January 05, 2017

住友銀行秘史

 「もし」という仮定は不毛だが、今でも考えることがある。
 あのとき、住友銀行がイトマンの会社更生法を申し立てていたとしたら。その後の日本の金融史は大きく変わり、改革が早まって、「失われた10年」もなかったのではなかろうかと。

「住友銀行秘史」國重惇史著(講談社)

世界銀行が毎年公表している「doing business index(ビジネス環境ランキング)2017」で、日本は32位にとどまっている。起業のしやすさ、資金調達などで遅れをとっているためだが、実は世界2位を誇る項目もある。「破綻処理」だ。この評価に至るきっかけのひとつが、もしかしたらイトマン事件だったのかもしれない。
本書は1990年から91年にかけて表面化した歴史的経済事件について、当時メーンバンクの部長で、監督官庁やメディアに内部告発を送った著者が、関係者の実名入りで舞台裏を記し、2016年に話題となったノンフィクションだ。

舞台は大阪の中堅商社イトマンから、収益が見込めない不動産開発や美術品取引を通じて、巨額の資金が闇社会に流れた背任事件。バブル崩壊の象徴のひとつであるとともに、経済団体副会長などを歴任した大物銀行トップの転落が衝撃だった。
本書では事件の構造、特に引き出された資金が一体どこに流れたのか、などの大きな謎は明らかにしていない。まあ、これは先行する著作があるのだろう。むしろ焦点は、経営を揺るがす損失と不正の存在を認識したあとの、銀行内部の暗闘にある。

メーンは当時、著者が手帳につけていたというメモの再録。記憶に頼って補足しており、改めて裏付けをとったわけではなさそうで、ところどころ曖昧な印象がある。検察の動きなど、著者が把握していなかったキーファクターも多い。しかしエリート銀行マンたちの言動の記述がなんとも赤裸々で、異様な迫力を示す。
誰がいつ、どう責任をとり、誰が生き残るのか。そのために誰と誰が、いつどこで会い、何を話したか。著者が銀行幹部はもちろん、有力OBから秘書、社用車の運転手たちまで、ネットワークを駆使して同僚の動きを探るさまはすさまじい。

結局イトマンは、ドラスチックに膿を出す更生法には至らなかった。背景には、金融システム維持を優先する行政の意向があったという。あれから20年以上。膨大なコストをかけて、日本のメーンバンクや企業救済の姿がかなり変わってきた点は、感慨深い。では、危機に瀕した組織の、保身の構図は変わっているのだろうか。読み終わって、なんだか空疎な気持ちが残る1冊だ。(2017・1)

December 23, 2016

戦争まで

歴史上で実際に起こったことについて、起こる可能性が高かったから起こったと単純には言えない、との厳粛な思いに打たれざるをえない。

「戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗」加藤陽子著(朝日出版社)

栄光学園での講義録「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」の東大教授が、今度はジュンク堂書店池袋本店のイベントで、公募の中高校生を相手に太平洋戦争前史を語る。取り上げるのは3つのターニングポイント、すなわち1932年のリットン報告書、1940年の日独伊3国同盟、そして1941年の日米交渉。なぜ別の道をとれなかったのか、あえて歴史のイフを問うていく。

材料は、きれいに整理された加工品ではない。議事録や講演記録など、できるだけ当時の、そして当事者の肉声をたどる、手間のかかる作業だ。まるでジャック・フィニイ「ふりだしに戻る」のよう。中高校生向けとはいえ、決して易しい内容ではない。
丁寧に記録を付き合わせていくからこそ、見過ごせない情報の非対称や誤解が浮かんでくるのだろう。例えば閣僚と軍部の間で、どのくらい正確に戦争遂行力の判断が共有されていたのか。また外交交渉の前線と本国とで、相手の出方をどう読んでいたか。豊富な情報を深く分析し、考えに考え抜いた意思決定だったのか? ガラス細工のような、重大な国家の岐路。

本書のベースになった連続講義は2015年。冷静な語り口ながら、著者は一定の立場から、安保法制や憲法改正論議の流れに強い危機感を示す。そして2016年、世界はどんどんキナ臭くなっているように思える。今こそ知るべき歴史なのかもしれない。(2016・12)

October 20, 2016

螻蛄

「ええな。打ち合わせたとおりに喋れよ。ミスったらおまえの責任や」
「喋りはおれより桑原さんのほうが巧いやないですか」
「わしはあかん。堅気を相手にくそ丁寧なものいいはできん」
「いつでも巻き舌のケンカ口調ですもんね」
「どこが巻き舌や、こら」
「その喋りが怖いんです」

「螻蛄」黒川博行著(角川文庫)

人気ハードボイルド、疫病神シリーズの1冊を読んでみた。2014年に6回目の候補入りで直木賞をとった「破門」の前作にあたる。ひたすら「シノギ」=稼ぎに邁進する大阪イケイケ極道・桑原と、こき使われる建設コンサルタントの二宮。行動力と会話にテンポがあって、650ページ超を一気読み。

いってしまえば、舞台装置に驚きはない。巨大宗教法人の内紛、怪しげな手形や美術品取引や土地開発、巻き込まれるオーナー企業、そこへつけ入る反社会的勢力。いかにもありふれた経済事件であり、徹底してリアルだ。
主人公のアウトロー2人の行動原理も実にシンプル。1000万単位のシノギがすべてだ。「ヤクザは代紋という看板で商売をする個人事業主で、組はその集合体。上納金は代紋の使用料」という、身も蓋もない説明がわかりやすい。

桑原は脅しと躊躇いのない暴力、東京、名古屋を飛び回るスピード感を見せつけつつ、どうしたら稼ぎを最大にできるか、冷静に分析している。凶暴なくせに、ズル賢く立ち回って、間違っても逮捕なんかされない。
このイケイケ極道に負けていないのが、語り手である堅気の二宮だ。建設現場のサバキ=「ヤクザを使ってヤクザを抑える対策」を生業とし、桑原に振り回されているようでいて、結局は危ない橋を渡り、そのたび、がめつく分け前を吊り上げていく。怪我だらけなのに、暇さえあれば美味しいレストランで食事するし、人に会うと一瞬にしてその服装を値踏みする。逞しいなあ。

悪徳だけど、カネをむしる相手もそうとう悪徳なので、どっこいどっこいだ。きれいな結論が無いから、いっそサバサバしている。カネと本音で結びついた、奇妙な信頼関係のあるコンビ。古いけど、関西弁の「傷だらけの天使」かな。細部が書き込まれているので、「ロケ地」探索の楽しみもありそう。(2016・10)

October 10, 2016

オペラでわかるヨーロッパ史

統一イタリアの現状に失望していたヴェルディは、シモンに政治家としての理想像を託したのではないだろうか。

「オペラでわかるヨーロッパ史」加藤浩子著(平凡社新書)

ミーハーな初心者にもわかりやすいオペラ解説で知られる著者が、ヴェルディ、プッチーニなど人気演目の背景を綴る。ストーリーが描く歴史的事件はもちろん、作曲・初演時点での国際情勢も重ね合わせていて、鑑賞の楽しみが増す一冊だ。

源平の合戦とか赤穂浪士の討ち入りとか、伝統芸能には設定を誰でも知っているという前提で書かれたものが多い。オペラもしかり。例えばドニゼッティのテュ-ダー朝3部作は、多くの小説や映画にもなっているテーマでもあり、やはり英国王朝のドロドロを知って観ると興味深い。人間関係はさらに、ヴェルディのハプスブルク朝スペインを舞台にした「ドン・カルロ」にもつながっていくのだから、欧州史はダイナミックだ。

作品は世に出たタイミングの時代背景とも、無縁でいられない。ヴェルディの「シモン・ボッカネグラ」の主題は、14世紀ジェノヴァの政争。奇しくもイタリアは初演1857年の4年後に統一という歴史的な大事業を成し遂げるが、不安定な政情が続く。
そんな状況もあって、およそ四半世紀後に大幅改訂された現行バージョンには、大詰めに平和を訴える象徴的なシーンが付け加えられたという。個人的には「椿姫」「アイーダ」などと比べて地味な印象だったけど、解説を知れば感動ひとしおだ。
著者は作曲家の家族に対する思いにも迫っている。深いです。(2016・10)


September 25, 2016

親が倒れた日から、いつかくる…その日まで。

自分が驕っているから、腹が立つのかもしれない。そう思いながら、何度もクールダウンしていました。

「親が倒れた日から、いつかくる…その日まで。 かぶらぎさん家のケース」かぶらぎみなこ著(TOブックス)

69歳の父が突然、脳梗塞で倒れてから5年間の家族の苦闘を、同居する長女のイラストレーターが綴ったコミックエッセイ。介護の体験記は数多く、かえってあまり読まずにきたけれど、知人に勧められて手にとった。本業の可愛いイラストと、簡潔な文が読みやすい。

お父さまの病状はかなり厳しくて、もともと持病で長年、透析を受けているうえ、脳梗塞の後遺症が加わる。緊急入院、自宅のリフォーム、自宅での世話、様々な介護サービスの利用…と、怒涛のような目の前の事態に、手探りで次々に対応していく日々だ。
それでも辛さの吐露は最低限。読者の参考になるようにと、具体的な実務をテキパキ語る。そしてどんなシーンにも、少しのユーモアが滲み、著者の人柄が感じられる。

ブログをまとめたもので、発刊の2015年春には、74歳になったお父さまは入院中。けれど読み終わってブログをのぞいてみると、2016年6月に亡くなられ、更新が止まっていました。最後まできめ細かな記述。ご本人もご家族も、本当にお疲れさまでした… (2016・9)

February 25, 2016

GDP

国の経済全体の大きさを測る、という試みが初めて本格的におこなわれたのは、17世紀の戦争のときだった。

「DGP <小さくて大きな数字>の歴史」ダイアン・コイル著(みすず書房)

普段最も何気なく、あらゆる場面で使っている国の経済規模と成長率の統計。その成り立ちと限界について、英国財務省のアドバイザーなどを務めた経済学者が、数式を使わず平易にまとめた有難い本。経済書とは思えない洒落た白い装丁、150ページという軽さでさらさら読めて、検索も充実。

国の経済を測る、という試みは、戦費調達力、戦争遂行能力を判断する必要から生まれたというのが、まずびっくり。やがて計測とメカニズムへの理解が正しいのなら、経済、すなわち人々の豊かさというものは人為的にコントロールできるという概念が生まれた。いまや経済政策を考えるときの、基本の基本だろうが、意外に歴史は浅いのだ。
この10年だけでも、リーマンショックありギリシャ危機あり。ノーベル経済学者が束になって論争してさえ、経済というものは全然思い通りにいかない。それはGDPのせいではないだろうけど。なにせ統計を偽装して、国際的な支援を引き出しちゃおうとする政府があるらしいから。

もちろんGDP自体、実際には複雑な手順で組み立てた、いわば「仮想」の数値であり、その仮想が英サッチャー政権の誕生に深くかかわったり、歴史を左右しちゃうという割り切れなさを抱えている。さらに、その限界を感じさせる、より根本的な状況の変化が起きている。キーワードはITとサービスだ。
商品のカスタマイズとか、ネット上に氾濫する無料のサービスはイノベーションによって、かつてに比べて少ない資源で大きな価値を産みだしている。バリューチェーンは国境を越え、複雑に構築されている。20世紀生まれの統計は、こういう21世紀の経済の姿を、うまくとらえきれていない。このままでは各国の経済政策は、健康か病気かを正しく把握しないまま、いろいろ薬を投与しちゃっているようなものだ。

本書でGDPの課題を克服する道筋が、明確に示されるわけではない。とはいえアンケート頼みの幸福度のような、新機軸に組みしない著者の姿勢には個人的に共感を覚える。読みやすい訳は高橋璃子。(2016・2)

January 30, 2016

アメリカン・ゴッズ

「ご親切にどうも」
 飛行機はまた停止していたが、エンジンは飛びたくてうずうずしているかのように振動している。
「親切なものか」白っぽいスーツの男はいった。「きみに仕事を用意したよ、シャドウ」

「アメリカン・ゴッズ」ニール・ゲイマン著(角川書店)

上下巻で約900ページ。買ったまま、7年ほども積んでいたファンタジーをようやく読了した。模範囚シャドウが出所直後に、運行予定変更で偶然乗りこんだ飛行機。自分を知るはずもない隣席の老人ウェンズデイから、突然親しげに仕事を持ちかけられる。そこから始まる、不思議世界。

移民の国アメリカにはかつて、世界各地から人々が連れてきた神が息づいていた。いつしか忘れさられ、滅亡の危機に瀕した彼らが生き残りをかけ、テレビ、携帯といった物質文明の神に最終決戦を挑む…。というのがファンタジーパートのメーンテーマだ。
自分で買っておいてなんだけど、こういう独自のルールで展開していくファンタジーは苦手かなぁ、と敬遠していた。ところが読み始めると、現実パートがよくできたロードムービーを観るようで、すいすい読めた。

主人公は待ち望んだ出所寸前に、最愛の妻が自動車事故で死んだ、と知らされる。しかも親友と浮気していたという。いいしれない孤独に現実感があり、それが時代遅れになってしまった神々の寂寥と重なっていく。
帰るべき家をなくしたシャドウは、謎の老人ウェンズデイについて全米を旅することになる。ケチな詐欺を手伝ったり、湖畔の田舎町に身を隠して、おずおずと近隣の住民と触れ合ったり。このあたりの軽妙さ、温かさが巧い。
シャドウの道行は、いわば成り行きに身を任せたもの。しかし終盤では、抱いてきた社会への違和感の訳や、自身の父親探し、さらには田舎町で発生した失踪事件の謎解きに至る。この道具立てはロス・マクか、ジョン・ハートか?

ファンタジーパートのほうは正直、読み流しぎみだったけど、巻末まで進んだら登場する神や妖精の懇切丁寧な解説を発見。北欧神話、ギリシャ神話、古代エジプトやペルシア、インド、アメリカ先住民、お馴染み「リング」の世界も。それぞれにひと癖あって、個性いっぱいの面々です。知識とイメージがぎっしり詰め込まれてたんだなあ、と納得。金原瑞人、野沢佳織訳。(2016・1)

August 16, 2015

クララ先生、さようなら

こんなことが起きるなんて、ぜったいだめだ。それも、自分のよく知っている、大好きな人に起きるなんて……。

「クララ先生、さようなら」ラヘル・ファン・コーイ著(徳間書店)

小学校中高学年向けの児童書だが、読みごたえがある。オーストリアの4年生、ユリウスとクラスメートたちは、大好きな担任のクララ先生が病に倒れて、死が近いと知らされる。衝撃を受けながらも、子供たちが選んだ最後の、最高のプレゼントとは。

親しい人の死という避けようのない、難しいテーマを、ごく日常のシーンから多角的に描いている。辛い思い出を抱えている母、別居中の父、老いをひししと実感している祖父、偶然出会った葬儀参列好きのおばあさん、そしてもちろん子供たちに愛され、苦しみながら子供たちのことを思いやるクララ先生……。それぞれ死というものと、ユリウスたちのとるべき行動に関する考えは違う。それを宗教的な解釈に走らず、丁寧に描いている。
何より、自分の頭で考え、行動しようとする子供たちが素晴らしい。大詰め、悲しみのなかで並木道を駆け下りるシーンが秀逸。
石川素子訳、いちかわなつこ絵。産経児童出版文化賞翻訳作品賞を受賞。(2015・8)

July 10, 2015

物語 タイの歴史

実はタイの歴史を辿っていくと、「世渡り上手」なタイの姿が見えてくる。

「物語 タイの歴史」柿崎一郎著(中公新書)

タイを専門とする地域研究者が、タイ民族2000年の歴史を概観する。揚子江以南の地域から現在のインドシナ半島へと南下して、13世紀にスコータイ朝が成立。有能であれば外国人も登用するなどして発展をとげ、18世紀に興ったラッタナコーシン朝が現在まで続いている。

半島の中央に位置しているだけに、古くから周囲のベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマーとのせめぎ合いを生き抜いてきた。19世紀から20世紀の帝国主義の時代には、西を制したイギリス、東から攻めるフランスの緩衝地帯となって、バランス外交を展開したという。著者が世渡り上手と呼ぶゆえんである。

2次大戦時の日本との距離のとり方も、結果としては絶妙なものだった。 そのかいもあって戦後は、東南アジアをリードする順調な経済発展を実現する。
もっともその一方で、クーデターを繰り返し、今も軍政下にあるという政治文化の背景は、ちょっと理解しづらい。もう少し勉強が必要だなあ。(2015・7)

January 24, 2015

末期を超えて

ALSは努力すれば勝てる、乗り越えられるという病気ではありません。むしろ自分をオープンにして、人の助けを求めることができた人から生きる道が開かれていくようです。

「末期を超えて」川口有美子著(青土社)

2014年にビル・ゲイツや山中伸弥ら著名人が多数参加した啓蒙活動、「アイスバケツ・チャレンジ」で話題になった難病ALS。過酷な病いにおかされた母を10年以上自宅で介護し、ヘルパー養成や介護派遣事業に携わる著者が、当事者、支援者7人との対話を通じて、希望のありようを問いかける。

24時間の見守りが必要で、食事、移動はおろかコミュニケーションの手段さえ徐々に失われていく。無差別に直面させられる本人はもちろん、家族にとってもその境遇は、想像を絶する厳しさだ。
しかし絶望、諦めに飲み込まれることなく、自ら支援者を育て、行政と掛け合い、国内、海外問わず叱咤激励を惜しまない。強靭な意志と明るさをもつ患者の存在に、まず心を奪われる。
今や先端の科学は、SFもびっくりの様々な技術を開発し、困難な境遇の患者が生きていくこと、時には自宅で独居することに道を開きつつある。周囲の情熱、そして余計なおせっかいにも踏み込んでいく勇気。

シンプルな理論では割り切れない膨大な闘いの先に、患者文化、それぞれの生きようへの深い思索が立ち上ってくる。きっと長い長い年月、考え続けることが必要な領域。この社会には、そういう領域があるのだ。(2015・1)

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