August 21, 2022

同志少女よ、敵を撃て

「戦後、狙撃手はどのように生きるべき存在でしょうか」
 講堂に緊張が走った。

「同志少女よ、敵を撃て」逢坂冬馬著(早川書房)

二次大戦の参戦国で唯一、ソ連は組織的に女性兵士を投入した。「戦いたいか、死にたいか」。狙撃兵として訓練されたセラフィマ18歳が体験する、独ソ戦の過酷。
2021年に早川書房のアガサ・クリスティー賞で、11回目にして初の全審査員満点を得て、衝撃のデビュー。翌2月にロシアのウクライナ侵攻が勃発し、4月に本屋大賞を受賞した話題作だ。

可愛らしい少女のカバー絵に油断すると、500ページ近く次から次へ、凄惨な戦争シーンが続いて目を覆う。実際、独ソ両国で3000万人は亡くなったと聞けば、呆然とするしかない。しかもセラフィマたちが転戦するスターリングラード(ボルゴグラード)からクルスク、ケーニヒスベルクは、どうしても欧州の現在と重なる。かつて戦争はサイバーと無人兵器でゲームみたいになる、と言った人もいたけど、まったく違うじゃないか。80年をへて、ちっとも変わらない人類の愚かさ。

作中では、今となっては重すぎるウクライナ人コサックやカザフ人の女性兵士が、主人公と生死ギリギリの行動を共にする。また、戦場で出会う民間人の女性たちは、ある者はパルチザンに身を投じ、ある者は蹂躙され、敵兵の愛人となって生き抜く。
なぜ戦うか、誰と戦うか。構図は単純でない。そして実在した天才狙撃手リュドミラ・パヴリチェンコが「頂上の景色」を語るシーンが、いかに残酷で、透徹していることか。

著者は父に歴史学者、姉にロシア文学者をもち、戦史をたどる筆致はなかなかに強靱だ。一方で、女性という存在への思い入れは、決して滑らかでないと感じたけれど、驚くべき第一作であることは間違いない。(2022.8)

 

June 26, 2022

自衛隊最高幹部が語る台湾有事

東シナ海のような半閉鎖海で紛争が起きれば、必ず沿岸国を巻き込むのである。

「自衛隊最高幹部が語る台湾有事」岩田清文、武居智久、尾上定正、兼原信克著(新潮新書)

シリーズ3冊目は武居・元海上幕僚長がホストとなり、前半でシナリオ別シミュレーションを収録。研究者や議員らが参加して、2021年8月に実施したというが、2022年になって起きたウクライナ侵攻によって、残念ながら、より懸念を呼ぶタイムリーなテーマとなったしまった。
後半はお馴染み、武居のほか岩田・元陸上幕僚長、尾上・元航空自衛隊補給本部長、兼原・元国家安全保障局次長による座談会だ。台湾との連絡経路やサイバー防衛、邦人移送の難しさなど、ずいぶんネタばらしに思えるけれど、その分野ではいずれも常識の範囲なのだろう。
いたずらに危機をあおらず、冷静で前向きな対話の姿勢が重要なのは、いうまでもない。そのうえで、米軍のミサイル持ち込みなど、微妙なところを一部の専門家任せでなく、広く議論しておける土壌が求められる気がする。(2022.6)

 

May 22, 2022

日米戦争と戦後日本

過去に対する糾明はぼかし得ても,未来についての方向づけは避けて通れない。結局のところ、事態からの反省と学習のほどは、新日本の建設をめぐって示されるだろう。

「日米戦争と戦後日本」五百旗頭真著(講談社学術文庫)

政治史の泰斗が一般向けに著した、米国の日本占領政策と戦後日本の形成。著者の代表的業績である、米国が壮絶な太平洋戦争を闘う一方で、着々と戦後日本の見取り図を描いていた、という歴史的事実に、改めて感嘆する。その過程では知日派研究者が「原案起草権」を握ったことが、のちの日本の運命に影響していた。

米当局内の知日派による「積極誘導論」(天皇制存続)と「介入変革論」による激しい綱引き。一個人の対日理解、具体的な日本人との交流の記憶が、ぎりぎりのところで歴史を動かしていく。特に日米友好の再建をライフワークと思い定めて、天皇制擁護論を展開したジョセフ・グルー元中日大使。ヤルタ秘密協定と原爆開発という重要機密の存在がまた、とっくに引退していておかしくない老外交官を突き動かす。
そして日本側。8月14日御前会議で天皇が自ら発した「自分はいかになろうとも」の一節が、戦後の天皇制存続につながっていく皮肉。そこに至るまでの、ローズベルトが蒋介石に琉球諸島の領有を勧めたり、硫黄島激戦(死傷者比率1:1)の「コスト」がプラグマティストたる米国の判断を揺るがしたり、といった経緯も実にスリリングだ。

後半の戦後に入ると、壮大な占領計画をベースにしつつ、「抵抗なくできること」から片付けていく日米双方の「実務」が前面に出て、また面白い。吉田茂らは非軍事化、民主化という強制を積極的に受け入れて実を得ようとする。著者はこれを「官僚的対応」だけれども、官僚は時代の覇者に仕えつつ覇者よりも長く生きる、と喝破する。
もちろん土台には、小津映画の「もう戦争はいかんよ」という台詞が象徴する強制を歓迎する気分、そして「敗者のマナーとしての協力姿勢」があった。著者はこうした柔軟な自己変革を、日本という国家の伝統とみる。今また国際環境の激変に直面して、歴史を踏まえつつ、どういう思考が必要なのだろうか。

1987年の連続講義をベースに1989年に出版、2005年に文庫化。もとより膨大な一次史料の探索と、当事者へのインタビューに裏うちされた難しい学術研究なのだけど、著者独特のユーモアをふんだんに含んだ、伸びやかな筆致が魅力的だ。(2022/5)

April 17, 2022

核兵器について、本音で話そう

戦後、核兵器を巡る議論は欧州を中心に展開した。英仏の核武装、ドイツを始めとしたアメリカの同盟国の安全保障、アジアでの米国の同盟網創設、NPT(核兵器不拡散条約)体制の発足など、戦後の主要な外交、安全保障問題にはほとんど核問題が絡んでいた。
 日本は、半世紀近く続いた冷戦の期間中、陸上国境で強大なソ連軍と接していた欧州ほどの軍事的緊張感をついぞ抱かなかった。

「核兵器について、本音で話そう」太田昌克、兼原信克、高見澤將林、番匠幸一郎著(新潮選書)

「令和の国防」に続き、外務官僚で元国家安全保障局次長の兼原信克氏がホストを務める座談会だ。2021年9月の収録だが、刊行が2022年2月となり、ロシアがウクライナの原発を一時占拠する事態が発生。タイムリーな論考となった。
国家安全保障局次長を経てジュネーブ軍縮会議日本政府代表部大使を務める元防衛官僚、元陸将、そして長年核問題をカバーしてきた元共同通信論説委員という顔ぶれ。台湾、北朝鮮やロシアの現状、サイバー・宇宙防衛との関係などを論点に、歴史的な経緯やドイツとの比較、近年のアジアにおける急激な情勢変化を確認していく。
「核シェアリング」とNPT(核兵器不拡散条約)との関係等、議論は必ずしも収束しない。だからこそ、幅広いリテラシーの深化が必要だと、強く思わせる1冊だ。(2022.5)

 

September 13, 2021

「中国」の形成

清朝なかりせば、東アジアの多元勢力をとりまとめ、平和と繁栄をもたらす事業はかなわなかった。しかし歴史というのは、常に冷酷である。非力なりに最善を尽くしたはずの清朝は、「革命」の声の中で亡んでいった。

「『中国』の形成 現代への展望」岡本隆司著(岩波新書)

「シリーズ中国の歴史」の第5巻を読む。
「マンジュ」が興した清朝が、モンゴル、チベット、ウイグルを「藩部」として緩やかに取り込み、周辺国(属国)や海外諸国(互市)と結びついて反映したさまを、著者はリアリズムに徹したと分析。東アジアに平和をもたらし栄華を謳歌した功績は大きいものの、多元を一元に転化させるほどの力量はなかったとみる。

そして日清戦争が分水嶺となって、情勢は変貌。帝国主義列強の外圧「瓜分(かぶん)」の恐怖はもとより、明治日本の急伸を目の当たりにして、それまで多元的で緩やかだった清は、体制変革、「国民国家」の大義へと駆り立てられていく。
果たしてその「夢」は、どこへ向かっていくのだろうか。んー、まだまだ勉強が必要だ。(2021・9)


July 20, 2021

かくしてモスクワの夜はつくられ、ジャズはトルコにもたらされた

絶望に屈してほどほどのところで手を打つのは性に合わなかった。彼は心に決めていた。もういちど、一からやり直そう。自分をコンスタンティノープルまで連れてきた歴史の力との知恵比べだ。

「かくしてモスクワの夜はつくられ、ジャズはトルコにもたらされた」ウラジーミル・アレクサンドロフ著(白水社)

20世紀初頭、ロシアとトルコで財をなした希代の実業家フレデリック・ブルースの波乱の生涯。原題は単に「The Black Russian」なのだけど、なにしろ無名の人物なので、長い邦題に加え、親切な副題「二つの帝国を渡り歩いた黒人興行師フレデリックの生涯」がついている。
無名のうえに、英雄でも偉人でもないんだけど、読み始めるとその冒険に引き込まれる。幕開けの、命からがら黒海の港町オデッサを脱出するシーンからして、手に汗握るスペクタクルだ。映画が何本も作れそう。

繰り返し思い知らされるのは、時代の大状況の前に、いかに個人が無力かということ。フレデリックの場合、大状況とは人種差別と革命による体制変更だった。
両親はもともとミシシッピ州に住む奴隷で、南北戦争終結による解放からわずか4年後に農場を持つが、詐欺に遭って転落する。フレデリックは18歳で南部に見切りをつけ、シカゴ、ニューヨーク、さらにロンドン、パリ、ミラノ、ウィーン…と放浪。帝政下のモスクワに腰を落ち着けたのは、黒人差別を感じなかったからだ(ユダヤ人差別はあったようだけど)。
そこで腕一本でのし上がり、大規模キャバレーを経営して成功をおさめるが、ロマノフ朝の崩壊によって一転、すべてを失っちゃう。難民となってたどり着いたコンスタンティノープル(イスタンブール)で見事に再起するものの、またもオスマン帝国の終焉になぎ倒され…

著者は決してフレデリックを美化していない。借金まみれだったり国籍を偽ったり、家庭も温かいものとはいいがたい。それでも運命に抗い、生き抜くしたたかさは痛快だ。
そもそもフレデリックの両親が、当時の南部では珍しい黒人による農場経営に乗り出していて、不屈の闘志を感じさせる。原著の出版は2013年だから、ちょうどBlack Lives Matterの発端のころなんですね。

さらに全編を魅力的にしているのは、フレデリック自身に成功をもたらした、客の心をわしづかみにする朗らかさ、うきうきした気分だろう。流行のジャズとダンスと可愛いロシア娘、おバカな喜劇やヴォードヴィル、ボクシング興行。ふと思い立つとボス自らどんちゃん騒ぎをはじめ、従業員らを引き連れて街を練り歩き、居合わせた人に誰彼かまわず、じゃんじゃん酒をおごっちゃう。
一個人に大状況は変えられない。どんなに理不尽でも、どうにもならないことはある。そのとき「ロシアの広い心」のいい加減さが、いかに人を生きながらえさせるか。

近代史を、歴史本とは違った角度から眺める趣きも。それにしても、よくぞ、こんな面白い人物を発掘したなあ。著者は亡命ロシア人二世で、米国におけるロシア文学研究の第一人者とか。ノンフィクションは畑違いだったわけだけど、巻末の膨大な出典一覧や原註が、研究者らしい手堅さと並々ならない情熱を物語る。労作にして異色作。竹田円訳、沼野充義解説。(2021・7)

June 13, 2021

令和の国防

アメリカは、一体、インド太平洋地域のどこまでを軍事力を使って守るだろうかというリアリティチェックが必要です。米国の国力は無限ではありません。

「自衛隊最高幹部が語る 令和の国防」岩田清文、武居智久、尾上定正、兼原信克著(新潮選書)

外交官で、2014年新設の国家安全保障局で次長も務めた兼原信克氏が舞台回しを務めた、陸海空の元自衛隊幹部による座談会。2020年6月収録なので、バイデン米大統領の誕生前だし、コロナ禍もまだ半ばではあるが、台湾有事をめぐる危機感など、その後の議論を先取りする部分も多い。

まず歴史と国際情勢を学び、現実を直視して、冷静に分析すべし。そして責任ある立場の者が、責任ある場で逃げずに議論すべし、という論調には、多くの示唆がある。一方で、具体的な人員とか予算とかに話題が及ぶと、自らの組織第一の意識が見え隠れしてきて、胸がざわざわするのは否めない。こういう組織の論理が結局、国家の道を誤らせることになるのでは、と。

巻末には具体的な提言も。まずはこの意味を広く議論できるリテラシーの普及が必要、あまり時間は残されていないのでは、と思えてならない。(2021.6)

April 11, 2021

新作らくごの舞台裏

演者のキャラと作品とがぴったり合ってしまって「これ以上工夫する余地がない」と判断されると、手を出す人がなく、演者が亡くなるとともに忘れられてしまうことになる。

「新作らくごの舞台裏」小佐田定雄著(ちくま新書)

枝雀一門、米朝一門をはじめ260席を超える新作を書いてきた落語作家が、創作の経緯を明かす。時系列に40席を選んで、1席5~8ページほどで、粗筋と工夫のポイントをテンポよく解説。もしかすると定番の古典も、こうして生まれてきたのかな、という発見の数々とともに、噺家はもちろん、ミュージシャンやSF作家まで、ゆかりの人々の横顔も垣間見えて楽しい。
「緊張の緩和」等々、枝雀直伝の笑いのツボを惜しげもなく披露。パフォーミングアートならではの丁々発止もあって、注文した演者のイメージをあえて裏切る噺をぶつけたり、演者が高座で手を加えてさらに面白く成長したり。作家として、いっとき笑いをとるだけでなく、繰り返し演じられ、残っていってナンボ、という気概がいい。ファンにとっても、噺家によって、また同じ噺家でも時とともに演出が変わるのは、落語を聴く大きな楽しみだし。
江戸落語の上方化や、明治期の記録からの復活も数多く手掛ける。当たり前なんだろうけど、東西古今の落語にとどまらない、すさまじい勉強量に驚く。例えば上方では独特の「ハメモノ」=下座音楽の豊かさが楽しいわけだが、これを使いこなすには邦楽の知識が必須だ。落語から発展して、狂言、歌舞伎なども書いているのは、ジャンルの壁が低い上方ならではか。江戸期の文楽と歌舞伎のように、ジャンルを超える担い手の力量とチャレンジ精神が、可能性を広げていくんだろうなあ。巻末に初演年表付き。(2021・4)

March 21, 2021

クララとお日さま

「ときどきね、クララ、いまみたいな特別な瞬間には、人は幸せと同時に痛みを感じるものなの、すべてを見逃さずにいてくれて嬉しいわ」

「クララとお日さま」カズオ・イシグロ著(早川書房)

期待の6年ぶりの長編で、2017年ノーベル文学賞受賞後の第一作は、「人を思うということ」を描く切ないSFだ。AIを搭載し太陽光で動くロボット、クララの幼い一人称語り。名作「私を離さないで」を超え、クララの「感受性」に胸を締め付けられる。

クララが「親友」となって共に暮すことになる少女ジョジーは、裕福だけど病弱で、読んでいてはらはらする。童話みたいな語り口のなかに、テクノロジーの力で思い通り幸せになれると考える大人たちの傲慢とか、競争社会の格差、妄信と分断とかが容赦なく影を落とす。不穏だなあ。

本作の非凡なところは、そういう現代的な問題設定の先に、とても普遍的に「思いを感じとる」こと、共感することの崇高さを描くところ。クララがジョジーに寄せる信頼と献身は、あらかじめAIに設定された機能では決してない。観察し、分析し、学びとる作業を積み重ねることで、はじめて作用する。ジョジーが淡い恋の相手リックとかわす「吹き出しゲーム」にも、そんな交流がある。

クララの心象風景が、とても映像的で鮮やかだ。未経験のできごとに遭遇したとき、クララの視界がいくつものブロックに分割され、素早く再構築されるシーン。ソファーの背を抱えて、恩寵をもたらすお日さまが沈みゆくのを飽かず眺めているシーン。型落ちゆえに滅びゆく者の、なんといういじらしさ。
ラストは切なすぎてひどい!と思っちゃったけど、これが作家の誠実なのかな。「利他」こそ最高の発明。人類が獲得した貴重な財産をすり減らさないために、何ができるのかと思わずにいられない。土屋政雄訳。(2021.3)

 

January 30, 2021

松緑芸話

その時にあの六代目が涙をポロポロこぼして、「お前まずくってもいいから、ともかく行儀よくやれよ」と言ってくれました。

「松緑芸話」尾上松緑著(講談社文庫)

大正・昭和の名優二代目松緑の語りおろし。国立劇場の名プロデューサー、織田紘二による聞き取りならではの、貴重な逸話が満載だ。古本で。
前半部分、ちょっとべらんめえの愛らしい口調で明かす、名前だけを知っている綺羅星のような俳優たちの人物像が、まず楽しい。3人息子をなんと団十郎、幸四郎、松緑に育てた七世松本幸四郎の偉大さ。成田屋の大看板なのに「藤間家の長男」を通した11代目団十郎の問答無用。松緑家の掛け軸を見て「こりゃいいや」と名前を決めちゃう「中の兄貴」の軽妙さ。なくてはならない脇役陣の思い出。
なにより師匠・六代目菊五郎のスターぶりが痛快だ。わがまま、高慢、そして芝居を面白くすることに命をかけたこと、喧嘩ばかりしていた初世吉右衛門が最高の相棒だったこと…
後半は代表演目の役の解釈などを解説。三大戯曲はもちろん、「熊谷陣屋」にこめた著者ならではの戦争体験などが、深い。
個人的には「髪結新三」など、黙阿弥の世話物の話に引き込まれた。仕草やセリフ回しはもちろん、六代目から受け継いだ道具などの細々した工夫、すべてが江戸っ子の粋に通じる。ストーリーどうこうより、舞台に江戸の空気が漂うさまが、目に浮かぶようだ。この空気を、これから一体誰が受け継いでいけるんだろう…
死去直前の平成元年刊行、平成四年に単行本化。上演年表付き。(2021年1月)

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