原発危機の経済学
風評の流布とは、科学者、医者、技術者がいうように、正確な科学的知識を持たない市民の非合理的な行動は決してない。そうではなくて、専門家が発するプロフェッショナルな知見に対して、市民が「どうしたらよいのかわからない」というどうしようもない戸惑い、さらには、「専門家を信じることができない」というどうしようもない不信を感じたときに、人々が考えられる範囲でもっとも深刻なケースを念頭に意思決定をするという、まっとうな合理的行動であった。
「原発危機の経済学」齊藤誠著(日本評論社) ISBN: 9784535556874
1960年生まれのマクロ経済学者が、深刻な原発事故について社会科学者の立場から考察する。
本書のテーマのひとつは、原子力発電というものが果たして民間企業の収益プロジェクトとして成り立ちうるのかどうか、という疑問だ。著者はまず、全9章のうちほぼ6章を割いて発電の仕組みや事故の実態、廃棄物処理の手順などを一つひとつかみ砕いていく。
たとえば原発の運営というものが高度な科学技術だけでなく、ごく普通の工場に通じる技能にも根ざしていることを、研究者の証言から紐解く。ところどころ自身の不明や誤解を反省する「独白」をはさみながら、決して結論を急がず、門外漢なりにじっくり基礎知識をたどる姿勢に好感が持てる。
厄介なのは事故を巡って、現時点ではわからない点、ずばりと明快に決めつけるにはデータの足りない点が、まだまだたくさんあることだ。正直、素人がちょっとやそっと学んだからといって、今すぐ結論を出せるものではない、と立ち止まりたくなってしまう。だが、それはとりもなおさず、自分を含めて電力の恩恵を受けてきた消費者とか、貯金のような安心感で電力会社の株を持っていた個人とかが、自らも関係している自覚を持たず、問題の理解をさぼってきた、という事実を示す。「誰かがちゃんと決めてくれているのだろう」と、根拠もなく考えて。これまで心ある人は、ちゃんと情報を提供しようとしてきたのに。
著者は電力事業の形態の議論だけでなく、放射線汚染に関するリスクコミュニケーションのあり方などにも言及している。誰もが一定の手間暇というコストを自分で負担して情報を集め、消化し、そして多かれ少なかれ何らかのリスクを引き受けて、行動を決めていく必要がある。(2011・12)
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