« May 2019 | Main | August 2019 »

June 21, 2019

もし僕らのことばがウィスキーであったなら

このアイルランド世界には無数のパブ的正義が並立的に存在している。

「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」村上春樹著(新潮文庫)

相変わらずの村上春樹節満載の楽しい紀行。スコットランド・アイラ島と、対岸のアイルランドを旅して、ただただ飲む。1997年に「サントリークォータリー」に掲載したエッセイをもとに、1999年単行本化、2002年文庫化。
アイラ島では蒸溜所を訪ね、名高いシングルモルトをめぐり、薀蓄も語るけれど、アイルランドではそれもない。のんびりと緑あふれる美しい風景を眺め、冴えない田舎パブのカウンターにもたれて、ビールとウィスキーを味わう。ただそれだけ。
私的アイルランドシリーズの読書をしていて、ちょっとその歴史を知ると、過酷さにたじろいじゃう。でも人生には、確かな暮らしの味わいがある。アイルランドを舞台にしたジョン・フォードの名画「静かなる男」への思い入れがまた、ジンとくる。
奥さんの陽子さんの写真がまた、センスがいい。(2019・6)

 

June 15, 2019

歴史を考えるヒント

現在も使われている実務的な言葉や商業用語が翻訳語でないということは、江戸時代の社会が商業取引に関しては極めて高度な発達を遂げ、現在でも十分通用する言葉を生み出していたことを示しているのではないでしょうか。

「歴史を考えるヒント」網野善彦著(新潮文庫)

中世史の大家が、史料の「言葉」に現在の意味をあてはめてしまう危険性を説き、常識に疑問を投げかける。1997年の新潮社主催の連続講座をベースに、2001年に刊行したもので、200ページほどとコンパクトだし、話し言葉で読みやすい。2000年に肺癌の手術を受けながら、雑誌連載を続けたせいか、自らの思想を切々と語る趣も。

実は中沢新一のおじさん、ぐらいの認識で、有名な「網野史観」の予備知識もなく読んだ。「日本」という国号にこめられた当時の支配層の意図から説き起こして、国や民族のかたちを丁寧に追う。
日本社会は農業が主軸だったと思いがちだけれど、「百姓」は必ずしも農民ではないとか、早くも後醍醐天皇が貨幣流通に熱心だったとか、商工業の成り立ちに注目しているのが興味深い。世俗の縁を断ち切った「無縁」が市場となり、職能者や芸能や都市につながっていく、という認識もダイナミック。左派とくくってしまえばそれまでだけど、時代の節目に、日本について考える1冊。(2019・6)

June 01, 2019

マスカレード・イブ

あたしがあの映画が好きなのは、そんな人生のごった煮みたいなものを、毎日変わらず受け入れているホテルっていう場所に憧れを抱くからなんです

「マスカレード・イブ」東野圭吾著(集英社文庫)

2011年に単行本が出た「マスカレード・ホテル」の前日談だ。入社4年ながら優秀なフロントクラーク・山岸尚美、そしてやはり新米の刑事・新田浩介をそれぞれ主人公とする短編3作に、表題となっている書き下ろし中編を加えて2014年に文庫化。表題作では新田の殺人事件捜査に、はからずも尚美が協力することになる。もっとも今作では互いに名前も知らないまま。のちに新田が偶然ホテルに潜入して出会う、というわけ。心憎いなあ。
どれも謎解きは楽しいのだが、特に「仮面と覆面」が凝っている。人気覆面作家が新作のため、ホテルに缶詰になる設定で、「ホテルの客はみな仮面をつけている」というシリーズのコンセプトを、さらに2重にした。オタクのファンが、作家にひと目会おうと押しかけてくるあたり、もしかして著者の身の回りの出来事かな、と想像するのも一興だ。
キャラクターでは、所轄生活安全課の穂積理沙が魅力的。学生に聞き込みして、「年下のボーイフレンドってのも悪くないな」とのたまったりして、とってもマイペース。切れ者で、ちょっといけすかない新田を、見事にあきれさせちゃう。
シリーズは2019年に、木村拓哉主演で映画化。未見だけど、新田のイメージはもうちょっと若くて、シャープな杉野遥亮とかかなあ。(2019・6)

 

« May 2019 | Main | August 2019 »