開高健短篇選
つまり、そもそも開口にとって内面とは、うかつに触れたり探求したりすることがきわめて困難な恐怖の対象だったのである。
「開高健短篇選」大岡玲編(岩波文庫)
没後30年の作家の「決定版」短篇集。編者の解説が素晴らしい。学生時代に初期の長編「日本三文オペラ」に魅了されたわけに、我ながら初めて気づいた感じ。伝統の私小説を退けた、「乾いて俯瞰的な視点」が格好良かったのだ。
後年、世界各地で釣りを楽しんだり、「週刊プレイボーイ」で連載したりして、行動的で男っぽい印象になったけれど、本書を読み通してみると、ずいぶんイメージが違う。編者は1957年の衝撃的デビュー作「パニック」、芥川賞受賞作「裸の王様」に、作家の「外へ!」との宣言を読み取りつつ、逆説的な心理に踏み込む。つまり、そう宣言しなければ精神がもたないほど、内面に深い闇、「生きることそのものの恐怖」を抱えていたという指摘だ。
アウシュヴィッツ体験を書いた1962年「森と骨と人達」を読むと、その切迫感と諦念ないまぜの雰囲気が伝わってくる。五輪ルポを書いた1964年、サイゴンに身を投じたのも、正義感とか、時代の現場に対する情熱とは違った動機だったのだろう。
戦下の苛烈な体験は、あまりに有名なルポや長編に結実したのだけれど、本書で1965年「兵士の報酬」などをへて、世を去る一年前の1988年「一日」に触れると、むしろ生々しさは影をひそめる。あるのは人間存在のどうしようもない哀しみ、「ひんやりとした鉱物的な淋しさ」。染みるなあ。
文化大革命の狂気を題材にした1978年「玉、砕ける」(川端康成文学賞)も、昨今の香港情勢を思いつつ読むと、さらに苦い。世界を旅した作家の内面に、どんな風が吹いていたのか。
ラストはさりげない都会の人間模様のスケッチ、1990年刊行で遺作となった「掌のなかの海」。この作家が、せめてあと十年生きていたら、どんな作品を世に出していたか、と思わずにはいられない。(2019.12)
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