「フクシマ」論
原子力とは戦後社会、あるいは近代社会が抱擁しつつ「無意識」へと追いやってきたものだと捉えるのならば、3・11はその狂気の表出に他ならない。
『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』開沼博著(青土社) ISBN: 9784791766109
1984年いわき市生まれの社会学者が2011年1月14日、東大大学院に修士論文として提出した論考に、3・11後執筆の短い補章を加えた。フィールドワークや雑誌のアーカイブ探索などを通じて、原子力発電所が立地する「原子力ムラ」の形成過程をたどる。
原発がなぜ産業の乏しい地方に置かれるのか。中央政界や財界のエゴと、地方経済の依存体質との結託、と整理してしまえば、ロジックはわかりやすいだろう。しかし著者は、そう簡単にものごとを整理しない。塩田や炭坑、ダム、アジア植民地の歴史まで次々に視野にいれ、約360ページを費やしてゆっくりと、成長と支配の構図を語っていく。
何より痛切なのは、こうした開発をめぐる閉鎖性、硬直性の指摘だ。いわゆる権力者に限らず、一介の企業人や市民運動家もこうした閉鎖性の一部を担っている。何か大きな問題が起きて、いったん閉鎖性が揺らいでも、時間がたてば世間の忘却、無関心が状況を後戻りさせてしまう。
果たしてこれからどうしたらいいのか、簡単には解決策は見つからない。とはいえ間違いないのは、こうした解きほぐしがたい歴史と文化を肝に銘じておかなければ、どんな提案もリアリティーを持たないということ。そして再び忘却の罠にはまってはならない、ということだろう。(2012・1)
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