「ドーン」
日本語で〈分人〉って言ってるそのdividualは、〈個人〉individualも、対人関係ごとに、あるいは、居場所ごとに、もっとこまかく『分けることができる』っていう発想なんだよ。
「ドーン」平野啓一郎著(講談社) ISBN: 9784062155106
2036年、米大統領選のさなか。人類で初めて火星に歩をしるした英雄的宇宙飛行士のひとり、佐野明日人が一大政治スキャンダルに巻き込まれていく。
2009年読み納めで、芥川賞作家に初挑戦した。「ブレードランナー」ばりのSFでもあり、サスペンスでもあり。500ページ近い長編にぎっしり詰め込まれた、作家のイマジネーションにくらくらした。とにかく余白がないんです。
長期にわたる宇宙旅行の困難から、アフリカ紛争地帯への大国の介入や戦争の民営化の問題、高度なネット監視社会や拡張現実まで。現在と地続きにみえる「すぐそこの未来」のイメージがてんこ盛りです。ああ、なんて饒舌なんだ。
特に印象深いのは、2030年代には分人主義という思想が世界に広がっている、という設定だ。分人主義とは「本当の自分」なんてものは存在せず、人は状況に応じて様々な人格「分人(ディヴ)」をもつのが当たり前だという考え方。それは、複雑になり過ぎた情報社会を生き抜き、自らを守るための人々の知恵なのかもしれない。今の社会というものについて、ものすごくよく考えている作家だなあ、と思う。
ではわたしたちの人格、社会はどんどん細分化されて、複雑になっていくのだろうか。キーワードは「重力」かもしれない。この広い宇宙で、奇跡のようにちっぽけな地球にすべての生き物を結びつけている存在だ。
ラストシーンの後、「明日の人」という象徴的な名を持つ主人公は、過去を背負って、どう生きていくのだろう。そして私にとって、重力にあたる存在って何なんだろう。面白くて、読後感はずしっと重い。Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。(2009・12)
〈わたしたち〉の時代の夜明け――平野啓一郎『ドーン』を読む1 平岡公彦のボードレール翻訳日記
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