トヨタ 中国の怪物
中国人はどんな境遇になってもね、生きようとするんだよ。
「トヨタ 中国の怪物」児玉博著(文藝春秋)
トヨタの中国事務所総代表だった服部悦雄氏へのロングインタビューをもとに、日本を代表する企業の中国ビジネスの歴史と、世襲経営の内実を描く。話題になっているときいて、電子書籍で。
著者は経済誌のフリーライターで、堤清二、西田厚聰ら異能の企業人を描き、大宅壮一ノンフィクション賞も受けたフリーライター。そんな著者だからこそ引き出せたのだろう。温泉施設の居酒屋で焼酎の水割りを傾けながら語る服部氏の、暗い熱情が全編を覆って息苦しい。
熱情とは、否応なく人生をかけた存在に対する愛憎だ。誰よりもビジネスにたけ、組織につくした。強烈な自負と、報われなかったという砂を噛む思い。規格外の企業人にありがちな結末と、言ってしまえばそれまでだけれど、対象が中国、トヨタという、いずれも現在の日本にとってあまりに大きな存在だけに、興味は尽きない。
服部氏は昭和初期に満州に渡った農林官僚の息子で、毛沢東の大躍進、文化大革命に遭遇。原生林での強制労働など饑餓、極寒、差別と圧倒的な孤独から這い上がり、東北林学院への進学をへて27歳で帰国する。トヨタに入社してからは中興の祖・豊田英二と上司の奥田碩の目にとまり、中国ビジネスを任されてがむしゃらに出世していく。
まず現在の中国を形づくった近代史、権力の暴走と、生き残ろうとする庶民のパワーが凄まじい。日本にとっては常に魅力的な隣の巨大市場なわけで、国交正常化後は政官産あげて製鉄などのプロジェクトを推進するが、どうしてどうして一筋縄ではいかないこともよくわかる。
トヨタはどうだったか。実は豊田佐吉は「障子を開けてみよ、外は広いぞ」と語って上海に進出、その紡織の稼ぎが自動車製造につながったというルーツをもつ。英二も熱心で、周恩来、田中角栄の国交正常化セレモニーを、トヨタ本社で中国側の訪日団とともに見守るシーンは印象的だ。この一行の通訳と世話役を務めたのが服部。
しかし長く部品を供給するだけで、生産の許可がなかなか下りない。ライバルに引き離され、合弁相手の巨額不良債権など、常識が通じない不透明さに苦しむ。そんな泥沼からの脱出を命じられたのが、御曹司・章男だ。服部はその章男に頭を下げられて奮闘。経歴と語学、なにより底辺で身に染みた中国人気質への理解を総動員して党幹部に食い込み、類い希な交渉力で買収による反転攻勢という離れ業をやってのける… まさに産業史の一断面だ。
平行して語られるのが、このあたりのトヨタ奥の院。服部の目を通した一面的なものとはいえ、時価総額40兆円企業の内実としては驚きだ。特に奥田碩の人物像が強烈。ギャンブル好きで、並外れた闘争心をもつ。章男に中国立て直しを命じたのは、失敗すれば創業家を経営から外せるという策略だったという。
もくろみは外れ、服部は豊田章男を社長にした男と呼ばれるに至る。ところがやがて、カネをめぐる疑惑などで挫折していく。異能ゆえに独善的、傲慢と目されたのは、容易に想像できる感じ。このあたりの確執は、企業ドキュメンタリーの定番と言えるかも。(2024.11)