二流小説家
彼らは大人になっても子供のように、真剣に、夢中で、本を読む。あるいはティーンエイジャーのように、何かに取り憑かれたように、果敢に本を貪り読む。彼らは、読まずにいられないから本を読むのだ。
「二流小説家」デイヴィッド・ゴードン著(ハヤカワ・ポケット・ミステリ) ISBN: 9784150018450
様々なペンネームと偽のプロフィール写真を使いわけてエンタメ小説を書いてきたものの、いまだ無名のハリー・ブロック。ある日突然、話題沸騰必至の告白本を書かないか、という夢のような話を持ちかけられる。依頼主は、悪名高い連続猟奇殺人犯だった。
ポケット版らしい軽いタッチで、どんどん読める。恐ろしい事件に巻き込まれていくハリー・ブロックの冴えない中年男ぶり、そのぼやき節が微笑ましい。物書きとしてSF、探偵もの、ヴァンパイアもの、そしてポルノと求められるまま量産してきたけれど、いまだヒットには縁がなく、文学賞はおろか批評の対象になったりすることもない。恋人に去られ、副業で始めた家庭教師先の、ませた女子高生クレアにもすっかり舐められている。
しかし単なるユーモア仕立てのミステリと思ったら、大間違いだ。実は設定がなかなか凝っていて、1冊まるごと、主人公ハリーが経験をもとに初めて実名で執筆したミステリーという形式をとっている。この仕掛けが、年末の各種のベスト本に選ばれたゆえんか。
なにしろハリーはエンタメを知り尽くす書き手なのだ。2転3転の筋運びからサスペンス、バイオレンス、淡い恋まで、決して高尚ではないけれど、「どうです読者の皆さん、こういうの好きでしょ?」と問いかけるような悪戯心が行間に見え隠れする。
ハリーの作品群、作中で「ジャンル小説」とくくられるような小説についての考察も散りばめられている。こういう本を好んで読む人たちは、次から次へと読まずにはいられない、いわば中毒なのだ。たとえストーリーや登場するキャラクターがパターン化していても、深い心理描写や人生における示唆が一切なくても、そんなことは気にしない。誰しもちょっとは身に覚えがありそうな活字中毒の心理、オタクの心理にいちいちニヤリとさせられる。
そして世に需要がある限り、供給はある。出版ビジネスの内幕と、物語の楽しみというものへの屈折した愛情。これがデビュー作というけれど、なかなかどうして一筋縄でいかない作家かもしれない。女子高生クレアの造形がチャーミング。青木千鶴訳。(2012・1)
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