金閣寺
これで私と金閣とが同じ世界に住んでいるという夢想は崩れた。またもとの、もとよりももっと望みのない事態がはじまる。美がそこにおり、わたしはこちらにいるという事態。
「金閣寺」三島由紀夫著(新潮文庫) ISBN: 9784101050089
1950年に起きた国宝金閣の放火事件を題材に、1956年に刊行されたあまりに著名な小説を、舞台化作品の観劇をきっかけに読んだ。まだ高度経済成長のとば口にあった当時、動機のはっきりしない事件はアプレゲール犯罪と呼ばれたとか。当時人々が抱いた不可解さ、衝撃を想像しながらページをめくる。
放火犯・溝口の告白という形をとった、装飾が多い贅沢な文章が独特だ。建築や仏教にまつわる単語もふんだんに散りばめられて、決してすいすい読めるわけではなかったけれど、手のこんだ文脈からは溝口がもつ知性、教養がにじみ出す。
吃音というハンディキャップへのコンプレックス、不義をはたらいた母に対する嫌悪、表裏のある高僧に抱く失望、自殺した友人のことを本当は何も理解していなかったという深い絶望。溝口をクライマックスの放火へと追い込む出来事はいろいろ起こるが、これほどの知性の持ち主なのだから、少なくとも単なる歪んだ執着とか、自暴自棄のためではない、と思えてくる。
敗戦の日に溝口の眼前で、金閣が「永続する美」として輝きを増してそびえ立つシーンが印象的。信じていた価値の崩壊との対比が、くっきりと浮かび上がる。頭でっかちで、常に誰かに自分を見ていてほしい若者、甘えん坊とさえ思える溝口を、様々なコンプレックスや挫折よりも強く揺さぶったのは、この価値の崩壊ではなかったか。残された長い人生をストイックに生きていくには、あまりに不確かで、裏切りの多いこの世界。
唐突にも感じられる幕切れは、実際の事件の経緯とは違うという。とんでもないことをしでかしながら、決して錯乱するのではなく、むしろ妙にさめてふてぶてしささえ漂わすに虚をつかれ、ちょっと爽快だった。ラスト1行まで、一筋縄ではいかない。(2012・2)
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