風の影
ぼくは本にかこまれて育ち、ほこりまみれでバラバラになったページのあいだに、見えない友だちをつくっていた。そのにおいは、いまでもこの手にしみついている。
「風の影(上・下)」カルロス・ルイス・サフォン著(集英社文庫)
1945年、少年ダニエルは古書店を営む父に、「忘れられた本の墓場」へ連れていかれる。埋もれゆく本が必ず流れ着く、秘密の古書の館だ。そこで出会った小説「風の影」に魅せられ、10年後、一枚の焼け焦げた写真を手掛かりに、作家フリアン・カラックスの過去を探る冒険に踏み出していく。
2001年にスペインで出版されたベストセラーを読んだ。子供のころ小説や漫画にどきどきすると、後日談やスピンアウトストーリーを勝手に想像して楽しんだ人は多いはず。上下巻約800ページの長編は、そんな本好きにはお馴染みの感覚を思わせる。
ダニエルをつけ狙う「顔のない男」ライン・クーベルトや、廃墟と化した館「靄の天使」という道具立ては、江戸川乱歩か「オペラ座の怪人」のようなゴシックホラーファンが、頭の中で膨らますイメージそのもの。何故か片っ端から燃やされて、この世から抹殺されかけている小説の最後の一冊とか、ヴィクトル・ユゴーの万年筆だとか、鍵になるアイテムが、わかりやすくロマンチックだ。
ハリー・ポッターシリーズをはじめとする、王道の少年成長談の香りもたっぷり。悪の権化フメロとの対決、宿命的な恋、お調子者だけど強靭な反骨精神をもつフェルミンとの友情、父親との微妙な距離感など、サービス精神満載です。
ありがちな冒険ミステリーと一線を画すのは、もうひとりの主役バルセロナという都市の存在だろう。ガウディと美食の街という現代のイメージとは違って、1936年から1939年の内戦が人々の心につけた深い傷、その後30年以上にもわたるフランコ独裁の閉塞感が、全編に色濃く影を落としている。こういう時代があったんだなあ。
影が濃いからこそ、活気ある芸術カフェ「クワトロガッツ」とか、丘を登っていく青い路面電車、靄のかかる波止場といった場面が生き生きと息づく。ハラハラの背景で、新興財閥の驕りと転落、信仰の限界といった大人っぽい要素が深みを与えている。木村裕美訳。(2014・6)