イラク水滸伝
仁義に篤すぎて、新に知り合った人は、必ず「その前に昼飯をご馳走しよう」となるし、招かれれば半日が過ぎてしまうのが難点である。
「イラク水滸伝」高野秀行著(文藝春秋)
2014年「謎の独立国家ソマリランド」が面白かったノンフィクション作家の、またも強烈な冒険談。とにかくアフリカだのミャンマーだの、普通の人は行かないところへ行き、しないことをする人で、今度は南イラクの湿地帯アフワールだ。中東というと砂漠のイメージで、湿地とは意外だったけれど、考えてみればティグリス=ユーフラテス文明の故郷だものなあ。
一帯は迷路のように入り組んだ水路を小舟で移動するしかなく、昔から戦争に負けた者や迫害されたマイノリティ、山賊や犯罪者が逃げ込む場所だった。はみ出し者の梁山泊、いわば元祖・水滸伝。まだISと政府軍の攻防が熾烈を極める2017年、著者は「これほど魅力的でありつつ、これほど行きにくい世界遺産は他にない」と確信。「舟でアフワールを旅するぞ!」と決意しちゃう。いやはや。
当然、困難とハプニングの連続だ。そして困れば困るほど愉快そうなオフビートぶりが、この著者の魅力。湿地帯の案内人にコンタクトをとろうとするが、誰もがまず食事をおごろうとする土地柄。「会食湿地」にはまって、なかなか目的にたどり着けない。舟作りを発注したら、現地の船大工の板材の切り方がアバウト過ぎて、見ていて背筋がむずむずするけれど、できあがりはなんら問題無し。これはシュメール文明から「5000年来の雑さ」なのだ、と納得する。
個性的でオフビートな人物が続々登場。その勝手なあだ名がまた愉快だ。ずばり水滸伝のジャーシム宋江、アヤド呉用、風貌が思い浮かぶアリー松方弘樹少佐や白熊マーヘル…
決して無茶に行動しているわけではない。様々な文献、調査への言及もふんだん。水牛と浮島のライフスタイルは、紀元前2300年ごろのアッカド王朝まで遡れそうだと、悠久の歴史を語ったかと思えば、水量データを示しつつ戦乱や開発による湿地の危機を嘆く。アガサ・クリスティがコレクションしていたという工芸品、マーシュアラブ布の起源を探求し、ユダヤ人との接点に驚いたりもする。
もちろん戦争、武器・麻薬の密輸、宗教差別といった厳しい現実も。小学生のとき子供百人以上がバスでイラン・イラク戦争の前線に連れて行かれ、「子供は強くならなきゃいけないから、戦争を見て覚えなさい」と言われた。東京での事前調査で知り合ったイラク人の、そんな証言は衝撃だ。
情報は時にとりとめないけれど、生半可に整理しすぎない。「ゲッサ・ブ・ゲッサ(取り替えっこ)」結婚とか、にわかに理解できない慣習はどうしたって理解できない。それがノンフィクションの醍醐味かも。なんたって水滸伝、一筋縄ではいきません。
そうして情熱と体験、自分なりの考察を重ねて、湿地民は反米、反イランながら戦う人ではなく、文明や国家を他人事として突き放している、と思い至る。終盤で著者が見上げる、ギラギラと空自体が落ちてきそうな「すさまじい星空」が心に残る。
2019年、2023年「オール讀物」掲載を加筆・修正。(2024.10)
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