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April 23, 2023

森のうた

「天国と地獄」序曲の、どこかの部分の、アウフタクトをどう振るかで、大議論になった。講義中だなんて、忘れてしまう。
なんでまた「天国と地獄」なんていう曲の話になったかわからないが、とにかく、第四拍をパッと振るか、ふわっと振るかが問題だったのだ。

「森のうた 山本直純との藝大青春記」岩城宏之著(河出文庫)

エッセイの名手による、のちに著名指揮者となる2人の痛快青春記。まだ何者でもない、しかし才能と情熱はあふれている。こんな凄い2人が1950年代に、藝大で出会って親友になる、それだけでも奇跡のようなのに、とにかく言動がはちゃめちゃ、抱腹絶倒なのだ。

学生オーケストラを結成し、メンバー集めのため練習で蕎麦をふるまい、でも持ち合わせはないから代金を踏み倒しちゃう。講義中なのに指揮の議論に夢中になり、教壇の横に立たされてもまだ手を動かし続けて、学生たちの爆笑を誘う。大物指揮者の来日コンサートを聴きたいけど高いチケット代を払うのはしゃくなので、あの手この手でホールにもぐりこみ、裏方さんとおっかけっこを繰り広げる…
どうしようもなくやんちゃで不遜だけど、根っこはただ、ひたむきに指揮者を志して、振りたい、上達したい一心なのだ。たぶんいろいろ迷惑を被ったであろう恩師・渡邉暁雄との温かい関係も、音楽家同士の共鳴あってこそだろう。クライマックス、学生オケで当時ベストセラーだったという(時代だなあ)ショスタコーヴィッチ「森の歌」を上演するシーンでは、心からスタンディングオベーションをしたくなる。「祭り」の圧倒的高揚と、過ぎ去っていく若き日の一抹の苦さ。

1987年に出版、1990年に最初の文庫化。本作は2003年の再文庫化版をベースに、著者のあとがき、学友・林光の解説を収録し、新に池辺晋一郎の解説を加えていて、これもまた楽しい。(2023.4)

April 12, 2023

三体Ⅲ 死神永生 

人類世界がきみを選んだのは、つまり、生命その他すべてに愛情をもって接することを選んだということなんだよ。たとえそのためにどんなに大きな代償を支払うとしてもね。

「三体Ⅲ 死神永生 上・下」劉慈欣著(早川書房)

ヒットSF「地球往事」3部作の完結編をついに。2作目のほうが面白いという評価を聞いていたけど、なかなかどうして。殲滅戦の絶望感など、二作目を超えるスケールだ。
未曾有の危機に直面して地球文明がどんな生き残り戦略を試みるかは、現代社会にも当てはまるシミュレーションのようで、相変わらず知的、かつ空恐ろしい。巨視的な舞台設定と、これでもかと詰め込んだ理解を超える情報量。でも結局は、大切な人を救いたいという一個人の思いが、運命を決定づけていく。ロマンティックで、それでいて砂漠に吹く風のような、空しく哀しいお話でした~

物語は2作目ラスト、「暗黒森林理論」で三体文明と人類の間に緊張緩和(デタント)が構築された時代から始まる。しかし「執剣者(ソードホルダー)」に抜擢されたヒロインのエンジニア、程心(チェン・シン)は核のボタンを押せず、均衡が崩壊。さらに他文明からの攻撃であんなに強かった三体文明はあえなく散り散り、同様に太陽系も絶滅の危機に瀕する。

大混乱のなか、人類が試みる3つの生き残り策が秀逸だ。「掩体計画(バンカー・プロジェクト)」は巨大惑星の陰に移住して、攻撃による太陽爆発から逃れる。「光速宇宙船プロジェクト」は飛躍的な航空技術の進化を成し遂げて、太陽系を脱出し、生き延びる。そして「暗黒領域計画(ブラック・ドメイン・プロジェクト)」はなんと太陽系まるごと「低光速ブラックホール」に引きこもり、全宇宙に対して我々は攻撃なんてできない、無害な存在だと明示する。いわば自ら武器を捨て、同時に文明も現世的幸せも放棄しちゃう。うーん、なんだか現代の紛争でもでてきそうな発想です。

そして他文明からの攻撃は、思いもかけない形で襲来する。2作目の「水滴」の凶暴さにもまいったけど、今回はもっと凄まじい。なにせ「次元攻撃」。なにそれ。見た目はなんと、漆黒の宇宙空間を漂う一枚の紙(長方形膜状物体)! もたらされる圧倒的な滑落と、人類のなすすべなさたるや。「水滴」の先に、まだこんな終末が待ち受けていたとは。

そこから先がぐっと難しくなるんだけど、まさかの羅輯(ルオジー)が人類最後の墓守として再登場。「石に字を彫る」と語るあたりで、中国4000年の深みにひりひりする。なにせ「詩経」だもんなあ。太陽系崩潰のとき、さいはてに舞う雪。故郷は一幅の絵になってしまう。ゴッホの名画「星月夜」のエピソードがまた、効いてます。
そしてヒロインがたどり着く、宇宙の真実。万物がゼロに戻っちゃう、これ以上無い空疎な心に、小さな希望が灯る。個人的にはここまで読んできて、あんまりすっきりはしなかったけど、切ない読後感は悪くなかったかも。

登場人物は相変わらず魅力的。程心は初め男性の設定だったのを、編集者のリクエストで女性にしたとか。正しいゆえに数々の過ちをおかし、激しい後悔に襲われながらも、生きて責任を果たす。「それでも、わたしは人間性を選ぶ」。女性だからこそ、しぶといキャラクターが際立った。
そしてなんといっても、「階梯計画」に選ばれる冴えないコミュ障男・雲天明(ユン・ティエンミン)の、時空を超えた片思いが泣かせます。憧れの女性に星をひとつプレゼントして、再会を約束するなんて、直球すぎ! 
程心の相棒・艾AA(あい・えいえい)のチャキチャキ感、問答無用の武闘派トマス・ウェイドも印象的だ。「俺によこせ、すべてを」だもんなあ。三体から乗り込んできた、何でもお見通しの智子(ソフォン)が、なぜか女性型ロボット「智子(ともこ)」になって忍者のコスプレでお茶をたてるのは、違和感満載だったけど。
大森望、光吉さくら、ワン・チャイ、泊功訳。(2023・4)

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