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March 31, 2023

地図と拳

なぜこの国から、そして世界から『拳』はなくならないのでしょうか。答えは『地図』にあります。

「地図と拳」小川哲著(集英社)

激動の1899年から1955年まで、満州の架空の都市・李家鎮(仙桃城)をめぐる重厚な大河ドラマだ。理想の虹色都市を追い求めた満鉄の切れ者・細川と、浮世離れした若き建築家・須野明男(万物の始まり=海神オケアノス!)という魅力的なふたりを主軸に、気象学者、官僚や軍人や憲兵、義和団の拳匪、抗日ゲリラ、共産党の司令官、ロシア人宣教師…と、多数の人間ドラマが多視点で精緻に交錯し、620ページを飽きさせない。
突き放すようなタッチのなかに、ふと父子の心が通う瞬間があったりして、不意を突かれる。時代を動かし、時代にのまれながら、懸命にもがく力なき個人。凍てつく池で細川と明男が賭けをする、鱒釣りシーンが美しい。

全編を貫くキーワードのひとつに、かつてロシア人が地図の書き込んだ「青龍島」がある。黄海にぽつんと浮かぶ、存在しない島。2018年に読んだ図版たっぷり「世界をまどわせた地図」を思い出していたら、巻末の膨大な参考文献の中にあって、ちょっと嬉しくなった。幻の島とはフロンティアを求めるピュアな情熱の結晶であり、同時に、異文化に対する無理解や蹂躙という罪深さを映しだす。

その延長線上に、人はなぜ戦争をしてしまうのか、という骨太の問いが浮かび上がるのだ。満州でエリートが結集した「仮想内閣」は、様々なデュミナス(可能性)を検討し、国家の行方をかなりの精度で「予測」する。猪瀬直樹「昭和16年夏の敗戦」を思わせる皮肉なエピソード。
版図を求める闘いは本当に、国家という怪物の避けがたい業なのか。果たしていったん始めてしまったら、止まれないものなのか。闘いの挙げ句に何を得るというのか。小説世界が濃厚に現在と共鳴して、息が詰まる。

2020年に著者の短編集「嘘と正典」を読んだとき思わず、情報満載で理屈っぽい、と印象を記したけど、大量の知識を俯瞰して、編み上げていく力量、強靱な知力は、圧巻というしかない。1932年の凄惨な平頂山事件、一縷の望みだった愚かすぎる人造石油計画、最後の激戦地・虎頭要塞の虚無。すべての日本人が知るべき歴史の断面だ。2022年山田風太郎賞、直木賞受賞。(2023.3)

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