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July 30, 2011

写楽 閉じた国の幻

そうやって楽ばっかりしてるとよ、世の中ちっとも変わりゃしねぇんだ、それがおいらたちよ。今の錦絵はよ、ありゃ絵じゃねぇや、図案よ。

「写楽 閉じた国の幻」島田荘司著(新潮社) ISBN: 9784103252313

悲運に見舞われた浮世絵研究家の佐藤が、生きるよすがのように必死で挑む写楽の謎。手にした1枚の肉筆画から、世紀の推理が展開される。

670ページもの大部に恐れをなしたけど、案外すいすい読んだ。寛政6年(1974年)に華々しくデビューし、ほぼ10カ月で約145点の作品を出版した後、忽然と姿を消した幻の絵師・東洲斎写楽。本名も素性も、いっさい記録が残っていない絵師の正体を解き明かしていく。この大胆さが痛快だ。

推理の出発点は、「そもそも」の疑問に虚心坦懐向き合う姿勢。なぜ、同時代人の誰ひとりとして、実は写楽とは自分だったと、あるいはどこの誰かだと、確かなことを言い残していないのか。さらには、デビュー時にいきなり当時の常識を覆す破天荒な画風を実現したのに、その後は大人しくなってしまったのか? このへんの疑問を作中で繰り返し解説し、著者自ら後書きでも綴って、島田説につなげていく。

550ページあたりからの「江戸編」が面白い。謎解きが山を越えたところで再現ドラマさながら、当時の経緯を生き生きと描く腕は、やっぱり辣腕の作家ならでは。そこで描かれる天才出版人、蔦屋重三郎の心意気がすがすがしい。
もちろん素人には、島田説の当否はわからない。けれど、もしこういう蔦屋の先見性、気骨が「世界3大肖像画家」たる写楽を生んだのだとしたら、すごく格好良いだろうなあ、と夢が膨らんで楽しい。たまたま今年、東京国立博物館の写楽特別展を、また昨年にはサントリー美術館の蔦屋重三郎展を観たこともあり、芝居小屋とかの微に入り細をうがつ描写にも興味が尽きない。

一方で「現代編」のほうの描写の丁寧さには、ちょっと馴染めなかったかも。主人公・佐藤の徹底した不運ぶり、謎解きを手助けする辻田教授の美人ぶりとかは、いずれ別のストーリーになるのかな。舞台がお茶の水、神保町界隈で、実在の店などが登場するところが面白かった。(2011・7)

July 18, 2011

夜想曲集

これはサラ・ボーンの《パリの四月》。クリフォード・ブラウンのトランペットで歌った一九五四年バージョンだ。だから、長い。少なくとも八分間は続く。ぼくにはそれが嬉しかった。

「夜想曲集」カズオ・イシグロ著(ハヤカワepi文庫) ISBN: 9784151200632

音楽と夕暮れをテーマにした5つの短編。

長編ではあまり味わえない、ユーモアセンスが印象的だ。友人宅で思わず日記のようなメモを読んでしまった男が、ありえない方法で必死に誤魔化そうとしたり、訳あってホテルに潜伏している売れないミュージシャンが、隣室の奔放なセレブに誘われるまま夜中にホテル内を歩き回って子供のような悪戯を仕掛けたり。これはすっかり、シチュエーションコメディだ。

もちろん、カズオ・イシグロなんだから笑えるだけではない。長い暮らしの間にすれ違ってしまった夫婦の感情とか、才能がありながら世間に受け入れられない焦燥、諦念などをシニカルに織り交ぜている。なんとも切ない。訳者あとがきによると、影響を受けた作家の一人にチェーホフをあげているというのも、うなずける。

作中の重要な小道具として古いポップスやジャズ、クラシックの曲名が登場するのが楽しい。音楽がかき立てる郷愁が効果的。とりあげる音楽のジャンルに合わせて、1編ずつ文体を変えており、それでいて全体で1枚のアルバムのようなまとまりが感じられる。土屋政雄訳。

July 02, 2011

「三陸海岸大津波」

 その話をきいた早野村長は、驚きの声をあげた。田野畑村の津波をふせぐために設けられている防潮堤の高さは八メートルで、専門家もそれで十分だとしているが、
「ここまで津波が来たとすると、あんな防潮堤ではどうにもならない」
 と不安そうに顔を曇らせた。

「三陸海岸大津波」吉村昭著(文春文庫) ISBN: 9784167169404

1970年発表の記録文学。明治29年、昭和8年、昭和35年の3度を中心に、東北を襲ってきた大津波を、当時の出版物から学童の作文、体験者の肉声などを駆使して再現する。

一読して、これほどの災害の記録をわずか180ページほどに収めた筆力に驚嘆する。確かな取材に加えて、余計な修飾を差し挟まない抑制力のなんと強靱なことか。だからこそ、想像を絶する自然の驚異と膨大な悲劇、そこから立ち上がる一人ひとりの姿が胸に迫る。

著者は田野畑村で、明治29年の津波の数少ない体験者である老人に会いに行く。同行した村長が一緒に貴重な証言を聞いていて、ふと現在の防潮堤の効果に不安を覚える。たった数行のなにげないシーンだ。しかし発表から40年を経ても、読む者を愕然とさせる。身近に脅威を言い伝える人がいて、地域で様々に備えていることは間違いないのだが。

著者はまた、三陸の海が普段はいかに豊かで、人々の暮らしに恩恵を与えているかを描写している。いつかは災厄をもたらす、けれど日々の糧を得る環境を、捨て去ることは難しい。世代を超えるスケールで、大きなリスクと人の営みとをどう成り立たせていくのか。これは三陸に限らない構図のような気がして、180ページが問いかけるものはとても大きい。(2011・6)

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