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August 22, 2021

オリーヴ・キタリッジの生活

長いこと聞き慣れた妻の声だ。こうして二人で笑っていると、愛と安らぎと痛みが、避けた破片のように身体を刺し貫いた。

「オリーヴ・キタリッジの生活」エリザベス・ストラウト著(早川epi文庫)

一番大切に思う夫や一人息子とうまくやれずに、なぜ通りすがりの人に優しくしちゃうんだろう。アメリカ北東端メイン州の、さえない海辺の町クロスビー。田舎町に長く住む住民たちは皆ごく平凡なんだけど、実は心の内に、どうしようもない情熱や裏切りや諦念を抱えている。2008年発表、ピュリッツァー賞を得た連作短編集。

なにせ狭い町だから、短編ごとの登場人物は少しずつ重なる。複数の主役、それ以外も脇役で顔を出す表題のオリーヴの造形が、特に秀逸だ。スコットランド系の大柄な数学教師。とにかく愛想ってものがなく、ずけずけものを言うので周囲に疎まれがちで、読んでいて切なくなるほど。はるばるニューヨークへ息子家族を訪ねる「セキュリティ」の顛末が、特に辛い。こういう悲しくなる話を、寝る前に読んじゃいけない。

胸に迫る細部は、作家の鋭く容赦ない視線があればこそ。自宅のダイニングとか、帰り道の車の中とか、地味な日常の会話から、ふと立ち上がる激情が鮮やか過ぎます。なんてことない日常から、どんな無鉄砲も事件事故も起きりうる。そして辛くても切なくても、自らの選択であることだけは、間違いない。

視線はシニカルながら、どこかとぼけた味もあって、ニヤッとさせる。老境にさしかかった夫婦の会話。夫「きょうの夕食は何かな」、不機嫌な妻「イチゴ」。やれやれだ。なにかというとダンキンドーナッツが登場するし。

小川高義訳。2010年の邦訳が話題となり、2012年に文庫化。文庫解説の井上荒野をはじめ、多くの読書家が絶賛。鴻巣友季子は「ダブリナーズ」を彷彿とさせるとも。(2021・8)

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