僕と演劇と夢の遊眠社
このときの教訓は、大勢の中でも自分の立場を見失ってはいけないということ。それぞれの人がたとえ良い人ではあっても、それぞれの事情があって動いている。そのそれぞれの事情に引っ張られていては、本当は自分が何をしたかったかも忘れてしまう。自分がよって立つ集団との有機的な関係を保ち続けること。失敗しても立ち直りを早くして関係回復に努めること。
「僕と演劇と夢の遊眠社」高萩宏著(日本経済新聞出版社)
ひとりの天才・野田秀樹を擁して80年代、小劇場演劇を社会現象にまでした辣腕プロデューサーが、その軌跡を振り返る。
語っているのは主に1979年、洋書の営業マンをしていた高萩が出戻りの形で劇団の制作を引き受けてから、退団する89年まで。その間に、知る人ぞ知る存在に過ぎなかった学生アマチュア出身の集団は、大躍進を遂げる。国家的イベントのつくば科学万博に参加し、代々木第一体育館で1日に2万人以上を動員する伝説のイベントをうち、さらに海外へと飛躍していくのだ。
この経緯は日本の演劇史の一断面そのものであると同時に、バブル景気という経済現象の数少ないプラスの側面とも言える。社会全体がゆとりを得たことで、新しく面白い若者文化が注目され、そこに企業が競ってカネを出した時代。過剰な昂揚感やそれゆえの歪みもあったけれど、もしかしたら江戸・元禄から続く「ジャパンクール」の、ひとつの発露だったかもしれない。
時代の証言と同時に、この本はもう一つの側面を持つ。それはひとりの職業人の体験談だ。著者はビジネスとしては前例の乏しいジャンルで、次々と危機に直面しながら、必死で仕事の技法を切り開く。
夢の遊眠社関連では、北村明子の「だから演劇は面白い!」も秀逸。こちらは俳優たちをマネジメントし、より高みへと引っ張っていくのだ、という著者の一貫した信念を感じさせた。北村と比べ、高萩の場合はすべてが手探りで、迷いも多い。
大きい会場を押さえたのにチケットがさばけない、作家・演出家としても俳優としても大黒柱である野田が公演中に事故に遭う、演出プランや収支が思うように運ばない、さらには劇団内部に隙間風が吹く…。まさに読んでいるほうが胃が痛くなるような状況の連続なのだが、だからこそ、一つひとつの窮地を乗り越えるごとに、著者が吐露する気構えがストレートに胸に響く。結局は自分の役割をどう認識し、向き合うか。もちろん劇団という特殊なタレント集団でのケースだけれど、どんな仕事にも通じるところがある。
決して達成感だけでないものも共有したであろう野田と高萩が、20年の歳月を経て、同じ東京芸術劇場の運営に関わり、2014年には「小指の思い出」や「半神」を上演したりするという成り行きが感慨深い。2007年から2008年の雑誌連載を加筆改稿。(2015・5)
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