September 13, 2021

「中国」の形成

清朝なかりせば、東アジアの多元勢力をとりまとめ、平和と繁栄をもたらす事業はかなわなかった。しかし歴史というのは、常に冷酷である。非力なりに最善を尽くしたはずの清朝は、「革命」の声の中で亡んでいった。

「『中国』の形成 現代への展望」岡本隆司著(岩波新書)

「シリーズ中国の歴史」の第5巻を読む。
「マンジュ」が興した清朝が、モンゴル、チベット、ウイグルを「藩部」として緩やかに取り込み、周辺国(属国)や海外諸国(互市)と結びついて反映したさまを、著者はリアリズムに徹したと分析。東アジアに平和をもたらし栄華を謳歌した功績は大きいものの、多元を一元に転化させるほどの力量はなかったとみる。

そして日清戦争が分水嶺となって、情勢は変貌。帝国主義列強の外圧「瓜分(かぶん)」の恐怖はもとより、明治日本の急伸を目の当たりにして、それまで多元的で緩やかだった清は、体制変革、「国民国家」の大義へと駆り立てられていく。
果たしてその「夢」は、どこへ向かっていくのだろうか。んー、まだまだ勉強が必要だ。(2021・9)


July 20, 2021

かくしてモスクワの夜はつくられ、ジャズはトルコにもたらされた

絶望に屈してほどほどのところで手を打つのは性に合わなかった。彼は心に決めていた。もういちど、一からやり直そう。自分をコンスタンティノープルまで連れてきた歴史の力との知恵比べだ。

「かくしてモスクワの夜はつくられ、ジャズはトルコにもたらされた」ウラジーミル・アレクサンドロフ著(白水社)

20世紀初頭、ロシアとトルコで財をなした希代の実業家フレデリック・ブルースの波乱の生涯。原題は単に「The Black Russian」なのだけど、なにしろ無名の人物なので、長い邦題に加え、親切な副題「二つの帝国を渡り歩いた黒人興行師フレデリックの生涯」がついている。
無名のうえに、英雄でも偉人でもないんだけど、読み始めるとその冒険に引き込まれる。幕開けの、命からがら黒海の港町オデッサを脱出するシーンからして、手に汗握るスペクタクルだ。映画が何本も作れそう。

繰り返し思い知らされるのは、時代の大状況の前に、いかに個人が無力かということ。フレデリックの場合、大状況とは人種差別と革命による体制変更だった。
両親はもともとミシシッピ州に住む奴隷で、南北戦争終結による解放からわずか4年後に農場を持つが、詐欺に遭って転落する。フレデリックは18歳で南部に見切りをつけ、シカゴ、ニューヨーク、さらにロンドン、パリ、ミラノ、ウィーン…と放浪。帝政下のモスクワに腰を落ち着けたのは、黒人差別を感じなかったからだ(ユダヤ人差別はあったようだけど)。
そこで腕一本でのし上がり、大規模キャバレーを経営して成功をおさめるが、ロマノフ朝の崩壊によって一転、すべてを失っちゃう。難民となってたどり着いたコンスタンティノープル(イスタンブール)で見事に再起するものの、またもオスマン帝国の終焉になぎ倒され…

著者は決してフレデリックを美化していない。借金まみれだったり国籍を偽ったり、家庭も温かいものとはいいがたい。それでも運命に抗い、生き抜くしたたかさは痛快だ。
そもそもフレデリックの両親が、当時の南部では珍しい黒人による農場経営に乗り出していて、不屈の闘志を感じさせる。原著の出版は2013年だから、ちょうどBlack Lives Matterの発端のころなんですね。

さらに全編を魅力的にしているのは、フレデリック自身に成功をもたらした、客の心をわしづかみにする朗らかさ、うきうきした気分だろう。流行のジャズとダンスと可愛いロシア娘、おバカな喜劇やヴォードヴィル、ボクシング興行。ふと思い立つとボス自らどんちゃん騒ぎをはじめ、従業員らを引き連れて街を練り歩き、居合わせた人に誰彼かまわず、じゃんじゃん酒をおごっちゃう。
一個人に大状況は変えられない。どんなに理不尽でも、どうにもならないことはある。そのとき「ロシアの広い心」のいい加減さが、いかに人を生きながらえさせるか。

近代史を、歴史本とは違った角度から眺める趣きも。それにしても、よくぞ、こんな面白い人物を発掘したなあ。著者は亡命ロシア人二世で、米国におけるロシア文学研究の第一人者とか。ノンフィクションは畑違いだったわけだけど、巻末の膨大な出典一覧や原註が、研究者らしい手堅さと並々ならない情熱を物語る。労作にして異色作。竹田円訳、沼野充義解説。(2021・7)

June 13, 2021

令和の国防

アメリカは、一体、インド太平洋地域のどこまでを軍事力を使って守るだろうかというリアリティチェックが必要です。米国の国力は無限ではありません。

「自衛隊最高幹部が語る 令和の国防」岩田清文、武居智久、尾上定正、兼原信克著(新潮選書)

外交官で、2014年新設の国家安全保障局で次長も務めた兼原信克氏が舞台回しを務めた、陸海空の元自衛隊幹部による座談会。2020年6月収録なので、バイデン米大統領の誕生前だし、コロナ禍もまだ半ばではあるが、台湾有事をめぐる危機感など、その後の議論を先取りする部分も多い。

まず歴史と国際情勢を学び、現実を直視して、冷静に分析すべし。そして責任ある立場の者が、責任ある場で逃げずに議論すべし、という論調には、多くの示唆がある。一方で、具体的な人員とか予算とかに話題が及ぶと、自らの組織第一の意識が見え隠れしてきて、胸がざわざわするのは否めない。こういう組織の論理が結局、国家の道を誤らせることになるのでは、と。

巻末には具体的な提言も。まずはこの意味を広く議論できるリテラシーの普及が必要、あまり時間は残されていないのでは、と思えてならない。(2021.6)

April 11, 2021

新作らくごの舞台裏

演者のキャラと作品とがぴったり合ってしまって「これ以上工夫する余地がない」と判断されると、手を出す人がなく、演者が亡くなるとともに忘れられてしまうことになる。

「新作らくごの舞台裏」小佐田定雄著(ちくま新書)

枝雀一門、米朝一門をはじめ260席を超える新作を書いてきた落語作家が、創作の経緯を明かす。時系列に40席を選んで、1席5~8ページほどで、粗筋と工夫のポイントをテンポよく解説。もしかすると定番の古典も、こうして生まれてきたのかな、という発見の数々とともに、噺家はもちろん、ミュージシャンやSF作家まで、ゆかりの人々の横顔も垣間見えて楽しい。
「緊張の緩和」等々、枝雀直伝の笑いのツボを惜しげもなく披露。パフォーミングアートならではの丁々発止もあって、注文した演者のイメージをあえて裏切る噺をぶつけたり、演者が高座で手を加えてさらに面白く成長したり。作家として、いっとき笑いをとるだけでなく、繰り返し演じられ、残っていってナンボ、という気概がいい。ファンにとっても、噺家によって、また同じ噺家でも時とともに演出が変わるのは、落語を聴く大きな楽しみだし。
江戸落語の上方化や、明治期の記録からの復活も数多く手掛ける。当たり前なんだろうけど、東西古今の落語にとどまらない、すさまじい勉強量に驚く。例えば上方では独特の「ハメモノ」=下座音楽の豊かさが楽しいわけだが、これを使いこなすには邦楽の知識が必須だ。落語から発展して、狂言、歌舞伎なども書いているのは、ジャンルの壁が低い上方ならではか。江戸期の文楽と歌舞伎のように、ジャンルを超える担い手の力量とチャレンジ精神が、可能性を広げていくんだろうなあ。巻末に初演年表付き。(2021・4)

March 21, 2021

クララとお日さま

「ときどきね、クララ、いまみたいな特別な瞬間には、人は幸せと同時に痛みを感じるものなの、すべてを見逃さずにいてくれて嬉しいわ」

「クララとお日さま」カズオ・イシグロ著(早川書房)

期待の6年ぶりの長編で、2017年ノーベル文学賞受賞後の第一作は、「人を思うということ」を描く切ないSFだ。AIを搭載し太陽光で動くロボット、クララの幼い一人称語り。名作「私を離さないで」を超え、クララの「感受性」に胸を締め付けられる。

クララが「親友」となって共に暮すことになる少女ジョジーは、裕福だけど病弱で、読んでいてはらはらする。童話みたいな語り口のなかに、テクノロジーの力で思い通り幸せになれると考える大人たちの傲慢とか、競争社会の格差、妄信と分断とかが容赦なく影を落とす。不穏だなあ。

本作の非凡なところは、そういう現代的な問題設定の先に、とても普遍的に「思いを感じとる」こと、共感することの崇高さを描くところ。クララがジョジーに寄せる信頼と献身は、あらかじめAIに設定された機能では決してない。観察し、分析し、学びとる作業を積み重ねることで、はじめて作用する。ジョジーが淡い恋の相手リックとかわす「吹き出しゲーム」にも、そんな交流がある。

クララの心象風景が、とても映像的で鮮やかだ。未経験のできごとに遭遇したとき、クララの視界がいくつものブロックに分割され、素早く再構築されるシーン。ソファーの背を抱えて、恩寵をもたらすお日さまが沈みゆくのを飽かず眺めているシーン。型落ちゆえに滅びゆく者の、なんといういじらしさ。
ラストは切なすぎてひどい!と思っちゃったけど、これが作家の誠実なのかな。「利他」こそ最高の発明。人類が獲得した貴重な財産をすり減らさないために、何ができるのかと思わずにいられない。土屋政雄訳。(2021.3)

 

January 30, 2021

松緑芸話

その時にあの六代目が涙をポロポロこぼして、「お前まずくってもいいから、ともかく行儀よくやれよ」と言ってくれました。

「松緑芸話」尾上松緑著(講談社文庫)

大正・昭和の名優二代目松緑の語りおろし。国立劇場の名プロデューサー、織田紘二による聞き取りならではの、貴重な逸話が満載だ。古本で。
前半部分、ちょっとべらんめえの愛らしい口調で明かす、名前だけを知っている綺羅星のような俳優たちの人物像が、まず楽しい。3人息子をなんと団十郎、幸四郎、松緑に育てた七世松本幸四郎の偉大さ。成田屋の大看板なのに「藤間家の長男」を通した団十郎の問答無用。松緑家の掛け軸を見て「こりゃいいや」と名前を決めちゃう「中の兄貴」の軽妙さ。なくてはならない脇役陣の思い出。
なにより師匠・六代目菊五郎のスターぶりが痛快だ。わがまま、高慢、そして芝居を面白くすることに命をかけた。喧嘩ばかりしていた初世吉右衛門が最高の相棒だったこと…
後半は代表演目の役の解釈などを解説。三大戯曲はもちろん、「熊谷陣屋」にこめた戦争体験などが深い。
個人的には「髪結新三」など、木阿弥の世話物の話に引き込まれた。仕草やセリフ回しはもちろん、六代目から受け継いだ道具などの細々したこと、すべてが江戸っ子の粋に通じる。ストーリーどうこうより、舞台に空気が漂うさまが、目に浮かぶようだ。この空気を、これから一体誰が受け継いでいけるんだろう…
死去直前の平成元年刊行、平成四年に単行本化。上演年表付き。(2021年1月)

July 18, 2020

嘘と正典

歴史上の成果は二つの種類に分けることができるということなんです。ある特定の人物がいなくても存在したものと、ある特定の人物がいなければ存在し得なかったものの二つに

「嘘と正典」小川哲著(早川書房)

2019年後半の直木賞候補作となった注目のSF短編集を、電子書籍で。一読して理屈っぽい、頭でっかちの印象は否めない。
淡々と無駄のない語り口なんだけど、共産主義の誕生秘話、奇術や競馬の血統史、音楽理論など、リサーチがぎっしり。さらにタイムマシン・パラドクスの議論が中心テーマになっていたり、本格とかSFに慣れない身には、胃もたれする。1編読み終わるたびに「誰か解説してよー」と言いたくなっちゃう。

それだけに、不意にじわっと抑えきれない情熱みたいなものがにじむのが、印象を残す。共産主義やナチズムなど歴史の非情に翻弄される、ちっぽけな個人の抵抗。あるいは苦い葛藤の記憶しかない息子が、初めて父の人生に触れる感慨。
特にフィリピンの離島が舞台の「ムジカ・ムンダーナ」が美しい。なにしろこの島には独自の文化があって、旋律が貨幣であり、交換や蓄財の対象になっている。厳しい英才教育に耐えかねて、作曲家の父と決別した「僕」が、遺品のテープから島にたどり着き、父が目指したものを知る。宇宙を旅する探査機ボイジャーに積まれた、レコードのイメージも素敵。まあ、表題は古代ローマの哲学者のうんぬん…と、やっぱり理屈っぽいんだけど。
共通するテーマは「時」なのかな。著者のプロフィールを見ると1986年生まれ、渋幕→東大理1→東大教養博士課程でチューリングを研究。なるほど、相当曲者な感じ。(2020・7)

May 17, 2020

やわらかな兄 征爾

征爾はとにかく「当たってくだけろ」主義で、桐朋の学生のころはよく日比谷公会堂のコンサートに切符がなくても通っていた。

「やわらかな兄 征爾」小澤幹雄著(光文社知恵の森文庫)

実弟で俳優の著者、愛称「ポン」さんが、やんちゃで涙もろいマエストロの横顔をつづったエッセー集。1985年の出版で、あとがきのみ2019年執筆。自分がたしなむ落語のこととか、内容は気ままなんだけど、家族ならではの温かさが心地いい。
渡欧し破竹の勢いで世に出ていくところとか、その後の贅沢で華麗な日常も面白いけれど、少年時代、貧しい日常の中で周囲がその才能を見出してくさまが感動的だ。なにしろ上の兄2人が言い出して、親戚のピアノを譲ってもらい、リアカーに載せて、2日がかりで40キロ運んだのだから。
オザワが指揮を学ぶようになってからは、チケットもないのにめぼしい来日コンサートなどの演奏会にたびたび潜り込み、切符売り場のおばさんに顔を覚えられちゃったらしい。おばさんの「明るくて、憎めない人だったねえ」というコメントは、ちょっと出来すぎだけど、さもありなんと思わせる。
ご兄弟はよく似ていて、私もホワイエでお見かけしたことがある。行間に愛嬌が漂うのも、共通項というか、大陸的ということなのかもしれない。(2020年5月)

April 11, 2020

拾った女

「仕事はやめる。行こう、ヘレン」俺たちは開いたドアを抜けた。

「拾った女」チャールズ・ウィルフォード著(扶桑社ミステリー)

1988 年に没したカルト的人気の犯罪小説家の「幻」の第2作で、1955年発表。その日暮らしでアル中の男女の、平凡だけど底なしの虚無を描く。解説は杉江松恋!

霧濃いサンフランシスコを舞台に、安カフェ店員のハリーが一人称で語る。ある夜、小柄でブロンドで、したたかに酩酊した美女ヘレンが店に現れ、運命の恋に落ちる。衝動的に店を辞め、ボロアパートで一緒に暮らし始めるが、ヘレンの肖像を描く幸せな日々はあっという間に行き詰まり、死の衝動が2人をとらえ始める…

凝った謎解きとかはないんだけど、ハリーのクールな造形が読む者を引っ張る。酒に溺れるダメ男で、腕っ節は強い。実はかつて、少しは将来を嘱望された抽象画のアーティストだった…。戦争の傷跡と、最後の最後で明かされるパーソナリティー(このへんは小説ならでは)も含めて、格好いいんだなあ。浜野アキオ訳。(2020.4)

March 25, 2020

チョンキンマンションのボスは知っている

金儲けを仲間や贈与を回していくための「手段」にする。金儲けこそが、社会をつくる遊びなのだと。

「チョンキンマンションのボスは知っている アングラ経済の人類学」小川さやか著(春秋社)

1978年生まれの文化人類学者が2016年、香港・チョンキンマンションの安宿を拠点にしたフィールドワークで知り合った、タンザニア出身のブローカーたちの暮らし、来歴、そして「インフォーマル経済」のリアルを描く。何やら明るくていい加減で、したたかで親切。彼らはいったいどうやって、商売を回しているのだろうか?

著者のキャラがまず面白い。なにしろ学生時代、タンザニアに渡って、路上の商売人と仲良くなってスワヒリ語を身につけたというのだから。本書でもタンザニア出身者の世話人的な「ボス」と昵懇になって、日本や中国メインランドと中東、アフリカを結ぶ、融通無碍な中古車やら中古スマホやら雑貨類の売買を間近で観察している。

焦点は、メンバーに「負い目」を感じさせない関係性とはどういうものか、ということだ。それは古くからの「贈与」とも、流行りの「シェア経済」とも一線を画すし、善意とも、普通の市場経済ともちょっと違うらしい。
個人的には正直、実態はよくつかめなかった。多かれ少なかれ不法な側面をはらむ商売のありようは、SNSを使っていたりして面白いんだけど、もしかすると世界中の交易都市と移民たちにありふれたものなのかもしれないし、非常に斬新な概念なのかもしれない。理解するにはけっこうリテラシーが必要かも。大宅壮一ノンフィクション賞受賞。(2020.3)



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