塞王の楯
「戦の最中で『扇の勾配』かよ。化物か」
玲次は唖然とし、さらに段蔵は信じられぬといったように溜息を漏らす。
「しかも鉄砲狭間付き……そのようなことが本当に出来るのでしょうか」
「塞王の楯」今村翔吾著(集英社)
戦国時代を生きた近江の石垣職人集団・穴太衆。その最高峰に立つ若き「塞王」飛田匡介の活躍を描く。前半は匡介の不幸な少年時代や石積みの解説などで、まったりしていると思ったけれど、後半、大津城の闘いに突入すると、ぐっと引き込まれた。鉄砲鍛冶集団・国友衆のライバル、三落と対峙し、まさに矛と盾が誇りをかけて職人技を尽くす。
1600(慶長5)年9月、琵琶湖に面した舟運の地に立つ大津城。城主・京極高次は浅井三姉妹のひとり、初を正室としている。初の姉は秀吉の側室・茶々(淀)、妹は徳川秀忠の正室・江。愚鈍なのに閨閥で出世した「蛍大名」と侮られながら、どっこい大津の生き残りのため、城に籠もって西軍(三成軍)を迎え撃つ決断をする。
家臣にも慕われている高次に従った匡介は、石積櫓の爆破や格子状の石垣など、知恵と技を次々に繰り出して西軍を苦しめる。一方、攻め方の名将・立花宗茂に仕える三落も、雨をものともしないバネ式銃や大砲という新技術を投入。あまりに激しい攻防に、京の町人が弁当持参で繰り出して、三井寺観音堂から見物していたとか。
鉄壁の守りか、最終兵器か。ライバルふたりがともに相手の戦意を削り、結果として平和を目指すという筋は今の時代、ちょっと空しく感じられる。それでも開城して高野山へ送られた高次が、西軍1万5000を足止めしたことで関ヶ原での勝利に貢献し、家康に高く評価されたと知ると、なんだか爽やかだ。(2023/8)
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