「音もなく少女は」
「悲劇を繰り返すために人生を浪費するつもりはないわ」そう言って、クラリッサはイヴを見た。「あなたの人生もね」
「音もなく少女は」ボストン・テラン著(文春文庫) ISBN: 9784167705879
1975年の夏、ニューヨーク・ブロンクスで起きたある殺人。ともすれば3面記事のなかに埋もれてしまいそうな一つの事件が起きるまでの、25年にわたる母娘の闘いの日々を、克明に描く。
評判の翻訳ミステリー460ページを一気読み。ひと言で言うと、とても力強い物語だ。
ヒロインは生まれつき耳の不自由なイタリア移民の娘、イヴ。1950年、この世に生を受けた状況は、苛酷としかいいようがないものだ。貧困や父親の暴力、地域に蔓延する薬物汚染、組織犯罪が、最愛の人たちを容赦なく襲う。次々に起きる悲劇に、荒廃していく60年代、70年代のブロンクス、さらにはアメリカ社会の歪みというべきものが二重写しになる。
絶望的とも思える環境にあって、女であること、貧しいこと、人種や障害によって差別されること。テーマは重く、理不尽で、読みすすむのが辛いほど。しかし、イヴと彼女を取り巻く2人の女性があまりに健気で、どんどん目を離せなくなる。その2人とはイヴの母クラリッサ、そしてイヴに手話を教えるドイツ移民で気骨の人、フランだ。
3人はそれぞれ心に深い傷を負いながらも、決して誇りを棄てず、ごく普通の幸せを掴み取ろうと、非情な運命に立ち向かっていく。そんなシーンが、いちいち感動的です。
特にイヴが成長し、写真で自分を表現し始めると、彼女の観たもの、その思いが鮮烈に切り取られて、映画のワンシーンのように強い印象を与える。たとえばヴェトナム反戦の機運高まるコンサート会場で、若者たちが一斉に突き上げるピースサインの波。
カバーに記された紹介によると、これは著者の自伝的な内容らしい。言い回しが固く思えるくだりもあるけれど、それを差し引いても、並々ならない熱が伝わってくる一作。田口俊樹訳。(2010・12)
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