福音派
困難な状況のなかで、「再びアメリカを偉大に!」という呼び声は、多くの米国人に希望を与えることができたのだろう。その希望を作り出し、そのレトリックを紡ぎ、その運動を組織するなかで、福音派という宗教政治団体が誕生したのだ。そして彼らの中心にいて、その主役を務めたのが、観客に夢と希望を与えたハリウッド黄金時代の俳優ロナルド・レーガンだったことは、皮肉なのか、神の摂理なのか。
「福音派ーー終末論に引き裂かれるアメリカ社会」加藤喜之著(中公新書)
大国だったはずのアメリカはなぜトランプを選んだのか、これからどこへ向かうのか。今更ながら背景の一端を知るべく、2025年に話題だった新書を手にとった。思想史、宗教学の研究者が、1920年代から現在までの福音派「成り上がり」の足跡を丹念にたどる。通奏低音として流れるのは「トランプ信仰」の異様さ、政治的に中立な宗教がなくなり、公共圏が終末論に彩られることへの強い疑義だ。
研究者らしく膨大な史料を駆使していて迫力がある。多数の宗教者、活動家たちについて、経歴、主張はもちろんメディア戦略や公的資金の確保に至るまでを網羅。福音派が世論と政治を動かすようになった過程を詳らかにする。大きなステップになったのが、レーガンが勝利した1980年大統領選だったという。
時代状況はスキャンダルが招いた政治エリートへの不信、インフレによる経済の沈滞、都市の治安悪化。自分たちの社会を救うには、司法や教育、文化などすべてをもっと「キリスト教的」にしなければならない… 悪状況を見当違いの処方箋で紛らそうとするような、既視感を覚える光景。
ジョージ・W・ブッシュは1984年に回心を語って飲酒癖を浄化し、「神は私が大統領選に出ることを願っている」と2001年に当選、福音派に黄金時代をもたらした。そのブッシュを架け橋として福音派はネオコンと結びつく。思想的な共通点がほとんどないにもかかわらず、中東での権益確保などで利害が一致し、イラク戦争の推進力となっていく。
戦争といえば、トランプ政権の中東政策の変節にも、福音派の支持が影響している。著者は結局のところ、終末論を信奉する福音派はユダヤ人がエルサレムを支配することを望むだけで、中東和平は眼中にないと指摘する。
著者が淡々と紹介していく福音派の言説には、科学の否定とか家族観とか、何故支持されるのか理解しがたい過激なものも少なくない。それでもメディアを進化させて、大衆に浸透してきた。単にテレビ番組をつくるのではなく放送局を経営し、映画や書籍を世に出し、郊外のメガチャーチに2000人を超える信者を動員する。SNS活用も付け焼き刃ではない。
なかでも驚いたのは、南部、南西部に店舗が多い世界最大の小売業ウォルマートが、90年代から福音派関連の書籍やCD、ビデオを扱って売上高を伸ばしたというエピソードだ。当時のキリスト教連合の指導者ラルフ・リード(のちに選挙コンサルとしてブッシュ陣営に参画)はボランティアたちに対し、賛同者を募るなら土曜のウォルマートがいいと勧めたという。
重要なのは善悪二元論にたつ福音派には、対立する相手をサタンとみなす傾向があり、リベラリズムに不可欠な対話や妥協を困難にするという分析だ。公共圏が前提とする公共善の破壊。福音派の数そのものより、二元論にたつ手法の破壊力を見せつけたことこそが、民主主義の脅威だという著者の危機感は重い。(2026.7)