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September 27, 2020

渋沢栄一 Ⅰ算盤篇 Ⅱ論語篇

上海の繁栄を見て、ただちにそれが貿易における西洋的な合理的会計事務の導入によるものと判断する栄一の頭脳の回路の明確さに驚かずにはいられない。具体的な事象から、それを動かす隠れたメカニズムを探りあてる栄一の帰納法的思考はここでも健在である。

「渋沢栄一 Ⅰ算盤篇 Ⅱ論語篇」鹿島茂著(文藝春秋)

資本主義の父、渋沢栄一の評伝を、軽妙洒脱なエッセイの名手、フランス文学者の鹿島茂が書いている、その違和感にまず興味をひかれて、上下930ページを手にとった。大著だけど、鹿島節なのでスイスイ読める。種明かしは渋沢の思想のルーツがフランスにある、すなわち1867年(慶應3年)、徳川昭武(慶喜の弟)に随行してパリ万博を視察した際の「サン=シモン主義」との出会いにある、ということ。前編はサン=シモン主義をバックボーンとする、フランス第二帝政時代の産業重視政策の解説と、その渋沢との関わりの解明が中心になっている。
確かにナポレオン三世が推し進めた起業家育成と貿易推進、経済成長と労使協調、そのためのインフラ(鉄道)や大衆から資金を集める金融(クレディ・リヨネとソシエテ・ジェネラル)の整備という政策は、経済政策のお手本のようだ。フランスはイギリスより遅れて、意識的に近代的資本主義を促成栽培したので、取り入れやすかったのかもしれない。
ポイントは幕末、欧米の経済社会に触れた日本人はほかにも大勢いたのに、なぜ渋沢ひとりが資本主義へのジャンプを担ったか。しかも慶応元年あたりまでは高崎城乗っ取りを計画するほど、ゴリゴリ武闘派の攘夷論者だったのに。
繰り返し語られるのは、17歳のときのエピソード。代官から御用金を要求されて猛反発した事件だ。背景は身分制への怒りとか「官尊民卑」を否定する正義感、というよりも、横柄な代官が明らかに愚かであり、自分のほうが優秀で合理的だという冷徹な認識だったという解釈が凄い。ここに著者は表面の事象に抱いた素朴な疑問から、本質的、抽象的な仕組み、いわば「体制」をつかみとる、人並み外れた知性をみる。
だからこそ維新後も一貫して、知恵をもって社会を豊かにする実業家は、大臣や官僚と対等であるべき、という強烈な信念をもち、その地位を揺るがさないために、実業にこそ公益、「王道」が必要と説き続けた。戦後の成長を象徴する松下幸之助や、最近のESGブームにも一脈通じる普遍性があって、魅力的だ。
後編になると次々と重要企業の設立に関わる八面六臂の活躍だけでなく、福祉事業や教育、日米親善などに走り回る姿が描かれる。特に日露戦争後、領土的野心に傾いていく日本において、貿易立国による発展を信じ、70歳を超えてから懸命に時代に逆らう姿はややもの悲しい。自らは儲け話に執着しなかった逸話や、朝鮮半島との関係など、著者の贔屓の引き倒しでは、と思えてしまう部分もある。一方で大詰めには鹿島らしく、妻妾同居など、戦前の財界の大立者ならではの家族観などにも言及していて、興味は尽きない。
大河ドラマや新札の肖像など、話題の人物であり、三井の大番頭・三野村利左衛門や維新の英雄たちなど登場人物も華やか。これから触れる他の描かれ方も、楽しめそうです。(2020・9)

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