街とその不確かな壁
「ええ、今ここにいるわたしは、本当のわたしじゃない。その身代わりに過ぎないの。ただの移ろう影のようなもの」
「街とその不確かな壁」村上春樹著(新潮社)
ハルキ6年ぶり、650ページに及ぶ書き下ろし長編。前作「騎士団長殺し」に比べると、個人的には苦手な方のハルキでした。
1985年発表「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」をベースにしていて、閉ざされた街、一角獣や〈夢読み〉という舞台装置だけでなく、その静謐で謎に満ちた感じに既視感がある。そもそも「世界の終わり…」のベースは1980年発表の中編だというから、この世界的作家が生涯かけて紡いでいくテーマが、ここにあるのだろう。それは自分が身を置いている現実世界に、どうしても馴染めない、という感覚のように思える。
物語は現実世界と「街」が交錯しながら進む。現実世界のほうで主人公ぼくは、海に近い郊外に住んでいた高校時代、ひとつ年下の美しい少女と、微笑ましく熱烈な恋に落ちる。しかしある日、少女は忽然と姿を消してしまい、以降、ぼくは都会で誰にも心を許さず、孤独な日々を過ごす。強まっていく「ただこの現実が自分にそぐわない」という感覚。そして45歳になったとき突然、安定した職を辞して、福島の山間にある小さな図書館の館長に就く。
そんな現実と並行して、ぼくはかつて少女と空想した「高い壁に囲まれた街」に迷い込んでいた。夢か、自意識の幻影か。時計には針がなく、静謐で、味気ない。影を失ったぼくは、自分のことを覚えていない少女と再会し、毎夜図書館に通って、行き場を失った誰かの夢を読む。果たしてぼくは現実と「街」、どちらで生きることになるのか。…というあたりで、だいたい全編の3分の1。
ぼくは思う。現実と現実でないものを隔てる壁は、存在はするんだけど、どこまでも不確かだと。どのどちらで生きるか、選ぶことはできない。
思えばいったい何が、わたしたちをこの現実世界につなぎ止めているんだろう。社会的地位、やりがいと責任のある仕事、愛する家族や恋人。そんなものは実は、何の役にも立たないかもしれない。
正直わたしにとって、このテーマに実感がわくかというと、そうでもない。けれど夏の夕暮れ、17歳と16歳が並んで座る川岸での、「わたしはただの誰かの影」というささやきは、なんだか切実で、とっても哀しい。
文章はいつもながら滑らかで、残り3分の2もすいすい読める。ぼくが福島で出会う人物の造形が、魅力的だ。なんといっても高齢の前館長、子易氏。町の名士なんだけど、いつもベレー帽に謎のスカート姿。深い絶望を秘めつつ、言動に愛嬌があって可愛らしい。そんな子易氏への親しみを共有している、しっかり者の司書・添田さん。そしてぼく以上に、深刻な違和感を抱えて苦しむ「イエロー・サブマリン」の少年。
混沌をへて、自分自身が自分を受け止める、そう無条件に信じるということの貴重さが胸に残る。
2020年のコロナ下で書き始めたそうだけど、普遍的です。(2023.6)