしし、「毎日をエンジョイしていのね。だからいつも幸せなの」。ブリジット・サイアーの写真が雄弁。

パソコンを使わず、絶滅寸前の紙媒体で、手持ちのオタマジャクシやら他人が遺した家族写真やらを売り、小金を手にしようとする人たち。はっきり語らなくても、どこか滑稽で、生きにくさを抱えていて、ちょっと目を背けたくなるシーンもある。でもそれは、ほんの表面に過ぎない。これは取材相手というより著者がインタビューを重ねることで、家族や死や創作、そして時間というものに向き合っていくドキュメンタリーだ。

ジュライは2005年に長編映画デビューでカンヌのカメラ・ドールをとったアーティスト。子供のころ、父は彼女によりによって「24人のビリー・ミリガン」を読んで聞かせたという。バークレーの私立高時代には、新聞の告知欄で見つけた服役中の殺人犯と文通していた。芸術的で感受性が強くて、面倒くさい。約束の町に早めに着き、近所をドライブして時間をつぶすうちに、結局遅れちゃう。そんな人だ。

大切な存在を手に入れれば、やがてはそれを失うことになる。日々を重ねていけば、どうしたって残りは少なくなり、もうたいしたことも成し遂げられないと思い知ることになる。「40を過ぎたら残りはもう小銭」。たいていの普通の人生は、さして意味はない。でも少しのユーモアと愛情と真摯さがあれば、小さくても確かな輝きを放つ。
著者はやがて突破口をみつけ、創作に立ち向かっていく。ほとんど偶然の、リアルな出会いによって。意味は違うんだけど、ちょっと前に読んだ「永い言い訳」の「人生は、他者だ」というセリフを思い出した。(2016・8)

July 08, 2016

河童が覗いたインド

どの紙幣にも表か裏に、必ず14種の文字で金額が列記してある。

「河童が覗いたインド」妹尾河童著(新潮文庫)

この夏のインドシリーズ第2弾は、1985年刊の旅行記。お馴染みの舞台美術家が、驚異的な好奇心で亜大陸を歩きまわり、細密スケッチ、手書き文字で描き出す。
「聖なる河」「聖なる牛」、油断ならないタクシー運転手、しつこい自称ガイド、超効率が悪い役所…。30年もたっているのだから、今ではもうだいぶ、事情が違うのだろうけど、どうも変わらなそうな気がすること。それは、ごった煮の多様性ではないか。
とにかく人が大勢いて、誰もが身勝手で、小ずるくて。でも隣の人が自分と同じ方向を向いてなくても、それはそれで気にしない、というイメージ。あくまでイメージですが。
そんなパワフルなインドに決して負けないのが、著者の個性。自分の興味関心に忠実で、面白くて、拘りが強い。そばにいたらきっと、ヘビーなんだろうなあ。(2016・7)

April 18, 2016

若冲

真に自分のためだけであれば、なにもこうまで細やかな絵を描かずともよかろうと思うのは、拙僧の勘ぐりかのう

「若冲」澤田瞳子著(文芸春秋)

奇想の絵師・若冲の生涯を、新田次郎賞作家が大胆な解釈で描く連作集。生誕300年記念で、代表作を一堂に集めた展覧会に出掛ける前に、手に取った。

にわか若冲ファンの私にとって最大の興味はやはり、代表作「動植綵絵」30幅の成り立ちだ。ほぼ独学で絵師となった若冲が、どのようにしてあれほどに細密で、色鮮やかな、そして誰にも媚びない圧倒的な作品群を描きおおせたのか?
著者の工夫は、記録に残っていない妻がいた、という設定だろう。若妻の死に対する贖罪、さらには贋作者となった義弟との確執を創造して、絵師の情熱の源となった深い苦悩を描いてみせる。

若冲は京・錦市場にある青物問屋の大店に生まれながら、40歳で隠居してしまい、画業三昧に暮らした。なんとなく人付き合いの苦手な偏屈者なのかな、と思っていた。
ところが近年の研究で、意外な一面がわかってきた。市場閉鎖の危機にあたって、町年寄を率いて回避に尽力したこともあるというのだ。本作では、そうした研究成果を取り入れ、人間味ある人物像を構築。「動植綵絵」はもちろん、全く趣向の違う「鳥獣花木図屏風」や「石灯籠図屏風」などが生まれた背景に触れていて、イメージが膨らむ。

同時代に生きた池大雅や円山応挙、谷文晁らの豊かな個性や、天明の大火の惨状もリアル。フィクションだけど、エキサイティングな展覧会の予習となった。(2016・4)

April 08, 2016

多数決を疑う

多数決は単純で分かりやすく、私たちはそれに慣れきってしまっている。だがそのせいで人々の意見が適切に集約できないのなら本末転倒であろう。それは性能が悪いのだ。

「多数決を疑う 社会的選択理論とは何か」坂井豊貴著(岩波新書)

選挙で国民に信を問えば、その政策は「民意」を反映したとして、信任を得る。そんな大事な民意を見極めるとき、私たちはなんとなく、多数決が民主主義の基本だと思い込んできた。でも本当に、多数決こそが集団の意志を反映するのだろうか? 気鋭の経済学者の一般向け新書を電子書籍で。

例えば2000年の米大統領選挙。ジョージ・W・ブッシュが事前の世論調査結果を覆し、アル・ゴアを破った。フロリダのカウント疑惑などのゴタゴタが記憶に残るが、実はラルフ・ネーダーという第3の候補の登場でゴア票が割れ、ブッシュに勝利が転がり込んだという。就任の年に911が勃発、ブッシュ政権が「テロとの戦争」に突き進んだことを考えれば、どういう理屈で選挙制度を設計するかが歴史にもたらす意味は、とてつもなく大きい。

著者はこういう「多数の人々の意思をひとつに集約する仕組み」などの研究で活躍。200年以上前のルーツから説き起こして、古今東西のエピソードを駆使しつつ、思考の道筋を平易に解説している。
学者同士の確執を推測してみせるなど、語り口は軽妙だが、望ましい集約ルールを追求しようとする姿勢はタフで、厳格だ。票割れの問題や、少数派の尊重などの課題を一つひとつクリアにしていく。その道程が、近代市民社会の根っこを問う作業。政治学とも重なる領域であり、経済学の広がりも感じさせて面白い。(2016・4)

February 26, 2016

記者はつらいよ

だんだん分かってきた。楽な仕事などないのだ。

「記者はつらいよ」仙川環著(ハルキ文庫)

著者お得意の医療ミステリーではなく、明るいお仕事小説の中央新聞坂巻班シリーズ3作目。ワークライフ・バランスを求めて、あまりハードでなさそうな企画部署に異動したのに、ニュース取材をするはめになって苦労してきた「平均点記者」の上原千穂が、今度は一面連載班に組みこまれて奮闘する。

部際プロジェクトのはずが、メンバーは所属部の利益にこだわってはじめから非協力的だったり、心の病を家族にも隠していたりと、トラブル含み。乗り込んできた、お馴染み超横暴なキャップの坂巻が引っ掻き回すうえに、上司はどうにも頭が固くて、企画内容に理解を示さない。結局、ものごとは合理的な判断というより、相変わらずの社内の駆け引きで決まってしまう。

働いていれば、思い通りにならないことは多い。引くべき時は引かなければならない。それでも諦めずに粘っていれば、手ごたえを感じることもある。誰もが経験する、普通に働くということを描いて爽やかだ。(2016・2)

July 11, 2015

スクープを狙え!

 

半藤が他の人とどう違うのか、少し分かった気がした。半藤は、ひたすら前を向いている。上を見たり、横を向いたり、あるいは千穂のように、よそ見をしていない。
 半藤は、気が強いわけでもなければ、キラリと光る何かを秘めているかんじもしない。でも、彼女こそ、記者の中の記者ではないだろうか。

「スクープを狙え! 中央新聞坂巻班」仙川環著(ハルキ文庫)

なんともベタなタイトルだけど、その名の通り、新聞社を舞台にしたお仕事小説。「吠えろ!坂巻記者」の続編となる、文庫書下ろしだ。

とはいえ舞台はいかにも新聞社らしく、難事件を追う社会部とか、権力に迫る政治部とかではなく、傍流の生活情報部。派手なニュースなどハナから期待されていないのんびり部署が、何故かスクープを追うはめになって、入社5年目の女性記者、上原千穂が奮闘する。
前作に続いて能力、キャラともごくごく平凡な千穂が、ワークライフバランスとか人間関係とかに悩みながらも、少しずつ働き甲斐を見出していくさまが微笑ましい。部署同士のつまらない縄張り争いや、上司次第でがらりと変わってしまう人事評価など、どんな会社でも若手が直面するであろう組織の事情もリアルで、説得力がある。

記事の顛末はちょっと調子よすぎるかな、という部分もあるものの、テーマとしている介護ビジネスや教育現場の描写はしっかり。無駄に高圧的な他部の先輩とか、クセのある登場人物も続々登場していて、まだ続けられそうなシリーズでは。(2015・7)

February 19, 2015

フラニーとズーイ

「そうだよ。僕は潰瘍持ちだ。実に。今はカリユガなんだ。鉄器時代なんだ。十六歳以上で潰瘍持ちじゃないやつなんて全員スパイだ」

「フラニーとズーイ」J.D.サリンジャー著(新潮文庫)

華やかで都会的な若者の憂鬱を、長大な会話で描き、1961年に単行本となったサリンジャーの青春小説を、2014年の村上春樹による文庫向け新訳で読む。

グラス家7人兄弟の末娘フラニーは、周囲がどうしようもなく俗物でくだらなく思えて、ある日ついに、名門大学に通う恋人とのデートを台無しにしてしまう。自宅でふさぎ込む妹を、俳優の兄ズーイが才気あふれる言葉を尽くして救い出す。
若者たちが吐露する悩みは、なんだか贅沢にも思える。両親は芸能人で、兄弟は幼いころ順にラジオ番組に出演し、軽妙なやりとりで神童ともてはやされていた。今は大都会ニューヨークに暮らし、見た目も美しく知的だ。深い思索、宗教への言及は正直、ぴんとこないところもあるほど。
それでも300ページ弱の薄い文庫に、普遍的な青春の感覚が、ぎっしり詰まっていることは間違いない。社会にうまく溶け込めない焦り、持て余すほどのエゴとプライド、大切に思う人への繊細な気遣い。雑然とした室内の長い描写と、無造作に置かれた細い葉巻など、ディテールの描写が映画的で美しい。

著者が「まえがき」「あとがき」を禁じていたため、「投げ込み」形式で、訳者の特別エッセイが付いているのが、ちょっとお洒落だ。(2015・2)

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