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August 21, 2009

「ゴミ分別の異常な世界」

リサイクルは、ごみを減らし、資源をムダづかいしない重要な方法である。ただし、適正なコスト負担の元に、リサイクルで効果が得られることが条件だ。

「ゴミ分別の異常な世界」杉本裕明、服部美佐子著(幻冬舎新書) ISBN: 9784344981331

環境ジャーナリストふたりが、国内各地のゴミ分別とリサイクルの現状をリポート。

一般に、環境問題への関心は高まっているし、エコバックを持ち歩いたり、総菜の容器をスーパーの回収箱に入れたりという行動はかなり広まっている。ところが実際にどんな手法がどれほど有効なのか、と聞かれたら、自信を持って答えられる人はさほど多くないのではないか。著者は一口に「エコ」「環境対策」と括られがちな施策の曖昧さを、自治体のゴミ分別を例にとって指摘する。

細かく分別すればするほどいいのか、運搬や処理のコストは効果に見合っているのか。「ごみの世界に、模範解答はない」から、常に情報の公開と冷静な検証が必要ということだろう。整理しきれない印象は否めないものの、いろいろな情報が詰め込まれている。(2009・8)

August 13, 2009

「怪談牡丹灯籠」

静におしなせえ、隣はないが名主のない村じゃアないよ、お前さんがそう哮り立って鯉口を切り、私の鬢たを打切る剣幕を恐れて、ハイさようならとお金を出すような人間と思うのは間違えだ、私なんぞは首が三ツあっても足りねえ身体だ

「怪談牡丹灯籠」三遊亭円朝作(岩波文庫) ISBN: 9784003100318

旗本・飯島家の娘、お露の悲恋と、飯島家に仕える草履取り・孝助の数奇な運命。

夏といえば怪談、というわけで、SNS読書会の課題本となった円朝の名作を読んでみた。いきなり坪内逍遙の「序」があって、古文なんて高校以来だし、難しそうだなぁと身構えた。けれど、本題の落語に入ると話し言葉で、笑いもまじえた名調子。案外すいすい読んだ。

初めて出版されたのは明治17年。「口演速記」という、当時新しかったメディアのスタイルが人気を呼び、のちの文学や演劇に大きな影響を与えた、というのが興味深い。

ストーリーについては、幽霊なのに足があるお露がカランコロンと下駄を鳴らし、夜道を恋しい男のもとへと通ってくる、というのが有名な怪談部分で、これは比較的前半で終わってしまう。「四谷怪談」「皿屋敷」と並ぶお化けの定番だから、さぞゾッとするかと思ったら、そうでもない。むしろ後半、孝助を取り巻く生きた人間たちの、むき出しの欲のほうがよっぽど怖い。なんと愚かで、罪深いのか。複雑にこんがらがった、ワイドショー的な人間模様が秀逸だ。

今や日常では失われてしまった言葉が、たくさん出てくる。悪党が開き直ってまくしたてる啖呵や、客の迎え方、見送り方…。庶民がかつて持っていた日本語の豊かさをかいま見る気分だ。解説・奥野信太郎、注・横山泰子、わかりやすい地図付きの改版。(2009・8)

 シネマ歌舞伎 怪談 牡丹燈籠  速映画批評

August 06, 2009

「シンプル族の反乱」

つまり、日本人は今、戦後的な、あるいは1970年代以降の、「共同体の束縛からの解放」「個人の自由の最大化」という歩みを少しゆるめて、個人の自由を担保しつつも、一定の共同体に所属して安心を得たいと思い始めていると言うことができるだろう。

「シンプル族の反乱」三浦展著(KKベストセラーズ)  ISBN: 9784584131817

これまで郊外家族の生態や、「下流社会」の現状を鋭くとらえてきたマーケッターが、昨今話題の「ものを買わない若年層」の意識を探る。

あっという間に読めて、久しぶりにスカッとした。最近の消費論とか若者論には個人的に、どうも隔靴掻痒の印象をもっていた。「ロハス」というときれいごとに聞こえるし、「草食系」だと頼りないばかりで、どうも夢がない。それって「生活のベースはもう十分豊かだけど、足もとは不況だからしばらく引きこもっていよう」ってことなのだろうか。んー、そうじゃない、何か意識が変わっている…。そんなモヤモヤに答えてくれる一冊だ。

著者はまず、ロハスブームに隠れてあまり定着しなかった米社会学者の2000年の著書名「カルチュラル・クリエイティブス」(ポール・レイ、シェリー・アンダーソン著)に注目する。そこで描かれたのは、成功やブランド品は求めないけれど、充実した人間関係とか読書、世界遺産を訪ね歩く旅には関心をもつ、という姿勢だ。なにより面白いのは「未来に対して楽観的」という点ではないだろうか。私有意識が低くてアンティーク好きだから、確かにあまり買い物はしない。けれど決して、きれいごととか引きこもりではないのだ。何らかのストーリー性、説得力があるモノやサービスには、けっこう弱かったりする。

著者はこの消費者像を現在の日本に移し、シンプル族と名付けた。あてはまるのは主に1970年代前半に生まれた団塊ジュニア以下の世代。人づきあい(ソーシャルキャピタル)志向とか、「地方」に対する感覚の変化といった指摘が、なるほど、と思わせる。ちょっと癪なのは、台頭するシンプル族との対比で言及される、思考回路が古いモダン族の生態だ。これが、いちいち自分に当てはまるんだな。んー、シンプル族に今までピンとこなかったのも、致し方ないか。

著者はもちろん、若年層が全員シンプル族というわけではないし、ライフスタイルが100%シンプル族という人も存在しない、と断ったうえで、モノやサービスを売る側がシンプル族にどう接すべきか、という点に言及している。ほかの近著に比べ、全体にデータより著者の直感を重視していて、かえって理解しやすい気がした。(2009・7)

2009-7-23 シンプル族の反乱 本屋のほんね

August 04, 2009

「日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか」

自分に自信があったか、という項目に対して、小学校の低学年にして、ほとんどない、につけてしまう状況というのは、非常に心配で、紙を見ていると、一人一人、「この子は大丈夫なのかな、どんな子なのかな」と、思わず関わりたくなってしまいます。

「日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか」古荘純一著(光文社新書) ISBN: 9784334035068

児童精神科医が子供たちのQOL(生活の質)の実態を探るべく、小中学生約8000人らに対して調査を実施。その回答から浮かび上がった、彼らが感じている「幸福度」の惨憺たる状況を報告する。

普通の小学一年生が、外来を訪れて「僕は疲れているんです」とつぶやく現代ニッポン。子どもに心身の調子や学校、家庭などに対する満足度を尋ねてみると、ドイツやオランダでの同様の調査と比べて明らかに低いのだという。著者が特に注目するのが自尊感情。長所短所すべてをひっくるめて、自分のことを自分自身で考えるという感情の乏しさだ。

自尊感情が目立って低い子どもの場合は、背景に何らかの障害やいじめ、虐待などが隠れている可能性があり、QOL調査はそうした問題を早期に発見する一助となる。もっとも全体的な水準の低さの陰には、親や教育現場のゆとりの乏しさなど、広くて根深い問題が潜んでいるのではないか、と著者は危ぐする。閉塞した状況にいる子どもたちに対して、大人はどんなふうに手を差し伸べることができるのだろうか。
調査の解説にウエートがおかれており、具体的な事例の紹介や考察は一般的なものにとどまっている感じはあるものの、考えさせる1冊。(2009・7)

 古荘純一『日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか』(光文社新書) 7点  山下ゆの新書ランキング

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