教養として学んでおきたい神社
ない宗教としての神道とある宗教としての仏教とは相性がいいとも言える。
「教養として学んでおきたい神社」島田裕巳著(マイナビ新書)
自宅本棚にあったごく簡単な新書を読んでみた。誰もが近所の散歩でも観光でもよく訪れ、スピリチュアルを持ち出さなくても、訪れれば自然に手を合わせる場所。そんな施設としての神社の成り立ちを、宗教学者が整理する。考え方の一部は伊勢や高千穂を訪れた際にも触れていて、断片的な知識がちょっとつながって面白い。
神道の神とは本居宣長が喝破したように、善良であっても、人に祟りをもたらす邪悪であってもおかまいなく、尋常でない、凄い存在ならすべて神だ、という概念にまずびっくり。だから古来の神話に登場する神に加えて、八幡神など神話以外の神、さらには菅原道真ら人間だった神と、どんどん増殖してきた。なるほど。
古典や絵巻物から、立派な建物としての「社殿」の起源を探るくだりは、研究者ならではだろう。いわく13世紀、鎌倉時代あたり、社殿の前に建つ「拝殿」になると14世紀と、意外に新しい。もっと時代をさかのぼると、ルーツは巨石=「磐座」に注連縄という自然信仰なのだという。こういう信仰のかたちは、アイルランドでもペルーでも見かけた世界共通のものではないか。8世紀ぐらいまでの沖ノ島では定まった建物どころか、祭礼をとりおこなう岩場や使う道具は一回限りで、終わったらそのまま放置していたという。
日本独特のようで、さらに面白いのは江戸期まで当たり前だった神仏習合だ。ヨーロッパでは土着の宗教がキリスト教にすっかり取り込まれた。例えば新約聖書にはキリストの誕生日の記述がなく、季節さえはっきりしない。土着の冬至の祭りを取り入れて12月25日にしたのだという。
ところが日本では国家が仏教を統治の基盤にしたにもかかわらず、神道もしっかり生き残った。すなわち本地垂迹説で、神の本当の姿(御正体)は仏、としちゃった。先日展覧会で観た平安時代の春日宮曼荼羅は、まさに本地垂迹を図解したもの。驚くべき融通無碍!
神道が明確な教祖や教義をもたない、「ない」宗教だからこその芸当で、そこに至るには8世紀、八幡神が国家的プロジェクトの大仏建立を助けて、菩薩号を与えられたことが大きかった、とか、三社祭でお馴染み浅草神社の三人の祭神は、なんと隅田川で浅草寺の本尊を発見した漁師ら3人のことだ、とか、トリビアが満載だ。
明治維新の神仏分離で、後付けで神道にも教派や社格の概念が導入され、さらに戦後、国家と神社が切り離されて伊勢神宮を本宗とする体制が整備されたと。ずいぶん最近のことなんだな~
全く意識していなくても、日本に生まれたら自動的に全員、神道の信者、という解説を聞いたことがある。世界の分断をみるまでもなく古来、宗教観は良くも悪くも、国家や民族の基盤のひとつ。考えだすと面倒も多いけれど、今更ながら重要な知識ではあると思い直した次第。(2025.8)