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September 30, 2011

真珠の耳飾りの少女

 何より手がこんでいるのは水差しと水盤だ。黄、茶、緑、青のどれにもなる。タペストリーの模様、娘さんの胴着、椅子に掛かる青い布を反射して、混じりけのない銀色以外なら、およそどんな色にでも見える。それなのに、水差しと水盤はこうでなければという色をしているのだ。
 それからというもの、わたしはいくらものを見ても、見飽きるということがなくなった。

「真珠の耳飾りの少女」トレイシー・シュヴァリエ著(白水Uブックス)  ISBN: 9784560071465

巨匠フェルメールのモデルを務めた、少女フリートのはかない恋。

久しぶりにSNS読書会の課題本を読んだ。「北のモナリザ」と言われる名画のモデルは、画家の家で働く16歳の女中だった、という設定のフィクション。暗い背景から浮き上がるように、こちらを振り向いた少女の大きな瞳は、いったい何を問いかけているのか。ページを開いたときは字が小さくて少しひるんだけれど、読み出したらあっという間だ。

17世紀半ばのオランダ・デルフトの暮らしが、生き生きと描かれる。事故で父が職を失い、フリートは家族を支えるため、子だくさんの画家の家に住み込む。貧しさや疫病、見下されることの悔しさ。それでも冷静な観察眼と家事能力を発揮する姿はしたたかだ。

そんなフリートがアトリエで、書きかけの絵に目を奪われるシーンがなんとも鮮やか。天性のセンスを持つ少女が思いがけず芸術に出会い、誰に教えられなくても光と影、色彩の魔術を感じとる。恐らく二度と日の目を見ない、一瞬の才能のきらめき。まるで絵の中で白い光を放つ、大粒の真珠のように。

センスを見抜いたフェルメールとの、言葉にならない交流が始まる。フリートの、つつましく頭巾で覆っていた髪がついにこぼれ落ちるシーンが実に官能的だ。とはいえ天才画家は案外、ダメ男。寡作なので稼ぎがのびず、同居する資産家の姑になにかと指図されてしまう立場だ。フリートへの接し方もどこか冷淡。そんなことはフリートもわかっていて、何も期待はしていない。少女の切なさと、切なさを超えていく生き方が胸にしみます。

「カメラオブスキュラ」利用などの技法や、モデルの人となりが書き込まれていて興味深い。少し前に読んだ「写楽」同様、名画の背景を想像するのは楽しいものです。2003年に映画化。木下哲夫訳。(2011・9)

September 26, 2011

三悪人

「探りまするか」
 縫殿助がにっと笑って、忠邦へ伺いを立てる。
 面白くなりそうよ。
「ゆるりとな。暖かくなるまでには、まだ間があるゆえ」
 ふぁさり、と雪が地に落ちる音が、響いた。

「三悪人」田牧大和著(講談社文庫) ISBN: 9784062770019

目黒の祐天寺の火事には裏がある。さあ、その秘密をどう利用したものか。若き日の遠山景元(金四郎)、水野忠邦、鳥居耀蔵が花の吉原を舞台に繰り広げる虚々実々、三つどもえの駆け引き。

よく知られた歴史上の人物の青年期という設定で、とっつきやすいなあ、と読み始めたら、どんどん引き込まれた。粋な遊び人の金さん、美形で切れ者の水野、狛犬みたいな容貌ながら、野性の勘と妙に純情なところを備えた鳥居、という造形が、まず巧い。

さらにこの三人、揃いも揃って食えない奴なのだ。正義の味方のイメージがある金さんを含めて、タイトル通り、決して善人ではない。それぞれ思惑があって、隙あらば相手を利用してやろうと狙っている。非情なところもある。互いに相容れない価値観をもち、忌み嫌いながらも、悪知恵の働き具合に関しては一目置き、むしろ相手の悪だくみを楽しんでいたりする。このあたりの屈折ぶりが魅力だ。

時代劇冬の時代と言われるけれど、これは洒落たドラマになりそうな気がするなあ。(2011・9)

September 25, 2011

犯罪

事件の真相は簡単なものだという刑事事件の鉄則は刑事ドラマの脚本家の発想でしかない。実際はその反対だ。自明と思えることも推測の域を出ない。たいていの場合がそうなのだ。

「犯罪」フェルディナント・フォン・シーラッハ著(東京創元社) ISBN: 9784488013363

人はなぜ罪を犯すのか。ベルリンで刑事事件弁護士として活躍する著者の、処女連作短編集。

本読みブロガーの間で評判の1冊を読んだ。評判通りの読み応えだが、元東ドイツ政治局員やドイツ連邦情報局工作員の弁護人を務めたこともある作家、という興味は、いい意味で裏切られた。面白さの理由は、著名事件の裏を匂わせるといった下世話な興味とは全く無縁。わずか200ページ強で11作と、1作1作は短いのだけれど、無駄のない筆致で実に多くのイマジネーションが詰め込まれていて、物語としての贅沢さがたっぷり味わえる。

老若男女、登場する被疑者たちの社会的地位や、おかした罪の軽重はばらばらだ。では彼らがなぜ、被疑者という立場になったのか? 歩いてきた人生、抱えている心の傷、疎外感を知らなければ、謎は解けない。いわば「罪の素顔」の、なんと多様で意外性に満ちていることか。どの1作も、それだけで映画が1本作れそうな深みを感じさせる。

「りんご」が共通の隠しテーマになっていて、巻末に「これはリンゴではない」というフランス語が掲げられているのが、なんともお洒落。シュルレアリスムの画家、ルネ・マグリットのリンゴの絵についていたタイトルだ。犯罪とは、決して表面に見えている通りではない、というメッセージなのか。

悲惨な物語、不気味な味わいの物語もあるけれど、中では痛快な「ハリネズミ」が気に入った。レバノン移民のやくざな犯罪者一家の息子が、実はこのうえなく頭脳明晰で、巧妙に証言して裁判所を出し抜き、兄弟をおとがめなしにしてしまう。この話に限らず、旧東欧や中東からの移民が頻繁に登場しており、現代ベルリンという都市の複雑さもかいま見えて興味深い。酒寄進一訳。(2011・9)

September 24, 2011

浮世の画家

あの日、三宅二郎はほんとうにそういうことばを使ったのであろうか。わたしは彼のことばと、素一なら言い出しそうなことばとを混同しているのかもしれない。

「浮世の画家」カズオ・イシグロ著(ハヤカワepi文庫) ISBN: 9784151200397

終戦による価値観の激変に直面した老画家・小野の戸惑い。

カズオ・イシグロ、1986年の出世作を読んだ。かつては尊敬され、権威であったという矜持と、現在の深い挫折感の狭間で揺れる心理。ブッカー賞を受けた1989年の「日の名残り」に通じるテーマだ。
形式もお馴染み、全編が一人称の語りです。事実を記しているようでいて、小野にとって都合よくねじ曲がっていたり、肝心なところが隠されたりする印象が色濃い。この何とも言えない、もどかしさ。抑制された筆致の老成ぶり。長編2作目にして、イシグロ節炸裂だ。

4部構成で、導入部分の「一九四八年十月」が全体の半分程度を占める。この段階では、昔なじみの繁華街の変化などに重ねながら、自分の評価が以前とはすっかり逆転してしまったことに対する、小野の嘆きが語られる。娘の嫁ぎ先やかつての同僚、弟子ら狭い人間関係の中で、自分の過去を正当化する、いわば独善的な言い訳が繰り返され、読んでいて少し痛々しい。

しかし「一九四九年四月」「一九四九年十一月」と進むうち、実はそんなに言い訳するほどの過去ではないのかも、という疑惑がもたげてくる。そうならば小野が吐露する呵責もまた、自分の心理が作り出しているに過ぎないのかもしれない。「一九五〇年六月」に至ってほの明るい諦念が漂うのだけれど、このあたりの謎についてはモヤモヤが残される。

舞台が日本なのに、どこか不自然な感じがするのもモヤモヤの一因か。飛田茂雄訳。

September 04, 2011

池上彰の宗教がわかれば世界が見える

日本人の多くは、一神教徒ではないし、ある宗教以外は認めないという排他的な思いを持ってはいない。しかし、広く神仏を信じる気持ちは強く持っているのです。

「池上彰の宗教がわかれば世界が見える」池上彰著(文春新書) ISBN: 9784166608140

文藝春秋2011年5月号掲載のインタビューシリーズに加筆し、導入部分と最終章を加えた。辛い出来事や、団塊の世代が老年期に入ることによって、宗教がどういう意味をもつようになるのか。宗教家や学者7人に、著者お得意の素朴な疑問をぶつけていく。

とにかく基礎的な常識が乏しいので、世界情勢をちょっとでも理解しようと思い、話題の新書を手にとった。実は世界情勢というより、昨今の国内葬儀事情をめぐる話題が続いたりして、期待した内容とはちょっと違うところもあったものの、意外な知識も満載。
特に、神道の懐の深さにはつくづく驚かされます。池上さんも感心することしきり。宗教としてはとても身近なんだけど、知らないもんですねえ。(2011・8)

潜伏

同一犯というならば、犯人は若年性痴呆症の患者をターゲットにしているということになる。

「潜伏」仙川環著(小学館文庫) ISBN: 9784094085112

若年性痴呆症の患者に、相次いで毒物入り飲料が届く事件が発生。長山歩美は同病を患っていた叔母も狙われていた、と疑念を抱き、主治医だった大学病院の佐野将彦と真相を追い始める。

「感染」の著者による医療ミステリーシリーズの第5弾。
謎解きや、犯人に迫るスリルに、歩美の心の変化をからめている。30歳を過ぎ、もう若くはない。特別な技能とか華やかな職業、頼れる恋人とかは持っていない。しかし、疑念を放っておけない正義感や行動力には、爽やかさが漂う。そんな彼女の自信、矜持というものを、いったい何が支えるのか。

将彦との関係も丹念に描いている分、ミステリとしてのスピード感は今ひとつか。医療に関する問題意識は間違いなく著者の強みなのだけれど、ひょっとすると徐々に関心が薄れているのかも。(2011・8)

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