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August 28, 2019

国宝

何かを見ているわけでもなく、何かを考えているわけでもないからっぽの体。しかしそのからっぽの底が、そんじょそこらのからっぽの底とは違い、恐ろしく深いことが誰の目にも明らかなのでございます。

「国宝  上・青春篇 下・花道篇」吉田修一著(朝日新聞出版)

「悪人」「路」などの稀代のストーリーテラーによる、歌舞伎役者の一代記。高度成長期を背景に、まるで昭和任侠映画を観ているような、大時代な波乱万丈がたまらない。

喜久雄は長崎の極道の家に生まれながら、上方歌舞伎に入門し、やがて東京へ進出、類まれな美貌で立女形へと上り詰めていく。「なのでございます」という講談調の地の文からして、小説世界がまるで歌舞伎。なにしろ幕開けから、雪の料亭で美少年が踊る「関戸」、血なまぐさいヤクザの大立ち回りと、ドラマチックで「絵」が目に浮かぶ。

次々襲いくる病魔や事故を上回る迫力なのは、登場人物の情念だ。宿命のライバルとなる御曹司・俊介をはじめ、取り巻く女たち、親と子、梨園や興行界の人々が、激しい愛憎劇を繰り広げていく。例えば俊介の母が口にする「うちは意地汚い役者の女房で、母親で、お師匠はんや。こうなったら、もうどんな泥水でも飲んだるわ」というセリフ。凄まじいなあ。
誰ひとり、すくすくと平穏には生きられない。「芸」にとりつかれた存在の執念と哀しさ、だからこその輝き。スターというのはえてして、健全というより過剰やアンバランスを感じさせるように思うけど、その「危うさ」が行間からたちのぼって、なんとも魅力的だ。

「二人道成寺」から「隅田川」「沓手鳥孤城落月」「阿古屋」まで、歌舞伎演目がストーリーとシンクロして面白い。映画やテレビ、お笑いの世界やゴシップマスコミ、鉄輪温泉の芝居小屋といった道具立ても凝っている。2017年から18年の新聞連載を単行本化。(2019・8)

 

鬼嵐

決めつけはしないで、フラットな目で調べてほしいの。そうしないと、永遠に真犯人なんか分からないよ

「鬼嵐」仙川環著(小学館)

手練れの医療ミステリー。大学病院で医局長職に挫折した女医・夏未は、ひとり北関東にある実家に帰って小さなクリニックを手伝い、致死率が高い謎の感染症に遭遇する。

とにかく怖い。エボラ真っ青の感染症というだけで、気味が悪い。そのうえ国際的な医薬品メーカーの陰謀が見え隠れし、使命感あふれるヒロインの謎解きと冒険が、読む者をぐいぐいと引っ張る。

現代の地域問題も背景にあり、サスペンスに深みを与えている。バスが1時間に1本という環境で、農業も製造業も外国人無しには回らないのに、住民の間には差別意識が根深い。ほかにも、なんとか地域を活性化しようとする名産品作りの苦労や、工業団地の用地買収をめぐる癒着など、決して声高に語るわけではないけれど、リアリティがある。テンポよいストーリーの合間に、さらっと挟まれる農村や、都市の片隅の情景が巧い。

終盤、危機を乗り越えるために地元青年がみせる変化、そしてヒロインがそんな地元志向に偏見をもっていたと、自らを振り返るくだりが爽やかだ。月刊文芸誌「STORY BOX」の連載を単行本化。(2019・8)

August 17, 2019

ケルト 再生の思想

「生と死」や「あの世とこの世」、「光と闇」は二項対立なのではなく、常緑の「循環」する生命のサーキュレーションとしてあることを、「サウィン」というケルトの伝統は、教えてくれる。

「ケルト 再生の思想ーーハロウィンからの生命循環」鶴岡真弓著(ちくま新書)

2019年のアイルランドシリーズの仕上げは、ケルトの解説。かつて東欧に発して、欧州を席巻したケルト文化は世界をどう見ていたのか。近年すっかり渋谷の騒ぎが有名になってしまった「ハロウィン」の起源、「サウィン(万霊節)」から説き起こし、4つの祭日を通して綴っていく。
繰り返されるのは厳しい自然の受容や、農耕牧畜を営むうえでの知恵、そして生命の循環というイメージ。四季に生き、心に八百万の神をもつ日本人にとっては、理屈抜きに馴染める感覚だ。
著者はケルト芸術文化史・美術文明史の研究者だけど、極めて情緒豊かに、その普遍性を説いている。強靭ななキリスト教や、理性に立脚する近代思想が主流となっても、ケルトの思想はそれらと融合しつつ、通奏低音をなしている、という見方だ。ハイライトは終盤に触れている「ケルズの書」。9世紀初頭、アイルランド北東部の修道院で完成した福音書写本は、豊かな色彩と文様で、生き生きと再生のパワーを伝えているという。んー、まだまだ奥が深そうです… (2019・8)

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