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June 26, 2010

「古本道場」

店内は少し薄暗くて、古びた本がひっそりと、音を吸収するように壁を作っていて、時間が不思議と沈殿している。開け放たれた戸の向こうに、一定速度で進むまばゆい現実がある。

「古本道場」角田光代・岡崎武志著(ポプラ社) ISBN: 9784591086278

神保町、青山、西荻窪。古本に造詣が深いフリーライターに指南されて、人気作家が体験する古書店探訪記。

2004~2005年のウエブマガジンでの連載をまとめた単行本。ほかの読書の合間合間に、ちょっとずつ読んできた。カバーにかかった赤い帯の、「新直木賞作家」の惹句が少し懐かしい感じで目をひく。

角田さんは岡崎氏が課すお題にそって、しかし実際にはほとんど自分の興味がおもむくままに本を購入。その過程で町によって、あるいは店によって似たジャンルの本でもけっこう値段が違うことを発見している。出久根達郎さんの著作「作家の値段」でも感じたことだけれど、古本をめぐってはこういう、様々な価値観がないまぜとなった値段の話がとても面白い。

それから店に色濃く漂う、それぞれの土地柄のことを語る。神保町はちょっと近寄りがたく、青山はお洒落という具合。そのなかでも特に西荻の、サブカルチャーと田舎の雰囲気の微妙な融合という表現が、言い得て妙です。古書ってきっと、町の空気、行き交う人の空気を呼吸している生き物なのだなあ。(2010・6)

June 19, 2010

「発酵食品の魔法の力」

三年後にアザラシを掘り出すと、もうグチャグチャの状態ですが、中のアパリアスは、厚いアザラシの皮と自分の羽根に守られて、ほとんど原形をとどめています。ところが、乳酸菌、酪酸菌、酵母などの作用で発酵し、ものすごい臭みがあります。しかしその味わいは、濃厚で美味。

「発酵食品の魔法の力」小泉武夫・石毛直道編著(PHP新書) ISBN: 9784569772035

ご存じ「発酵仮面」の小泉武夫氏、民俗学者の石毛直道氏という黄金コンビに、食品研究者の鈴木建夫氏、藤井建夫氏が加わった、楽しい発酵礼賛本。この組み合わせは、発酵文化による町おこしを狙う秋田・横手市が仕掛けたものらしい。

著者それぞれの学術的な知見をもとに、発酵の仕組みや世界各地での分布などを易しく解説。合間には青森のアケビのナレズシから、イヌイットがアザラシとウミツバメで作る「キビヤック」まで、実に多様な発酵食品の逸話が紹介される。まあ、お馴染みの雰囲気だけど、改めて人類の知恵、そして自然の恵みに感謝。(2010・6)

「ロード&ゴー」

一分一秒を争う重病外傷の現場において、生命にかかわる損傷の観察と処置のみを行い、その他は省略して五分以内に現場を出発し病院に搬送する。それがロード&ゴー--救急における非常事態宣言だ。

「ロード&ゴー」日明恩著(双葉社) ISBN: 9784575236767

第三方面渋谷消防署恵比寿出張所の救急車がジャックされた。犯人は衆人環視のなか、大都会を猛スピードで走り続けることを要求する。

止まれない車、人質や爆弾。映画「スピード」を思わせる舞台設定だ。実際、危機また危機ではあるのだが、手に汗握る派手なアクションとか、犯人の狙いの謎解きよりも、「お仕事小説」の色彩が強い。どうにもならない様々な矛盾を抱えつつ、現場で精一杯責務を果たそうとする無名の人々。ライト感覚の救急車版「踊る大捜査線」というべきか。

考えてみると救命医療をテーマにした人気ドラマでも、なぜか救急車に乗っている人々にはあまりスポットがあたらない。いったい常日頃どう働いているのか、ディテールの描写が面白かった。女性が爪にほどこす凝ったネイルアートが、救急の最前線で悩みの種になるなんて。

著者は興味がおもむくまま、消防署や消防大学校の公開日に一般見学者として足を運んだりするらしい。現場を愛する感じは楽天的過ぎる気もするけれど、そんなさめた気分は機関員(運転手)生田の、明るいキャラクターが吹き飛ばす。元暴走族という設定で、言動はがさつで下品。でも運転の腕は確かで、実は気も優しい。彼の妻の登場シーンは出色。

それにしても、たちもり・めぐみ、という著者名を読むのは難しいなあ。(2010・6)

June 09, 2010

「川は静かに流れ」

死と血は少年が大人になるために避けては通れない要素なのだ。

「川は静かに流れ」ジョン・ハート著(ハヤカワ文庫) ISBN: 9784151767029

青年アダム・チェイスはかつて殺人の容疑をかけられ、無罪となったものの周囲の目に深く傷ついて故郷を後にした。親友からの電話で5年ぶりに舞い戻った矢先、再びある事件に巻き込まれる。

2009年の各種ミステリベスト10に数多く選ばれた話題作を読む。淡々とした筆致ながら、色鮮やかな思い出のシーンと、対照的になんとも重苦しい現在とが交差する構成は見事。なんだかクリント・イーストウッドの映画を観ているような、ちょっとロス・マクドナルドのような。第2作にして、早くも巨匠の風格だ。

舞台はノース・カロライナ州の農場地帯。行ったことはないんだけれど、行間からはどこか蒸し暑くて、保守的らしい空気がたちのぼる。
そこで主人公が直面するのは、家族の問題だ。一度は自分を拒絶した父と継母、愛そうとしても互いに態度がぎこちなくなってしまう義理の弟妹、そして幼い記憶に刻み込まれた美しい実母の最期。やがてミステリとともに明らかになっていく彼らの真実。

血縁であろうとなかろうと、家族という存在からは、誰しも逃れようとして逃れられない。細部の描写に、普遍性が宿る。アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀長編賞受賞。東野さやか訳。(2010・5)

June 03, 2010

「フォークの歯はなぜ四本になったか」

一六六九年、暴行を減らす対策として、フランス国王ルイ十四世は、先のとがったナイフの使用をーー食卓の上でも、町なかでもーー法律で禁じた。このような動向と、フォークの使用がしだいに普及したこととがあいまって、テーブルナイフの刃先は、今日よく見かけるような丸い形になった。

「フォークの歯はなぜ四本になったか」ヘンリー・ペトロスキー著(平凡社ライブラリー) ISBN: 9784582766936

どこにでもある日用品。それがどういう経緯で今のような形になったのか、知っているだろうか? 身近な実用品がかたちづくられた歴史を、米国の工学者がひもとく。

フォーク、クリップ、ファスナー。著者は400ページ以上にわたって次々に、見慣れた道具がどのように発達してきたかをたどっていく。正直、読み進むのにちょっと難儀するほどの情報量だ。まず、その熱意に驚く。

というわけで、なかなか消化しきれない小ネタが満載なわけだが、その小ネタの集積の中から徐々に、実用品の発達は決して一直線の必然ではなかったということが浮かび上がってくる。食べ物を長く保存したい、という欲求から、缶詰という優れた道具が考え出されたけれど、それに缶切りの発明が追いつかず、かつては店員が一つひとつ缶を開けてから客に持ち帰らせていたらしい、とか。

材料の普及、機能の工夫、経済性、そして社会背景。便利な道具がなかなか受け入れられないときには、単に「使い慣れていない」という人々の習慣の壁が、案外厚かったりする。今当たり前に使っている、ちっぽけな道具に、どれほどの先人の試行錯誤が宿っていることだろう。忠平美幸訳。(2010・5)

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