« May 2011 | Main | July 2011 »

June 24, 2011

「虐殺器官」

人が自由だというのは、みずから選んで自由を捨てることができるからなの。

「虐殺器官」伊藤計劃著(ハヤカワ文庫JA) ISBN: 9784150309848

近未来、先進国が高度な個人情報管理によってテロを防ぐ一方、途上国では深刻な地域紛争が絶えない。米軍大尉シェパードはその紛争地帯に現れる謎の米国人を追う。

2010年にフィリップ・K・ディック記念賞特別賞を受けた夭折のSF作家のデビュー作。目をそむけたくなるような戦闘シーンは苦手だけれど、意外と一気に読んでしまった。

物語の横糸となる世界情勢や、脳科学、セキュリティ技術の進歩といった設定は、もしかしたらすぐそこにある未来かも、と感じさせる。ところどころ「戦争サービス業」(ロルフ・ユッセラー著、日本経済評論社)や「戦争広告代理店」(高木徹著、講談社文庫)、「単純な脳、複雑な『私』」(池谷裕二著、朝日出版社)なんかが頭をよぎる。

縦糸をなすシェパードの思索とのギャップが巧い。激しい戦闘やらスパイ活動やらに携わりながら、その物言いは非常に内省的だ。モノローグや周囲との哲学的対話を通じて、私という存在とは何か、良心とは、自由とは、と問い続ける。マット・デイモン主演で映画化されてもおかしくないような。ちょっとヘビー過ぎるけれど。

個人的には疾走感がある割に、ラストがあっけないというか、放り出されるような印象。それだけに、この作家が書くものをもっと読んでみたかった。(2011・6)

June 22, 2011

「ウォール・ストリート・ジャーナル陥落の内幕」

 ダウ・ジョーンズは「半ば公的な財産」であり--これはかつて同社の委任状で使われた表現だ--また、バンクロフト一族はこの国内有数の優れた報道機関の、尊敬すべき庇護者であるとカーンは考えていた。

「ウォール・ストリート・ジャーナル陥落の内幕」サラ・エリソン著(プレジデント社) ISBN: 9784833419581

高級経済紙ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)を傘下に持つダウ・ジョーンズ社。1世紀にわたって同社を所有し、編集の独立をサポートしてきた創業家バンクロフト一族が、いかにしてメディア王マードック率いるニューズ・コーポレーションにその座を売り渡したか。

著者はWSJのメディア担当として、この買収交渉を取材していた経歴を持つ。会社は当事者だったけれど、経営陣とは関係なく1記者として取材し、独立したのちに本書を世に出した。巻末にWSJ在籍当時に発表した記事や、参照した他メディアの記事一覧を掲載していて、そのへんの線引きは丁寧だ。
「内幕」という邦題の通り、いつ誰と誰が会って何を話し、そのとき何を食べたか、といった細部を描写。話題となったM&A劇を、リアルに追体験させてくれる。

興味深い点の一つ目は、こうした大規模な買収交渉において、どの時点で流れが決するのかがクリアに描かれていること。読む限り、冒頭からオーナー一族の間では、ダウ・ジョーンズを経営していく情熱がすでに薄れている。一族の思惑もばらばらで、交渉をご破算にするとちらつかせて有利な条件を引き出す、といった駆け引きの技量は今ひとつ。そういうわけで、かなり早い段階でマードックとの勝負はついていたようだ。

二つ目の点はいうまでもなくメディアの潮流。いったいどんなコンテンツ、どういうプラットフォームが価値をもつのか。それを実現する経営にはどういう体制、発想が必要か。M&A前のダウ・ジョーンズとニューズ・コーポレーションでは、180度考え方が違っていたといえそうだ。
WSJはワイドショー的なニュースよりも独自の読み物、深い解説や発掘型の特ダネでならし、評価を得ていた希有な存在。それでは生き残れないと信じるマードックは、WSJを大衆路線に大転換させた。2011年時点で改革の成否はなお見えていないのだけれども。

なにしろ関係者が多いので、冒頭の人物一覧が役に立つ。ダウ・ジョーンズ社の社外役員の経歴や、バンクロフト一族の系図があるとより便利だったかも。土方奈美訳、牧野洋解説。(2011・6)

June 14, 2011

「遠い山なみの光」

「だって、ここへ来られてほんとうに嬉しいんですもの。今日は楽天家でいようと決心していたの。ぜったい幸せになろうと思うのよ。藤原さんはいつでも、将来に希望を持たなくちゃいけないって言ってるけど、そのとおりよ。みんながそうしなかったら、こういうところも」--とわたしはまた景色を指さした--「こういうところだって、いまだにみんな焼跡なんですもの」

「遠い山なみの光」カズオ・イシグロ著(ハヤカワepi文庫) ISBN: 9784151200106

英国で暮らす悦子が終戦直後、遠く離れた故国・日本で知り合った母娘を回想する。

読みたい読みたいと思っていたカズオ・イシグロのデビュー作。翻訳がいいせいか、とても静かな、淡々とした筆致が印象的だ。

けれどもちろん、ページに流れる感情は決して静かなものではない。語り手である悦子は、故郷を棄てて生きてきた人生も後半になって、とても哀しい思いをしている。自分の選んできた道は正しかったのか。辛くても、そう自問せずにはいられないはずだ。
そして近頃さかんに思い出すのは、大きな悲惨を経験して日が浅い長崎で暮らした日々のこと。近所に住む佐知子は幼い娘を抱え、苦しい生活を打開しようと、無謀を承知で米国に渡ろうとしている。また、教育者だった愛すべき義父は、終戦によって直面した社会の価値観の激変に戸惑いを隠せずにいる。やっぱり誰もが、自分の選んできた道、選ぶ道に確信を持てない。なんという不安感なのだろう。

でも、この作家の非凡なところは、そんな不安の日々のなかに、一筋の光明を差し込ませるところではないだろうか。長崎時代、悦子は佐知子らとひとときの気晴らしを求めて、長崎港を見下ろす景勝地・稲佐に遊ぶ。彼女たちが語り合う、なけなしの楽観、希望。現実はシビアなもので、できることは限られていると重々承知しているからこそ、人は希望を抱きしめて生きるのかもしれない。時代や国という設定を超え、そんな思いがこみ上げてくる気がした。王立文学協会賞受賞。小野寺健訳。(2011・6)

June 03, 2011

馬のような名字

自分を隔離し、外界の影響から自分を守ってくれるような箱をあつらえようとしていたのです。

「馬のような名字」チェーホフ著(河出文庫) ISBN: 9784309463308

2010年に生誕150年を迎えたチェーホフ。短編と1幕ものの戯曲、合わせて18編を集めた傑作集。

岩松了さんのお芝居を観るようになって、必須と思いながらなかなか到達していなかったチェーホフを、ようやく読んだ。100年前の作とは思えない、身につまされる感じに驚く。
作家の目はシニカル。登場する人物の多くは愚かでちっぽけだ。初めのうちは、ちょっとやりきれない気もするけれど、それはたぶん、自分のことを言われているようだから。

たとえば「箱に入った男」。臆病な変わり者で、外出するときにはコートや傘で厳重に身を守らずにはいられないギリシャ語教師。生活のすべても、禁止事項や制限事項でがんじがらめにしてしまう。周囲の人は彼を笑うけれど、誰しもなんらかの箱を作って、自らを閉じこめているのではないか? 

チェーホフはストーリーよりも人間を描く、とはよく言ったものだ。シニカルさの先に、人間の愚かさを包み込む視線がある。10ページに満たない小品、「悪ふざけ」なんか、切ないなあ。若き日のある冬、田舎で出会った娘に、恋の告白めいた悪戯を仕掛けた思い出。ただそれだけのことなんだけど、一緒にソリで遊んだときの冷たい空気とか、かいま見た娘の美しさが鮮やかだ。とるに足らない、しかしかけがえのないもの。人生はそれでできている、とでも言いたげな。

編訳者、浦雅春さんの巻末の解説も洒落ていて読み応えあり。そこでチェーホフの重要な要素の1つとして、ユーモアセンスをあげている。たとえば表題作「馬のような名字」は、人の名前がなかなか思い出せない、確か馬に関係ある名前だったんだけど……というお話。ん~、納得。このナンセンスには脱帽ですね。(2011・6) 

« May 2011 | Main | July 2011 »