犯罪
事件の真相は簡単なものだという刑事事件の鉄則は刑事ドラマの脚本家の発想でしかない。実際はその反対だ。自明と思えることも推測の域を出ない。たいていの場合がそうなのだ。
「犯罪」フェルディナント・フォン・シーラッハ著(東京創元社) ISBN: 9784488013363
人はなぜ罪を犯すのか。ベルリンで刑事事件弁護士として活躍する著者の、処女連作短編集。
本読みブロガーの間で評判の1冊を読んだ。評判通りの読み応えだが、元東ドイツ政治局員やドイツ連邦情報局工作員の弁護人を務めたこともある作家、という興味は、いい意味で裏切られた。面白さの理由は、著名事件の裏を匂わせるといった下世話な興味とは全く無縁。わずか200ページ強で11作と、1作1作は短いのだけれど、無駄のない筆致で実に多くのイマジネーションが詰め込まれていて、物語としての贅沢さがたっぷり味わえる。
老若男女、登場する被疑者たちの社会的地位や、おかした罪の軽重はばらばらだ。では彼らがなぜ、被疑者という立場になったのか? 歩いてきた人生、抱えている心の傷、疎外感を知らなければ、謎は解けない。いわば「罪の素顔」の、なんと多様で意外性に満ちていることか。どの1作も、それだけで映画が1本作れそうな深みを感じさせる。
「りんご」が共通の隠しテーマになっていて、巻末に「これはリンゴではない」というフランス語が掲げられているのが、なんともお洒落。シュルレアリスムの画家、ルネ・マグリットのリンゴの絵についていたタイトルだ。犯罪とは、決して表面に見えている通りではない、というメッセージなのか。
悲惨な物語、不気味な味わいの物語もあるけれど、中では痛快な「ハリネズミ」が気に入った。レバノン移民のやくざな犯罪者一家の息子が、実はこのうえなく頭脳明晰で、巧妙に証言して裁判所を出し抜き、兄弟をおとがめなしにしてしまう。この話に限らず、旧東欧や中東からの移民が頻繁に登場しており、現代ベルリンという都市の複雑さもかいま見えて興味深い。酒寄進一訳。(2011・9)
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