« September 2013 | Main | December 2013 »

November 20, 2013

終わりの感覚

私たちは実に軽薄な思いこみによって生きている。たとえば、記憶とは出来事と時間の合計だ、とか。だが、何であれ、そんな簡単なことですむわけがない。

「終わりの感覚」ジュリアン・バーンズ著(新潮クレスト・ブックス)

2011年、4度目の候補でブッカー賞を得た中編小説。引退した主人公トニーのもとへ、思いがけない報せが届き、数十年ぶりに忘れていた記憶の蓋が開く。

トニーはロンドン郊外でひとり暮らしの初老の男。離婚した妻、娘と穏やかな交流を保ち、ボランティアなどをして日々を過ごしている。このまま静かに、平凡な人生が暮れていくはずだった。それなのに1通の手紙から、自らが遠い昔、親しい人に投げつけてしまった心ない言葉や、長きにわたって理解していなかった重大な事情に直面するはめになる。
時計は決して巻き戻せない。もう先が見えている、そんなタイミングで、押し寄せる鋭い悔恨。なかなか残酷な物語だ。

大学時代の恋人ベロニカはトニーと別れた後、よりによってトニーの親友エイドリアンと付き合い始め、トニーは少なからず傷ついた。しかし頭脳明晰、前途有望のはずのエイドリアンは、若くして自ら命を絶ってしまう。それからほぼ四十年。亡くなったベロニカの母親が、トニーにエイドリアンの日記を遺したという。母親はなぜその日記を持っていて、しかもトニーに託したのか。ベロニカはなぜ日記の引き渡しを拒むのか。そもそもエイドリアンの死の真相は…。

全編トニーの独白。気恥ずかしい青春の思い出や、歴史を巡る考察などでユーモラスに彩りつつ、主観的な語りによって巧妙に記憶のズレを仕掛けていく。そして待ちかまえるどんでん返し。精緻だけれど、その巧さよりも、人生の苦さが胸に残る。土屋政雄訳。(2013・11)

November 03, 2013

隅っこの四季

 子どもたちは「お正月様」と言い、おとなは単に「正月様」と言っていた。
 七歳の私は、お正月様は餅つきのことだ、と思っていた。餅つきの若い衆が三、四人、どこからか村にやって来る。それがお正月様が来ることだった。

「隅っこの四季」出久根達郎著(岩波書店)

名手、出久根さんのエッセイ集。2006年から2011年に「日経MJ」や雑誌に掲載された文章を集めた。ふとした暮らしの断片から、豊かな季節感、懐かしい家族、友人にまつわる記憶が立ち上がる。「はしがきにかえて」にあるように、「散文でつづる生活句集」だ。

決してお説教臭く主張するわけではないのに、読む者に大切なものを思い出させる、文章の力。大震災前後のヘビーな日々でも、そんな味わいは変わらない。例えば被災した馴染みの鮮魚店と、かつて著者が経営する古書店で漱石全集を求めた女性の印象深いエピソード。圧倒的な悲しみに直面しながらも、生活は続いていく。時にユーモアさえ漂わせながら。
特に私が好きなのは、時折登場するご母堂の逸話だ。子供が独立するとき、自分が写った写真を持ち出してしまうために、虫食いになった家族のアルバムを眺めて、愚痴っていたという。ほんの数行に、親というものの誇らしさ、寂しさが漂う。(2013・10)

November 02, 2013

微生物ハンター深海を行く

なぜそんなに都合よく一瞬で気持ちを切り替えられるのか、自分でもわからない。でも、自分の負けをしっかりと噛み締めたときにこそ不思議とそれに立ち向かう元気と勇気が、カラダの奥底からフツフツと湧いてくることはこれまでにも何度も経験していた。このときもそうだった。

「微生物ハンター深海を行く」高井研著(イースト・プレス) 9784781610061

1969年生まれの生物学者が、軽妙な筆致で足跡を綴ったエッセイ。専門は深海など極限環境に生きる微生物の研究で、生命誕生の謎に迫るという壮大なものだ。そんなイメージから、びっくりの生物が次々登場する痛快科学読み物かと思ったら、そういう趣旨では他に著書があり、こちらは一人の研究者が成長していく青春ストーリーでした。

相手が権威ある大先輩でも、世界的に著名な一流の学者でも、ライバルだと思えば激しく闘争心を燃やす。新しい発想で学際的な研究を手がけていくため、アポ無しで上司に直訴する。そばにいたら、ちょっと迷惑な振る舞いなのだろうけれど、終身雇用ではない若手の研究者が理想の研究環境を求め、道を切り開いていくには、必要なエネルギーなのだろう。
目標を定め、その実現のため周囲を巻き込んでいく格好良さと同時に、海外留学中の珍経験など、恥ずかしい過去も告白している。全力で後輩の科学者を励ましたい、という情熱に、好感が持てる。(2013・10)

« September 2013 | Main | December 2013 »