「シューマンの指」
「僕が弾くわけないさ。だって、弾く意味がない。音楽はここにもうある」
「シューマンの指」奥泉光著(講談社) ISBN: 9784062163446
留学中の旧友・鹿内から受け取った手紙には、信じられないことが書かれていた。ザクセンで開かれたコンサートで、永峰修人がピアノを弾いたという。そんなはずはない。彼はまだ高校生だったあの夏、不幸な事件で大切な指を失ったのだから…。
シューマン生誕200年の年に書きおろされた、評判の音楽ミステリを読む。全編を通して、どこからともなくピアノの音が響いてくるような、不思議な空気感を楽しんだ。
物語のほとんどは、里橋優が自ら修人との思い出を綴った手記で占められている。里橋は音大を目指していた高校時代、下級生の修人と知り合う。彼は当時、すでに早熟の天才ピアニストとして名をはせていたものの、なぜか人前で演奏することを避けている。里橋にピアニストらしい情熱をみせるのは、もっぱら敬愛するシューマンの音楽性を分析してみせるときだけだ。繊細な指を譜面に走らせながら、修人が熱く語る完璧な音楽というものに、いつしか里橋も魅入られていく。
前半はどこか無邪気な青春時代の回想を装っているけれど、じわじわと物語の世界が歪んでいく。まるで作曲家、音楽評論家として活躍しながら、精神のバランスを失っていったシューマン、その人の人生のように。そして後半には血なまぐさい展開、あっと驚く結末が待ちうけるのだ。
完璧な芸術は、それを切実に求める人の心の中に確かに存在するのだけれど、決して手で触れることができない。なんて悲劇なのか。アクロバティックな技巧を見せつけつつ、読む者にどこか切ない余韻を残す。この手腕は、さすがです。実は恥ずかしながらシューマンについて、「トロイメライ」ぐらいしか知らなかったけれど、ユーチューブで演奏を検索しながら堪能。鍵盤のデザインの装丁もお洒落。(2010・12)
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