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May 28, 2011

「日本語教室」

私は芝居を書いていますが、なるべく「い」の音を生かすように気をつけています。たとえば銀行を使うのなら、もう三菱に決まりです。銀行の内容とか、そういうことではありません。音だけの問題です。

「日本語教室」井上ひさし著(新潮新書) ISBN: 9784106104107

2001年、母校・上智大学での連続講義4回の記録。

今こそ発言をきいてみたい人、井上ひさし。これは彼が生涯こだわった日本語に関する講義録だけれど、毒舌、ユーモアをまじえた語り口とともに、はしばしにこの人らしい信念がにじんでいて興味深い。

たとえばカタカナ語は便利だけれど、日本語の微妙にニュアンスが違う言葉をひっくるめて、物事を単純にしてしまうと指摘する。再生、改良、改築、増築、改装などがすべてリフォームになってしまうように。
個人的にはカタカナ語で複雑になる場合もあると思うのだけれど、著者が嘆いているのは日本語がないがしろにされることそのものよりも、その背景にある意味に向き合う姿勢というか、思考停止の精神状態なのだろうと思う。

日本語の起源や音韻、文法の分析を紹介しつつ、劇作家としての言葉の扱い方、「あいうえお」という5つの音色の使い分けなどを披露している。大好きな駄洒落の効用にも触れていて、大江健三郎との駄洒落対決なんてエピソードも。こんな風に気配りしていたら筆が遅いのもむべなるかな、と思う。(2011・5)

May 24, 2011

「三月は深き紅の淵を」

今でも人間が小説を書いてることが信じられない時があるもんね。どこかに小説のなる木かなんかがあって、みんなそこからむしりとってきてるんじゃないかって思うよ。

「三月は深き紅の淵を」恩田陸著(講談社文庫)  ISBN: 9784062648806

「三月は深き紅の淵を」というタイトルの、幻の小説集にまつわるミステリー四編。

ずっと積んでいた「やっぱり本を読む人々。」推薦150冊文庫の1冊。1編ずつ、味わいの違うミステリーが並んでいる。勤務先の会長の屋敷に突如招かれた若手社員が、膨大な蔵書の中から幻の一冊を探し出せ、と指令を受ける…。地方都市で起きた少女二人の転落死、不幸な事故に見えて実は…。本格だったり、学園ものだったり。そこに4編をつなぐ謎が仕掛けてある。手が込んでいる、というのが第一印象だ。

その謎とは、本好きの興味をかきたてる稀覯本「三月は深き紅の淵を」の存在。誰ともしれない作家が私家版として200部だけ刷り、密かに配ったとされる。「たった一人に、たった一晩しか貸してはならない」と条件をつけて。今や内容も伝説として語り継がれるだけだが、果たしてオリジナルはどこかに存在するのか? 誰が、どんなシチュエーションで書いたのか?

書き手が「三月」の書き手であるような、そうでもないような。単なる「入れ子」にとどまらない重層的な構造で、やがて現実と虚構さえ混じりあって何が何やら。ストーリーとしては決してすっきりしていない。
けれど本がテーマだけあって、随所で「小説」というものに対するイメージが語られていて、不思議な魅力を醸し出す。物語とは時代とか商業的な思惑とかと関係なく、ただ物語として生まれる、というイメージ。たとえば「チョコレート工場の秘密」みたいな突飛なお話を、計算づくで組み立てられるなんて思えないでしょう? …本好きの素朴な思いではないだろうか。

単行本は1997年出版。「三月シリーズ」と、恩田作品の中のリンクをたどり始めるときりがないらしいので要注意。(2011・5)

May 22, 2011

「モーダルな事象」

溝口? 誰だ、そいつは? 桑幸が不審の表情を浮かべると、男は自分だけで大きくひとつ頷いてみせた。
「溝口俊平には未発表の作品があったんです」

「モーダルな事象」奥泉光著(文藝春秋) ISBN: 9784163239705

近代文学を専門とする桑潟幸一助教授、通称桑幸(くわこう)。大阪の短大でくすぶっていた彼のもとへある日、無名の児童文学作家・溝口俊平の遺稿が持ち込まれる。太宰治の友人だったという以外、さしたる価値もないと思っていたのに、遺稿を出版するや予想に反して大ヒットとなる一方、関係する編集者が事件に巻き込まれ…。

500ページを超えるボリュームに恐れをなして、ずうっと積んでいた小説を読んだ。手にとってみれば心配は無用、ずんずん読み進みました。

物語が大きく3つのパートに分かれていて、細かく転換しながら進んでいくからテンポがいいし、文章にも独特のリズムがある。パートの1つ目は桑幸の日常で、これが笑っちゃうんだなあ。学者としてなかなか日があたらず、恋愛もうまくいかずに、相当ひがみっぽくなっている。いかにも小市民な言動に、現代日本の文芸出版事情なども透けてみえて、なんだか自虐的。昨年読んだ「シューマンの指」と同じ作家とは思えないほどのユーモアぶりです。

もう1つのパートは、ひょんなことから溝口俊平を巡る事件に関心を持ったフリーライター兼ジャズ歌手、北川アキの謎解き行。北海道、東京の郊外、大阪、京都、そして瀬戸内の孤島へと、この素人探偵のパートだけでも2時間ドラマ4本分ぐらいのミステリーが詰まっている感じです。おおざっぱな性格のアキと、同行する元夫で知的な変人・諸橋倫敦との、つかず離れずの名コンビぶりも楽しい。キャラクターが魅力的ですねえ。

しかし、面白楽しいだけで終わらないのが、奥泉節の侮れないところ。3つ目のパートがくせもので、事件をきっかけに桑幸を悩まし始める伝奇的な悪夢が綴られる。戦中、瀬戸内の孤島で行われていた謎めいた実験、消えた子供たち、外国からもたらされた希少なコインをめぐるオカルト話……。ダークファンタジーのイメージが、物語に色濃く陰影をつける。

伏線に次ぐ伏線、終盤に至って3つのパートが重なり合い、ミステリーとしてきっちり決着がつく。と思ったらさらに、おまけみたいに歴史の書き換えめいたエピソードがくっついていて、口をあんぐり。遊び心満載の筋書きを堪能した後、ニッポンの小説というもの、その蓄積に対するちょっと屈折した愛情が、じわっと染みます。さすがのサービス精神ですね~。桑幸のその後も気になります。巻末にスペシャル・インタヴュー、作品リスト付き。(2011・5)

権力の館を歩く

近衛の次男通隆は、父の寝室で夜中の二時ごろまで話していたという。そこで近衛は自らの心境を近衛家用箋に書き記して通隆に渡した。

「権力の館を歩く」御厨貴著(毎日新聞社)  ISBN: 9784620320083

歴代首相の住居、別荘から議事堂、各党本部まで、建築の成り立ちから権力の有りようを探る。毎日新聞での2007年1月から2010年3月までの連載を再構成。

個人的に実家近くに「荻外荘」があった思い出から、歴代首相の住居をたどった前半を、特に興味深く読んだ。「その瞬間」のエピソード、関係者の証言を交えつつ、それぞれの政治家が陳情客や密談の相手をどうさばいたか、なにかと騒がしい都心とどう距離をとったか、などからその心情にアプローチする試みだ。自然と財力、財力についての考え方も透けて見える趣向。
権力者たちが互いをどう意識していたかなど、読み解き部分になるとたぶんに主観的な印象ではある。けれど政治というのは主観なのだろうな、とも思える。研究室の学生たちや企業とのコラボレーションぶりも見事。(2011・5)

ねにもつタイプ

あなたがなんとなく人生というものにしっくりこない感じを抱いているとすれば、それはおそらくあなたが「気がつかない星人」だからなのだ。

「ねにもつタイプ」岸本佐和子著(ちくま文庫) ISBN: 9784480426734

人気翻訳家の雑誌連載エッセイ。帯の「微妙に増量して文庫化」という控えめな売り文句がチャーミングだ。

エッセイというよりファンタジーの味わい。実は本業の翻訳のほうをまだ読んだことがないのだけれど、著者のイマジネーション、ショートショートとしての完成度を味わえる。

1編を文章3ページ、クラフト・エヴィング商會の洒落たイラスト1ページで構成。限られた字数のなかで、妄想が膨らむさまはあきれるほどだ。謎のフレーズ「ホッホグルグル」が、いったん頭に浮かぶとどんどん増殖しちゃうとか、図書館の分類カードで見つけた炭焼き専門書の著者「岸本Q助」氏はきっと炭焼き一筋、驚くほど高潔に暮らしているに違いない、とか。なかには結構ダークな展開もあるんだけど、ラスト1行でぱちっと弾けて、現実に引き戻される。そのリズムが心地良い。

全編に漂うのは著者が日常生活で覚える、ささいな違和感。たとえば会社勤めをしていて、上司に「よしなに」と指示されても、何をどう「よしなに」していいのかわからない。誰かを非難したり、文句をいう気はないのだ。ただ少しだけ、世間に馴染みきれずに、ぼおっとしている姿が目に浮かんで、くすっと笑いを誘う。(2011・3)

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