「遠い山なみの光」
「だって、ここへ来られてほんとうに嬉しいんですもの。今日は楽天家でいようと決心していたの。ぜったい幸せになろうと思うのよ。藤原さんはいつでも、将来に希望を持たなくちゃいけないって言ってるけど、そのとおりよ。みんながそうしなかったら、こういうところも」--とわたしはまた景色を指さした--「こういうところだって、いまだにみんな焼跡なんですもの」
「遠い山なみの光」カズオ・イシグロ著(ハヤカワepi文庫) ISBN: 9784151200106
英国で暮らす悦子が終戦直後、遠く離れた故国・日本で知り合った母娘を回想する。
読みたい読みたいと思っていたカズオ・イシグロのデビュー作。翻訳がいいせいか、とても静かな、淡々とした筆致が印象的だ。
けれどもちろん、ページに流れる感情は決して静かなものではない。語り手である悦子は、故郷を棄てて生きてきた人生も後半になって、とても哀しい思いをしている。自分の選んできた道は正しかったのか。辛くても、そう自問せずにはいられないはずだ。
そして近頃さかんに思い出すのは、大きな悲惨を経験して日が浅い長崎で暮らした日々のこと。近所に住む佐知子は幼い娘を抱え、苦しい生活を打開しようと、無謀を承知で米国に渡ろうとしている。また、教育者だった愛すべき義父は、終戦によって直面した社会の価値観の激変に戸惑いを隠せずにいる。やっぱり誰もが、自分の選んできた道、選ぶ道に確信を持てない。なんという不安感なのだろう。
でも、この作家の非凡なところは、そんな不安の日々のなかに、一筋の光明を差し込ませるところではないだろうか。長崎時代、悦子は佐知子らとひとときの気晴らしを求めて、長崎港を見下ろす景勝地・稲佐に遊ぶ。彼女たちが語り合う、なけなしの楽観、希望。現実はシビアなもので、できることは限られていると重々承知しているからこそ、人は希望を抱きしめて生きるのかもしれない。時代や国という設定を超え、そんな思いがこみ上げてくる気がした。王立文学協会賞受賞。小野寺健訳。(2011・6)
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