「俺俺」
電源がオンになれば、プログラムで型どおりにしか動かず生身の俺など理解しない親という連中にかかわらなければならないし、同僚と同僚らしくつきあわなければならないし、自分のキャラを立てる努力をしなくちゃならないし、自分を説明しなきゃならない。俺は絶えず俺でいなければならないのだ。
「俺俺」星野智幸著(新潮社) ISBN: 9784104372034
ほんの悪戯心から、拾った携帯電話でオレオレ詐欺を働いた俺。ところがいつの間にかなりすました相手と自分が入れ替わってしまい、さらに周囲でどんどん「俺」が増殖していく。
あまり予備知識がないまま、話題作を手にとった。シュールで不条理で、読んでいる間じゅう胸がざわざわ。この嫌~な感じは何なのだろう。
物語のなかで増殖する「俺」は、決して主人公のそっくりさんではない。老若男女ばらばらなのに、俺は出会うたび、確かに「こいつは俺だ」と感じる。映像ではとても表せないであろう、徹頭徹尾意味不明な状況の造形力がすごい。
当初、主人公は、周囲の「俺」も「俺」同士なのだから、価値観が共通していて努力しなくてもわかりあえるんだ、と感じる。その心地よさは、実は他者とのコミュニケーション不全の裏返しであり、これだけで十分に不穏な現象なのだが、話はここで終わらない。
やがて社会に「俺」が増殖し過ぎて、まるで自分たちが鰯の群れのように思えてくる。ここいらあたりから、不快な異様さがぐっと増してくる。あふれかえる大量の自分を肯定できなくなり、なんとも息苦しい破滅へとなだれ込んでいくのだ。自己の存在の溶解という、底知れない恐怖。
暗い話なのだけれど、随所に「ああ、こういうことってあるな」と感じさせる滑稽さが漂うところが、巧い。主人公が働く家電店のせこい値引き方やら、ファストフード中心の食生活やら、ブームになった高尾山観光の混み具合やらが妙にリアル。だから、物語世界のとんでもない非現実も、まるで現実の地続きのような気がしてきて怖い。
かつてオレオレ詐欺が流行り始めたとき、短い三面記事を読んで胸をつかれた覚えがある。ある高齢女性が警官に「あなたが話した相手は詐欺師ですよ」と諭され、「確かに騙されてるのかもしれないけど、誰かに必要とされるなら本望だ」と言い張った、という話だった。今や事態はもっと、先を行っているのかもしれない。正直、カタルシスはなかったけれど、現代社会の奥底を見つめる作家の眼の、鋭敏さを感じた。大江健三郎賞受賞。(2010・9)
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