March 03, 2025

それでもテレビは死なない

僕たちテレビディレクターは、「予算」と常に闘っている。多少の赤字が許された、テレビ業界の華やかなりし日々はすでに去った。理想=「伝えたい現実(映像)」と現実=「予算」の狭間で日々、苦しみ。葛藤している。

「それでもテレビは死なない」奥村健太著(技術評論社)

副題は「映像制作の現場で生きる!」。制作会社で長く、報道・ドキュメンタリーに携わるディレクターが実感をこめて、テレビが抱える課題を綴る。

2013年出版とあって、2011年の震災報道が問題意識の発端となる。しかし著者が指摘する、テレビに限らないマスメディアの様々な自制と、それゆえ招いてしまっている根深い不信感というものは、現在も悪化こそすれ、古びていない。
PTSDを招いてはならないと、悲惨すぎる被害を伝えず、原発事故についても科学的に不確かなことは言えないから、慎重に報道する。それぞれ、もっともな選択なのだが、ネットという別ルートの情報源を得た視聴者から、マスメディアは真実を伝えていない、と突き放されてしまう。日々、取材先と対峙し、少しでも意味ある情報を届けようとするディレクターの苦悩は深い。

ほかにも制作費の限界、似たようなお手軽企画の氾濫、ドキュメンタリーとフィクションの狭間など、課題が盛りだくさん。それでも決して愚痴っぽくないのが魅力だ。語り口が軽妙だし、なにより、著者は映像の現場が好きでたまらず、同じような後輩を育てたい、と強く願っている。
海外取材の経験が豊富で、章の合間には「ロケで死にかける」なんてコラムも。いわくアンデス山脈の断崖から滑り落ちたり、中国とチベット自治区の省境で人民解放軍に囲まれたり。こんな目に遭っても辞められない仕事、そうそうありません。

信頼できない番組を目にしても「テレビ全体が信用できない!」と切り捨てずに指摘してほしい、そうして送り手同士が切磋琢磨し、送り手と受け手がキャッチボールして、価値あるものを作っていきたい。著者のメッセージは切実だ。(2025.3)

December 22, 2024

戦争と経済

この委員会は、ドイツからの賠償金を受領し連合国の各中央銀行に支払うための国際金融機関の設立も提案する。これが1929年6月に設立された国際決済銀行(BIS)である。

「戦争と経済」小野圭司著(日本経済新聞出版)

防衛省防衛研究所特別研究官が価値観をまじえず、あくまで経済活動としての戦争をドライに語った1冊。個々の戦史ではなく、財政、金融、通商など経済学の分野ごとに、古今東西を俯瞰していく。オタクだけれど平易な記述が、小さい活字で250ページにぎっしり。現在進行形の事象でもあると思うと正直、暗澹とするけれど、国際情勢をみるうえで誰もが年頭におくべき視座だとも思う。

例えば日露戦争のくだりで、単純化するとロシアが清国に貸した資金が日清戦争の賠償金として日本に渡り、対露戦準備の軍備増強に充てられ、英独などへの武器輸入代金として支払われたという。ちなみにこの資金移動の多くは、イングランド銀行などシティの帳簿処理だったとか。
十字軍の護衛として発足した宗教的存在のテンプル騎士団が、軍事はもちろん徴税請負や開運、銀行まで手がけるようになるプロセスなども興味深い。(2024.12)

May 19, 2024

ふりさけみれば

ここに、人間の歴史と人々が生きた足跡が記録されているのだから、府庫こそが天下そのものだと言っても過言ではない。そうした場にいることは、書物をつぶさに記憶する能力を持っている仲麻呂にえも言われぬ充実感を与えた。

「ふりさけみれば」安部龍太郎著(日本経済新聞出版)

「等伯」などの歴史小説家が描く、奈良時代の遣唐使、阿倍仲麻呂と吉備真備の波乱の人生。上下巻900ページだけど、権謀術数とお色気、ラストはまさかのアクションになだれ込んで飽きさせない。

百人一首の望郷の詩「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」ーー。作者の仲麻呂は新興国・日本からの留学生にもかかわらず、大秀才で人柄も清廉、玄宗皇帝側近の秘書監にまで登りつめる。帰国の途で亡くなったと思い込んだ詩仙・李白が「名月帰らず碧海に沈み 白雲愁色蒼梧に満つ」と悲しんだほど。実際は、海難にはあったが唐に戻り、そのまま異国の地で没したのだった。小説では、仲麻呂が長く唐にとどまって好きでもない出世に邁進した理由を、ある密命のためとし、息詰まるスパイサスペンスに仕立てている。
一方、盟友・真備は対照的に俗っぽくて、べらんめえ調が魅力的。帰国して、天然痘の流行で壊滅的な打撃を受けた国家を立て直すべく、権勢を振るう藤原家との激しい政争(天智天皇系と天武天皇系の争い)に身を投じる。軸に据えたのは天皇と仏教で、指導者・鑑真を招聘しようと再び命がけの入唐を決意し…

ふたりが人生を賭けて求めるのは、国家の正統性だ。それにはこの時代、柵封国の道を選び、強大な先進国・唐という権威に認められることが必須だった。権威の神髄が厳重に管理された史書「魏略」、すなわち文字の記録であるところが面白い。朝廷のごくごく一部の権力者しか目にすることが許されない最高機密だ。
文字といえば2019年に判明した、在唐時の真備の真筆とされる墓誌のエピソードもわくわくする。洛陽で発見された遺物で、末尾の「日本国朝臣備書」は日本人の直筆による「日本国」の文字として最古だという。巻末資料の写真をみると、なんとも几帳面で威厳が漂う字体。当時のエリートの教養と努力、そして日中の長く深い関わりを思わずにいられない。国際情勢が揺れ動く今、そんな感慨を抱けるのも、文字の記録があってこそ。

東郷隆の小説「肥満」が強烈だった安禄山ら、有名人が続々登場。スケールの大きさも楽しい。その中で仲麻呂の二人目の妻、玉鈴のクールな造形が魅力的だ。辛い目に遭ってきて、楊貴妃の姉として厚遇されるようになっても周囲に心を許さず、護身術に打ち込む。玄宗お気に入りの仲麻呂も単なる政略結婚と突き放していたが、胸に秘めた使命感を敏感に察していて、土壇場で気持ちが通じ合う。
有名でも無名でも、歴史の大河に否応なく呑み込まれ、もみくちゃになっていく人々。歴史の大きな謎がすっきりするわけではないんだけど、それぞれの、なけなしの誇りが清々しい。(2024/5)

August 14, 2023

塞王の楯

「戦の最中で『扇の勾配』かよ。化物か」
 玲次は唖然とし、さらに段蔵は信じられぬといったように溜息を漏らす。
「しかも鉄砲狭間付き……そのようなことが本当に出来るのでしょうか」

「塞王の楯」今村翔吾著(集英社)

戦国時代を生きた近江の石垣職人集団・穴太衆。その最高峰に立つ若き「塞王」飛田匡介の活躍を描く。前半は匡介の不幸な少年時代や石積みの解説などで、まったりしていると思ったけれど、後半、大津城の闘いに突入すると、ぐっと引き込まれた。鉄砲鍛冶集団・国友衆のライバル、三落と対峙し、まさに矛と盾が誇りをかけて職人技を尽くす。

1600(慶長5)年9月、琵琶湖に面した舟運の地に立つ大津城。城主・京極高次は浅井三姉妹のひとり、初を正室としている。初の姉は秀吉の側室・茶々(淀)、妹は徳川秀忠の正室・江。愚鈍なのに閨閥で出世した「蛍大名」と侮られながら、どっこい大津の生き残りのため、城に籠もって西軍(三成軍)を迎え撃つ決断をする。
家臣にも慕われている高次に従った匡介は、石積櫓の爆破や格子状の石垣など、知恵と技を次々に繰り出して西軍を苦しめる。一方、攻め方の名将・立花宗茂に仕える三落も、雨をものともしないバネ式銃や大砲という新技術を投入。あまりに激しい攻防に、京の町人が弁当持参で繰り出して、三井寺観音堂から見物していたとか。

鉄壁の守りか、最終兵器か。ライバルふたりがともに相手の戦意を削り、結果として平和を目指すという筋は今の時代、ちょっと空しく感じられる。それでも開城して高野山へ送られた高次が、西軍1万5000を足止めしたことで関ヶ原での勝利に貢献し、家康に高く評価されたと知ると、なんだか爽やかだ。(2023/8)

April 23, 2023

森のうた

「天国と地獄」序曲の、どこかの部分の、アウフタクトをどう振るかで、大議論になった。講義中だなんて、忘れてしまう。
なんでまた「天国と地獄」なんていう曲の話になったかわからないが、とにかく、第四拍をパッと振るか、ふわっと振るかが問題だったのだ。

「森のうた 山本直純との藝大青春記」岩城宏之著(河出文庫)

エッセイの名手による、のちに著名指揮者となる2人の痛快青春記。まだ何者でもない、しかし才能と情熱はあふれている。こんな凄い2人が1950年代に、藝大で出会って親友になる、それだけでも奇跡のようなのに、とにかく言動がはちゃめちゃ、抱腹絶倒なのだ。

学生オーケストラを結成し、メンバー集めのため練習で蕎麦をふるまい、でも持ち合わせはないから代金を踏み倒しちゃう。講義中なのに指揮の議論に夢中になり、教壇の横に立たされてもまだ手を動かし続けて、学生たちの爆笑を誘う。大物指揮者の来日コンサートを聴きたいけど高いチケット代を払うのはしゃくなので、あの手この手でホールにもぐりこみ、裏方さんとおっかけっこを繰り広げる…
どうしようもなくやんちゃで不遜だけど、根っこはただ、ひたむきに指揮者を志して、振りたい、上達したい一心なのだ。たぶんいろいろ迷惑を被ったであろう恩師・渡邉暁雄との温かい関係も、音楽家同士の共鳴あってこそだろう。クライマックス、学生オケで当時ベストセラーだったという(時代だなあ)ショスタコーヴィッチ「森の歌」を上演するシーンでは、心からスタンディングオベーションをしたくなる。「祭り」の圧倒的高揚と、過ぎ去っていく若き日の一抹の苦さ。

1987年に出版、1990年に最初の文庫化。本作は2003年の再文庫化版をベースに、著者のあとがき、学友・林光の解説を収録し、新に池辺晋一郎の解説を加えていて、これもまた楽しい。(2023.4)

March 31, 2023

地図と拳

なぜこの国から、そして世界から『拳』はなくならないのでしょうか。答えは『地図』にあります。

「地図と拳」小川哲著(集英社)

激動の1899年から1955年まで、満州の架空の都市・李家鎮(仙桃城)をめぐる重厚な大河ドラマだ。理想の虹色都市を追い求めた満鉄の切れ者・細川と、浮世離れした若き建築家・須野明男(万物の始まり=海神オケアノス!)という魅力的なふたりを主軸に、気象学者、官僚や軍人や憲兵、義和団の拳匪、抗日ゲリラ、共産党の司令官、ロシア人宣教師…と、多数の人間ドラマが多視点で精緻に交錯し、620ページを飽きさせない。
突き放すようなタッチのなかに、ふと父子の心が通う瞬間があったりして、不意を突かれる。時代を動かし、時代にのまれながら、懸命にもがく力なき個人。凍てつく池で細川と明男が賭けをする、鱒釣りシーンが美しい。

全編を貫くキーワードのひとつに、かつてロシア人が地図の書き込んだ「青龍島」がある。黄海にぽつんと浮かぶ、存在しない島。2018年に読んだ図版たっぷり「世界をまどわせた地図」を思い出していたら、巻末の膨大な参考文献の中にあって、ちょっと嬉しくなった。幻の島とはフロンティアを求めるピュアな情熱の結晶であり、同時に、異文化に対する無理解や蹂躙という罪深さを映しだす。

その延長線上に、人はなぜ戦争をしてしまうのか、という骨太の問いが浮かび上がるのだ。満州でエリートが結集した「仮想内閣」は、様々なデュミナス(可能性)を検討し、国家の行方をかなりの精度で「予測」する。猪瀬直樹「昭和16年夏の敗戦」を思わせる皮肉なエピソード。
版図を求める闘いは本当に、国家という怪物の避けがたい業なのか。果たしていったん始めてしまったら、止まれないものなのか。闘いの挙げ句に何を得るというのか。小説世界が濃厚に現在と共鳴して、息が詰まる。

2020年に著者の短編集「嘘と正典」を読んだとき思わず、情報満載で理屈っぽい、と印象を記したけど、大量の知識を俯瞰して、編み上げていく力量、強靱な知力は、圧巻というしかない。1932年の凄惨な平頂山事件、一縷の望みだった愚かすぎる人造石油計画、最後の激戦地・虎頭要塞の虚無。すべての日本人が知るべき歴史の断面だ。2022年山田風太郎賞、直木賞受賞。(2023.3)

December 11, 2022

われら闇より天を見る

「きみはお母さんにそっくりだな」
「だまされちゃだめ」
男に見つめられてダッチェスは自転車をちょっとバックさせ、髪につけた小さなリボンをいじった。
「それは世をあざむく仮の姿。ただの女の子に見えるけど、ちがうんだから」

「われら闇より天を見る」クリス・ウィタカー著(早川書房)

2021英国推理作家協会賞ゴールド・ダガー賞、そして2022「このミステリーがすごい!」はじめ年末ミステリランキングで三冠を獲得した人間ドラマだ。辛い境遇に立ち向かう13歳、自称「無法者」ダッチェスの健気さが、500ページをぐいぐいと引っ張る。彼女は泣いたことがない。なぜって天使のような弟を守っているから。傷つけられたとき、瞬間沸騰する怒りと反撃、その哀しさ。応援したくてたまらなくなる。

舞台はカリフォルニアの海辺の町ケープ・ヘイヴン。誠実な警察署長ウォーカーは、酒に溺れる幼なじみスターと2人の幼い子供をいつも気にかけているが、彼らの心には30年前の不幸な事件が、今なお影を落としている。そこへ事件の加害者、親友ヴィンセントが刑期を終えて舞い戻り、新たな事件が… 波の浸食で空き家が崩れ落ちるエピソードが、不吉な予感をかきたてる。
人間関係の閉塞や悲劇がジョン・ハートを思わせるなあ、と思って、巻末の解説を読んだら、著者はまさにハートに出会って作家に転身しちゃったとのことで、納得。

登場人物がそれぞれ闇を抱えていて、正直こんがらがっちゃうんだけど、中盤にダッチェスが移り住むモンタナの大自然が素晴らしく、ぱあっと視界が開ける思いだ。ダッチェスは少しずつ、本当に少しずつ、心をほどいていく。なけなしの勇気をかき集めて彼女をダンスに誘うトマス・ノーブル、頑張れ!

それでも人生は残酷だ。後半200ページは怒濤の展開。ダッチェスが地獄への道行きの途中、うらぶれたバーで「明日に架ける橋」を歌うシーンが、映画のワンシーンのように切なく、胸に残る。

巻末の川出正樹の解説を読むと、著者の人生がまたドラマチックだ。大学進学をしくじり、PTSDを病み、金融トレーダーで大損、からの作家として成功って…。鈴木恵訳。(2022.12)

 

August 21, 2022

同志少女よ、敵を撃て

「戦後、狙撃手はどのように生きるべき存在でしょうか」
 講堂に緊張が走った。

「同志少女よ、敵を撃て」逢坂冬馬著(早川書房)

二次大戦の参戦国で唯一、ソ連は組織的に女性兵士を投入した。「戦いたいか、死にたいか」。狙撃兵として訓練されたセラフィマ18歳が体験する、独ソ戦の過酷。
2021年に早川書房のアガサ・クリスティー賞で、11回目にして初の全審査員満点を得て、衝撃のデビュー。翌2月にロシアのウクライナ侵攻が勃発し、4月に本屋大賞を受賞した話題作だ。

可愛らしい少女のカバー絵に油断すると、500ページ近く次から次へ、凄惨な戦争シーンが続いて目を覆う。実際、独ソ両国で3000万人は亡くなったと聞けば、呆然とするしかない。しかもセラフィマたちが転戦するスターリングラード(ボルゴグラード)からクルスク、ケーニヒスベルクは、どうしても欧州の現在と重なる。かつて戦争はサイバーと無人兵器でゲームみたいになる、と言った人もいたけど、まったく違うじゃないか。80年をへて、ちっとも変わらない人類の愚かさ。

作中では、今となっては重すぎるウクライナ人コサックやカザフ人の女性兵士が、主人公と生死ギリギリの行動を共にする。また、戦場で出会う民間人の女性たちは、ある者はパルチザンに身を投じ、ある者は蹂躙され、敵兵の愛人となって生き抜く。
なぜ戦うか、誰と戦うか。構図は単純でない。そして実在した天才狙撃手リュドミラ・パヴリチェンコが「頂上の景色」を語るシーンが、いかに残酷で、透徹していることか。

著者は父に歴史学者、姉にロシア文学者をもち、戦史をたどる筆致はなかなかに強靱だ。一方で、女性という存在への思い入れは、決して滑らかでないと感じたけれど、驚くべき第一作であることは間違いない。(2022.8)

June 26, 2022

自衛隊最高幹部が語る台湾有事

東シナ海のような半閉鎖海で紛争が起きれば、必ず沿岸国を巻き込むのである。

「自衛隊最高幹部が語る台湾有事」岩田清文、武居智久、尾上定正、兼原信克著(新潮新書)

シリーズ3冊目は武居・元海上幕僚長がホストとなり、前半でシナリオ別シミュレーションを収録。研究者や議員らが参加して、2021年8月に実施したというが、2022年になって起きたウクライナ侵攻によって、残念ながら、より懸念を呼ぶタイムリーなテーマとなったしまった。
後半はお馴染み、武居のほか岩田・元陸上幕僚長、尾上・元航空自衛隊補給本部長、兼原・元国家安全保障局次長による座談会だ。台湾との連絡経路やサイバー防衛、邦人移送の難しさなど、ずいぶんネタばらしに思えるけれど、その分野ではいずれも常識の範囲なのだろう。
いたずらに危機をあおらず、冷静で前向きな対話の姿勢が重要なのは、いうまでもない。そのうえで、米軍のミサイル持ち込みなど、微妙なところを一部の専門家任せでなく、広く議論しておける土壌が求められる気がする。(2022.6)

 

May 22, 2022

日米戦争と戦後日本

過去に対する糾明はぼかし得ても、未来についての方向づけは避けて通れない。結局のところ、事態からの反省と学習のほどは、新日本の建設をめぐって示されるだろう。

「日米戦争と戦後日本」五百旗頭真著(講談社学術文庫)

政治史の泰斗が一般向けに著した、米国の日本占領政策と戦後日本の形成。著者の代表的業績である、米国が壮絶な太平洋戦争を闘う一方で、着々と戦後日本の見取り図を描いていた、という歴史的事実に、改めて感嘆する。その過程では知日派研究者が「原案起草権」を握ったことが、のちの日本の運命に影響していた。

米当局内の知日派による「積極誘導論」(天皇制存続)と「介入変革論」による激しい綱引き。一個人の対日理解、具体的な日本人との交流の記憶が、ぎりぎりのところで歴史を動かしていく。特に日米友好の再建をライフワークと思い定めて、天皇制擁護論を展開したジョセフ・グルー元中日大使。ヤルタ秘密協定と原爆開発という重要機密の存在がまた、とっくに引退していておかしくない老外交官を突き動かす。
そして日本側。8月14日御前会議で天皇が自ら発した「自分はいかになろうとも」の一節が、戦後の天皇制存続につながっていく皮肉。そこに至るまでの、ローズベルトが蒋介石に琉球諸島の領有を勧めたり、硫黄島激戦(死傷者比率1:1)の「コスト」がプラグマティストたる米国の判断を揺るがしたり、といった経緯も実にスリリングだ。

後半の戦後に入ると、壮大な占領計画をベースにしつつ、「抵抗なくできること」から片付けていく日米双方の「実務」が前面に出て、また面白い。吉田茂らは非軍事化、民主化という強制を積極的に受け入れて実を得ようとする。著者はこれを「官僚的対応」だけれども、官僚は時代の覇者に仕えつつ覇者よりも長く生きる、と喝破する。
もちろん土台には、小津映画の「もう戦争はいかんよ」という台詞が象徴する強制を歓迎する気分、そして「敗者のマナーとしての協力姿勢」があった。著者はこうした柔軟な自己変革を、日本という国家の伝統とみる。今また国際環境の激変に直面して、歴史を踏まえつつ、どういう思考が必要なのだろうか。

1987年の連続講義をベースに1989年に出版、2005年に文庫化。もとより膨大な一次史料の探索と、当事者へのインタビューに裏うちされた難しい学術研究なのだけど、著者独特のユーモアをふんだんに含んだ、伸びやかな筆致が魅力的だ。(2022/5)

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