浮世の画家
あの日、三宅二郎はほんとうにそういうことばを使ったのであろうか。わたしは彼のことばと、素一なら言い出しそうなことばとを混同しているのかもしれない。
「浮世の画家」カズオ・イシグロ著(ハヤカワepi文庫) ISBN: 9784151200397
終戦による価値観の激変に直面した老画家・小野の戸惑い。
カズオ・イシグロ、1986年の出世作を読んだ。かつては尊敬され、権威であったという矜持と、現在の深い挫折感の狭間で揺れる心理。ブッカー賞を受けた1989年の「日の名残り」に通じるテーマだ。
形式もお馴染み、全編が一人称の語りです。事実を記しているようでいて、小野にとって都合よくねじ曲がっていたり、肝心なところが隠されたりする印象が色濃い。この何とも言えない、もどかしさ。抑制された筆致の老成ぶり。長編2作目にして、イシグロ節炸裂だ。
4部構成で、導入部分の「一九四八年十月」が全体の半分程度を占める。この段階では、昔なじみの繁華街の変化などに重ねながら、自分の評価が以前とはすっかり逆転してしまったことに対する、小野の嘆きが語られる。娘の嫁ぎ先やかつての同僚、弟子ら狭い人間関係の中で、自分の過去を正当化する、いわば独善的な言い訳が繰り返され、読んでいて少し痛々しい。
しかし「一九四九年四月」「一九四九年十一月」と進むうち、実はそんなに言い訳するほどの過去ではないのかも、という疑惑がもたげてくる。そうならば小野が吐露する呵責もまた、自分の心理が作り出しているに過ぎないのかもしれない。「一九五〇年六月」に至ってほの明るい諦念が漂うのだけれど、このあたりの謎についてはモヤモヤが残される。
舞台が日本なのに、どこか不自然な感じがするのもモヤモヤの一因か。飛田茂雄訳。
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