「小さいおうち」
東京でオリンピックが開かれたのは、昭和十五年ではなくて、三十九年だと、いまでは誰もが知っている。
けれど、昭和十年には、五年後には東京大会が開かれると、それこそ誰もが思っていた。
「小さいおうち」中島京子著(文藝春秋) ISBN: 9784163292304
昭和初期の東京郊外。赤い三角屋根の文化住宅で、女中として過ごしたタキの回想。
久々に、もっていかれた。はらはらドキドキするとか、作家が提示する世界に圧倒されるとかとは違う。気持ちを丸ごと、ぐんともっていかれて、夢中になって読んだ。
物語の大半を占める、タキの手記が秀逸。270ページを費やして生き生きと、平井家で暮らした日々を描く。たった2畳の板の間だけど、田舎からひとり出てきた10代の少女にとって、与えられた部屋は大切な自分の居場所だ。ささやかな誇りをもって家事を取り仕切り、体の弱いぼっちゃんの世話を焼き、たまには京橋のアラスカや日本橋三越での楽しい食事にお相伴する。
過不足のないディテールと、散りばめられた愛らしいユーモアに引き込まれ、読む者はやがて物語のなかの空気をともに呼吸し始める。まるでジャック・フィニイの「ふりだしに戻る」のように。
二十代の若奥さま、時子のなんと輝いていることか。美しいものが好き。といっても、大変な贅沢をするのではない。ちょっとした、きらきらしたものを愛おしむ。子どもっぽく駄々をこねたりもするけれど、その気性にはきっぱりした面がある。甘やかな、若さの記憶。
物語にまんまとどっぷり浸かってしまったから、ラスト50ページほどの「最終章」の展開には本当に驚き、そして切ない気持ちを味わった。見事な構成力。人には長い長い時間をかけなければ、気付けないことがある。時代や社会がどこへ向かっているのかも、自分がとった行動のわけも、そのとき何を求めているのかさえも。
古い雑誌のような装丁も美しい。直木賞受賞。(2010・7)
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