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March 26, 2010

「花合わせ」

興業前の鼠木戸には誰の出入りもなく、小屋の前を、扇ではたはたと扇ぎながら急ぐ、暑そうな商人風の男や、桶を担いだ金魚屋が「めだかァー、金魚ゥ~」と長閑な声を上げては、桶につるした金魚玉を揺らし、夏の強い日差しをきらきらと反射させて、行き過ぎるのが見える。

「花合わせ」田牧大和著(講談社) ISBN: 9784062143431

まだ名題下の女形、濱次が行きずりの町娘から預かった奇妙な鉢植えをめぐる人情話。

若手時代小説家の小説現代長編新人賞受賞作を読んでみた。ゆったりした筆致で描かれる、芝居小屋を中心にした粋な江戸風情が楽しい。才能はあるが、おっとりした性格の濱次やいたずら好きの師匠、茶屋の遣り手女将ら、一癖ある登場人物たちがかわす会話も上品で、落語のような味わい。「お止しよ、鬱陶しいねぇ」とか。芸談にミステリーやファンタジーの要素をからめていて、ややまとまりに欠ける感じはあるけれども。

ちなみに「花合わせ」は花札遊びのことではなく、珍しい花の品評会のことらしい。こういう庶民文化の成熟ぶり、江戸好きにはこたえられないかも。(2010・3)

March 20, 2010

「横道世之介」

 「お父様、そんなに次々質問したって世之介さんが答えられるわけないじゃないの」
 この辺でやっと祥子が救いの手を差し伸べてくれる。だが、「お前はじゃあ、見込みのない奴と付き合ってんのか?」と父親は冷たい。
「あるに決まってるじゃない。世之介さんはね、私がこれまでに会った誰よりも見込みがあります!」
 あ、いや……。
 世之介、声を出せず。

「横道世之介」吉田修一著(毎日新聞社) ISBN: 9784620107431

バブルという、偽りの上り坂にいたころの東京。長崎から上京してきた大学生、世之介が過ごす1年。

中盤まではまるで、よくできたコメディ映画を観ているような感じ。世間知らずでお人好しの世之介の、ごくごく平凡だけど微笑ましい日常がテンポよく綴られる。
なにしろ、大学でうっかりサンバサークルなるものに入り、派手な衣装でカーニバルに参加したものの、スタート前に熱中症で気絶し担架で運ばれてしまう。かと思えば、知り合ったお嬢さま女子大生から突然「海に行きません?」と誘われ、腰に浮き輪の海水浴スタイルでついていったら、車でヨットハーバーに乗り付けられて動転する。軽妙で、馬鹿馬鹿しくて、とてもあの「悪人」と同じ作家とは思えません。

中盤にいたる頃には、読む側はすっかり油断してしまう。世之介が実際に、かつて自分の大学の同級生にいたような気になっている。「よく覚えていないけれど、なんか良い奴だったな」と。
しかし、やっぱり吉田修一は侮れない。ところどころに、彼を取り巻いていた友人や恋人の現在が、短く挟まれる。「あのころの未来」から振り返ったとき、世之介という、ふざけた名を持つ愛すべき一人の男が、人々の心に小さな明かりを灯していたことに気づいて、ふいに胸をつかれるのだ。

あれからバブルは当然のごとくはじけ、心底がっかりしたこと、うまくいかないことも沢山あった。けれど東京って街も、まんざら捨てたもんじゃないな、という気分になってくる。

「タカビー」なパーティーガールの千春、お嬢さま過ぎて何かと調子が狂う祥子ら、登場人物がもれなく魅力的だ。秀作。(2010・3)

March 01, 2010

「再起」

体が汗ばんでいるのは恐怖のせいだと彼に思われるのがいやだった。だが、それが重要だろうか? イエス。私にとっては重要だ。

「再起」ディック・フランシス著(ハヤカワ文庫)  ISBN: 9784150707415

隻腕の調査員、ご存じシッド・ハレー。彼に八百長に関する調査依頼が持ち込まれた直後、当事者の一人と目される騎手が殺害されてしまう。疑惑を追うハレーの周囲に忍び寄る魔の手。

フランシス追悼ということで、競馬シリーズ第41作を読んだ。妻メアリの死後、6年のブランクからフランシスが執筆に復帰。しかも長いシリーズのなかで最も印象的なヒーローであるハレーが、4度目に登場したという話題作です。
個人的に今までなんとなく手が伸びなかったのは、今思うと訳者の交代だったのでしょうか。長年、訳を手がけてきた菊池光さんが06年に急逝。菊池さん訳のちょっとこなれない独特の雰囲気が好きだったんですよね~。でも、本書巻末の解説で門井慶喜さんが触れているように、ニュアンスはつながっている、と感じました。

内容はおおむねいつものフランシス節でしょうか。次作の「祝宴」以降、息子さんフェリックスとの共著になったのだから、もしかしたらすでに本作も事実上、代替わりしていたのかもしれないけれど…
フランシス節というのは、言わずと知れた主人公が示す不屈のプライド、これに尽きます。それも誰かに向かって声高に訴えるのではない。ぎりぎり追いつめられたとき、もっぱら自分自身に対してだけ、一歩も引かないぞ、と思い定める姿勢。期待を裏切りません。ハレー顔負けに気が強くて、乾いたユーモアセンスを持つ恋人の登場も微笑ましい!
うまく伏線が回収しきれていないような、あるいは展開に違和感を覚えるような…と、細かく気になるところはあるけれど、とにかくこれまで長い間、読者を楽しませてくれた巨匠に、率直に感謝。北野寿美枝訳。(2010・2)

「再起」ディック・フランシス 心に残る本
再起/ディック・フランシス ディックの本棚

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