マイナス・ゼロ
それらの音の全部を圧して聞こえてくるのは、通行人の足音だった。土曜日の午後とあって、人通りが多い。その人たちの半数近くが和服で、ゲタをはいているのである。
「マイナス・ゼロ」広瀬正著(集英社文庫) ISBN: 9784087463248
発端は大戦末期の東京。空襲のさなか、浜田少年は隣に住む「先生」から最後の頼みを託される。言葉通り18年後、その場所に足を運んだ31歳の浜田の前に出現したのは、なんとタイムマシンだった。
1970年刊行で、日本SF史で記念碑的と言われる時間旅行もの。2008年に復刊して話題になっていた作品を、ようやく読んだ。SNS「やっぱり本を読む人々。」選定120冊文庫の1冊でもある。
明朗快活なエンタテインメントですね。500ページの長編の中に、タイムマシン・パラドックスとか、誰が誰やらのどんでん返しとかの仕掛けがぎっしり。そして何といっても、主人公が昭和38年から誤ってスリップした先の、昭和7年の東京という舞台が、実に生き生きとしていて楽しい。
銀座4丁目の和光はまだ工事中。目抜き通りを、下駄履きの人々が大勢歩いている。自動車のスペックやら風俗、ものの値段までこと細かく再現していて、読者も一緒に「戦前」を体験する気分を味わえる。空襲による壊滅とその後のめざましい復興、経済成長をへた1970年からみて昭和初期の東京というのは、失われた、けれどどこか記憶の隅にある、懐かしい光景だったのだろう。
浜田は昭和7年の慣れない世界で、知り合った気の良い鳶のカシラの助けを借り、なんとか暮らし始める。カシラ一家とのユーモラスなやりとり、冒険と恋。迷い込んでしまった過去も、なかなかいいものだ。
とはいえ、ひたすら過去に回帰する雰囲気はない。そのあたりは、やはり時間旅行を扱ったジャック・フィニイとは違う味わいだ。戦後、急速に進歩した日本製家電製品について語るときの、ちょっと誇らしい感じとか、私たちはよりよい世界をつくることができる、という楽観が全編に流れている。読んでいて、明るい気持ちになる(私はフィニイも好きだけど)。
著者は本作発表のわずか2年後に急逝してしまった。1977年に河出書房新社から全集が出たときの、その死を心から残念がる星新一の解説付き。(2011・2)
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coco2さん☆こんばんは
昭和初期の街の描写がステキですよね!
まるで写真を見ているような気持ちになってしまいました。
かつてバンドマンだったり、モデラーだったりした経験が小説にも反映されていて、細部まで見事に描写してました。
たった6冊、されど6冊、是非全部読んでくださいね!
Posted by: Roko | February 25, 2011 10:57 PM
Rokoさん、そうですか、読むべきですか!
ジャズとか車とかについて、語り出したら止まらない感じが、とっても好感が持てました。次はツィスかな~
Posted by: COCO2 | February 26, 2011 12:39 AM