GDP
国の経済全体の大きさを測る、という試みが初めて本格的におこなわれたのは、17世紀の戦争のときだった。
「DGP <小さくて大きな数字>の歴史」ダイアン・コイル著(みすず書房)
普段最も何気なく、あらゆる場面で使っている国の経済規模と成長率の統計。その成り立ちと限界について、英国財務省のアドバイザーなどを務めた経済学者が、数式を使わず平易にまとめた有難い本。経済書とは思えない洒落た白い装丁、150ページという軽さでさらさら読めて、検索も充実。
国の経済を測る、という試みは、戦費調達力、戦争遂行能力を判断する必要から生まれたというのが、まずびっくり。やがて計測とメカニズムへの理解が正しいのなら、経済、すなわち人々の豊かさというものは人為的にコントロールできるという概念が生まれた。いまや経済政策を考えるときの、基本の基本だろうが、意外に歴史は浅いのだ。
この10年だけでも、リーマンショックありギリシャ危機あり。ノーベル経済学者が束になって論争してさえ、経済というものは全然思い通りにいかない。それはGDPのせいではないだろうけど。なにせ統計を偽装して、国際的な支援を引き出しちゃおうとする政府があるらしいから。
もちろんGDP自体、実際には複雑な手順で組み立てた、いわば「仮想」の数値であり、その仮想が英サッチャー政権の誕生に深くかかわったり、歴史を左右しちゃうという割り切れなさを抱えている。さらに、その限界を感じさせる、より根本的な状況の変化が起きている。キーワードはITとサービスだ。
商品のカスタマイズとか、ネット上に氾濫する無料のサービスはイノベーションによって、かつてに比べて少ない資源で大きな価値を産みだしている。バリューチェーンは国境を越え、複雑に構築されている。20世紀生まれの統計は、こういう21世紀の経済の姿を、うまくとらえきれていない。このままでは各国の経済政策は、健康か病気かを正しく把握しないまま、いろいろ薬を投与しちゃっているようなものだ。
本書でGDPの課題を克服する道筋が、明確に示されるわけではない。とはいえアンケート頼みの幸福度のような、新機軸に組みしない著者の姿勢には個人的に共感を覚える。読みやすい訳は高橋璃子。(2016・2)
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