猟銃・闘牛
みんな人間は一匹ずつ蛇を持っている
「猟銃・闘牛」井上靖著(新潮文庫) ISBN: 9784101063010
芥川賞受賞作「闘牛」を含む初期の短編3作。
3作合わせて230ページ余りの薄い文庫本。そこに言葉がぎっしり詰まっていて、堪能した。お目当ては、秀逸だった中谷美紀さん初舞台の原作「猟銃」。女性3人がひとりの男性に宛てた手紙3通で構成する、「書簡体小説」だ。愛人の娘、妻、そして愛人。それぞれの告白によって、13年にわたる愛と裏切りが明らかになっていく。
舞台は中谷さんがほぼ原作に沿って、手紙の文面を語るスタイルだった。だから小説だけど、戯曲を読む気分。昭和初期あたりの古風な言い回しは、耳で聞くより字で読む方がわかりやすい。女らしい上品な言葉遣いに、暗い情念が滲んでぞくぞくする。
対して、「闘牛」はクールで格好良い。舞台は戦後まもない大阪の新興新聞社。社運をかけて闘牛イベントを仕掛ける社会部出身の男が、無謀なイベントと知りつつ突き進んでしまう。展開が速くてスリリングだ。「猟銃」で手紙を受け取る側の男性も、この「闘牛」の主人公も、とても孤独で、深い諦念を漂わせているところは共通している。モデルになっている人物は戦後の伝説のプロモーター、小谷正一だそうです。
特に面白く読んだのは、最後の「比良のシャクナゲ」。老研究者がふとした諍いから家を飛び出し、琵琶湖畔の旅館でひとり人生を振り返る。思い通りにならない研究生活や、自分を尊敬しない子供たちへの憤懣。意固地ぶりがユーモラスで、ちょっとカズオ・イシグロみたい。
けれど前2編と比べても、主人公の孤独はより苛酷だろう。永遠に失ってしまったものの重さを、本人がいちばんわかっている。湖畔の夕暮れ、そして人生の夕暮れに聞く、遠い鈴の音の哀しさ。
3編を通して思うのは、人の心は外側に見えていること、言っていることだけではわからない、ということ。巻末の解説が昭和25年のもので、著者の「大衆文学的要素」を評価しているのが、なんだか新鮮だ。(2011・10)