「シャンタラム」
プラバカルは歌を歌いながら歩き去った。それはわかっているからだった--まわりのみすぼらしい小屋で眠る人々の誰ひとり気にしたりしないことを。目を覚ました者がいたとしても、ほんのちょっとのあいだ彼の歌を聞いたら、微笑みながらまた眠りに戻ることを。なぜなら、彼が歌っているのはほかでもない、愛の歌だからだ。
「シャンタラム」(上)(中)(下)グレゴリー・デイヴィット・ロバーツ著(新潮文庫) ISBN: 9784102179413 9784102179420 9784102179437
文庫で3冊・1800ページを超える長編をようやく読了した。1980年代、オーストラリアからボンベイ(現ムンバイ)に流れ着いた脱獄犯、通称リンの波瀾万丈の物語。1952年生まれの著者は実際に武装強盗で服役中の80年に脱走、ボンベイで暮らし、再逮捕されて残りの刑期を務めた後で本書を発表したという。あまりのジェットコースターぶりが一見、荒唐無稽のようだけど、実体験に裏打ちされているらしい不思議な迫力がある。
ボンベイを震撼させるテロ組織「サプナ」の正体、という謎を含んでいるが、読み心地はミステリーではなく大河小説。さしずめインド版「人生劇場」か「青春の門」といったところか。リンは外国人相手のガイドや、スラムでの医師の真似ごとを経て、やがて生き抜くため裏社会に身を投じていく。その過程で深く関わることになる、どいつもこいつもワケありの個性的な面々が魅力的だ。明るく逞しいスラムの住人たち、欧米から流れてきたひと癖もふた癖もある無法者たち、そしてアフガニスタンやパキスタン、中東、アフリカ出身のタフで家族的なマフィアのメンバー。
ところどころ哲学的な問答が挟まったりして、決して読みやすくはない。しかし全編を貫く混沌とエネルギー、リンが魅せられる「愛の土壌」ともいうべきインドの風土が、読む者を巻き込む。田口俊樹訳。(2012・6)
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