October 20, 2017

夜、僕らは輪になって歩く

彼女の世代の人々は、さしたる理由などなくても、一見して平凡な状況に起こりうるひどい出来事を思いついてしまう。それは彼らが生涯をかけて磨き上げた技術だった。

「夜、僕らは輪になって歩く」ダニエル・アラルコン著(新潮クレスト・ブックス)

1977年リマ生まれで、3歳で渡米した作家が、ペルーらしき国を舞台に、ある旅回りの劇団、特に、一座の演劇青年ネルソンの身に降りかかった事件を描く。

語り手の「僕」が、関係者にインタビューして事件の経緯をたどっていく形式。劇団はアンデス山地の村とか鉱山の町とかを訪ねて、酒場や学校の講堂、時には広場で公演をうっていく。その描写には、ロードノベル独特の浮遊感がある。しかも上演する演目が、その名も「間抜けの大統領」という風刺劇とあって、全編に軽みが漂っていて、どんどん読める。

しかし実は、一筋縄でいかない小説だ。ネルソンをとりまく親子、兄弟、恋人、親友、それぞれの思いがことごとくすれ違っていて、どこにも行きつかない。インタビュイーが真実を語っているとも限らないし、そもそも「僕」の正体が最終盤まで明かされないので、読み手はずうっと宙づり状態なのだ。

勉強不足のまま読みだしちゃったのだけど、背景には、登場人物たちが抱える根深い不条理がある。ペルーの1980、90年代は内戦の時代で、無差別テロや政府の苛烈な弾圧があった。小説の設定である2000年代には政情が安定しているといっても、都市には麻薬組織や、絶望的にずさんな司法制度がはびこり、一方で内陸部の生活環境は過酷で貧しい。米国への移住が若者の唯一の希望なんだけど、夢はかなわない。
俳優よろしく思い込みを演じることでしか、生きのびられないという感覚。個性的な人物を描きながら、淡々と突き放した筆致のなかに、割り切れなさ、宿命というようなものの存在が浮かび上がってくる物語だ。藤井光訳。(2017・10)

October 08, 2017

チェ・ゲバラ

チェは長らく「生」の中の「死」を生きていた。これからは永遠に変わらない三九歳の若い革命家として生き続けることになる。

「チェ・ゲバラ 旅、キューバ革命、ボリビア」(伊高浩昭著)中公新書

2017年キューバシリーズの仕上げに、写真展の解説を書いていた元共同通信特派員のゲバラ伝を読む。伝説の革命家に敬意を払いつつもクールヘッドをもって、苛烈な武力闘争への傾斜や、自らも認めていたというコミュニケーション力の不足など、その実像に迫っていく。

約250ページのうち、若い日の南米放浪やキューバ革命の勝利など、ロマンチックなのは約80ページまで。その後は容赦ない処刑の実行や、ソ連との距離をめぐる同志との確執、そして「ラテンアメリカ革命」の挫折と、息苦しいエピソードが続く。知的なチェが膨大な記録を残したがゆえに、細部のリアルさが切ない。
フィデルによる「別れの手紙」改竄説など、今なお真偽が見極めがたい部分も残る。それも含めて、神話というものなのだろう。

January 08, 2017

あひる

あひるを飼い始めてから子供がうちによく遊びにくるようになった。

「あひる」今村夏子著(書肆侃侃房)

日本翻訳大賞の創設者、西崎憲さんお勧めの1冊を読んでみた。表題作は西崎氏が口説いて、編集する文学ムック「たべるのがおそい」vol.1で発表されたもの。ほかに書き下ろしの「おばあちゃんの家」「森の兄弟」を収録。
メルヘンタッチなんだけど、決して油断はできない。田舎町に住む孤独な老人や貧しい子供の、ごく平凡な日常に潜む歪みをじわじわ描いて、ぞくっとさせる。
庭先で飼い始めたあひる。インキョと呼ばれる、おばあちゃんの変調。何気ないエピソードが、何やら訳ありの家族が抱える欠落を浮かび上がらせる。でも誰もが苦みを腹におさめて、日々を続けていくのだ。
著者は1980年生まれ。太宰治賞、三島由紀夫賞を受けた後、2年ぶりに発表した本作で、芥川賞候補に。書評家・豊崎由美さんによると「書かないテクニックがある」とのこと。確かに読む者のイメージを刺激する力量がありそうだ。ありふれた田んぼに、幻のように舞い降りる「孔雀」の不穏さが印象的。(2017・1)


June 28, 2016

資生堂インパクト

「女性社員のやる気がみえない」と嘆く企業は、自分たちの言動や女性社員の待遇・育成方針、職場環境に問題がないかを一度考えてみるといい。

「資生堂インパクト」石塚由紀夫著(日本経済新聞出版社)

資生堂は2013年、「育児のため時短勤務を選んでいる社員も遅番、土日勤務に加わるように」という厳しい方針を打ち出した。手厚い育児支援などで従来、「女性にやさしい会社」として知られていただけに、「業績難から逆コースに踏み出した」と議論を呼び、メディアでは「資生堂ショック」と取り沙汰された。果たして経営者の狙いは何だったのか、現場の管理職や当の女性社員はどう受け止めたのかを、丹念に検証する。

おりしも少子高齢化による労働人口の減少への対策として、「女性活躍推進法」が動き出した2014年。政府は女性の管理職への登用の旗を振り始めた。女性を多く採用し、子育て期に働き続けるために勤務を軽減する。その先に、管理職への道が自然に開けるのか? 責任を担っていく意欲の醸成、すなわち女性にとって「働きやすい会社」から「働き甲斐のある会社」へと、視点を替えなければならないのではないか。

経営という冷徹な現実の前に、資生堂の試みは選択肢のひとつでしかないだろう。それでもこの葛藤が、多くの経営者や管理職や働く人々にとって、決して他人事でないのは確かだ。(2016・6)

June 19, 2016

東京プリズン

「そうだな。やはり感服と言ったほうがいいな。なんたってひとつの民族がそれほど歴史を忘れて生きていけるとは!」

「東京プリズン」赤坂真理著(河出文庫)

2010年から2012年の雑誌連載を2012年に単行本化。毎日出版文化賞、司馬遼太郎賞、紫式部文学賞を受け、2014年に文庫化された小説を、戦後70年をへた平和安全法制施行の年に読んでみた。

物語は重層的だ。メーンは1980年から81年、米メイン州の田舎町に留学した16歳のマリが、進級をかけた課題として全校公開ディベートに挑む過程を描く。テーマは難題「天皇の戦争責任」であり、1964年生まれの少女が突如、異国で単身挑む東京裁判だった。
そこに2009年から11年にかけ、成人し、離婚などをへて物書きになったマリが、留学当時やこれまでの暮らしを振り返るシーンが挟まる。30年の時をへだててつながる電話、というSF的仕掛けを駆使。かつて東京裁判資料の翻訳を手伝っていた母との、長い長い心のすれ違いから家業の行き詰まり、父の死、バブル崩壊、大震災まで、戦後ニッポンのひずみを描いていく。

正直、感受性の強い少女の独白とファンタジーという取り合わせは個人的にあまり得意でなく、500ページ強を読み取すのはなかなかきつかった。とはいえ議論の多い現代史に真摯に向き合い、考えようとする思いは伝わってくる。イメージの混沌のなかから、意外に率直な作家の姿が垣間見える。(2016・6)

May 20, 2016

経済学に何ができるか

その起源をどこまで遡れるかは別にして、われわれの知的遺産としての経済学の価値は一般に評される以上に大きいと筆者は考える。

「経済学に何ができるか」猪木武徳著(中公新書)

経済思想などの泰斗が、2010年春から1年間の新聞連載を中心に2012年に出版。タイミングはピケティブームの前ながら、ギリシャ危機やワーキング・プア問題を踏まえて、なぜ経済学は目前の諸問題を鮮やかに解決できないのか、今につながるテーマを考察する。

アリストテレス、アダム・スミス、ハイエク、フェルドシュタインと、古今の論説を縦横無尽に駆使。徴税という権力、中央銀行の独立、所得格差やマーケット倫理などのテーマを通じて、相反する利害の調整という、シンプルだけど普遍的な課題の難しさを突き詰めていく。この筆致の誠実さ。

市場と自由は万能ではない。どうしたって修正を繰り返す必要があって、そのとき価値を選択する装置がデモクラシーであるはずだ。前提になるのは知性への信頼であり、経済学ができることは判断に資する論理を提示するところまでだ、と著者は説く。こうした知性と品格を、多くの人が共有することがデモクラシーのインフラになるのだろう。巻末に経済用語や人名の検索付き。(2016・5)

December 10, 2014

本にだって雄と雌があります

文集に将来の夢のベスト・スリーをそれぞれ発表するコーナーがあったのだが、何を隠そう私は第三位のところに「小説家」と書いていた。これだけでもう執行猶予のつかない懲役四年ぐらいだ。しかしこれは奈落へと至る三段跳びのホップに過ぎなかった。というのも、私はさらに第二位の欄には「中説家」、そして第一の欄には狙い過たず「大説家」と書いてしまったのだ。死刑確定で再審請求も却下だ。大、中、小、この三段構えの冗談を思いついた小学校六年生の私の心は亢竜のごとく舞いあがり、これで一生喰いっぱぐれない、このギャグ一つで世界を回れる、と思った。日本語なのに。

「本にだって雄と雌があります」小田雅久仁著(新潮社)

2012年Twitter文学賞国内編第1位に輝く、奇想天外な圧巻ファンタジーを電子書籍で。全編がごく平凡そうな男・博が息子の恵次郎に、深井家の歴史を伝える長大な手記の形をとっている。その物語には、本と本から本が生まれ、まるで鳥のように飛び回っちゃう「幻書」の奇跡がまつわっていた。

大変な力技だ。とにかく全編を彩る無駄な笑いがリズミカルかつ強引で、ぐいぐい持っていかれる。そうして何が本筋なのが判然としないまま、ニタニタしているうちに、読む者は壮大な夢に巻き込まれちゃう。
それは本好きなら、誰もが一度は想像するであろう2つの夢だ。1つは、家にある本がどんどん増殖しちゃう謎の正体。自分で手に入れているくせに、不思議としか思えない。そしてもう1つは、世界のどこかに古今東西の書物が集まった理想郷があるというイメージだ。好きな本、無尽蔵な人類の智恵を、時間無制限に読みまくれる図書館。

饒舌なギャグと幻想とのミックスを、見事なディテール、膨大な情報が支える。帝大生で後に学者・文筆家になり、生涯脱力するようなジョークばかり言っていた祖父與次郎と、後年は画家になるおきゃんな祖母ミキ。この個性的なおしどり夫婦の若き日の馴れ染めが、なんともチャーミングだ。古風な青春の眩しいこと。

対照的に、與次郎が青年期に経験した壮絶なボルネオの戦闘、そして昭和61年に彼を襲った飛行機事故の恐怖は壮絶。昭和史の明暗が、リアルに描かれていて引き込まれる。

長大な物語の終盤、目いっぱい広がった大風呂敷が畳まれてみれば、これは「人から人へ伝わっていくこと」の愛おしさにまつわる物語だとわかってくる。あらゆる書物、そして誰かの想い。「與次郎の人生が誰かの続きであったように、私の人生が誰かの続きであるように、君の人生もまた誰かの続きであるはずだから。」というくだりが、妙に胸にしみる。快作。(2014・12)

June 13, 2014

遺体

 小泉は身元確認のメモに記された知った名前に気がつく度に、誰にも聞こえないほど小さな声でつぶやいた。
「君もか……」

「遺体 震災、津波の果てに」石井光太著(新潮社)

東日本大震災直後の釜石市の遺体安置所を描いて評判だったノンフィクションを、ようやく読むことができた。正直怖かったけれど、読んで良かった。
民生委員、市職員、住職、医師、歯科医、消防団員、自衛隊員や海上保安士…。さまざまな立場の人物へのインタビューを通して、むしろ淡々と、極限状態の日々を綴っていく。
涙は出ない。自らも被災し、親しい者の死に直面しながら、一人ひとりが眼前の事態に対処しようとしている。決して英雄でない市井の人々が、義務を果たす。圧倒的で容赦ない現実が胸に迫る。電子書籍で。(2014・6)

April 19, 2014

「ブラックアウト」「オール・クリア1」「オール・クリア2」

英雄を観察したいのなら、マイクル・デイヴィーズは、ダンケルクなんかじゃなくてここに来るべきだ。

「ブラックアウト」「オール・クリア1」「オール・クリア2」コニー・ウィリス著(新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

過去へのタイムトラベルが実現した2060年。オックスフォード大の史学生3人が第二次大戦の現地調査に赴く。メロピーはメイドになって疎開児童を世話する領主館へ、ポリーは売り子として百貨店へ、マイクルは米国人記者に扮して史上名高い「ダンケルク撤退」の現場へ。ところがどういうことか、未来に帰還するための「降下点」が作動しなくなり、3人は空襲下のロンドンに足止めされてしまう。果たして「デッドライン」を回避できるのか、未来から助けは来るのか? 3冊合計で400字換算3500枚という、宮部みゆきもびっくりの大長編を電子書籍で。

多くの読書ブロガーが語ってるけど、とにかく長い。シリーズの前作を読まずに、うっかり手を出したので、滑り出しのうちはタイムトラベルのお約束がわからずにきょとん。しかも物語は2060年と1941、1944、1945年、さらに1995年を頻繁に行ったり来たりする。それぞれの時代で登場人物が偽名を使っているので、誰が誰やら。そんなわけでずいぶん混乱しちゃったのに、なぜか読むのをやめられない。ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞受賞も納得の力技だ。

ポイントはタイムトラベルで、同じ人物が同一時点には存在できないため、ぐずぐずしてるとデッドラインを迎えて抹殺されちゃうということ。だから3人は必死で未来への帰還を試みるんだけど、いつもあと一歩のところで邪魔が入ったり、すれ違ったりして、イライラはらはらさせられる。激しい空襲の後で見上げるセント・ポール大聖堂の雄姿など、映像的なシーンの鮮やかさ、そして「時間」の非情さ。章ごとのラスト1行で、いちいち気をもたせるのも憎い。

もちろん人物描写も確かです。戦時下の苦境にあって、決してくじけず、ユーモアを忘れない市井の人々が、なんとも魅力的。読者は長い長いディテールをたどって、ともに過酷な日常を過ごすうちに、登場人物が生き生きとして、隣に住む知人のように思えてくる。ジャック・フィニイの「ふりだしに戻る」みたい。そうなるともう、著者の掌の上だ。
特にポリーが防空壕で出会うシェイクスピア俳優、サー・ゴドフリー・キングズマンが格好いい。教養ある名優で、お茶目で、色気があって。頻繁に戯曲のセリフを引用する会話が、いかにもイギリスっぽいし。そして何といっても、手癖も口も悪い疎開児童、ビニーとアルフのきょうだいが、抜群の存在感を発揮。数々の悪さで散々メロピーたちを悩ませ、そして最後には泣かせます。

デッドライン問題のほかにもう一つ、タイムトラベラーの言動が過去を改変してしまうのでは、という危機感が、重要なサスペンスになっている。私たちが知る史実の通り、英米の戦勝が絶対的な善だ、という前提なので、ちょっと複雑な気がする。とはいえ、広げまくった風呂敷が見事に回収された後、長大な時間のうねりの中でも、無名の市民の思い一つひとつが決して無駄ではない、というメッセージは、爽やかな余韻を残す。角度は違うけれど、タイムトラベルものの傑作「蒲生邸事件」を思い出しちゃった。
感動して、ついでに驚愕の偽装工作など、現代史のミニ知識も身に付く。頑張って読み通して良かった… 大労作の訳は大森望。(2014・4)

比類なきジーヴス

ジーヴスは何でもわかっている。どういうわけかは知らないが、彼は何でも知っている。彼の助言を笑い飛ばして前進し、すべてを失った頃もあった。しかし今の僕は違う。
「シャツのことだが、僕の注文した藤紫色のはもう届いたかな」
「はい。ご主人様。わたくしが送り返しましてございます」
「送り返した?」
「はい。ご主人様にはお似合いでございません」

「比類なきジーヴス」P.G.ウッドハウス著(図書刊行会)

人気のユーモア小説シリーズを読んでみた。1919年出版の連作短編集。ロンドンに住む伯爵家のお坊ちゃまバーティーが、他愛ないトラブルに巻き込まれるが、知恵者の執事ジーヴスが見事に解決する。評判通り、愉快愉快。

訳者の森村たまきさんが解説しているように、ダメ男バーティーのキャラクターが魅力的だ。お気楽で、若いくせにぶらぶらしていて、用事といえば散歩とクラブでのランチくらい。競馬に目がなく、服装の趣味はいまいち。何かというとジーヴスを頼っているけど、なかなかどうして決しておバカではないんだなあ。名門校出身で、会話では何気なく詩なんかを引用するし、妙な頼みごとをしてくる幼馴染じみビンゴ・リトルや従兄たちを、迷惑がりつつもちゃんと助けてあげる。古き良き貴族って感じ。
そんなご主人様の苦境を救う、ジーヴスの策略が痛快なのだが、そのプロセスで彼も恋人をゲットしていたり、したたかな面があって、いい味だ。バーティーが派手な服を買ってくると、決まってへそを曲げちゃうあたりがチャーミング。バーティーを陰ながら助けるというより、遠慮のない大人の友情が感じられる。
バーティーは全く頭が上がらない強圧的なアガサ叔母さん、惚れっぽ過ぎる懲りない男ビンゴと、その生活費を握っている叔父ら、脇役が個性的。しかもぎりぎりお下劣にならない、品の良さがある。愚かなドタバタと、にじみ出る教養。階級社会だからこそ成立するのかもしれないけど、イギリスでとってもポピュラーで、後続の作家に影響を与えたというのも納得できる。ユーモアのお手本のような小説です。(2014・4)

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