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April 05, 2025

まいまいつぶろ

「どんな駒も前に進めると教えてくださったのは家重様にございます」

「まいまいつぶろ」村木嵐著(幻冬舎)

2023年に評判だった、九代将軍・家重と側近・大岡忠光の生涯を描く一編を知人の勧めで。家重といえば、幼いころから障害を抱え、奥にこもって酒食にふけりがち。享保の改革を断行した偉大な先代・吉宗が実権を握り続けたと言われる。しかし本作では家重を、聡明で人の本性を見抜き、また弱者を労る心優しい人物と解釈。イメージを覆す設定は、時代小説の楽しみのひとつだ。

とはいえ、全編を覆う雰囲気は重苦しい。なにしろ家重は尿意を堪えるにも苦労して、まいまいつぶろと嘲られ、廃嫡の危機はもちろん、将軍の座についてさえ屈辱に耐え続ける日々だ。全く格好良くない。
その不明瞭な発話を唯一理解し、見事に「通訳」し通したのが忠光。少年時代からすぐ側にいて、最高権力者の絶対的な信頼を得たわけだが、それだけに厳しく自分を律する。家重の口代わりを務めても、決して耳や目にはならないと思い定め、つまり自分の見聞きしたことを家重にインプットしたり、家重が口にしない思いを自分が察して周囲に伝えることは、一切ない。無表情に一歩下がっていて、作中でも自分の言葉でしゃべるシーンがほとんどないほど。権勢を振るうことはなく、ついでに賄は断固拒否、紙一味も受け取らない。
清廉といえば立派だけれど、その頑なさが家重・忠光主従にとってプラスとは限らない。本当に忠光は家重の言葉を理解して、正確に伝えているのか? 江戸城の中枢に渦巻く疑念、嫉妬、嘲り、悪意。ではどうしたらいいのか。権力に仕えるものの宿命に正直、息が詰まる。家重治世の重要イベント、木曽三川の治水工事や郡上一揆では、昔のこととはいえ、あまりに多くの人命が失われちゃうのも、陰鬱で救いがない。
だからこそ、と言うべきだろう。吉宗の最晩年の言葉の温かさ、そして大詰め、忠光下城シーンの壮大な江戸城の景色がドラマチックで、ジンとくる。

思いが伝わらないことの辛さ、もどかしさの物語と考えると、ずいぶん普遍的なことに気づく。障害はもちろん、難病や加齢、より日常的にコミュニケーション下手な人というのは、たくさんいる。異文化に放り込まれた境遇でもありうること。伝わらないからといって無いことにしない、想像力の難しさ。

主役主従はなんとも地味だけれど、お馴染みの人物の登場は嬉しい。暴れん坊将軍・吉宗の存在感はもちろん、忠光の遠縁で終生の理解者である町奉行・大岡忠相(越前)、大河ドラマ「べらぼう」の十代府軍・家治の賢さ。なんといっても若き日の田沼意次が、めちゃくちゃ頭が切れて的確で、かつ、後年の忠光とは全く違うアプローチも思わせて面白い。
著者は京大法学部卒で、司馬遼太郎家の家事手伝いをへて夫人・福田みどりさんの個人秘書を務めた人。幕府の役職など時代小説の言葉は常識とばかり、説明を省きがちでちょっと難しいけれど、空気が壊れない。(2025.4)

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