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October 28, 2011

猟銃・闘牛

みんな人間は一匹ずつ蛇を持っている

「猟銃・闘牛」井上靖著(新潮文庫) ISBN: 9784101063010

芥川賞受賞作「闘牛」を含む初期の短編3作。

3作合わせて230ページ余りの薄い文庫本。そこに言葉がぎっしり詰まっていて、堪能した。お目当ては、秀逸だった中谷美紀さん初舞台の原作「猟銃」。女性3人がひとりの男性に宛てた手紙3通で構成する、「書簡体小説」だ。愛人の娘、妻、そして愛人。それぞれの告白によって、13年にわたる愛と裏切りが明らかになっていく。
舞台は中谷さんがほぼ原作に沿って、手紙の文面を語るスタイルだった。だから小説だけど、戯曲を読む気分。昭和初期あたりの古風な言い回しは、耳で聞くより字で読む方がわかりやすい。女らしい上品な言葉遣いに、暗い情念が滲んでぞくぞくする。

対して、「闘牛」はクールで格好良い。舞台は戦後まもない大阪の新興新聞社。社運をかけて闘牛イベントを仕掛ける社会部出身の男が、無謀なイベントと知りつつ突き進んでしまう。展開が速くてスリリングだ。「猟銃」で手紙を受け取る側の男性も、この「闘牛」の主人公も、とても孤独で、深い諦念を漂わせているところは共通している。モデルになっている人物は戦後の伝説のプロモーター、小谷正一だそうです。

特に面白く読んだのは、最後の「比良のシャクナゲ」。老研究者がふとした諍いから家を飛び出し、琵琶湖畔の旅館でひとり人生を振り返る。思い通りにならない研究生活や、自分を尊敬しない子供たちへの憤懣。意固地ぶりがユーモラスで、ちょっとカズオ・イシグロみたい。
けれど前2編と比べても、主人公の孤独はより苛酷だろう。永遠に失ってしまったものの重さを、本人がいちばんわかっている。湖畔の夕暮れ、そして人生の夕暮れに聞く、遠い鈴の音の哀しさ。

3編を通して思うのは、人の心は外側に見えていること、言っていることだけではわからない、ということ。巻末の解説が昭和25年のもので、著者の「大衆文学的要素」を評価しているのが、なんだか新鮮だ。(2011・10)

October 23, 2011

ジェノサイド

よくぞここまでたどり着いた。奇妙な実験室を見せられて驚いているだろうが、本題はここからだ。私は、訳あって個人的な研究を抱えている。私が姿を消している間、その研究をお前に引き継いでもらいたい。

「ジェノサイド」高野和明著(角川書店) ISBN: 9784048741835

東京郊外に住む大学院生・研人は、急死した父が遺したメールに導かれ、とうてい実現不可能に思える創薬実験に取り組む羽目になる。一方、国際的な民間軍事会社の傭兵・イエーガーは、難病に苦しむ息子を救おうと、危険な極秘任務を引き受けてアフリカへ飛ぶ。地理的にも境遇から見ても遠くかけ離れた2人の運命を、驚くべき陰謀が結びつける。

本好きブロガーさんらの間で評判の大作エンタテインメントを読んだ。創薬の手順やら、傭兵の装備やら、とにかく情報がぎっしり詰まっていて、正直、滑り出しは苦手な印象があった。自分に知識がない分野の情報は、詳しければ詳しいほど、どれだけ本当らしいか見当がつかずに少しいらいらしてしまう。
しかし東京、アフリカ、さらに裏で糸を引くワシントンと、頻繁に場面が転換するので、つられてテンポ良く読み進んでしまう。200ページあたりからは、地球規模の壮大な陰謀の正体が見えてきて、その後はもう、ページを繰る手がとまらない。終わってみれば、590ページをほぼ一気読み。見事なリズム感だ。

壮絶なのはコンゴ民主共和国の密林シーン。残虐な反政府軍とわたりあう、イエーガーたちの脱出行がもの凄い。危機また危機の息詰まる展開、目を覆う凄惨なシーンが続くけれど、その凄惨さが単なる演出ではなく、物語のキーになっているところが巧い。
長い長い歴史のなかで、人類はなぜ殺戮をやめられずにきたのか? 殺戮の現場で示す人間の残虐性、あるいは安全な会議室から殺戮を指示する権力者の残虐性とは、いったい何なのか? ちょっと「虐殺器官」(伊藤計劃著)を思い出した。

研人やイエーガーが巻き込まれる陰謀の焦点は、ある「人類の危機」。この設定には、意表をつかれた。温暖化による大災害とか彗星衝突とか、いろいろな危機を聞いたことがあるけれど、こうくるとはなあ!
危機そのものの設定がいわばSFなので、終盤に至ってアクションシーンが一気に「何でもあり」のレベルに飛躍しちゃって、そのあたり唐突な感じは否めない。とはいえ地球規模、生命史規模で思いっきり大風呂敷のスケール感、そこまで風呂敷を広げられる想像力の強靱さは、いっそ爽快だ(たまたま素人向け生物学の本と並行して読んでいて、自分の頭の中で虚実が入り乱れちゃったのが難でしたが)。

愚かな衝突や殺戮をいっこうに終わらせられず、それによってエスタブリッシュメントとされる人々が利益を得る構図さえある、救いようのない現実。けれど他方では、医療や救命に全身全霊をかけて取り組む人がいることを、わたしたちは知っている。
主人公たちが運命に立ち向かうときに示す、精神の明るさがすがすがしい。登場する何組かの親子それぞれの情愛が、やがて一筋の希望を感じさせるあたりも拍手。ハリウッドっぽい巧さだけど。山田風太郎賞受賞。(2011年10月)

October 20, 2011

「世界をやりなおしても生命は生まれるか?」

動く油滴は、いくつかの化学反応式と、それを表す数式で表現できてしまう。でも、生命はそんな簡単なもので表現できないはず、というのもガット・フィーリングだ。でも数式では表現できない「何か」って、いったい何だろう?

「世界をやりなおしても生命は生まれるか?」長沼毅著(朝日出版社) ISBN: 9784255005942

1961年生まれ、極地や深海など辺境の「極限生物」の探究で知られる著者が高校生を相手に、生命とは何かという大問題を説く。広島大学附属福山中・高等学校での講演、および高校生10人との3日にわたる対話の記録。

語り下ろし形式は、「単純な脳、複雑な『私』」(池谷裕二著)や「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」(加藤陽子著)と同じ。抜群に面白かった2作に比べると、ずいぶん難しく感じてしまったのは、当方の生物学に関する知識が乏しすぎるせいです。

勝手に動いたり、分裂したりする油滴(ケミカル生命)。はたまたパソコン上で動くデジタル生命。いろいろな「生命っぽくみえるもの」を例にあげながら、「そうはいっても、直感的にこれは生命ではないと感じる(ガット・フィーリング)、その理由」を考察して、生命を生命たらしめるものに迫っていく。

読んだことがある「ワンダフル・ライフ」(スティーブン・ジェイ・グールド著)とか、「眼の誕生」(アンドリュー・パーカー著)の内容にも触れていて、そのあたりまでは数式のくだりを飛ばしつつも、なんとか付いていったと思う。けれど話題はどんどん進んで、宇宙のエントロピーとか「散逸構造」とか、哲学めいたテーマにまで到達しちゃう。あとで調べたら、散逸構造のノーベル賞受賞は1977年。私の常識がないだけで、生物学ってとっくに凄いことになっているらしい、と情けなくも痛感した一冊。(2011・10)

October 09, 2011

緋色からくり

ねえ、おとっつぁん、さっさと死んじまって、しくじったと思ってるだろう。だって長生きしてたら、今日あたり浅草寺の紅葉と懐かしい錠前の話を肴にして、父娘二人で旨い酒でも酌み交わせたじゃあないか。

「緋色からくり」田牧大和著(新潮文庫) ISBN: 9784101364315

腕のいい錠前師の緋名(ひな)が、姉のような存在だった従姉の死の真相を探る。

「女錠前師 謎解き帖シリーズ」第1作。女だてらに父の跡を継いだ錠前師のヒロインが活躍する。目明かしの女房だった従姉が、悪巧みに巻き込まれた。密かに真相を追い続ける緋名に、兄弟みたいな存在の髪結い甚八、その知人で飄々とした浪人・康三郎が加勢する。同じ著者の「三悪人」ほどひねってはいないが、良くできた時代物ミステリーだ。

江戸の職人の仕事ぶりが面白い。錠前のデザインに対するこだわりや、簡単に破られないように施したからくりの数々、顧客である商家との付き合い方。
働く女性としての独立心のほうは、ぐっと現代的な造形だ。緋名は美人なのに、藍の股引姿で男言葉を使う。ひと仕事終えて酒を楽しむシーンが、やたら出てきたりする。緋名を慕う辰巳芸者の祥太も、調子がいい奴ながら気っ風がよくて、なんだか応援したくなる。(2011・10)

October 01, 2011

「弁護側の証人」

金網のあいだから夫はわたしの手をさぐりあて、指先をそっとにぎった。

「弁護側の証人」小泉喜美子著(集英社文庫) ISBN: 9784087464290

ダンサーの漣子は八島財閥の道楽息子・杉彦に見初められて結婚。しかし同居し始めた豪邸で、義父が何者かに殺されてしまう。

1985年に事故死した著者の、1963年のデビュー作。2009年に復刊された文庫を読んだ。叙述ミステリの古典的名作といわれるだけあって、気持ちよく騙されて爽快。

身分違いの結婚、屋敷に集まった親族や使用人の閉じた人間関係など、舞台装置はさすがに古めかしい。しかしどんでん返しを理解してみれば、漣子や「弁護側の証人」の心情には、決して時代遅れといえないドラマがあることがわかる。ほろ苦い幕切れも心地よい。

生島治郎、内藤陳との結婚、破局、「女には向かない職業」「時の娘」の翻訳…。道尾秀介さんが解説で触れているように、著者自身の人生もドラマティックだなあ。(2011・9)

春疾風

「『浜松藩上屋敷に出る亡霊』の噂を知っているか」
 こいつ、その話をしにきやがったな。
 金四郎は察した。
「手前ぇこそ『面白ぇ話』を握ってたんじゃねぇか」
「何だ、金四郎でも知らぬ噂があるのだな」
 狛犬が、嬉しそうに笑った。

「春疾風 続・三悪人」田牧大和著(講談社) ISBN: 9784062171250

浜松藩内部に兆す、春の嵐の気配。これに、からまない手はない。遠山金四郎、鳥居耀蔵、水野忠邦のくせ者3人が再びたくらみ合戦を繰り広げる。

「三悪人」の続編。今回は忠邦が危機に陥り、のちに老中まで上り詰める人物の裏話という趣向が興味をひく。3人が互いに騙したり利用したり、駆け引きは相変わらずシビアで、金四郎と耀蔵の関係もより微妙。とはいえ互いの知恵を認めている、そんな屈折も深まった感じだ。ちょっと屈折し過ぎと思うところもあるけれど。脇役も含めてワル揃いのなか、ちょっと粋で健気な女講談師が登場して、爽やかだ。

前作に続いて、キーマンの一人は腕のいい料理人。食べる者を唸らせる献立の描写が、本当に美味しそうだ。時代小説のトレンドなのか。(2011・9)

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