志村ふくみ 染めと織り
日本人が培った色彩感覚は、西洋音楽にはない無限の半音の世界ですね。
「志村ふくみ 染めと織り」聞き書きと評伝 古沢由紀子(求龍堂)
農家の手仕事だった紬に新風を吹き込んだ染織の人間国宝の足跡。読売新聞編集委員がインタビューの掲載から8年余り、大幅加筆してまとめた。3年ほど前に斜め読みしたんだけど、ふくみさん100歳記念の展覧会に足を運んで、作品を目にしたのを機に、再読。
紬は元来、養蚕農家の女性たちが、規格外のくず繭を惜しんだ日常の手仕事。庶民のよそ行きで、正装にはふさわしくないという考えが根強いそうだ。平織りと自然の植物染料を貫くふくみの作品も、一見して淡く温かく、素朴な印象。なにしろ柳宗悦の民芸運動に傾倒していた実母の影響で、この世界に足を踏み入れた。
しかしあえて切った糸をつなぐ「ぼろ織り」手法のデビュー作「秋霞」が一躍注目され、早くから独自の自由な感性を発揮して、民芸と決別している。リズミカルな幾何学模様などは、クレーやロスコに例えられるという。養父の仕事で上海や長崎に住み、リベラルな文化学院に通ったバックグラウンドゆえか。60代からゲーテの色彩論を学び、ヨーロッパやインド、イラン、トルコを旅し、文化功労者選出直後には「縛られず自由に活動したい」と日本工芸会を脱退しちゃう。抑えきれない芸術のパワーが爽快だ。
もちろん創造の現場は地道な闘いで、だからこそ深い。植物染料では、魔物と呼ばれる貴重な蘇芳(すおう)の深紅、60℃以上では「けしむらさき」になってしまい、「染める人の人格そのもの」を写す難しい紫根、そうかと思えば身近な玉葱。なかでも実母が「精神性が高い」と愛した藍は、発酵工程「藍建て」が興味深い。なぜか新月で建て始め、満月で染め始めるとうまくいくのだ。
そして方眼紙に緻密なデザイン画を描き、1100本の経糸をかけてコツコツ織りながら、ときに緯糸を思いのままに打ち込む。ジャズのような即興。
強靱に見えるふくみも、80歳を目前にうつの苦境に陥る。マティスが晩年手がけた切り絵をヒントに、50年分の残り裂を紙に貼るコラージュを通じて、復帰していくエピソードは胸をうつ。
駆け出し時代から人脈が華麗で、くらくらする。日本工芸会会長だった細川護立、60年代の個展に推薦文を寄せ、藍染めの第一人者を紹介した白洲正子、随筆家の道を開いた大岡信… 陶芸家・宮本憲吉の妻、宮本一枝(尾竹紅吉)がとりわけ強烈だ。「青鞜」にも参加した「新しい女」であり、ふくみを「男の人に甘やかされてはダメ」と叱咤する。なにせ尾竹三兄弟の長男、越堂の娘だもの。まさに貴重な時代の証言だ。
カラー図版や巻末の略年譜が充実。スピン(栞紐)2本が、淡い水色とオレンジで上品。凝っています。(2024.12)