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October 31, 2009

「司法官僚」

司法行政職への任用の基準と制度があきらかにされないまま、特定の職業裁判官集団が司法官僚機構を構成し、司法行政を「専有」するならば、司法の「閉鎖性」をたかめてしまうことになろう。司法官僚の経歴や行動に注目せねばならないゆえんである。

「司法官僚」新藤宗幸著(岩波新書) ISBN: 9784004312000

行政学の研究者が、司法の中枢に位置する官僚組織の仕組みを探る。

考えてみればどんな組織にも、人事や予算はあり、それを統括する部署がある。行政組織、民間企業はもちろん、ある程度の規模ならNPOだってそうだろう。日本の裁判所の場合、そ れは最高裁判所の事務総局というところだ。そして人事や予算(人件費)のコントロールを源泉として、事務総局は全国の裁判所に対して一定の影響力を持つ。

著者はこのあまり世間で話題にならない、いわば顔の見えない事務総局のメンバーが一体どのように選抜・育成されているのか、といった疑問をもち、彼らの経歴など数少ない公開資料を丹念に追っていく。この分野に疎いので、いちいち「へえ~」と思いながら読んだ。

裁判員制度など一連の司法改革で、裁判所はここ数年、ずいぶん大胆に変わったという印象がある。けれどおそらく変わらない部分もあり、そこにはあらゆる組織が抱える自己防衛本能のようなものが感じられて、興味深い。市民の立場にたてばまだ改革の余地がある、というのが著者の視点だ。(2009・10)

October 25, 2009

「ヘヴン」

奥ゆきのない、あいかわらず平板な風景だった。そしていつもそうするように目のまえの景色を紙芝居の絵のように四角く切りとって、まばたきをするごとに一枚一枚を足もとにめくり捨てていった。

「ヘヴン」川上未映子著(講談社)  ISBN: 9784062157728

1991年、14歳。学校でいじめを受けていた「僕」はある日、同じように理不尽な暴力にさらされている級友、コジマから手紙を受け取った。そして、ひそやかな交流が始まる。

なんとなく食わず嫌いだったのだけど、知人から「必読」と言われて手にとってみた。中盤までは正直、執拗ないじめの描写とか、少年の強い自意識とかが痛々しくて、ちょっと閉口した。けれど、重いテーマの割に敷居が低くて読みやすい。余分な説明が少なく、文章に潔い印象があるせいか。

すべてを受け入れる者・コジマと、傍観者・百瀬という登場人物が、強烈な存在感を示している。それぞれの立場で組み立てた論理を饒舌に語り、被害と加害、あるいは善と悪という大きな存在を象徴するかのようだ。この二人のパワーに比べると、間に立つ主人公の僕はなんだか頼りなく、受け身にみえる。
けれど、彼が目にしている独特の「視界」という冒頭のエピソードが、終盤に至って、とてもドラマチックに説得力を帯びてくる。このあたりの展開には、見事に不意をつかれましたね。非常に映像的でありながら、たぶん文字でしかうまく表現できない。上手だなぁ。

誰でもただ、等しく幸せを望んでいるだけのはずなのに、世界はなぜ歪んでしまうのか。そんな深い問いに向き合った時、人はしょせん頼りなくて、受け身でしかいられないのかもしれない。それでもどうにかして、世界の実態、生きている実感というものを掴みとろうとする。そういう切望の、愛おしいまでのきらめき。著者の真面目さ、誠意が感じられる。(2009・10)

ヘヴン*川上未映子  本の国星

October 21, 2009

「道具屋殺人事件」

「えっ、な、何? 一体、何がわかったの」
「まあ、いい。今度の水曜日、俺の噺を聞けば、お前にも全部呑み込めるはずだから」
「水曜日って、墨念寺寄席のことでしょう。あっ……じゃあ、『らくだ』の新しいサゲを思いついたのね」
「ああ、そうだ。ふふふ。こいつは、我ながら、なかなかの思いつきだぞ」

「道具屋殺人事件」愛川晶著(原書房)  ISBN: 9784562040964

噺家二つ目の寿笑亭福の助が、身近で勃発する事件の謎解きに挑む連作集。

とにかく落語をめぐる蘊蓄が満載で、読んでいて楽しい。楽屋を飛び交う符丁やら、古今の名人のエピソードやら。なにしろ車椅子探偵役を務める病気療養中の師匠は、三題噺のかたちで謎解きのヒントを授けるのだ。うーん、お茶目ぶりがチャーミング。

主役夫婦の造形も爽やかだ。古典落語について人一倍研究熱心な福の助。そんな夫を支え、自分も重症落語ファンになりつつある感じの妻、亮子。種明かしのクライマックスは必ず、福の助が精魂こめてつとめる高座のシーンになっている。
演目はあくまで古典だけれども、それを現代に生かすために噺家は知恵を絞り、様々に工夫をこらすんですねぇ。まさに座布団一枚の小宇宙。肝心の謎解きよりも、落語そのものを堪能しちゃう感じです。あ、いや、謎もちゃんと解けるんですけれども。

古典というものが単純な笑いではなく、大衆芸として庶民の暮らしに潜む残酷さとか、悲哀とかを含んでいることも再認識できて興味深い。ああ、寄席に行きたいなあ。(2009・10)

◎◎「道具屋殺人事件」 愛川晶 原書房 1890円 2007/9  「本のことども」by聖月

October 17, 2009

「茗荷谷の猫」

せっかくこの町に来たのだ。一粒でもいい、変化を欲していた。

「茗荷谷の猫」木内昇著(平凡社) ISBN: 9784582834062

江戸末期から終戦後の東京まで、点々と続いていく市井の人々の運命のつながり。

本好きブロガーさんの間で評判だった連作集を読む。順に時代をくだりながら、様々な人生の変転を綴っていく。巣鴨・染井に住み、染井の吉野、すなわちソメイヨシノを世に送り出す植木職人とか、夫と心がすれ違ってしまった女流画家とか…。短編同士は一見無関係なのだけれど、エピソードが控えめに重なり合っていて、そのささやかな連鎖が、人の世の奇跡をしみじみと感じさせて、巧い。

登場人物はそれぞれ、何らかの情熱を内に抱えているようだ。あえて武士の身分を捨てて、名も無き一人の植木職人として生きたい、あるいは、平凡な勤め人の妻でありながら、画家として色彩への衝動を解き放ちたい。

各編に共通して印象的なのは、ストーリーの随所に観光名所といった当時の風俗が織り込まれていて、都市の日常が行間から感じられること。陰の主役はこの「街」ではないか、と思えてくるほどだ。どんな家に住み、どんな娯楽を楽しむか。人はそういう時代、時代の平均的な暮らし向きというものから、どうしたって逃れられない。しかし内に情熱を抱えていると、それがちょっとずつ日常からはみ出してしまって、ささやかなドラマにつながる。

連作の中では「隠れる」が、コミカルで楽しい。父の遺産で隠遁生活を送ろうと目論んだ人嫌いの男が、避ければ避けるほど他人との関わりに巻き込まれていく。本郷の古本屋にある、秘密の小部屋のイメージが秀逸だ。こういうところ、本当にあったら怖いなぁ。(2009・10)

「茗荷谷の猫」木内昇 本を読む女。改訂版
『茗荷谷の猫』 木内昇 Roko’s Favorite Things

October 08, 2009

「ダブル・ジョーカー」

 --何を、どこまで出来るのか。
 
自分自身に証明してみせることが快かった。
 
自負は、ほとんど肉体的な快感だった。

 たとえそれが、ある種の薬物中毒者が感じる命取りの快楽であったとしても……。

「ダブル・ジョーカー」柳広司著(角川書店)  ISBN: 9784048739603

陸軍に密かに設立された「D機関」。超人的な能力を持つスパイたちの、息詰まる闘いの日々。

「ジョーカー・ゲーム」の続編ということで、楽しみにしていた連作を読む。いやー、うまい。短い文章のなかで、まるでオセロのように白と黒が鮮やかに逆転していくさまは、本当に小気味よい。

今回は謎多き男、結城中佐の過去の一端も明かされていて、結城ファンにはたまらない。そうかー、そうだったのかー。そしてついに、影の存在が影であることを許されない時代がくるのか。そんな時代を生きる中佐に思いをはせずにはいられない。決して大きな感動ではないけれど、抑制の効いた文章と精緻な構成にうーんと唸って、その後になにやら余韻が残る。(2009・10)

ダブル・ジョーカー/柳広司  taipeimonochrome

「新しい労働社会」

 近年、少子化対策の文脈で児童手当が取り上げられることが増えましたが、それが企業の家族手当と相補的なものであり、労務提供への対償と生計費保障のはざまを埋める性格を有しているという認識はあまりないようです。しかし、この問題は賃金制度の原則と社会保障制度の設計を同時に解かなければならない連立方程式であり、年功制をやめて職務給にしていくというのであれば、それに対応する分を社会保障給付として拡大していくべき性格のものです。

「新しい労働社会」濱口桂一郎著(岩波新書)  ISBN: 9784004311942

旧労働省出身の研究者が、「現実」を見据えて説く雇用問題の処方箋。

「派遣切り」「雇い止め」…。まるで根本から間違っているかのように語られがちなニッポンの雇用も、ある時点では合理性があり、多くの普通の人が恩恵を受けていた。著者はまず冷静に、前提が変わったことを確認した上で、今足もとで何ができるのか、そして将来、どこを目指すべきなのか、を考察していく。

雇用は雇用だけで論じられる「制度」ではなく、社会保障や産業構造や、様々な意思決定システムと密接に絡まっている。その広がりの大きさを思うと、気が遠くなるほどだ。だからこそ、単に諸外国の事例などをひき写すのではなく、叡智を集めて考え抜くべきテーマなのだということを確認させてくれる一冊。(2009・10)

「新しい労働社会-雇用システムの再構築へ」濱口桂一郎著  Kyuoshoublog
[書評]新しい労働社会―雇用システムの再構築へ(濱口桂一郎) 極東ブログ
濱口桂一郎『新しい労働社会』(岩波新書) 9点  山下ゆの新書ランキング

October 03, 2009

「夏への扉」

ドアの外に白色の不愉快きわまる代物を見つけると、(馬鹿ではなかったので)もう外へは出ようとせず、人間用のドアをあけてみせろと、ぼくにうるさくまつわりつく。
 彼は、その人間用のドアの、少なくともどれか一つが、夏に通じているという固い信念を持っていたのである。

「夏への扉」ロバート・A・ハインライン著(ハヤカワ文庫) ISBN: 9784150103453

「六週間戦争」後の1970年、南カリフォルニア。発明家ダンはビジネスパートナーと恋人から手ひどい裏切りにあい、「冷凍睡眠」で2000年の未来へと送り込まれる。

SNS「やっぱり本を読む人々。」選出の100冊文庫から、SFオールタイムベスト常連作の旧訳版を読む。

いやー、今さらですが、つくづく不勉強でした! 映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が大好きで、ユニバーサルスタジオのアトラクションに乗ったこともあるけど、こんなところに原型があったとは。米国で発表されたのが、なんと1956年。タッチの軽妙さ、我が儘な愛猫からちょっと間抜けな悪役に至るまでの魅力的なキャラクター、そして終盤の時間ぎりぎり、はらはらドキドキの冒険ーーすべて、ちっとも古く感じられないことが驚きだ。

執筆時にとっては近未来である1970年と、さらにワープした未来にあたる2000年の世界が舞台になっており、そこで描かれる生活の進化ぶりが興味深い。もちろん今となっては2000年も過去であり、荒唐無稽だなあ、と感じるんだけど、それでも豊かな作家のイマジネーションには驚かされる。
例えば企業の経営権の奪い合いのところとか、歯科医に行くシーンとか。全編を貫く、あくまで楽天的な、元気が出る雰囲気と相まって、エンタテインメントの底力を感じる。扉を探す旅は、今も続いているのだ。福島正実訳。(2009・10)

『夏への扉』ロバート・A・ハインライン Roko’s Favorite Things
時空の操り方 活字の砂漠で溺れたい

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